レイチェル・ローズ インタビュー


Everything and More (2015), HD video, 10 min 31 sec. All images: Courtesy Pilar Corrias Gallery, London, and Gavin Brown’s enterprise, New York.

 

時の砂は流れ輝き
インタビュー / アンドリュー・マークル

 

ART iT まずは大きなところからはじめましょうか。あなたはこれまでに死、宇宙、近代建築、場所の歴史などといったテーマに取り組んできました。こうしたテーマ、とりわけ「死」は普遍的な体験という考えに触れるものですが、この普遍性という考えにも疑いの余地が残っている。たとえば、死ぬことそれ自体には文化によって違いがあるし、一方、宇宙の体験もほんの一握りの選ばれた人々に限られたものです。ここで間違いなく重要なのは、普遍性の普遍的価値について批評的に考えることではないでしょうか。しかし同時に、普遍性という考え方を拒絶してしまうと、「人権は普遍的なものか、それとも、文化特有のものなのか」といった人権をめぐる議論に見られるような、数々の文化原理主義を引き起こすことにもなりうる。随分話を広げてしまいましたが、ご自身の作品において、普遍性をどのように捉えていますか。

レイチェル・ローズ(以下、RR) 素晴らしい質問ですね。まさに私はそういうことに取り組んでいて、意味とは何か、そして、なぜ意味を見出そうとするのか、それを知りたいと思う気持ちは普遍的なものではないでしょうか。とはいえ、制作において、普遍的なアプローチはとりません。個人的かつ、毎回、自分自身がリアルなものに触れた直接的な体験、具体的な場所がきっかけになっています。

ART iT たとえば、「Sitting Feeding Sleeping」(2013)で扱っている「死の現れ」という考えには、死の普遍性に対する批評が既に仄めかされていると考えることができますね。

RR ええ。あの作品は絶望、死への怖れをきっかけに制作をはじめました。しかし、制作過程で訪れた低温工学やロボット工学の研究所、国中の動物園では、死は確たるものではなく、文化特有のものとしてありました。何を以って死と為し、死ではないと為すのか、それは時代とともに変化し、文化的に決定づけられるものです。

 




Both: A Minute Ago (2014), HD video, 8 min 43 sec.

 

ART iT 現在のメディア環境において、誰もがYouTubeにコンテンツをアップし、世界中の人々がそれを視聴できるということから、物事は普遍的で、少なくとも同時代的だという感覚が生み出されているとともに、コンテンツの背景にあるローカルな文脈は見えにくいままです。

RR 距離をおいて観察することは、近くのものに触れたり、感じたりするのとは違う感覚をもたらすと考えていますが、このことは、私が実際の場所で撮影したり、制作することを重視する理由のひとつでもあります。場所の事実や特徴は軽視されるべきではないし、一方で、そうしたものを接続点として頼ることもありません。重要なのは感覚で、それぞれの場所のローカルな文脈を見えにくいままにしておくつもりはないけれど、それより何より、感じたものを明らかにしたいと考えています。

 

ART iT こうした点から話されるべき作品に「A Minute Ago」(2014)がありますね。

RR そうですね。「A Minute Ago」において、(フィリップ・ジョンソンの)グラスハウスは本質的であると同時に本質的ではない。あの作品は私にとって、建築一般におけるガラスについて扱ったものです。「なぜ、この窓はこの場所にあるのか」、「四六時中、どこを向いても窓を目にする」。グラスハウスが念頭にあったのではなく、まわりまわってあそこにたどり着いたのです。自分が住んでいるニューヨークのガラス建築の歴史を調べるところからはじめて、この都市景観において、どうしてガラスはこんなにも普及しえたのかを理解したいと思いました。それから、インターナショナル・スタイルにたどり着いて、そして、その運動の象徴ともいえるグラスハウスに至りました。

 

ART iT グラスハウスは、ニコラ・プッサンの「フォキオンの埋葬」(1648)を常設展示していて、ある意味では「A Minute Ago」で生じたグラスハウスという建築と「フォキオンの埋葬」という絵画との関係は既定のものだったとも考えられます。あなたにとって、この関係はただそれだけのことだったのでしょうか。それとも、あの建築の中のあの絵画の存在というものに至る、潜在的迂回のようなものはあったのでしょうか。

RR あの絵画はあそこにあったものです。ただ、ちょうどその頃、私はT.J.クラークがプッサンの絵画作品「Landscape with a Man Killed by a Snake」と「Landscape with a Calm」について書いた書籍『The Sight of Death』を読んでいたのですが、彼はいかにプッサンがあらゆるものを本質的に一瞬のうちに凍結しているか、木々の一葉一葉までもありのままに完璧に、すべての場面を精密に、何もかもが非常に写実的に描かれていると記しています。グラスハウスで「フォキオンの埋葬」を見たとき、プッサンがあの肉体(フォオキン)を埋葬という形であのように描いたことと、グラスハウスがフィリップ・ジョンソン、そして、モダニズムという概念やガラスという両者のための墓として保存されていること、これらふたつに共通する何かがあるはずだという感覚を覚えました。実際に、あの絵画があの建物にあるという事実は偶然だったと思いますが、その関係性については、こうした別の角度からも考えていました。

 

ART iT あなたにとってどのくらい関心があるかわかりませんが、作品における「貧しい」イメージと高解像度のイメージの関係性のあり方について、どのような考えを持っていますか。「A Minute Ago」には、YouTubeの映像を素材としたシベリアの嵐の映像が、あなた自身がグラスハウスで撮影した映像に溶け込んでいくシーンがあります。

RR そこに関しては、作者性や自分自身が手を動かしたかどうかという点、また、そのプロジェクトにどのようにお金を費やしたかという点から考えています。これまで、ほとんどすべてのことを自分自身でやってきて、これは重要なことだと考えています。なぜなら、私は作品制作をほとんど「書くこと」のように捉えているので。タイムライン上で編集することが、単語を書き連ねていくことのように思えてきました。どういうことかと言うと、あるプロジェクトの制作途中や完成に向かうところで、時々、撮影していなかった特定の映像が必要になり、にもかかわらず撮影する時間も予算もないことがあります。だいたいそういうときに別のところから映像を持ってきます。最終的には拾ったものをいじったり、加工することになりますが。とはいえ、編集作業において、素材を集めてくる最初の衝動は、実際にその場所に行き、自分で撮影することにあります。どのように素材を記録するかについて、あらゆる側面に関わりたいと思っています。

 




Above: Palisades in Palisades (2014), installation view in “Rachel Rose: Palisades” at the Serpentine Sackler Gallery, London, 2015. Below: Palisades in Palisades (2014), HD video, 9 min 31 sec.

 

ART iT あなたの作品内に出てくるあらゆる絵画のイメージについても考えていたのですが、たとえこれらの絵画が高解像度の映像で撮影されたとしても、「オリジナル」との関係で見れば、必然的に貧しいものになってしまいますし、それにあなたが本物を撮影しているのではなく複製を使っていそうな場合もあります。

RR 映像編集において、自分にとっても観客にとっても適切なタイミングで絵画のフッテージを入れたいと考えています。たとえば、「Palisades in Palisades」(2014)では、観客が私と同じ瞬間に絵画を見ていることを感じてもらうために、意図的にカメラのフラッシュを絵画に加えました。その瞬間の私という存在を認識させることなく、観客に絵画を見せようとは思いません。現在から過去へ、そして再び現在へという時間の循環を扱っているので、作品にとってあの絵画は必要不可欠なものでした。最後に、妻と娘とともに描かれたジョージ・ワシントンの絵画がバスタブに沈んでいくとき、観客にはそれが本の切り抜きだったことが初めて明かされます。その表面の薄っぺらさを、時間を行ったり来たりするために利用しました。

 

ART iT そのシーンは奇妙なものとして心に残りました。バスタブに浮かぶ紙切れの質素なイメージ、その素材は公園の浮遊感のあるビデオゲームみたいな高解像度の映像と対照的でした。ここでは、ビデオカメラを使えば誰でも撮影できるような家庭的な表象の方法への回帰を、それに勝るハイテクなイメージとの緊張関係で示していました。それは同時に依然として媒介されたイメージのままですが。

RR 「Everything and More」(2015)でも似たような方法をとりました。この作品の一部は、かつて宇宙飛行士が宇宙での歩き方を学ぶために通っていた無重力環境訓練施設で撮影しました。その施設には基本的な設備として適切な深さのプールがあり、寄ったり離れたりして撮影した宇宙服も基本的なもので金属製です。一方、残りの映像は自宅のキッチンで撮影し、牛乳や油、インク、着色料などを使って、実際には特殊効果ではないけれど、そうとも読み取れそうなイメージをつくりました。それは複雑でもないし、お金もかかってないし、デジタル技術を駆使しているわけでもありません。私はしばしば実際の生活から利用できるものを使い、手作りや日常的なものを通じた制作に立ち戻っています。

 

ART iT あなたは作品の中で、感情をどのように扱っていますか。あなたの映像は理解するために何度も見なければならないと思うほど内容の密度が濃いと思ったのですが、最初に見たとき、あまりに強烈で展開も早く、あのバスタブの哀愁的なシーンが来るまで、作品に感情が欠落しているのではないかと感じました。たとえば、「Everything and More」であれば、あなた自身がキッチンで撮影した映像は、あなたにとって感情的な入り口にもなっていたりしますか。

RR 作品の展開について、テンポが早く容量も多くて、さまざまなことが起きているとおっしゃいましたが、「Everything and More」に関して、私が考えていたのは時間に対する異なるアプローチでした。ほかの作品では、私はミクロなレベルで時間を扱います。30秒だったらどう感じるか、3分だったら、8分だったら、といった具合に。そして、8、9分というタイムラインとの関係の中で、すべてを秒単位で調整し続けます。作品のテンポが、感情に対してどのように作用するのかについては意識的です。「Everything and More」は、私自身が体験したある種の弛緩、日常や地球上の生活からの離脱という体験に基づいています。そこにはシャープなカットは一切必要ないと強く感じました。コンサートのところに少しだけそういうカットがありますが、それは人間的な時間や体験なのでそれが適切だと感じたからです。ほかには、そういうカットを挿入しているところは全くありません。キッチンのシーンの素材と同じように、観客には弛緩を感じて欲しくて、時間の中で衝撃を受けるというよりも、もっとおぼろげな感覚を感じてもらえればいいと思っていました。それとは対照的に、「A Minute Ago」では、カットによって観客があっちこっちに連れていかれたり、「あっ!」というような恍惚というかそういうものを感じてもらいたいと思っていました。このように、「Everything and More」では期待した感情が違ったので異なる仕上がりになりました。

 




Above: Everything and More (2015), HD video, 10 min 31 sec. Below: Everything and More (2015), installation view in “Rachel Rose: Everything and More” at the Whitney Museum of American Art, 2015-16.

 

ART iT 時間に対するミクロとマクロという異なる幅の観点から作品を編集するという考え方は非常に面白いですね。そういう意味では、モンタージュはどうでしょうか。過去にあなたは「A Minute Ago」に関して、あの窓それ自体がすでにある種のモンタージュ、もしくはコラージュなのだと話しています。あれ以来、モンタージュに関する考え方に変化はありましたか。

RR 私はそれぞれの時間をはっきりと編集することについて考えています。それは私が音をどのように感じているのかということでもあります。「A Minute Ago」の場合、映像を通じて、地球温暖化に対する破滅的な感情について考察していたけれど、実のところコラージュとカタストロフィには古い結びつきがあります。すなわち、トラウマからコラージュとモンタージュが生まれる、そのような関係性なのです。その延長に、各ショットを合成(基本的にはフレーム内におけるモンタージュ)するという新たな方法もあります。これは私が「A Minute Ago」で初めて取り組んだことです。「Everything and More」では、編集を構築する際に周波数を利用しました。私たちの声は、身体から発せられて外部を漂う周波数です。宇宙飛行士のデイヴィッド・ウルフにインタビューしたとき、彼の身体が宇宙にあり、空虚の中に浮かんでいるものとして想像した感じで彼の声は響いてきました。しかし、音とはそもそもそういうものです。空虚の中で発生するさざ波。そこで、私はスペクトルグラフを通じて彼の声を見て、そのビジュアルから彼の身体を想像しました。制作にこれを使ってみたいと思いました。モンタージュや音を編集するという点で、その頃よく聴いていたアレサ・フランクリンのパフォーマンスの音声をスペクトルグラフにかけました。そこから彼女の声の周辺の周波数を取り除いて、もう言葉が聞き取れなくなった彼女のパフォーマンスを周波数として表現するために再構成しました。デイヴィッド・ウルフの話した内容や話し方に必要不可欠だと感じた周波数の延長として。ですので、これは「Palisades in Palisades」なんかとは全く異なる音とイメージの関係性を持っています。「Palisades in Palisades」では、表記法的にイメージとともに時間を示していくような音をつくりました。あの公園を現在のものとして見ることもできますが、銃声を耳にし、私たちが同時に別の時間にも存在しえたことを知る。ある意味、それもまた登場人物のようなもので、音も脚本に書き込んでいました。

 

ART iT あなたの作品は、私が「表象たるテクノロジー」と呼びうる考えについても言及していますね。たとえば、「Palisades in Palisades」では、フレームいっぱいに収められた、エッチングをしている姿からはじまるシークエンスがあり、プリントのディテールがあり、カメラが引いていくと絵の全体が見えてくる。このエッチングの作業のフッテージでは、それがエッチングの作業だとはっきりわからないような方法でその道具や表面が撮影されていて、ハイテク電子機器工場を撮影したフッテージかもしれないとも思わせる。いずれにせよ、そこには金属の表面から何かが削り出されるという関連があり、それがハイテクとローテクを橋渡しする。たったいま目にしたものに疑問を持たせるというやり方、とてもうまくいっていると思いました。

RR あなたは「Palisades in Palisades」の遠景から接写まで移るシーンを高画質だと思ったようですが、実際にはあれは高画質な映像ではありません。よく見ると、かなり劣化した映像だとわかります。高画質ではないけれど、カメラが動いているその間の空間が均質な画質を保っているのでそのように感じるのかもしれません。私たちは異なる距離で映像を繋ぐカットに慣れています。かなり離れたところの眺めから、急にクロースアップに切り替わるような。しかし、私は遠距離操作のレンズを使うことで、友人や撮影オペレーターと協力しながら動き、リモコンでピントを合わせたり、数秒ごとに露出を合わせたりすることができました。その作業構造は実際、身体的かつローテクなものでした。

編集の段階で、それらのショットは空間や空気だけでなく、ピクセルを通じて、視界を動かしていることに気がつきました。ピクセルを注意深く見ると、それらは正方形の形をしています。それと同時に、私はパリセイズ公園のハドソン川とリー砦の戦いに関するあらゆる歴史的な印刷物を調べていて、イメージのハーフトーンの網目を目に留め、それを見つめる私たちの目がどれだけこのイメージを消費してきたのかについてぼんやりと気がつきました。ピクセルはエッチングに似ていないこともない。それらは同じフォーマットで、私たちのフォーマットがいかに変わっていないのかと、どこか気が狂っているようにさえ思いました。女性の肌や絵画のキャンバス、また、それらが複製された雑誌のページを撮影するときと同じ方法で、カメラを時間をかけて動かしながら、ビデオの表面を撮影しようと思いました。誰も気づいていないかもしれませんが、エッチングのシーンの後に公園のシーンに初めて戻るとき、そこにはかすかにピクセルが見えます。映像は女性の身体に近づきつつディゾルブしていき、画像の解像度が上がり、公園のシーンへと戻ってくる。しかし、エッチングから公園のシーンに戻った最初の数秒間、拡大されたピクセルが表面にチカチカと震え、鑑賞者をエッチングのシーンに留めるのです。

 

(協力:岡山芸術交流)

 

 


 

レイチェル・ローズ|Rachel Rose

1986年ニューヨーク生まれ。2010年にコートルード美術研究所、2013年にコロンビア大学で修士号を取得。現代社会における死の本質、建築家フィリップ・ジョンソンの遺産、宇宙飛行士の宇宙での体験など幅広いテーマを扱った、緻密に調整されたイメージと音の関係性、環境を意識した展示方法を特徴とする映像インスタレーションで知られる。昨年はフリーズ・アーティスト・アワードを受賞。カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館、ホイットニー美術館、サーペンタイン・サックラー・ギャラリーのプログラムにて、個展形式で作品を発表した。今年もすでにアスペン美術館での個展を終了し、現在、ポルトのセラルヴェス美術館の「コンテンポラリー・プロジェクツ」のほか、第32回サンパウロ・ビエンナーレ、ユダヤ博物館、ヘイワード・ギャラリーで作品を発表している。来年にはオーストリアのブレゲンツ美術館での個展が控えている。

岡山芸術交流では、普段は岡山の実業家、故林原一郎の蒐集した東アジア地域の絵画や工芸品や、旧岡山藩主池田家から引き継いだ大名調度品を中心としたコレクションを展示している林原美術館(設計:前川國男)にて、「Everything and More」と新作「Lake Valley」を発表する。

岡山芸術交流2016
2016年10月9日(日)-11月27日(日)
http://www.okayamaartsummit.jp/
旧後楽館天神校舎跡地、岡山県天神山文化プラザ、岡山市立オリエント美術館、旧福岡醤油建物、シネマ・クレール 丸の内、林原美術館、岡山城、岡山県庁前広場、岡山市内各所

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