しりあがり寿の勝手にプロポーザル 7

第7回 『モナリザ・ワールドツアー』

いやー、最近のアートはなんだか楽しいなー。アートが集うイベントも、だんだん遊園地やサーカスのよう になってきたぞ。大人から子供まで大喜びだ。みんな が見たいもの、みんなが欲しいものに応えて、みんなを 楽しませる。それはそれでとってもいいことなんだろう。アートだってそうあるべきかもしれない。ぼくだってモ ノを作るときはできるだけ人に楽しんでもらいたいな、と思う。

だけど、ヘソマガリのボクはあえて、それだけじゃ「物足りない!」とか言ってしまおう。「みんなが見たいもの」「みんなが欲しいもの」の外にも大切なものがあって、それを提示するのも「アート」な気がする。アートに憧れる1ファンにとって、アートはお金や権力そして「みんなの喜び」からも自由であってほしいと思う(現実はさておいて)。

だからこそ、新しいメッセージがアートには込められる。それこそが社会にとって財産な感じがするんだよね。みんなが好きな甘い甘いアメを、さらにカワイイパッケージでくるんだメッセージなんてもうウンザリ。もっと苦くて体にいいメッセージが欲しくなる。そもそも、美術館に美しい絵を飾ってそれを眺めるのって何なの? 「キレイな建物にキレイな絵を飾ってキレイなキモチになれますねー」なんてメッセージは、1回経験すりゃ充分じゃないの?

でもって今回のプロポーザルは、なんとあのモナリザを世界中のキレイじゃない場所に飾ります。悪臭漂うゴミの山に、内戦の続く市街地に、絶滅に瀕した動物たちの目の前に。 醜悪な環境に突然現れた美しき永遠の微笑。観客は鼻をつまみながら、銃声におびえながら、貴婦人に出会います。そこに生きる住民は、飾られたモナリザに何を見るのでしょうか? 観客はモナリザ以外の何かをそこに見るのでしょうか? そしてモナリザ自身はいつもと違う人々の視線に何を見るのでしょうか? モナリザ自身、やりがいのあるツアーじゃないかなー。

もう何百年も豪華な宮殿の中で退屈してると思うのね。人々もこれを機会に「アート」とか「美」とか「世界」とか、いろいろ問いなおす気がするのね。 「モナリザに何かあったらどうすんだ」とか「莫大な費用をどう回収するんだ」とかいろんな問題があるんだろうけど、いいんじゃないの、アートだから。

初出:『ART iT』 No.24 (Summer 2009)

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