共時性の乱れる瞬間
インタビュー / アンドリュー・マークル
I II
III.

ART iT 風景をアーカイブとして語ることで、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編『学問の厳密さについて(On Exactitude in Science)』を思い出しました。その中では、ある帝国が縮尺一対一の自国領土の地図を製作したにもかかわらず、その地図はほったらかしにされ、ぼろぼろになってしまいます。アーカイブがそこに含まれるあらゆるものを根本的に等しく重要とみなす点において、私はそれを原寸大の地図に向かう意思表示として捉えています。この原寸大という感覚は、ドキュメンタリーの実践にも関係します。ある出来事のリアリティを捉えるために十分な素材量とは? どこで撮影を終わりにするのか? これを徹底的に行なうには、カメラをいつまでも回したままにしておくしかありません。
ローザ・バルバ(以下、RB) アナログのフィルムを使う場合、当然の成り行きとしてそこにさまざまな決断を強いる諸制限があります。アナログのフィルムを使って人々を撮影するときには、カメラとの間に対話のようなものが存在することに気づきました。その対話のようなものが撮影を止めたり、はじめたりするタイミングを決めます。それはまるでカメラと撮影対象と映像作家との関係から生じるダンスやパフォーマンスのようなものです。こうした判断に明確な基準はありません。もちろん風景と人々は違いますが、私は同じようなやり方で最善を尽くしています。どこを撮影するのか、どのようにアプローチするのか、何を見せて何を見せないのかについて、私は風景との間に丁重な協定を結ぼうとしているのです。撮影素材の編集をはじめる前に、撮影を通じてすでに数々の判断が下されます。[1]
ART iT 「White Museum」シリーズを長回し、あるいは無限(infinite)とは言わないまでも無限定(indefinite)に向かう意思表示として考えられないでしょうか。
RB たしかにそうですね。未編集の撮影素材のような。ただ、日照時間とか天候のような自分にはまったくコントロールできない物事も作品の見え方を決定するということを付け加えておかなければなりません。「White Museum」は、澄んだ夜空よりも霧がかっている方がより一層見えやすくなります。通常、建物の中にいるときにはプロジェクターの音しか聴こえず、レンズの光しか見えないかもしれません。しかし、作品自体は夜景へと伸びていき、その姿形を天候によって変えます。たとえば、2018年にカナダのサスカトゥーンにある美術館「リマイ・モダン」で発表したときは、サウスサスカチュワン川に投影しましたが、極端に天候が変化したため、作品がほとんど見えなくなったり、曇りのないスクリーンのようになったりしました。


ART iT ナポリのヴェスヴィオ山に関する《The Empirical Effect》(2010)という作品では、いつ噴火によってすべてが壊されてしまうかわからない恐怖にもかかわらず、火山の近くで営まれている生活に触れています。そこでは、風景は自らを消滅させる記録としてあります。
RB [2] まったく予測不能な火山のある危険地帯に高い人口密度で約60万人もの人々が生活していることに関心を持っていたので、実際に制作に取り組む何年も前からヴェスヴィオ・プロジェクトを構想していました。最後の噴火は1944年でした。お年寄りの多くは(第二次世界大戦中の)アメリカ軍の爆撃を受けて今やヴェスヴィオ山は死火山となり、もう何も起きることはないと話しますが、噴火をとても恐れて、(動物の地震予知能力を信じ、)生きる地震計として動物を飼う人々もいます。地元の火山学者と協働し、話す機会が生まれた頃に、この地域に住む60万人を避難させることが実際に可能かどうかを調査するために、大規模な避難訓練を1週間以内に組織するという計画を耳にしました。当局は、船や飛行機など希望の避難方法を住民が記入する用紙まで準備していました。
「おお、これは撮影の絶好の機会だ」と思い、私はローマの内務省に連絡を取り、避難訓練と同時刻に行なう撮影の財政支援を申請しました。ところが、私が撮影日程の計画をはじめる度に「訓練は中止になりました。また後日実施します」と言われたのです。これが何度も続き、私はその度に映画製作基金に連絡し、「申し訳ないですが今年は撮影できません。避難訓練が延期になってしまいました」と伝えねばなりませんでした。
それから、ある火山学者が電話をくれて、「よく聞いて、この避難訓練は決して実現しないし、ただずっと延期されるだけ。ともかく、実現不可能。橋の高さも低すぎて、消防車すら通れない」と話してくれました。そこで私はこれが人々の安心を維持するための嘘のひとつなのだと気がつきました。
あの地域では予測不可能性が原因で普通の生活が宙づりにされています。たとえば、あまりに不安定で自由区域のようになっているので、マフィアが火山の近くに潜伏しています。そして、中華系移民を使った大量の密造があります。中華系労働者はあの街で死ぬことが許されないということを扱った映画もありました。そもそもそこに存在しなかったかのように彼らは死ぬ前に移動させられてしまいます。
あの火山は時限爆弾のようでもあるのですが、その一方で、火山の周辺で移り変わる隠された歴史や時間が存在します。こんな風に考えはじめたら、あの避難訓練をつくりだしたいと思う自分に気がつきました。私は住民の多くがマフィアが占める村落を訪れ、映像作品のための避難訓練に参加してくれないか頼んでみました。
ART iT マフィアの村ですか?
RB 村全体がマフィアというわけではありませんが、その村にはそこに暮らしていた凶悪な男に関する有名な話があります。現在、彼は刑務所にいますが、まだ村との関係は続いているそうです。この村こそ避難を行なうべき場所だと思いましたね。実際、話をしたたくさんの人々が参加に応じてくれました。たとえば、村人が「新鮮な空気」を入れるために窓を開けるというシーンにたくさんの人々が参加してくれました。

ART iT 物理的な意味、時間的な意味の両方において、この死に近い存在というアイディアに拘ってみましょう。あなたのやっていることは、ロバート・スミッソンの作品と比較されてきましたが、その最も顕著な例の《The Long Road》とスミッソンの《Spiral Jetty》(1970)には、どちらの作品も風景に対して環状に介入する上空からの視点という特徴があります。私がここで注目すべきだと考えるのは、空中撮影という形式の両作品における視覚的類似ではありません。ご存知の通り、彼は飛行機事故で亡くなり、そこで、彼を喚起するあなたの空中撮影という行為は、死に近い存在の行為であり、それ自体がある種の形式を示唆しています。
RB ええ、実際の作品それ自体よりも、私は彼の制作や思考に親近感を覚えます。当然、《The Long Road》はランドアートの作品に見られうるものを表象していますが、それは彼のやっていたことと随分違います。しかし、《Spiral Jetty》は、試験車のためのトラックであれ原子爆弾の試験場であれ、風景における機能的構築物に対する考え方に影響を与えています。彼はこの世界やその中で私たちがつくる物を理解するためのある種の精神世界を開きました。数々のランドアートがそうであるように、スミッソンも私たちがより大きな理解に対して小さな断片でしか寄与できないことを示しています。
空中撮影の好きなところは、宙吊りのイメージをつくることができるところです。私たちはそれがどれだけ大きいのか、どれだけ近づいているのかを知るための手がかりを失い、それによって、どのようにイメージを描写し、知覚すべきかという別の視点が与えられます。上空から見ることを意図し、空からの視点、当時それは神のみが可能だった視点からのみ理解可能な意匠を風景に刻んだ古代文明との繋がりを感じます。自由に見ることを可能にするこのパースペクティブに、ある種のアナーキーを感じます。
ART iT 鳥の視点あるいは神の視点は本当にアナーキーなのでしょうか。
RB 本質的にそれを神の視点だとは考えませんが、ある意味、無秩序なのでアナーキーだと思います。ひとつの事をより際立たせたり、ほかに比べて何かを重要だとする地のようなものなどありません。あらゆるものを同時に見るので、そのイメージをどのように解釈するのかを告げるものなど何もありません。[3]

[1] 私がテキストに異なる可能性を取り入れたり、映像作品に出てもらう人々が実在しない対象のための願望や想像力を持ち込んだりしますが、こうしたことがアイディアを押し広げる手段になります。こうした願望は人々の本音や文学の著述に繋ぎとめられています。たとえば、《From Source to Poem》では、バベルの図書館という考えとアメリカ合衆国議会図書館との関連性を示しています。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説『バベルの図書館』には、22の文字とピリオド、コンマ、スペースという正書法上の25の記号のあらゆる可能な組み合わせからなる書籍を収蔵する図書館が描かれています。物語の語り手によれば、これは実質上あらゆる言語で表現しうるすべてのものの量に等しい。「未来の詳細な歴史、熾天使らの自伝(中略)それぞれの本のあらゆる言語への翻訳、それぞれの本のあらゆる本のなかへの挿入」。(※ J.L.ボルヘス「バベルの図書館」『伝奇集』鼓直訳、1993年、岩波書店、pp.108-109)

[2] ヴェスヴィオ山は私にとって昔からイタリアの社会と政治の入り組んだ関係を表す重要なメタファーでした。眠れる怪物の麓で、マフィアが帝国を営み、無数の中華系不法移民を秘密の並行社会に浸透させています。移民労働者は社会的影響にしか見ることはできません。その一方で、すべての公的関心事は火山に集中し、自然は理解の範疇を超えた強力な構造というメディア・スペクタクルとして劇画化されます。これはおそらく、足元のよくわからない社会状況が謎めいたものとして語られることに似ているでしょう。ここでは歴史すら皮肉な形で働きます。第二次世界大戦中の1944年に起きた最後の噴火は、この地域に対するアメリカ軍の空襲と同時に起こりました。《The Empirical Effect》に参加した人々は皆、この破局的な1944年の噴火を目撃しています。彼らにクレーターに隣接する旧観測所に移動し、そこを自分たちの管理室として乗っ取るシーンに出演するように頼みました。登場人物として彼らは昼食の準備のために自分たちが管理している動物(羊)と日常的な食糧(火山灰土でおいしく育つトマト)を自分たちの庭から持ってきました。この「危険地帯」の住民たちは、本来の文脈とは切り離れたコミュニティとして自分たちを演じ、映画撮影を通じて、自分たちの存在の掘り下げたことのない側面を明らかにしました。

[3] 最新作の《Aggregate States of Matters》(2019)は、氷河融解の影響を受けているアンデス山脈のケチュアのコミュニティといっしょに制作しました。この作品では、風景に刻まれた社会的変化を詳細に調査し、人間と自然の多義的な関係性や自然に由来する価値の創造における絶え間ない交渉に焦点を当てています。
風景に姿を変えたり、風景によって伝えられたさまざまな神話を探究する一方で、古代の知識を現代に翻訳する可能性を描き出そうとしました。過去の映像作品同様、《Aggregate States of Matters》でも風景の中で参加者の記憶とシナリオが互いに影響し合う集団的パフォーマンスを取り上げています。この映像は、人間と非人間のアクターの間の、曖昧で融合しようとする境界を示しています。先住民の一部は、環境条件の変化によって急速に増える農業の恩恵や財産から利益を得る一方で、同時にその精神的、文化的生活の急速な変化にも直面しています。私はあるグループといっしょにアウサンガテ山の氷河まで歩き、氷河のための儀式を撮影しました。地元の人々と交わした長い対話が、飛行機で上空から氷河を撮影した映像の上に重なるように、言葉の風景として挿入されています。
私は緊急性、掴みどころのなさ、恒久的な危機状態という一般認識を導く人間の地球への干渉に対する意識の高まりや徴候を主題化しようとしました。それにより、学者のロブ・ニクソンがすでに提起した表象の重要な問題を改めて尋ねています。「ゆっくり長時間かけてなされる災害、匿名で誰ひとりとしてスターのいない災害、自然減や現代のイメージ世界の感動主導型テクノロジーの関心を引かない災害を、私たちはどのようにイメージや物語に変えることができるだろうか。また、ゆるやかな暴力の長期にわたる緊急事態を、私たちはどのように世論を喚起し、政治的介入を正当化することのできるドラマチックな物語に翻訳することができるだろうか。その影響がこの時代の最も危機的な変化の数々を引き起こしている緊急事態を」。
ローバ・バルバ|Rosa Barba
1972年イタリア、アグリジェント生まれ。現在はベルリンを拠点に活動。映像や映像インスタレーションを中心とした、映画や彫刻の言語に関する実験的なアプローチを通じて、風景の詩的性質の考察や記憶の器となるような場所の探究、単線的な時間概念の解体を試みてきた。その映像が捉えた風景や使われなくなった建造物、砂漠の光景が、テキストやシナリオの断片と結びつき、過去と現在が絡み合う空間を創出する。ヴェネツィア・ビエンナーレ(2007、2009、2015)、サンパウロ・ビエンナーレ(2016)、ベルリン・ビエンナーレ(2014)をはじめ、数々の国際展、展覧会、映画祭で作品を発表してきたバルバは、トレント・ロヴェレート近現代美術館(2011)、MITリスト・ヴィジュアルアーツセンター(2015)、CAPCボルドー現代美術館(2016-17)、ウィーンのゼツェッション(2017)、ミラノのピレリ・ハンガービコッカ(2017)、国立ソフィア王妃芸術センター(2017)、サン・セバスチャンのタバカレラ(2018)、クンストハレ・ブレーメン(2018-19)などで個展を開催。日本国内でも瀬戸内国際芸術祭2019に参加、現代美術センターCCA北九州CCAギャラリーで個展を実現している。また、昨年はスウェーデンのルンド大学で博士号を取得、2020年にはカルダー賞を受賞している。