連載 編集長対談4:長谷川祐子(後編)

「日本的アート」とは:領域を横断するアート

前編はこちら

サイトスペシフィックな作品は、東京という街とも当然響き合うと思います。


『石上純也+杉本博司』展示風景、ギャラリー小柳、2009年
© Hiroshi Sugimoto Courtesy Gallery Koyanagi

小崎 東京や日本の特徴は、サブカルチャー以外に何かあると思いますか。

長谷川 この夏に複数のギャラリーが同時に建築の展覧会(『ARCHITECT TOKYO 2009』)をしましたね。あれは建築がこれまで自分たちのコンセプトをプロポーザルとして見せている模型などが、彫刻であるにも関わらずなおざりにされているという状況に対し、それをきちんと見ようという試みだったと思います。建築家が何らかの幾何学的形体を作り、それを分散、拡張させてインスタレーションを作るようなことを含め、知的で建築的な部分というのがひとつの特徴だと思います。例えば河原温の作品がそうであり、また杉本博司の作品も知的で建築的と言うことができる。それらが持つ意味というのは、実は場の概念というものにつながっているのではないかと思っています。

小崎 『ART iT』(9号、2005年)では杉本博司の空間観という特集をやりました。建築への強い関心がアート活動にも影響し、杉本さんの写真作品は、平面でありながら非常に空間性が高いと感じます。『SPACE FOR YOUR FUTURE』(07)では石上純也さんが、都現美の天井高が非常に高い空間に巨大な「風船」を浮かべましたね。


石上純也「四角いふうせん」2007年 
ミクストメディア 1400 x 730 x 1280 cm © Junya Ishigami 
写真:Ichikawa Yasushi Courtesy Gallery Koyanagi 

長谷川 石上さんは空間を変容させるという意識を、見るものに与えることが「建築家」であるという確固たるビジョンを持っており、とても確信犯的な人間であると思いました。

あの四角い風船は、巨大な4階建の建物の大きさで、絶えずゆらりゆらりと動きながら、見ている人間が自分自身を映し出し、また周りを映し出して変化していくものでした。ギャラリー小柳が美術コレクターからサポートを得て実現した作品であり、最終的にこれをどうマーケットに出すか、明らかな戦略のもとに可能になったものあり、建築家である彼に多額の投資をすることの根拠があったのです。

また、空間に浮いているような平たいテーブルの作品も、クライアントであるレストランからの依頼があり、レストランの建物は作れないけれども、テーブルをひとつ作ることによってレストランの空間をドラスティックに変えられないかと考えたわけです。つまりそれぞれの状況によってお金の出どころ、システムを使い分けている。ハイパーコンセプチュアルにしたいときは美術の枠組みを使い、現実的なところでネゴシエーションし、建築物として安全なものを作るためにまた別のクライアントに頼る。そういうしなやかさは新鮮でした。


石上純也「テーブル」2005年 
ミクストメディア 260 x 950 x 110 cm © Junya Ishigami 
写真:junya.ishigami+associates Courtesy Gallery Koyanagi

小崎 『ARCHITECT TOKYO 2009』の話に戻りますが、模型と図面を見せるだけの、旧来の建築展とあまり変わらない展覧会もありましたね。

長谷川 それは見せる側がどのようにコンセプチュアライズするかということであり、そこにキュレーターやプロデューサーの役割があると思います。いまの情報や視覚的な多様性にあふれている状態では、マッピングやコンセプチュアライズしていく確かな視点や世界観を持った人間が必要だと思います。

小崎 本当に必要なのはコンセプトを作ることでしょうね。先ほどデータベースと言われましたがそれも重要だと思います。例えば東浩紀さんは『動物化するポストモダン』(講談社、01年)の中で、大きな物語が消滅したポストモダンの時代には、意味のないデータベースの中から各人が好きな部分だけを取り出してきて、表層の小さな物語を作ってその中に閉じこもる、という趣旨のことを書いています。また、20年ほど前に「マルチメディアに何ができるか」という議論が起こったとき、マルチメディアとは例えば黒澤の映画をいったんバラバラにして、自分の好きなアングルから撮れるようにして、それを全部自分で組み立てることができるものだという人がいました。でも僕はやっぱり、開かれた物語を、黒澤の映画を見たいと思う。展覧会で言えば、長谷川祐子のキュレーションを見たいわけです。

長谷川 作品の強さは統合性にあると思います。黒澤さんの映画も非常に強烈な統合性があります。統合性の弱いものはインパクトがないので、断片的にしか残らないですよね。

小崎 データベースをひとつのシステムとして組織化しておいて、複数の才能による統合を待つという方法もあるかもしれませんね。でもそれは、少なくともアートの世界ではまだ実現していないような気がします。

長谷川 それぞれのデータベースがコロニーのようなものを作り、相互に関係しながらシステムができると、本当に「edge of chaos」のような状態が立ち上がってくると思います。そういうダイナミズムやレゾナンスなどは、統合性につながるもうひとつの概念として非常に重要になってくるでしょう。東京はその可能性が非常に高い場所だと思います。

小崎 最後の質問になりますが、東京都現代美術館は長谷川さんが就任されるころまで冬の時代が続いていて、予算の問題から展覧会を企画するのも大変で、何よりも新たに収蔵品を購入できませんでしたね。

長谷川 そうですね。7年間予算が凍結されていました。

小崎 いまは予算がある程度復活してきて、特に若手の作品を中心に購入していますね。以前から、日本には村上隆や奈良美智ら現代の代表的人気作家の作品をまとめて観る場所があまりに不足しているという批判がありました。そういうコレクションを少しずつ作り始めているように感じますが、どのような方針で選ばれているのでしょうか。それが東京らしいアートのヒントになるかもしれないと思っての問いですが。


奈良美智「サヨン(莎詠)」2006年

長谷川 それは難しい質問ですね。購入は合議制で決めますし、あるいは単純に収集の方針として50〜60代以上のベテランの作家と、例えば川俣正など40〜50代の中堅のアーティスト、それと40代の前半から20代の若手作家からそれぞれ購入するというのもあります。そのときに重要なのは時代を映しているということと、それらが時代を超えてどういうふうに残っていくか、歴史の流れとしての説明を付けていけるかだと思います。例えばジャパニーズポップをどうコンセプチュアライズさせていくか、草間彌生と小谷元彦を隣に展示するときに、そこにどういう関係性の見つけ方があるのかを議論しながら進めています。もうひとつには、いい作品が出てきたときには、やはりご縁で購入することもあります。

小崎 いまのところはそのご縁が強いというわけですか(笑)。

長谷川 展覧会で新しい作品を作ってもらい、それが非常に力強い作品であったりすると、やはりそれをコレクションするということはあります。特に美術館のスペースのために作ってもらうと、非常にサイトスペシフィックであり、展示空間だけでなく、東京という街とも当然響き合うと思います。

はせがわ・ゆうこ

東京都現代美術館チーフキュレーター。1979年京都大学法学部卒業。87年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業、89年同大学院修了後、水戸芸術館現代芸術ギャラリーに勤務。92年、ACC奨学金を得てホイットニー美術館にて研修。その後世田谷美術館学芸員を経て、99年より金沢21世紀美術館の立ち上げに参加し、オープニング展『21世紀の出会い—共鳴、ここ・から』、『Mattherw Barney:Drawing Restraint Vol.II』などを企画。また2001年イスタンブールビエンナーレ総合コミッショナー、02年上海ビエンナーレ共同キュレーター、メディアシティソウル2006の共同キュレーターを務める。06年より現職。『SPACE FOR YOUR FUTURE』(07)、『ネオ・トロピカリア ブラジルの創造力』(08)などを手がける。多摩美術大学美術学部芸術学科教授、同芸術人類学研究所所員。

東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/index.html

今後の公開対談スケジュール

ゲスト:小池一子(クリエイティブディレクター)
日本初のオルタナティブ・スペース「佐賀町エキジビット・スペース」を創設・主宰し、日本の現代美術シーンの重要な基盤を作り出した小池は、「無印良品」の創業以来アドバイザリー・ボードも務める。アート、ファッション、デザインと、それらの境界についてトークを展開する。

TOKYO DAY STUDIO 100
日時:12月15日(火) 19:00〜21:00
会場:バンタンデザイン研究所 ディレクターズスタジオ(渋谷) 
定員:30名
*参加をご希望の方は、下記から事前にお申し込み下さい。
詳細:http://daystudio100.com/tokyo/script/event_detail.php?id=101

Copyrighted Image