Curators on the Move 10

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
間で、そして小さな数で

 

親愛なるHUOへ

先日はナノミュージアムについての思いを書いてくれてありがとう。アートを提示する新たな空間の形態を追求するのに、とても重要な点だと思う。昨今は、市場や既存の制度的機関が、覇権主義的にして融通の利かない形式で、アートを生産し、展示し、消費する手段を独占しつつあるのだから。またそれは、僕自身がキュレトリアルな実験の中で、かれこれ10年以上というもの探求していることでもある。僕たちのいつもの会話や共同作業、例えば第4回光州ビエンナーレ(2002)、第2回広州トリエンナーレ(05)、それに第10回イスタンブール・ビエンナーレ(07)でもそうだったけれど。

これらの問題は今日、アートをめぐる新しい文脈ゆえに再提起されなければならないものでもある。現代アートは現在、世界中でラディカルなまでに矛盾し、相反する条件のもとで展開し、発信されている。他方、いまほど現代アートに関心が集まり、巨額の投資がなされたことはなかった。歴史的に例がなく、だからこそ前途有望で心が躍るとも言えるけれど、一方、いまほど現代アートが、有力な準法人的機関や市場のルールに束縛され、形式化さえされている時代はない。アートの性質は、前衛の知的探究行為から、大衆のエンタテインメントへと急転回している。制作のモデルも不可避的に「工業化」している。

 

「非正規」の資源を用いる

だが、アート界自身はジレンマを感じている。どうすれば、制度がこれほど強大な圧力をかけてくる中で、アートの本質的かつ倫理的な責務としての、創造性、批評性、そして差異を生産する自由を、保持し、発展させられるのか。アーティスト、批評家、キュレーター、また意識の高い一般の人々はますます、アート作品の生産、提示、コミュニケーションに関する、既存の制度に代わる様式を想像し、創造すべく奮闘している。頼りになるのは新旧の、往々にして「正規のものではない」メディアや、社会経済学的な資源だ。また、我々の生活/世界を俯瞰すると、グローバリゼーションや近代化への関与に対するある傾向が、世界的に存在するように思える。この抵抗運動の中に、様々なNGOや草の根的なイニシアティブを含む多数の無党派集団や個人が、驚くほどの創造力を発揮しながら、既存のものに代わる多様な形式を提案している。経済的、文化的、社会的、政治的なビジョン、生産、交換の形式だが、それらは多数性(マルチチュード)とコラボレーションの原則に基づいている。

もちろん、現代アートの作品、イベント、プロジェクトを生産し、展示し、コミュニケートする新たなモデルの探究は、もはや(トニ・ネグリが言うように)システムの「外部」などない時代にあっては、システムの「内部」で、あるいはシステムと緊密な関係を保ちつつ行われるほかはない。重要なのは、「間」の空間で物事を行い、構造を組み立てる方法を創出することであり、そこで、既存のシステムとその産物、資源、価値をラディカルに利用する別の方法が提案されるのだ。それはミシェル・ド・セルトー言うところの日常というカテゴリーに(『日常的実践のポイエティーク』参照)、あるいはシステムの非公式な側に、制度であれ市場であれ体制の静的で固定化した下部構造に対する、まさに生きている世界に分類される空間だ。これまでとは異なる生産物の使用法や、物事の行い方(マニエール・ドゥ・フェール)を奨励するセルトーの思想は、ここでは極めて示唆的だ。

 

「携帯」的なアートワールド

新たなモデルを開発するために我々が取る行動は、可動的、即興的で、柔軟性に富み、一過的、ボーダーレスで、ゲリラ的である。ハキム・ベイの「一時的自律ゾーン」のように、このような行動によって開放された空間は、支配的なシステムの覇権に対する反乱の場だ。挑発的、いや革命的ですらあるビジョンや表現形式が奨励される。

と同時に、世界中の様々な場所で、多くは小規模の多様なイニシアティブが、地球規模のネットワークを形成するための相互的な結びつきを求めている。彼らは共に、支配的なシステムの脊椎を成す構造を横断する、真に強力で効力のある「携帯ワールド」を形成している。アルジュン・アパデュライは、『Fear of Small Numbers: An Essay on the Geography of Anger』において、グローバリゼーションにおける支配的なシステムの不公正に対して、この種のネットワークがいかに機能しうるか、見事な見取り図を示している。このネットワークの接続ポイントは、移動するゲリラのように、支配的なシステムの中枢部分の弱点を標的として、少数の、距離の近い、緊密に結びつきながら根本的に対立する考え方や行動、表現方法を取る相異なる者を挿入し、支配的なシステムの正常な機能を絶えず問題視し、攪乱する。そして究極的には、ゲリラ的イニシアティブたちが、自らのプロジェクトや行動の妥当性を、新たに獲得する一助となる。

言い換えれば、携帯ワールドを形成するこの過程は、芸術文化の文脈と経済政治の領域の双方において、アートと社会の関係を常に更新する生成者、あるいは生産者となるのだ。

この視点からナノミュージアムのようなイニシアティブを理解するなら、マルセル・デュシャンの『トランクの中の箱』などへの歴史的な関連にかかわらず、現代におけるその妥当性が納得できるだろう。そこでまた思い出すのは、『Cities on the Move』展(1997-2000)で僕らが試みた、展覧会内の無限の展覧会という発想、とりわけ君が指摘した小沢剛の『なすび画廊』だ。小沢は何年にもわたり、多くのアーティストに小さな牛乳箱を送り、中に作品を入れ、箱も作りかえるように呼びかけている。これらの作家の作品が入った箱は収集回収され、大きな展覧会で展示され、他のプロジェクトへと継続的に循環している。

 

スーツケースで「密輸」された作品のビエンナーレ

最後に僕は、過去数年の世界のアートシーンで最も傑出した、重要なプロジェクトのひとつに注目することを勧めておきたい。『チェチェン緊急ビエンナーレ』。エヴリーヌ・ジュアノがキュレーションした、典型的だが独創的なスーツケースの展覧会だ。このプロジェクトは地政的な紛争がピークに達していた2005年に端を発している。アート界は第1回モスクワ・ビエンナーレの開催を祝っていたが、その一方でチェチェンは激烈な紛争の只中にあった。そして、おしゃれなアート界は、残忍な将軍たちと人々の苦痛に対する無知ぶりを露呈した。それに応えるべく、ジュアノは100人を超えるアーティストに、紛争への懸念と関与の意思を表明するよう促した。侵略者によって、美術館、図書館、学校などの文化財が破壊され、著しく損なわれてしまったチェチェンの人々の文化、尊厳、アイデンティティを回復する手助けとするためだ。世界中のアーティストが呼びかけに応じ、プロジェクトに貢献した。アーティストはそれぞれふたつの作品を提出した。ひとつは、スーツケースに入れてグロズヌイに「密輸」される。もうひとつは別のスーツケースに入れられ、紛争およびチェチェンの人々と文化の行く末に対して世間の関心を呼ぶべく、国外の展覧会に送られる。ひと月もしないうちに、ジュアノは100以上の作品を受け取り、それらの作品を予算無しで、パリのパレ・ド・トーキョーと、グロズヌイ市内の様々な場所で展示してみせた。

2005年2月23日の初日には、人道支援や文化活動を行うNGOやチェチェン移民の共催で、公開パネルディスカッションが開かれた。それ以来、展覧会は数個のスーツケースで世界各地を巡回している。各段階で展覧会は成長し、地元のキュレーターやアーティストの新たな参画を得て、さらには新たな討論会も開かれ、地域紛争や人権問題、そしてもちろんチェチェンの運命や他の地域の緊急事態についての探究が進んでいる。これまで11ヶ所に上る各開催地——パリ、ブリュッセル、ボルザーノ(イタリア)、ミラノ、リガ(ラトヴィア)、タリン(エストニア)、ヴァンクーバー、プエブラ(メキシコ)、イスタンブール、サンフランシスコ、ブレリシュトック(ポーランド)–での人々の反応は上々で、勇気づけられる。最終的には、各アーティストのふたつの作品がグロズヌイに集められ、新しい現代美術館(www.emergency-biennale.org)の最初のコレクションとなってくれれば、と僕たちは期待している。

元気で!
ハンルゥ拝

(初出:『ART iT』No.20(Summer/Fall 2008)

 


 

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