北川フラム (前編)

『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009』総合ディレクター

芸術よりも祭のほうが僕にとっては重要です。大地の祭なんです。

過疎地域の再生を目標に掲げ、760平方キロという広大な地域で開催される『大地の芸術祭』。「難産」の果てに、世界最大級の国際芸術祭にまで育て上げた総合ディレクターに聞く、芸術祭の過去・現在・未来。

聞き手:編集部

——『大地の芸術祭』は今回4回目となりますね。2000年の1回目を振り返って、いま、どんなお気持ちですか。

バタバタやっている内に、あっという間に10数年経っちゃったなという感じですね。とにかく最初は大難産でしたから。1996年に提案して、99年に開始しようと思ってもできなくて、2000年の6月15日の広域議会でオーソライズされて、約1ヶ月後に開幕しました。だからそのときは、毎日毎日がとにかく、どうやって現実化していくかということで精一杯。それはいまもそんなに変わっていないという感じですね。

——当初の「大難産」からそれだけの時間が経過して、いまではだいたい地元に支持されているのでしょうか。

実際に関わっている集落の3分の1くらいの人は一生懸命やって下さっているけれども、まだ何割か、興味のない人はおられると思いますね。それはまだまだの話だろうと思います。やっぱり地域の人たち全体を含めた、大地の芸術祭が地域計画の核になり得ていくかどうかという問題でしょう。

『大地の芸術祭』の新局面

——今回は、開催に当たってのコメントで、「第4回目を迎え、新しい局面を迎える」という言い方をされていますね。

ああ、それは完全に、地域自立のための手だてを持たなければならないという話ですね。10数年前にこの地域はリストラが完了されています。みんな諦めの世界に入っていて、あとはお金をもらえればいい、道路工事があればいいという感じになってきている。これは妻有だけじゃなくて、日本のどこであれ、リストラが完成されたところは皆そうです。それをそうじゃないようにしていくための本当の展望を作っていかないといけない。

わかりやすく言うと、今回は廃校が11あります。その内、本当の展望を持って廃校に手を入れるのは4つくらいしかない。あと7つは、今年は展覧会場として使えますけど、それをちゃんと経営ができるようなところまで持っていけていないわけで、そういう課題がまだ残っていますね。

もうひとつは、一種の「不動産アート」というべきものです。行政のお金は空き家には使えないわけです。そんなことしたら、みんな買ってくれということになってしまってきりがないから。だから自分たちでやっています。例えば前回は『脱皮する家』を買ってくれる人がいた。今回で言うと、アントニー・ゴームリーとかクロード・レヴェックとかを買ってくれる人を見つけていかないと。そういうことをやっていかないと、空き家のプロジェクトというのは回っていかないですね。


クロード・レヴェック 『静寂あるいは喧騒の中で』© Claude Lévêque ADAGP 2009 (注:2009年ドローイング)

——お金に関しては、ずっとご苦労が続いているようですね。

予算を言うと、3年間で9億円の予算が組まれています。その内、十日町市と津南町が出すのは1億で、あと5億5千万が協賛助成とパスポート(販売収入)です。つまり実行委員会として責任を持てるお金は6億5千万だけで、残りの2億5千万はNPOが責任を持たなきゃいけなくなってきている。行政の役割の限界がはっきり出てきていますね。全体で9億の内、行政が出しているお金が1億っていうのは、世の中のプロジェクトとしては非常に比率が低いと思います。

「ファインアート」だけではすくいきれないものを

——前回は「土」をテーマのひとつに掲げていましたね。今回は?

特にないですね。

——第1回目は錚々たる現代アート作家が顔を揃えたのが話題でしたが、その後、建築や音楽やパフォーマンス、さらには「妻有焼」という焼き物にまで広がっています。これは方針転換ということなんでしょうか。

いや、もともとそうではないですね。僕が思う現代美術の定義が皆さんとは違うという面がひとつあります。僕は単純に、明治以降の日本の美術というのはおかしいと思っているんです。岩倉訪欧団がヨーロッパに行ったときに、国家が文化を対象にしているなと感じて戻ってきた。そこまではいい。でもその後で国を司る者が何をやったかというと、芸術院の制度を作る、美術館を作る、あるいは東京美術学校を作る。つまり、展示でき、管理でき、マニュアルで教えられるものだけをやる。西洋流の彫刻絵画だけがファインアートであると言って、本来私たちにとっていちばん興味のあるもの、お祭りとか食べ物とかお庭とか床の間とか、そういうものを全部落としてしまった。それが大問題だと思うんです。

——最初のころにそういうものを入れなかった理由は?

そこまでの余裕や認識が、本当の意味でなかったのかもしれません。ただね、別の問題もあって、1回目は許された場所がパブリックな場所しかなかったんです。集落に入れなくて、当然家に入れなかった。手を挙げた集落は2つだけで、まあお願いして10の集落でやりましたけど、大部分は公園とか道路でしかできなかった。2回目は50の集落がぱっと手を挙げ、3回目はたくさんの家に入れました。こへび隊(学生を中心とした有志のサポートスタッフ)自身が動くことに抵抗がなくなった、その実力の差かもしれません。ちなみにパブリックな場所でやるものは、お金の出方もパブリックの中から、ということはありました。1回目の迫力がある作品は、公園とか道路事業予算でやってます。田んぼとか民間ではやりにくかったですね。カバコフなんかは珍しい例ですよ。


イリヤ&エミリア・カバコフ 『棚田』 photo:ANZAΪ (注:2000年に制作、恒久設置作品)

後編はこちら
https://www.art-it.asia/u/admin_interviews/TcQwSJKyouAFlOng4MUL/

作品写真提供:アートフロントギャラリー

きたがわ・ふらむ
1946年、新潟県高田市(現上越市)生まれ。アートフロントギャラリー代表。68年、東京藝術大学美術学部入学。芸大卒業後、78年に『ガウディ展』を開催。88年には『アパルトヘイト否!国際美術展』を全国194ヶ所に巡回させる。展覧会プロデュース、都市・建築・まちづくりにおけるアート計画、美術・文化評論の執筆活動など活動範囲は多岐にわたる。代表的なプロジェクトに『ファーレ立川アート計画』(94年度日本都市計画学会計画設計賞受賞)。97年より越後妻有アートネックレス整備構想に携わり、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』総合ディレクターを担当。2007年、新潟市美術館館長に就任。『水都大阪2009』プロデューサー、『日本海政令市にいがた 水と土の芸術祭2009』 『瀬戸内国際芸術祭2010』総合ディレクターも務める。

ART iTおすすめ展覧会:越後妻有アートトリエンナーレ
https://www.art-it.asia/u/admin_exrec/hPDFm8ObUjML5K61WNnG/

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