ブラレヤン・ダンスカンパニー『LUNA』


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登

 

ブラレヤン・ダンスカンパニー『LUNA』
ブヌン族とダンサーたち、互いに贈り、与えあう生命力。

文 / やなぎみわ

 


ブラレヤン・ダンスカンパニー(漢語では布拉瑞揚舞団)
台湾原住民パイワン族出身の振付家、ブラレヤン・パガラファによって2015年に立ち上げられた。近年、立て続けに国内外で多くの受賞をしている注目のダンスカンパニーである。『LUNA』は、原住民ブヌン族の伝統的歌唱者たちと、ブラレヤン・ダンスカンパニーの出会いにより生まれた、初めての長編作品である。

ブラレヤン・パガラファ
台東生まれのパイワン族。12歳でダンサーを志し、15歳の時、進学のため漢名を名乗って故郷を離れるが、台北芸術大学でダンスを学んでいる時に、パイワン族の名前に戻し、卒業後はクラウドゲート(雲門舞集)に加わった。1998年、アジアンカルチュラルカウンシルのフェローシップを受けてニューヨークで学び、様々なカンパニーの振り付けを担当し、国際的な評価を得る。台湾東海岸にダンスの種子をまき、世界に向けて作品を発表している。

ブヌン族(漢語では布農族)
現在の人口は6万人弱、もとは中央山脈一帯に居住していたが、日本植民地期の政策により、南投県、花蓮県、台東県、高雄県などの低い山麓へ集団移住させられた。同時に狩猟は制限され、[1] 焼き畑(粟、里芋など)も水田耕作を中心とした農耕へ変化することになった。言語はブヌン語。他の台湾原住民諸族と同様に「太陽を射る神話」や「洪水神話」を持っている。ブヌンは「人間」の意味である。


『LUNA』ブラレヤンのインタビュー(台湾文化基金会 )


 


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登

 

暗闇の合唱 歌う身体

暗闇の彼方から、男たちの歌声が聞こえる。祭儀が始まる歌なのか、狩猟からの帰還の報せなのか、深夜の山中、あちこちから呼び合う声々。劇場空間に、夜の森の気配がただよう。やがて、灯火の光が闇を裂き、声の主たちは、山(客席)の斜面を下って広場(舞台上)に集まっていく。褐色の肌に腰布だけの男たち。頭に付けた照明が互いを照らし出す。男たちは一列に行進したり、一丸となったり、輪になったり、山中の狩猟者のように低頭して歩いたかと思えば、獣のように四足で駆ける。驚くべきことに、彼らは、始終、激しく踊躍しながら、歌い、語り、叫び続ける。その歌は、のびやかで長閑な時もあれば、ラグビーの試合の前に行われる「ハカ」[2] を思わせる、戦功を告げる勇ましい雄叫びもある。舞台の照明や映像は、繊細で美しく、常に男たちの身体が、森や川や自然の中に躍動し続けるように演出されていた。

 

ブヌン族との出会い

振付家ブラレヤンをはじめとするダンサーたちは、台湾原住民族のひとつであるブヌン族の村で偶然耳にした伝統的歌唱に大いに感銘を受けた。彼らは、海抜1,000メートルの高地にある台湾最大のブヌン族集落「羅娜(Luluna)」に赴き、そこに滞在して、ブヌン族の音楽を継承する集団、「羅娜薪傳音楽団 」や、部族の長老から、その独特な歌唱を習い、山岳狩猟民族の儀礼や動きを習得、サンプリングして構成した。伝統とコンテンポラリーダンスとの融合で生まれたのが『LUNA』である。

ブヌン族は、かつては中央山脈の高山民であったが、日本植民地期以降は、台湾中部、南投県や花蓮県、台東県の低山麓に暮らす。独特の倍音で歌う「8部合唱」を伝承しており、稀有な音楽として世界的に有名である。(この豊作祈願の合唱はブヌン語で「パシププ」と呼ばれる。)選ばれた6~12名(偶数である必要がある)が屋外で円陣を組み、両手をお互いの腰に当て、ゆっくりと反時計の方向に回りつつ、合唱する。歌い手は4パートに分かれるが、各歌い手が倍音なので8部合唱となる。動きつつ歌い、声に揺らぎをおこす複雑な合唱方式で、また、耕作に合わせて歌うべき時期が定められているなど、タブーも多く神秘的な側面もある。どの民族もそうだが、伝承には世代断絶があり、若い世代の中には、出自の言語や歌唱を知らない人もいる。

ブラレヤンたちは、集落の長老に了解を得、伝統から新しい表現を創造しようとした。まずそれら伝承歌は、戦功や、狩猟の成果を告げる歌など、ブヌン族の古来からの生活文化に発しており、出自の違う若いダンサーたちには共有が難しい。そこでダンサーたちは、「戦功の宴」の歌では、自らの人生の戦いや挑戦、アイデンティティを歌詞として歌うことで、歌の本質を掴もうとした。「若い頃にダンスを習い始めた、たっぷり汗をかき、ずいぶんけがをした……」ひとりひとりのダンサーの独白の歌を聞き、長老はじめ、ブヌンの人々は大いに感動したらしい。

 


『LUNA』ブラレヤン舞踏団、ブヌン族の合唱に挑戦

 

『LUNA』には、異色ともいえる会話劇が挿入されている。狩猟について問答だ。ダンサーふたりが座して話し込む。ひとりが「狩猟は、我が民族の伝統だから止めることは出来ない」といえば、相手の男は「いや、危険をおかして山に入って動物を殺さなくても、肉はスーパーマーケットで買えばいい。伝統文化は時代に応じて変化してもいい」と反論する。再現ドキュメンタリー風の会話の中に、ブラレヤンは、原住民と、来訪者である彼自身の関係も客観的に提示した。かつては日常だった狩りの習慣が失われ、それにつながる歌や踊りだけが残される。現在では衰退した生活様式を取り戻すのか、それとも歌と踊りに別の生命を吹き込み、形を変えつつ繋いでいくのか。伝統継承の本質的な問題提起だ。問答をするダンサーは、ひとりは狩猟の伝統をもつプユマ族の出身で、もうひとりは経験のない漢民族だ。

ダンサーたちの独白的な歌唱や、会話劇は、ブラレヤンとダンサーたちが原住民集落での創作プロセスで磨いた数多の玉石の一部なのだろう。「狩りをする身体」から「狩りをしない身体」へ、人類の身体の変遷を体感するためのものかもしれない。そこにはダンサーたちのアプローチを受け入れるブヌン族の懐の深さと、伝統を外部へ開放していく寛容さを感じる。ブヌン族の歌舞はこうあるべきという「鋳型」を少し壊して新たな表現を中に入れる。『LUNA』は、ブヌンの伝統を継承するも良し、さらに発展して別の何かになるのも良し、それが世界に伝わっていくのも良い。ブヌン族の芸能者と、ダンサーという表現者という個人同士の、人と人が出会って自発的な相互贈与が起きている。

もちろん、こういった関係性は、一朝一夕に始まったものではない。台灣には原住民芸能の保存と継承に取り組んできた長い歴史がある。

 


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登

 

生き続ける原住民の芸能

台湾原住民の音楽と舞踊の収集と譜面化は日本統治時代に始まり、日本統治時代の末期1943年の黒澤隆朝(くろさわたかとも)らによる調査収録は今も貴重な資料である。[3] 戦後は、国民党政権支配とキリスト教の隆盛によって。原住民の音楽や舞踊は次第に空洞化、1970年頃には、観光用ダンスショーとなり、ステレオタイプ化、エンターテインメント化するものも出てきた。その後次第に、台湾の歴史的主観性が進み、民族運動が活発になり、民族文化が見直され始めた。1980年代になると、故郷の村落を離れて都市に住む若い世代が、出自である民族の芸能文化を継承しようとする意識をもって、学びの環境をつくり始めた。衰退しつつある伝統的な歌や踊りを継承するため、原住民の長老から歌や踊りを口頭で学び、祭儀を厳粛に再現し、エネルギッシュな踊りをさらに洗練させる。そのために伝統文化研究者やプロのダンサーたちも参加し、今まで村落で行われてきた祭儀の芸能を、最善のかたちで「舞台化」する試みがなされた。こうして台湾のさまざまな民族で構成された舞踊団体「原舞者」が組織され、1991年、正式に芸能団体として「財団法人原舞者文化芸術基金会」が設立した。(現在の本部は花蓮県にある)毎年、台湾だけでなく、世界に向けて活発な発信と交流を続けている。

原住民の踊りや歌、演奏は、各文化の「テキスト」であり、文字で歴史を記録するのと同じである、という研究者たちの強い意志によってなされた功績は大きい。[4]

ただ、各原住民の音楽や踊りを抽出して編集する「原舞者」の舞台は、民族の境界を越えた、汎(トータルな)原住民意識の象徴でもある。そういう大枠のエスニシティの意識は、主に都市に暮らす原住民(原住民人口の半数以上と言われる)の中で、育まれてきた。今では都市の中に、様々な民族が集うアートコロニー的な擬似部落も作られているし、都市と原郷部落を往復しながら、文芸や音楽やダンスを創作する原住民作家も増えている。当然だが、原住民文化は遺産ではなく、人々と共に呼吸し、今日も変化し続けている。

 


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登

 

歌声と文字

『LUNA』の公演に、字幕は出ない。歌詞および会話劇の台詞が印刷された資料が、当日パンフレットとともに、あらかじめ配布される。私はブラレヤン・ダンスカンパニーを観劇するのは初めてで、この事前資料を読まず、プレトークで、振付家ブラレヤンの熱の入った解説を聞いていなければ、少なくとも序盤までは、ブヌン族の男性たちによる伝統歌舞の公演と誤解していたかもしれない。海外の観客は、台湾原住民族のオリジナルの歌と踊りを舞台化したもの、先に述べた「原舞者」の公演と思い込んでしまうのではないか。ダンサーたちがブヌン族の伝統の歌をうたっているのか、自らの人生を語っているのか、観客には分からない。熱心な観客であるほど字幕を出してほしいと思うだろう。

字幕を出すか、否か。これは、特に身体性に重きを置く舞台作品において重要な判断で、今も昔も、創作者はじめ公演に関わる多くの人を悩ませている。演者の発話が文字に変換されると同時に、作品の本質も変容する可能性は、どの作品にもあるが、特に『LUNA』においては、文字を持たないブヌン族の歌詞に、中国語、英語、日本語……どの言語の字幕も付けても、作品に大きな変化が起こることが想像される。字幕を出さなかったのは、勇断であると、私は思う。

同時に、声に字幕をつけること、声を文字化することに対して、台湾は、少なくとも日本より慎重であるように感じている。これは私が台湾で台湾オペラ歌仔戯(台湾語で歌われる大衆的な歌劇)を作・演出した時にも感じた印象である。全ての台湾人が解するわけではない台湾語(台語)に中国語(華語)字幕をつけるかどうか、様々な議論の後、結局、舞台上で中国語字幕は出さなかった。その理由のひとつに、台湾語の漢字表記はまだ一律ではなく、どの漢字表記を選ぶかで問題が発生する、というのがあった。私はこの議論を聞きながら、全ての漢字の意義が一気に揺らいでいく貴重な経験をした。漢字の音だけを借りて日本語を表記した万葉の時代をさらに遡り、豊穣な音だけの世界が現れてくるようだった。

ブラレヤンたちは、ブヌンの人たちに歌ってもらいつつ、懸命にその歌詞を拼音(ピンイン)で書き留めたらしい。そこから、歌声を文字表記に変換する長い試行錯誤の道が始まったはずである。

ダンサーたちがブヌン族の歌を覚えるための「必要性」は個人的なものかもしれないが、そういう小さな個人の「必要性」が積み重なって、その言語の文字化の発端になる。そこから体系化された文字が成立するには国家の巨大な力と長い時間が必要だが、やがて大河のうねりとなって、多くの無文字文化を飲み込んできたことを思えば、彼らは歌詞を拼音で書き留めた自身の小さなメモに、大河の呼び水となる一滴を感じたかもしれない。

歌声とは少し異なる分野になるが、文字をもたない原住民文学の創作は、日本語に続いて漢語という押しつけられた文字表記の媒介によって成立せざるを得なかった。それに比べれば歌と音楽は、音声と文字を往復することも出来る自由さを持っている。

ブヌン族やアミ族には、かつては文字を持っていたという言い伝えがある。ブヌン族の言い伝えでは、太古に文字は空から降り、人はそれを受け取って使っていたが、ある時、文字は洪水に流され失われた。アミ族の場合も文字は水中に沈んで消えたことになっている。永久的、絶対的なアーカイブスというのは存在しないということなのか、示唆に富んだ神話である。[5]

 


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登

 

いつか伝わると信じる

「歌は、きっとお気に召します。」ブラレヤンは、『LUNA』の公演直前のトークで、観客に向けてそう語った。ブラレヤンは、プレトークで、ダンサーたちとブヌン族の素晴らしい歌との邂逅、その後の協働を熱を込めて一気に語ったあとに、「日本の観客にはわかりがたいかもしれないが、本気で願いを込めれば、伝わると信じている。歌はきっと皆さんのお気に召します」と微笑んだ。「伝わらない、わからない」と焦って言葉で迫らずとも、「いつか伝わる」。そんな構え方が、ブラレヤンのスタイルなのかもしれない。それは多くの日本人が台湾を訪れた時に感じる、おおらかさ、寛さ、解放感に通じる。

オードリー・タンは、自らを「保守的アナキスト」であると称するが、確かに台湾には独特のアナキズム的な空気と、伝統重視の価値観が共存している。この場合のアナキズムは無政府主義や革命という意味ではなく、権力による強制なしに人が助けあう暮らしを目指す思想である。そして保守というのは伝統を重んじ、自らを安全に保てる場所を重要とみなす考えだ。かつて原住民たちが暮らしていた島に、中国大陸、ヨーロッパ、日本、様々な支配者が海を渡ってやってきては国家の名のもとに翻弄した。その結果、国という輪郭も微妙な、小さな島の中で、20の言語と民族、異なる価値観が混然としている現代の台湾では、ひとつの正しさを強制せず、互いの存在を脅かさないことが、日常を生きるための前提である。自らの伝統や生活が守られてこそ、他者への寛容が生まれる。他者が出会うのは心地よいことばかりではない。まして何かを共作すれば齟齬にも直面する。互いが少しずつ変化して譲歩する。そして国家が共存を助けていれば、創作者たちは現場でどんどん繁茂して実をつける。ブヌン族の人々と、若いダンサーたちが、互いに持てるものを、誠意をもって差し出して、互いの生命力を惜しみなく与え合った結果が、『LUNA』という大きな果実となった。

ブラレヤンが、我々の集団はジェンダーの壁を超える、と言う通り、『LUNA』とは打って変わって男性ダンサーがハイヒールをはくような舞台もあり、実に多様である。また近い将来、ブラレヤン・ダンスカンパニーの新境地(やはりアナーキーな!)で、日本の観客を驚かせてほしい。

 


ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)『LUNA』横浜国際舞台芸術ミーティング 2022、KAAT神奈川芸術劇場、2022年 撮影:前澤秀登


『LUNA』の道を探して

 


 

*1 狩猟については、現在は申請すれば可能である。
*2 「ハカ」は、ラグビーの試合でニュージーランド代表チームが行うパフォーマンスとして有名になったが、もともとニュージーランドの先住民マオリ族の結束と強さを示す戦闘前の踊りと雄叫びである。日本で言えば「鬨の声」をあげるパフォーマンスだ。ニュージーランドだけではなく、ポリネシアの各地域に独自の踊りがあり、近年、試合前にパフォーマンスをする国が増えつつある。将来、ポリネシアに限らず環太平洋の国々がそれぞれ伝統舞踊を披露するようになるかもしれない。
*3 『戦時臺灣的聲音 1943 黒澤隆朝 高砂族の音楽 復刻 暨漢人音楽』国立台湾大学、2008年
*4, 5 「「原」から歌があった ―台灣原住民文学/歌謡の対話と文化想像―」(陳芷凡著/魚住悦子訳)収録『台灣原住民族の音楽と文化』(下村作次郎、孫大川、林清財、笠原政治編)

 


 

『LUNA』
ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)

2022年12月3日(土)18:30-19:50
KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉
https://ypam.jp/programs/dr79

記事協力:横浜国際舞台芸術ミーティング2022(YPAM2022)

 


 

やなぎみわ|Miwa Yanagi
美術作家・舞台演出家。「エレベーターガール」「グランドマザーズ」シリーズなど、女性をテーマにした写真作品を制作。2011年より『1924 三部作』で舞台演出を始め、2016年より台湾で制作したオリジナルの舞台車による野外劇『日輪の翼』を全国巡演。近年の活動として、高松市美術館を皮切りに前橋、福島、横浜、静岡を巡回した個展『神話機械』展など。2021年には、台湾オペラ『アフロディーテ〜阿婆蘭〜』を衛武営国家芸術文化中心で作演出した。

Copyrighted Image