「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。この想定で始まった今回、しかし時を超えた手紙は書かれなかった。締めくくりとなる今回は、田中が当初考えていたこと、いま考えていることを率直に綴る。

「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。この想定で始まった今回、しかし時を超えた手紙は書かれなかった。締めくくりとなる今回は、田中が当初考えていたこと、いま考えていることを率直に綴る。
去る8月、久方ぶりに訪れた金沢で「内藤礼 うつしあう創造」展および「没後35年 鴨居玲展 -静止した刻-」を鑑賞した筆者の、思考の広がりを記したテキスト。
「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。前回の手紙に続き、芸術祭の一部展示中止をめぐり発足した「ReFreedom_Aichi」の記者会見直前、渦中にいる(または今も続く渦中の前半を生きる)田中功起への手紙。
「艾未未のことば」責任編集の牧陽一が2020年4月に学生へ宛てた手紙と、昨年、艾未未がドイツを離れた背景を考察した文章を掲載。
艾未未が自分自身に大きな影響を与え、結果として一緒くたに巻き込まれることとなった語る、2008年に起きた楊佳事件を扱った映像作品『ある孤独な者』をめぐるインタビューを翻訳掲載。
「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。今回は、「表現の不自由展・その後」をめぐって閉鎖された展示全ての再開を目指す「ReFreedom_Aichi」が記者会見を開く直前、2019年初秋を生きる田中功起への手紙となる。
「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身との往復書簡。以前その一通目を「それは、未来の誰かへの手紙でもあり得る」と紹介したが、今回、田中は新型コロナ禍のなか、実際に未来にあてた手紙を書くことを選んだ。
福島県の帰還困難区域で“見に行くことができない展覧会”として続く「Don’t Follow the Wind」(2015-)。今春、「復興五輪」を前に同区域で避難指示が一部解除されたが、新型コロナ禍で五輪は延期、さらに世界は見に行けないものばかりになった。幾重にも逆転したような現状を論考する。
「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の自分自身を相手に始まった、今回の往復書簡。最初の手紙となった現在の田中からの語りかけに対し、過去からの返信は届いたのか? 今回は田中が「展示の再設定」を決断する前後の日々が舞台。
写真家の故・砂守勝巳をめぐる連続論考、完結編。再び視点を長崎の雲仙・普賢岳に戻し、彼が『黙示の町』と題して発表した大規模噴火被災地の写真群を見つめる。砂守がそこで、沈黙でも静寂でもなく「黙示」と呼んだものは何か。
写真家の故・砂守勝巳をめぐる連続論考。今回は彼の特異な生い立ちと、若き日のボクサー体験、釜ヶ崎での撮影、さらに写真週刊誌カメラマンとしての顔や、写真集『漂う島とまる水』に至る半生を辿る。それぞれの写真の心奥にあったものとは何か。
第17回となる往復書簡は、現在の田中が過去の自分、すなわち「あいちトリエンナーレ2019」参加前後の田中功起とやりとりする。「あのとき」と「いま」とが交わる思考。それは、未来の誰かへの手紙でもあり得る。