田中敦子―アート・オブ・コネクティング―

『田中敦子―アート・オブ・コネクティング―』
2012年2月4日(土)– 5月6日(日)
東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/

文/伊東正伸


『田中敦子‐アート・オブ・コネクティング』展示風景 © Ryoji Ito. Photo: ART iT

具体美術協会に参加したアーティストの中でも、田中敦子は国際的にもっとも評価の高い一人であるが、意外なことに本展覧会は、田中にとって欧州における初の本格的な個展となった。さらに東京でも大規模な回顧展は初めてというのは、なおさら驚きである。遅ればせながら、ようやくにして「初登場」となった今回の東京都現代美術館の展覧会は、初期から晩年までの創作活動全般を視野に入れたものであり、満を持した展覧会に相応しい充実振りであることは紛れもない。そこから浮かび上がるのは、田中作品における構想力の一貫性であり、絵画への強い志向である。
この展覧会には、アート・オブ・コネクティングというタイトルが付されている。「コネクティング」と聞けば、誰もが「絆」を連想する時世であるが、田中における「コネクティング」は、情緒的なものよりはむしろ、電気やワイヤーに代表される即物性が似つかわしい。田中の絵画は、コンピューター回路のように、あるいは脳内細胞のように線と円が絡み合い、複雑につながっている。あたかも今日の世界との関わり、ネットワークの形成を暗示するかのように。
展覧会は、1956年の野外具体美術展の映像から始まり、抽象に向かうきっかけとなったというカレンダーの数字をなぞった絵画やコラージュ、黄色の木綿3枚を並べたコンセプチュアルな作品、そして淡路島の海辺で行なわれたパフォーマンスの記録映像を経て、「電気服」(1956/1986)へと至る。田中の代表作と目されるこの作品(再制作)は、9色の塗料で彩色された約200個の管球・電球から成り、暗い展示室内に置かれた様は、ボディースーツか、あるいは何かの抜け殻のように映る。


「電気服」(1956/1986) 高松市美術館蔵 © Ryoji Ito. Photo: ART iT

しかし、管球・電球の不規則な点滅が一旦始まると、展示室は静から動へ、陰から陽へと劇的な変換を遂げる。田中は、大阪の街で薬の広告がネオンサインに照らされるのを見て、この作品の着想を得たという。そこには大衆都市の猥雑さはなく、眩いまでの光の点滅はあくまで人工的で、美しい。しかし、管球・電球と電源をつなぐ夥しいコードの存在は、この作品が有する何やら尋常でないものを感じさせるのに十分である。田中が感電の危険も省みずに、電気服を着用して舞台に登場したのは、具体美術協会のリーダーであった吉原治良のモットー「今までにないものを創れ」に触発され、単に前衛を貫徹しようとしたからだけではあるまい。田中は、生身の身体を投げ出すことによって、テクノロジーと一体化し、作品の中に自己を溶け込ませたのである。戦後間もない時代にあって、華奢な女性が電気を身にまとい、人前に立つというこの作品の衝撃度の大きさはいかばかりであったか想像するに余りある。
電気服を囲むように、周りの壁面には管球・電球・コードに各々照応する矩形と円と線から構成されるドローイングが並ぶ。これらは、電気服を解体して平面へと落とし込もうとする軌跡である。厳密な配線図のようなものから、抽象化が進みその後の豊かな絵画的展開が予見されるものまで含まれているが、つなげることへの執着がどのドローイングからもうかがわれる。
電気服の管球・電球の点滅とともに、鑑賞者を不穏にさせるものとして、会場内に不定期に鳴り響くけたたましいベルの音がある。2メートル間隔でつながれた20個のベルの音が順に移動するように床に設置されており(1955年に制作された「作品(ベル)」の再制作)、観客がスイッチを押し、回路をつなげることによって、ベルの音はその観客の足元近くから展示室の奥の方へと移動していき、再び近くへ戻ってくるという仕組みである。電気服が光とテクノロジーを作品化したものだとするならば、ベルは音を作品化したともいえるし、また音が線に沿って移動していくという点からみれば、空間自体を切り取り、造形化をはかる試みという解釈も可能であろう。物質と人間精神との新たな関係構築を模索した具体美術協会にあって、光や音、あるいは空間や時間という非物質的要素を作品に取り込もうとした田中の試みは極めて異色であり、革新的であった。


「作品」(1962) 高松市美術館蔵 © Ryoji Ito. Photo: ART iT

こうしたダイナミックな田中の作品制作は、絵画へと収斂していく。あるいは、田中の頭の中では、電気服もベルの作品も徹頭徹尾、絵画そのものであったと言うほうが当たっているのかもしれない。電気服を解体し、平面化したドローイングは、合成樹脂エナメル塗料によるクールな絵画へと展開をみせた。電気服を源泉とするカラフルな円と線を唯一の構成要素に、絵画の制作に集中し、その後50年にわたって表現力を高めていったのである。展覧会では1960年代を中心に、円と線が織り成す多彩な表現を紹介している。エナメル塗料による画面は、あくまでフラットでありながら、雄大な宇宙的な幅の広がりを感じさせずにはおかない。円と円をつなぐ多種多様な線は、つなぐことに執着した田中の心と体がどう動いたのか、その痕跡を示している。ちょうど電気服に身を寄せたのと同じように、田中は身体全体で画面を感じていたのではなかったか。
2009年に行なわれた第53回ヴェネツィア・ビエンナーレのアーティスティックディレクターとして、具体美術協会の活動を紹介したダニエル・バーンバウムは、『アートフォーラム』誌でスペイン、カステロ現代美術スーペースでの本展覧会を2011年のNo.1 の展覧会として取り上げ、以下のように評した。
「この展覧会のドローイング、絵画、そしてもっとも重要なパフォーマンスの記録映像は、尊大さのかけらもない開放的な作品の中で、禅の精神と子どもの悪戯を融合させうる田中の類まれな才能を裏付けるものとなっており、それは全くもって現代的である」

この展覧会を田中敦子その人と、パートナーの金山明に見てもらえなかったことが残念でならない。

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