見るということ
インタビュー / アンドリュー・マークル

ART iT あなたは同時代の社会問題に政治的観点から取り組み、現代社会のメディア環境を批評する作品で知られていますね。ここではまず、あなたの制作実践に内在するテーマの「演出」やシアトリカリティの話からはじめましょう。例えば、「Real Pictures」(1995)から「The Sound of Silence」(2006)にいたるまで、展示空間の演出が鑑賞体験に不可欠なのは明らかです。こうした演出などに対して、どのように取り組んできたのでしょうか。
アルフレッド・ジャー(以下、AJ) そうですね。私は建築家でも、映像作家でもあります。映像以前は演劇界で働いていて、戯曲の執筆や演出をしていました。私自身、役者をやっていたこともありますが、まったく才能がなくて、ごくわずかな期間のことでしたが。こうしたことすべてに興味があるんです。映画や演劇、建築を体験していれば、ゴダールが「演出(ミゼンセーヌ)」と呼んだものや場面の分節といったものに向かうのはごく自然なことです。作品解釈の助けとなるようにこうした要素を組み込みます。それらは作品の構造に欠かせないもので、扱っている問題に関する情報を伝達し、観客が設定されたルールの下で空間を体験するように、私自身が建築家として計算しているのです。当然のことながら、こうしたことすべてが作品自体に関係しており、無作為に行われることはなく、作品の一部としてデザインされるのです。
ART iT ということは、あなたは観客をその演劇における参加者のひとりとして積極的に捉えているわけですね。
AJ その通りです。アートとはコミュニケーションなのだと考えています。そこで絶対に忘れてはいけないのが、コミュニケーションが「メッセージの伝達」を意味しないことです。それはコミュニケーションではない。その単語の専門的な定義には、回答を得ることの必要性がはっきりと記されています。つまり、回答なくしてコミュニケーションはあり得ないのです。残念なことに、数多くのアーティストがこのことを忘れてしまい、それが現代美術と一般の観客の大きな隔たりを物語っているのです。この乖離はほとんどのアーティストがなにかを投げかけることがコミュニケーションだと誤解しているために存在するのです。コミュニケーションには回答が必要である。私と同じように、このことに気がつけば、観客が身体的、知的、感情的に作品を体験したり、扱っている問題に反応したりする手段を与えるような「演出」を創り出すでしょう。これが「演出」の真の目的です。
ART iT そのようなアプローチに含まれる教訓主義が、肯定的なものにも否定的なものにもなりうる可能性についてはどのように考えていますか。
AJ それも十分に意識しています。コミュニケーションの必要性からか、私には自然に教訓的になろうとする傾向があり、だからこそ、常に自分自身をコントロールして、曖昧さや詩、また、情報やコンテンツなどと教訓主義の間の両立を図ってきました。ふたつのものの間の完璧なバランスを見つける必要があるのです。作品はコミュニケーションが成り立つ程度に教訓的で、教訓的となりうるだけの情報は伝達するべきだけど、同時に、詩、ミステリーとサスペンス、それ以外にもアートを構成する魔術的なもののための余白が残されていなければいけません。


ART iT 近作の「Three Women」(2010年)は、三人の重要な活動家の肖像写真にそれぞれ複数の照明から強烈な光を当てるインスタレーションです。写真に写っているのはミャンマーの民主化運動指導者アウンサンスーチー、国際的に女性や子どもの権利のための活動を続けるグラサ・マシェル、「自営女性労働者協会[SEWA]」の創始者で女性労働運動指導者のエラ・バットの三人です。ちょっとイメージの引用元はわかりませんが、文字通り、論争を引き起こした媒体(=彼女たち)にスポットライトを当てており、同時に、彼女たちが実際にしてきたこと、メディアを流れる彼女たちの肖像が意味するもの、さらにはメディアにおける彼女たちのイメージの流通に光を当てていますね。
AJ まさしくその通りです。この作品はプロトタイプで、いずれ「One Hundred Women」というシリーズの一部となる予定です。現在は試しながら、上手くいけば続けていこうと思っています。そのためのリサーチは終わっていて、既に100名の女性のリストが揃っています。もう何年も取り組んでいるプロジェクトですが、最終的な形は決まっていません。言語だけを使ったある種のコンセプチュアルな作品になるかもしれませんし、「Three Women」とまったく同じようなものになるかもしれません。この作品は、まず第一に、この世界が依然として非常に男性的で、女性を男性と平等に見ていないという確認であり、そのような認識に対するリアクションであり、女性に対するオマージュです。また、もっと女性にこの世界を任せていたら、物事は今とはまったく違うものだったのではないかという提案でもあります。
そういう訳で、この作品では私自身が深く尊敬しているアウンサンスーチー、グラサ・マシェル、エラ・バットという三人の女性を提示して、文字通り彼女たちにスポットライトを当てました。それぞれ6つの異なる角度からスポットライトが当てられた肖像写真の周りには、光のオーラが作り出されます。しかし、一般的な大きさの肖像写真ではなく、わずか3インチの写真を使うことで、不協和音やどこか嚙み合うことのない、作品におけるプンクトゥムが生じます。観客は誰が写っているのかを写真に接近して確認しなければなりません。彼女たちの不可視性を確認し、注目すべき女性として提示することで、彼女たちの重要性をこの世界に、メディアに、私たち全員に気づかせるのです。彼女たち一人ひとりが非常に重要な人物で、それぞれが活動する地域の抵抗モデルなのです。
ART iT そうしたプロジェクトや「ルワンダ・プロジェクト[Rwanda Project]」(1994-2000)など、あなたの作品は私たちが何を見て、何を見ていないのか、ものの見方といったものにイデオロギーがどれほど影響しているのかを明らかにしています。とはいえ、実体もなく、常に意識の片隅に位置するイデオロギーそれ自体も、当然ながら非常に不安定なものです。このような制作における非物質的な側面にはどのように対応していますか。
AJ この世界で活動するためには、この世界を理解する必要があると常に信じています。あらゆる作品は理解や知識のもとに成り立っています。つまり、リサーチに基づいているのです。私はアトリエで制作を進めるアーティストではないし、ゼロから、もしくは自分の想像だけで作品を創り出していくわけでもありません。私のすべての作品は現実に基づき、具体的かつ特定の現実に反応しています。第一の目的は現実を実際に理解すること。大量の時間をリサーチに注ぎ込み、必要充分な情報を蓄積することで、問題に向き合い、その問題に対する考えを述べはじめる権利、資格、機会を得たのだと感じます。十分な情報量が得られなければ、プロジェクトを始めることはありません。
あらゆる行為は基本的に政治的なものだと認識しています。なぜなら、私が存在しない事物を世界に解き放てば、私たちが望もうが望むまいが、その事物は賛否両論の観客と私が共有する世界の始まりを動かしていくのです。だからこそ、具体的な問題に対して、自分の考えをはっきりと述べるときは、自分自身がその世界の始まりを明確に表現しているのか確認するようにしています。
これは事物を制作することではなく、考えることを意味していて、私にとって、アートは99%の思考とわずか1%の制作作業です。私の作品を見た観客は、私が明確に意見を述べていることを理解します。素材、形、構造、テクスチャー、色彩、光のことではなく、思考のことなのです。作品の99%が思考なのだから、見ることも感じることもできるのではないでしょうか。そして、残り1%の最後の瞬間も、私は観客に自分の思考を明確に伝えようと試みています。
私の作品はパフォーマンスからフィルム作品、ビデオ、インスタレーション、写真、オブジェとさまざまな形をとっていますが、これは私が表現方法を気にしていないからでしょう。私の作品はメディウム・スペシフィックではありません。思考を扱っているわけで、長期にわたるプロセスの結果として、その具体的な意見を述べるために最も適切だと感じる素材を使うのです。目の前にあるのはただの写真やビデオやインスタレーションではなくて、観客が作品に向かいあう、それこそがひとつの思考であり、世界の始まりなのだと気がついてほしいのです。

ART iT 現地をリサーチすることが必要不可欠とのことですが、例えば、ルワンダの大虐殺やここ日本で起きた3.11の震災の両者において、「目撃すること」に対する責任感を定義している曖昧な境界線が存在します。そうした状況に関わる上で、どのような理念を持っていますか。
AJ 理念、それは非常に重要です。状況に関わる上で、自分自身をほぼ白紙の状態にコントロールするようにしています。その場所や状況へのいかなる先入観も排除すること。それに慣れる練習のおかげで、今では上手にそのような状態をコントロールできます。以前はそれが難しくて、現地に着いたときには既に数多くのアイディアが頭の中にあり、実際の状況をはっきりと見られませんでした。先入観を通して見ていたのでしょう。
しかし、今では経験を積み、白紙の状態へと自分自身をコントロールできるようになり、まっさらな状態で現地へ向かい、そこで現実が私に浸透し、教えてくれるようになりました。だからこそ、現地へ行くことにはこだわります。現地へ行くこと、何度も現地へ足を運ばずには作品は作れません。現地へ行かないなど考えられません。ご存知の通り、私は不満を抱いたジャーナリストで、ルワンダやその他の被災地などでたくさんのジャーナリストに出会ってきましたが、彼らには彼らのやり方、私には私のやり方があります。ここでも、理解するとはどういうことなのかという問いに戻りますが、私が現地に訪れるのは、その場所を理解することなのです。理解に必要なあらゆることをしています。見る、目撃する、質問する、話す、理解する。そう、責任感が必要なのです。そして、その具体的な現実を理解したと感じてようやく意見を発表していきます。そうでなければ、無責任でしょう。
ART iT どこに訪れるか、それを決める基準などはありますか。
AJ まず、私はとてもゆっくりなので、たくさんのプロジェクトを同時に進めることはありません。ある特定の場所に対して、個人的に動かされるのです。自分自身、知識を豊富にもっていると思います。世界にはいかなるときも37の紛争が存在しています。私はそれらの問題を異なるメディアを通して追っています。毎日二時間、オルタナティブな媒体と大手の媒体の両方からニュースを読むことで一日を始めています。一日の始まりにこの習慣は欠かせません。
机の上にフォルダがあるように、頭の中にもフォルダがあり、その中で物事を分類し続けています。ここでもまた情報を蓄積しているのです。ほとんどいつも、ある特定の問題に関する情報を集めていって、自分が反応すべきだと思い至る地点にたどり着き、現地へと向かいます。当然、時間と経験と距離を経て、どんどん抵抗力がついていきます。一度に複数の場所には行けませんが、いつも、これだという出来事、瞬間、アイディア、注視など、ある具体的な現実や状況に真剣に取り組む決断を引き起こすなにかがありますね。
ART iT 代表作「ルワンダ・プロジェクト」には何年もかけて取り組みましたが、この作品には、あなたの行動を引き起こした明確な要因として、実際の状況と大手メディアの報道していたもの、ジェノサイドに介入しえたさまざまな政府や国際機関の反応の間にあるズレがあったのではないかと思います。これ以外のプロジェクトでも、そうしたズレを探して、同じような手法で政治的行為の空虚への関心を集めていくのでしょうか。
AJ 各プロジェクトで異なりますね。自分が興味を引かれる一連の基本的問題があるわけではありません。どんなことでもきっかけになる可能性があり、すべてはプロジェクト次第です。メディアが重要な問題となる状況もあれば、ならない場合もあるでしょう。ときには、他に考慮すべきことがあるかもしれませんし、状況を量るための規定の基準などは持ち合わせていません。常に新しい状態から始めています。



ART iT 例えば、イタリアで制作した「グラムシ・トリロジー[Gramsci Trilogy]」のきっかけはどんなものでしょうか。
AJ あの作品のきっかけは単純ですね。偶然、イタリアへ頻繁に旅するようになり、展覧会に招待されることが増え、それによってイタリアの状況に対する理解が深まっていきました。当時はベルルスコーニが政権を握っており、当然、彼のメディア支配であったり、それ以外にもイタリア社会には反応すべき数多くの側面がありました。事実上、彼が所有しているテレビネットワーク「メディアセット」を通じて、かの地のメディアの90%を支配しています。平均的なイタリア人は彼が所有するメディアに囲まれており、この世界のあらゆることが彼を経由して入ってきます。だからこそ、イタリア国民は4度も彼を選んでしまったわけで、再び彼に投票してしまうかもしれないのです。
そのとき密かに考えていたのは、助けを求めていたということ。そうして、私の憧れの知識人であるアントニオ・グラムシに助けを求めたのではないかと。グラムシを再読してみると、もうひとりの私のヒーロー、ピエル・パオロ・パゾリーニのことを思い起こしました。パゾリーニは、40年を経て、非常に強力な批評的な声になっています。40年前に彼が話していたことに耳を傾けると、それは完全に現在に当てはまるのです。そして、彼を現在に呼び起こすために「パゾリーニの遺骸[The Ashes of Pasolini]」(2009年)という映像作品を制作しました。そのときのイタリアでは、ベルルスコーニのヘゲモニーに対するカウンターを創り出すために、パゾリーニやグラムシを召還する必要性を感じていたのです。こうして「グラムシ・トリロジー」は生まれました。
ART iT それでは、日本の現在もしくはこの数十年を見て、そこに第二次世界大戦後に起きた政治的運動に驚いたのではないでしょうか。50年代に始まり70年代半ばまで続いた運動は、市民や学生が組織して路上でデモを行い、国会議事堂を取り囲み、首相官邸の襲撃を企み、警察と戦っています。現在の東京にはそれらの物理的痕跡をほとんど見られませんが。
AJ その通りですね。そうした出来事の歴史的存在の喪失にはいつもショックを受けます。最近亡くなってしまいましたが、東松照明も私のヒーローです。大好きなシリーズに「プロテスト 東京」があり、最も優れたイメージのひとつに、警察から放たれた催涙ガスに包まれる中で、群衆から外れた男性がなにかを投げているものがあります。何を投げているのかはわからないのですが。私はこの時代の日本や核問題に関する写真集をたくさん集めているんです。
反核反戦の詩人、栗原貞子へのオマージュ作品を2008年に制作しました。広島の原爆を生き延び、2005年に他界された彼女の『黒い卵』(1946/83)は、日本の核政策に対する深い批評性を備えた作品です。もし彼女が生きていたら、福島の出来事に憤慨したのではないでしょうか。彼女は本当にこの問題と戦っていました。作品は東京と名古屋のケンジタキギャラリーで発表しましたが、ほとんどの人に無視されたと思いました。私が外国人だということもあるかもしれません。「ニューヨークから来たというこの男は誰なんだ?加えて、栗原は女性だし、どうでもいいじゃないか」と思ったのかもしれません。結果的には何も起こりませんでした。とはいえ、少なくとも私は彼女と彼女の作品にオマージュを捧げ、あいちトリエンナーレの準備でも、彼女についてたくさん考えました。あいちトリエンナーレに出品する作品もまた彼女に捧げるものです。


ART iT あいちトリエンナーレの作品はどのようなものになるのでしょうか。
AJL すみませんが、それは話せません。いろいろと変わる可能性もありますし、私は進行中の作品については話しません。話すのは完成した作品のことだけです。
ART iT ここ日本では3.11以降、反原発運動が盛り上がっています。しかし、昨年の衆議院議員総選挙で原発を支持する自由民主党が再び政権を取り戻しています。この結果も、TwitterやFacebookといった新しいメディアを含む大衆メディアが、いかに簡単にヘゲモニーの前に屈してしまうのかを思い起こさせるひとつの事例でしょう。こうした文脈において、アートの政治的影響力、またはアートの体験に革命をもたらすことに、どのような可能性を見ているのでしょうか。
AJ 私は未だにアートが変化をもたらす可能性を信じています。アートや文化は「自由」に残された最後の空間です。私たちは自由に想像し、思索し、この世界を思考する新しいモデルを創造しているのです。文化には変化をもたらす可能性が残っています。ニーチェは「音楽がなければ、生は誤謬であろう」と言いましたが、私は文化がなければ、生は誤謬だろうし、生きていけないと考えています。文化は重要で、私たちには演じるべき役割があるのです。大衆に向けて語りかけるという私たちの特権をどう扱っていくのかは、文化の領域に掛かっているのです。私は楽しみ、慰め、逃避を提示したいのか、それとも、人々を励まし、真剣な思考のプロセスへと参加を促し、より良い世界、世界をより良く理解する方法を創り出したいのでしょうか。
アルフレッド・ジャー|Alfredo Jarr
1956年サンチアゴ(チリ)生まれ。表象可能性の限界やイメージの社会的影響力を問い続け、軍事紛争や政治腐敗、南北格差に徹底した取材や分析を通じて取り組んだプロジェクトで知られる。なかでも、1994年にルワンダで起きた大虐殺を扱った「ルワンダ・プロジェクト」は代表作として世界各地で発表されている。
1956年にチリのサンチアゴに生まれ、少年時代をマルティニークで過ごした後にサンチアゴに戻り建築と映像制作を学ぶ。82年にニューヨークへ移ると、80年代中頃より現在に至るまで継続的に作品を発表している。ドクメンタやヴェネツィア・ビエンナーレなど数多くの国際展に参加し、現在開催中の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレのチリ館でも作品を発表している。また、ニューヨークのニュー・ミュージアム(1992年)やシカゴ現代美術館(1992年)、ローマ現代美術館(2005年)などで個展を開催、2012年にはベルリン市内の美術館3館を使用した回顧展が行われ、来年にはヘルシンキ現代美術館(KIASMA)での回顧展も予定されている。
日本国内では、ケンジタキギャラリーでの個展をはじめ、『現代の写真I「失われた風景—幻想と現実の境界」』(1996年,横浜美術館)やヨコハマ国際映像祭(2009年)、第2回恵比寿映像祭(2010年)などの企画展に参加、今年は森美術館の『LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで』に新作を出品、現在開催中のあいちトリエンナーレ2013でも名古屋市美術館にて新作を発表している。
Alfredo Jaar:http://www.alfredojaar.net/