2024年3月から6月にかけて、東京都写真美術館では、写真・映像が人々のどのような「記憶」を捉えようとしてきたのかを、写真家の篠山紀信が中平卓馬との共著『決闘写真論』に記した記憶への示唆を起点に、高齢化社会や人工知能(AI)など今日的なテーマを交えながら考察する展覧会「記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から」を開催した。
ベトナム・ハノイ出身のグエン・チン・ティ(1973年ハノイ生まれ)は、本レクチャーでも述べられるように、歴史、記憶、表象、風景、先住性、エコロジーなど多岐にわたる関心を、映画、ビデオアート、インスタレーション、パフォーマンスといった表現を横断しながら探究してきた。その作品は自分自身で撮影、録音した素材からファウンドフッテージ、ポストカード、ニュース映像、既存の映画や民族誌映像まで、異なる映像素材のモンタージュによるものが多い。近年は、写真や映像といった視覚に重きを置いた表現だけでなく、サウンドや聴くことの可能性にもその関心を拡げている。また、2007年に自主映画制作者の育成のためにハノイ・インディペンデント・ドキュメンタリー&実験映像作家フォーラム(Hi-DEFF)を立ち上げ、2009年にはハノイ・ドキュメンタリー・フィルム制作&ビデオ・アート・センター(Hanoi DOCLAB)を創設し、現在もディレクターを務めている。近年の主な展示、映像祭に、第60回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2024 ※「ディスオベディエンス・アーカイブ」内の出品)、アルテス・ムンディ10(カーディフ、2024)、タイランド・ビエンナーレ2023、ドクメンタ15(カッセル、2022)、第9回アジア・パシフィック・トリエンナーレ(ブリスベン、2018)、第21回シドニー・ビエンナーレ(2018)第45回ロッテルダム国際映画祭(2016)、個展「Letters from Panduranga」(ジュ・ド・ポーム国立美術館、パリ、2015/ボルドー現代美術館、2015)など。現在、2021年にハン・ネフケンズ財団の「Moving Image Commission 2021」に選定されて制作した新作を森美術館のMAMコレクションで発表している。
「記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から」には、2015年から2016年にかけて、ジュ・ド・ポーム国立美術館とボルドー現代美術館で開かれた個展のために制作した映像作品《パンドゥランガからの手紙》(2015)を出品。本稿は、2024年4月21日に同館1階ホールにて開かれたグエン・チン・ティのアーティスト・トークを、アーティストおよび東京都写真美術館の協力の下、ART iT編集部が編集し、翻訳掲載している。
グエン・チン・ティ《Letters from Panduranga》2015年(※特に記載のない場合、画像提供はグエン・チン・ティ)
「記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から」関連イベント
アーティスト・トーク グエン・チン・ティ
本日はお越しいただきありがとうございます。この場をお借りして、東京都写真美術館の関昭郎さん、遠藤みゆきさん、そして、スタッフの皆さまに感謝申し上げます。
東京都写真美術館との付き合いも長くなりました。2011年に東京に4カ月間滞在した時に訪れたのをきっかけに、10年以上にわたって交流が続いています。2013年には第5回恵比寿映像祭でHanoi DOCLAB[1] の作品を紹介するために再訪し、そしてこの度、「記憶:リメンブランス ―現代写真・映像の表現から」で《パンドゥランガからの手紙》(2015)を出品する機会に恵まれました。これにより、《パンドゥランガからの手紙》自体がひとつの円環を成した感があります。どういうことかと言いますと、この作品自体、2011年12月に東京で着想しました。それはご存知の通り、東日本大震災と福島原発事故があった年で、その夏、私は電力不足対策によりエアコンなしで猛暑を過ごさなければなりませんでした。日本の原発技術の海外輸出に対する反対運動に取り組む人々に出会ったのですが、奇しくも輸出先のひとつに挙げられていたのがベトナムでした。同国初となる原発の建設に日本の関連企業が技術移転しようとしていました。私が出会った人々が反対していたのはまさにその計画でした[2]。
ベトナムに帰国して、この原発建設計画が一体どのようなもので、どんな状況にあるのか調べようとしましたが、マスメディアは正直ほとんど頼りになりませんでした。ほんのわずかの間だけ、知識人や一般の人々からの批判の声が上がりましたが、直にそれも聞こえなくなってしまいました。以来、マスメディアでは何も語られませんでした。同じ頃、原発建設予定地が先住民族のチャムの人々の先祖代々の土地だと耳にしたのですが、それを彼らがどのように感じていて、どんな状況にいるのか、それらを知る手立てがまったくわかりませんでした。そこで、彼らの土地を訪れ、チャムの知識人に話を聞きながら、しばらく滞在することにしました。そうすることで、さまざまな問いに対する糸口やその長い歴史に分け入るための手がかりが見えてきました。
グエン・チン・ティ ウェブサイトより https://nguyentrinhthi.wordpress.com/
こちらのリストは、私自身の関心や映像制作におけるキーワードをまとめたものです。《パンドゥランガからの手紙》にも共通しています。歴史、記憶、検閲、風景、エコロジー、集団的また文化的記憶、映像、エッセイフィルム、ドキュメンタリー、日記、手紙、エスノグラフィー、パフォーマンス、ファウンド・フッテージ、偶然性、音、未知なるもの、中間的なもの。次のスライドには2010年から現在までに手がけてきた作品が並んでいますが、《序破急[Jo Ha Kyu]》(2012)は東京滞在の後に制作した作品です。基本的には、映像作品や映像インスタレーションの形式を通じてさまざまな実験を試みてきました。ファウンド・フッテージやアーカイブ・フッテージを利用した作品も数多く手がけてきましたし、映像インスタレーションに必要なパフォーマンスを制作するために他のアーティストと協働することもありました。
まずは《パンドゥランガからの手紙》よりも前に制作した、同じく風景や歴史、記憶に言及した《Landscape Series #1》(2013)について話しましょう。実は、この作品にも日本との繋がりを感じています。第5回福岡アジア美術トリエンナーレ(2014)に参加した際に、この作品を観たチーフキュレーターの方から、1960年代に風景論を展開した足立正生ら日本の作家の作品が頭に浮かんだと伝えられました。風景論というものを初めて耳にして調べてみると、とても興味深く、たしかに《Landscape Series #1》にも何かしら共通する要素があると思いました。昨年ここ東京都写真美術館で、田坂博子さんが「風景論以後」という展覧会を企画した際にも《略称・連続射殺魔》(1969)が出品されていたようですね。それでは《Landscape Series #1》をご覧ください。
グエン・チン・ティ《Landscape Series #1》2013年
この作品からも私がどのようにメディアや素材を扱っているのかが垣間見えるのではないでしょうか。使用した画像はすべてオンライン上の新聞記事から集めたもので、各写真は種々様々な内容を扱っています。共通するのは、写真の中の人物が過去の出来事に関連する場所やものを指差していること。これは取材で現場を訪れた報道写真家が、ここが現場だと証明するために近くにいる人に声をかけて場所やものを指差してもらい、その内容を写真のキャプションに記すというベトナムの報道写真の慣習によるものでした。大量の画像を集めたので、終いにはどの画像を見ても、写真の中の人物が何を指差しているのか見当もつかず、どんな内容を語っていたのかも思い出せなくなりました。たくさんの物語の大半は土地開発や土地を失うといった内容でしたが、ほかにも犯罪を伝えるものなど、いろんな物語がありました。ただ、私にはその指差しのジェスチャーがあの時代の空気や状況を結びつけるものであるように感じられました。
集めた画像を35mmのスライドにして、それをプロジェクターで投影する形式、それとは別に映像作品として見せる形式を制作しました。それらはある人物が風景を移動していく架空の旅になっています。序盤はとても広い風景の中にぽつんと小さく人物が写っていて、各々いろんな方向を指し示しています。観客はその指差す方向を追いながら、ある人物が進むべき方向を探りながら移動する姿や、探している目的のものや犯罪の核心にどんどん近づいている姿を思い浮かべるでしょう。終盤に差し掛かると、自分の身体の傷を指差す画像が続き、それから、警察に拷問を受けた経験を持つ人物が自分のこめかみを指差す画像が登場します。そして、一番最後の写真に写る人物は、観客に向けて、つまり、あなたに向けて指を差しています。この作品に関してもちょっとした話があるのですが、日本と東南アジアのメディアアートを紹介する「Media/Art Kitchen – Reality Distortion Field」(2013)に出品した際に、日本から参加したキュレーター陣が、この作品の隣に例の福島原発事故の後に発電所内のライブカメラに向かって指差していた男性の映像作品(※指差し作業員《ふくいちライブカメラを指さす》)を展示しました。これは面白い体験でしたね。
それでは《パンドゥランガからの手紙》の話に移りましょう。ご覧になっていない方もいらっしゃるかもしれませんし、作品の雰囲気を知るためにも冒頭部分を紹介します。
グエン・チン・ティ《Letters from Panduranga》2015年
グエン・チン・ティ《Letters from Panduranga》2015年
この作品はアーティストあるいは映像作家と思われる一組の男女の往復書簡から成り立っています。ひとりはチャンパ王国の土地を取材し、もうひとりは風景を移動しながら手紙を書いています。簡単に説明すると、《パンドゥランガからの手紙》は、ドキュメンタリーとフィクションの境界を探る実験を展開したエッセイフィルムで、ニントゥアン省に暮らすチャム人のコミュニティを取材しました。ニントゥアンは、1832年にダイベト(※現在のベトナム)に征服された、およそ2,000年の歴史を持つ古代王国チャンパの最南端かつ残された最後の地で、かつてパンドゥランガと呼ばれた、チャム民族古来の母権文化の精神的な中心地でした。この土地に原子力発電所を建設する計画があったという話は既にしましたが、当時は政府当局が街頭演説やメディアに対する厳格な言論統制を敷いていたので、ベトナムではこの計画に関する議論が皆無に等しく、地元コミュニティも話し合いの場から締め出されていました。
《パンドゥランガからの手紙》は、まさにその存在を脅かされる状況にあったチャム民族を描くポートレートとして出発しましたが、それは同時に私自身のポートレートにもなりました。チャムの知識人のネットワークを通じて、2013年から2015年にかけてニントゥアンに度々滞在しましたが、その度ごとにアクセシビリティの問題、表象の問題、他者に代わって語ることの問題に苦しみました。作品には個人またはコミュニティの親密なポートレート、陸と海が広がる風景、神聖な場所や遺跡などが映し出されるとともに、正体不明の女性と男性がそれぞれ「現場」から相手に宛てて書いた手紙を読む声(ボイスオーヴァー)が聴こえてきます。絶えず移ろう不確かな状態に置かれた両者は、フィールドワーク、エスノグラフィー、歴史へのアプローチ、現在進行形の植民地主義にまつわる問題を問いかけます。長く続く植民地主義には、フランスによるヴェト侵略からヴェトによるチャンパ侵略、アメリカ合衆国によるベトナム戦争時の破壊的な爆撃から植民地主義的な展覧会における出品物や美術収蔵品、観光地化した場所からユネスコによる文化政策などが挙げられます。過去、現在、未来が絡まり合う中で、この作品は植民地主義の広範囲に拡がる歴史性や今なお継続中の経験を明らかにし、日常の権力やイデオロギーの中心にある思想について掘り下げていきます。作品には、私が最も影響を受けた人物のひとりである映像作家クリス・マルケルが、産業化や植民地化の影響に対する鋭い批評性を込めた『Letter from Siberia(シベリアからの手紙)』(1957)や『Statues Also Die(彫刻もまた死す)』(1953)からの引用も含まれています。《パンドゥランガからの手紙》は、最後まで視覚的な要素と物語的な要素がはっきりしないままに進み、チャムの詩人チャ・ヴィザ(Trà Vigia)の叙事詩「Blurry Nights(おぼげな夜)」の最後の一行を誦じる女性の声で結びを迎えます。「Perhaps I’ve been dreaming in a poem that’s coming to its end(私は夢を見ているのかもしれない 終わりを迎えようとする詩の中で)」
グエン・チン・ティ《Letters from Panduranga》2015年
グエン・チン・ティ《Letters from Panduranga》2015年
私にとって《パンドゥランガからの手紙》はとても重要な作品になりました。この作品をきっかけに現在まで継続的に取り組む新しい関心領域が確立されました。要するに、先住民族の物語や文化、エコロジーですね。歴史や記憶に関しては、それ以前からずっと関心を持って取り組んでいますが。実際にこの作品は後に続く先住民族の物語を扱った三部作の1作目となり、それから残りの《Fifth Cinema》(2018)と《How to Improve the World》(2020-2021)を制作しました。その間、ニュージーランドに滞在する機会を得たことで、先住民族のマオリの人々の強烈な存在感や彼らの運動、また、マオリ出身の映像作家であるバリー・バークレイについて学ぶことができました。バークレイは先住民族の映像作家が自分たちの映像作品を制作するという運動を推進し、確立する上でとても重要な人物でした。彼は1980年代に先住民族映画のための「Fourth Cinema(第4の映画)」という言葉を作りましたが、私は彼の文章を使った映像作品《Fifth Cinema》を制作しました。この作品では、ベトナムの現在と過去における女性の表象の問題や、目下進行中のエコロジーや環境の問題を、バークレイの文章を使いながらパラレルに語りました。
そして三部作の最後の作品は《How to Improve the World》。これはベトナムの中部高原に暮らす先住民族のジャライの人々とともに製作しました。この作品では、聴くこと、先住民族の聴く文化を扱いました。それは私にとって、映像を素材に制作することを反省的に振り返るもの、私たちが世界を認識する際にその多くを視覚に因ってきたこと、そしてそれは近代化や西洋化の大きな影響を受けていることについて考え直すものになりました。圧倒的かつ支配的な視覚の影響により、ほかの感覚が抑圧されるという犠牲が払われてきました。少しだけ作品をご覧いただきます。
グエン・チン・ティ《Fifth Cinema》2018年
グエン・チン・ティ《How to Improve the World》2020-2021年
グエン・チン・ティ《How to Improve the World》2020-2021年
この作品から先住民族の人々と協働し、彼らが世界を認識する方法としての聴く文化に焦点を当てるようになりました。聴覚というものにとても惹かれました。ここからこれまでの映像を中心とした制作とはかなり異なる領域に進むことになりました。現在、さらに音の分野や体験の具現化といった方向に進んでいきたいと思っています。
それではより最近の作品の話に移りましょう。これらは音や聴くことに焦点を当てたり、非人間に関心を広げたりという新しい方向性の中で生まれてきたものですが、引き続き先住民族の物語や文化にも関連しています。ドクメンタ15に出品した《And They Die a Natural Death》(2022)、チェンライで開かれたタイランド・ビエンナーレに出品した《Rî s̄eīyng (Sound-less)》(2023)、そして、最新作の《47 Days, Sound-less》(2024)の3つの作品を簡単に紹介したいと思います。
《And They Die a Natural Death》(2022)は先のドクメンタ15で発表したので目にしたことがある人がいるかもしれません。説明するのが難しいのですが、ある意味、この作品にはまだ映画的な要素が含まれていました。ただ、それは映画前史の映画とでも言いましょうか、カメラレスの映画とでも言いましょうか。プロジェクターもカメラも使いませんでしたが、真っ暗なドーム型の空間の中には、光があり、唐辛子の植物の影が映し出されていました。空間の中央に張出舞台を設けたので、観客はそこに立つと360°のスクリーンに取り囲まれることになります。また観客からは見えませんが、天井にはエアーコンプレッサーからの送風を利用して自動的に演奏される笛を吊りました。わかりやすいように映像を見てもらいましょう。
グエン・チン・ティ《And They Die a Natural Death》2022年
グエン・チン・ティ《And They Die a Natural Death》2022年
基本的に、私の関心は歴史や記憶、エコロジーや先住民族の土着の文化に関連するものから変わっていません。ただ、新しい作品群ではこれまでと異なる表現方法を試したり、少人数の人々と協働するようになりました。先住民族の伝統的な楽器を使うことに関心があったので、地元の楽器職人と自動演奏に対応可能な笛を考案し、エンジニアにはシステム構築を助けてもらいました。映像から聴こえるのは、ベトナムに設置された機械で読み取った森に吹く風のリアルタイムのデータを反映して演奏された笛の音です。特に循環システムや人間と非人間との関係性に関心があるので、近年の作品では、たとえば、見えない力や自然の力、スピリチュアリズムやアニミズムの領域とさえ結びつくような力など、「他なる力」と協働する方法を探究してきました。そうした力にエージェンシーを与えられるのではないかと感じています。基礎的な構造や楽器を組み立てる一方で、そこに他なる力が入ってきたり、それによって作品自体が完成するような開放的な仕組みを求めているのですが、そこでリアルタイムなものというかパフォーマンスというか、そうしたものが必要になってきます。たとえば、この作品の場合は、森に流れる風が作品自体を演出し演奏方法を決定します。
次の作品は《Rî s̄eīyng (Sound-less)》。「Rî s̄eīyng」はタイ語で「音のない」という意味です。この作品にも楽器を取り入れていて、まもなく閉幕するタイランド・ビエンナーレに出品しています[3]。この作品はメコン川に関係するもので、この地域で何十年も環境問題に取り組む「チェンコーン保護グループ」と協働で制作しました。メコン川は上流の中国やラオスのダム開発で死にかけていて、すっかり変わってしまった川の下流に位置するタイやカンボジア、ベトナムはそのことに苦しめられています。この作品では、メコン川の水位のデータと展示会場となったこの美しい建築の中にある伝統的な楽器と結びつけました。たくさんの古い木造住宅から集めた木材で建てられた美しい建築の中にサウンド・インスタレーションを設置し、空間の構造を共鳴装置として利用しました。タイの古い伝統的な楽器を分解して、22個の楽器を作り出し、それぞれ空間内に配置しました。それらがメコン川の水位に応じて、一斉に鳴ったりバラバラに鳴ったりします。この建物は中央に仏像があり、宗教上極めて神聖な空間なので写真撮影は禁止されていました。設営時に少しだけ撮影したものを見せるので、雰囲気が伝われば良いのですが。
グエン・チン・ティ《Rî s̄eīyng (Sound-less)》2023年 Image courtesy of the artist
グエン・チン・ティ《47 Days, Sound-less》2024年「Shanshui: Echoes and Signals」M+、香港、2024年 撮影:Dan Leung、画像提供:グエン・チン・ティ、M+(香港)
聴こえているのは、タイ式木琴のラナート・エク(Ranat ek)の音で、メコン川のリアルタイムのデータに基づいて演奏されています。一方、笛の音は過去のメコン川の水位のデータに基づいて演奏されています。専門機関が調査を始めた60、70年間のデータに基づいて演奏するものと、ダム建設後の水位の変化のデータに基づいて演奏するものの2組に分けましたが、どちらもメコン川がどのように変化してきたのかを表すものです。
最後に紹介するのは、《47 Days, Sound-less(47日間、音のない)》です。私はこのインスタレーションをエクスパンデット・シネマ(拡張されたシネマ)と呼んでいますが、これは1960、70年代に映像作品や映画を映画館ではなく展示空間に展開しはじめた頃に出てきた言葉で、従来の映画の鑑賞方法とは異なり、映像をより断片的なものとして空間に配置します。
この作品にはハリウッド映画とベトナムの古典映画の両方から大量のフッテージを使用していますが、その大半は戦争映画のものです。ハリウッド映画がベトナムや東南アジアといった外国を撮影地に使用することを観察しはじめたのが制作のきっかけで、そこでは撮影地となる風景あるいは現地の人々、時に先住民族は、ただ物語の背景、エキストラとして描かれていました。ここで関心のひとつである視点が気になってくるのですが、たとえば、西洋の風景画は常に単一の視点を有しているために、ものの見方はとても個人主義的、自己中心的なものになりますが、山水画のような中国やインドの水墨画における風景画の視点は常に複数あり、固定すらされずに漂っていて、どこかに単一の視点を定めることができません。この時期、私は非人間的なものや、人間と非人間の関係性への関心も高まっていたので、人間と非人間の視点を反転させて、映画内で後景にある木々や植物など自然界の要素や風景を前景化し、非人間的なものに焦点を当てようとしました。そのほか、映像を投影する鏡を使ったシステムを組み立てて、展示室の至る所に映像が展開するようにしました。そうすることで、作品をより環境的なもの、映像をより音楽的なものに仕上げようとしました。この作品は4月24日から森美術館で発表するので、ぜひご覧になっていただきたいです。
これで私の発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。
グエン・チン・ティ、東京都写真美術館 1階ホール(2024年3月2日)撮影:ART iT
*1 ハノイ・ドキュメンタリー・フィルム制作&ビデオ・アート・センター(Hanoi DOCLAB)。2009年にドキュメンタリーやビデオアートによる表現のための研究所として、グエン・チン・ティがハノイのゲーテ・インスティトゥート内に設立。映像制作の基礎教育、ワークショップ、スクリーニング、ディスカッションのほか、映像編集室、映像資料館の一般公開などに取り組む。2013年の第5回恵比寿映像祭では「パブリック・リヴィング ―ヴェトナム・ドキュメンタリー特集」と題したプログラムを上映した。https://hanoidoclab.wordpress.com/
*2 ベトナムは2009年に国内初の原発建設を国会で正式に決定(日本は2000年に原発技術協力の覚書をベトナムと交わす)。原発立地予定地に南部沿岸地方のニントゥアン省が選ばれ、ヴィンチュオン村に建設する第一原発をロシア、タイアン村に建設する第二原発を日本が担当することになった。2014年着工、2020年稼働を予定していたが、2014年1月、2015年11月、2016年6月と建設延期が発表され、2016年11月の国会決議で白紙撤回となった。吉井美知子「ベトナムの原発建設計画はなぜ白紙撤回されたのか」(沖縄大学人文学部紀要 第22号、2019)を参照。
*3 第3回タイランド・ビエンナーレ「The Open World」は、2023年12月9日から2024年4月30日までチェンライで開催。https://www.thailandbiennale.org/
記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から
2024年3月1日(金)-6月9日(日)
東京都写真美術館 2階展示室
企画担当:関昭郎、遠藤みゆき、多田かおり
展覧会URL:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4548.html
Lecture@Museumシリーズは、展覧会の関連企画等で行なわれた講演を関係者の協力の下、ART iT編集部が編集したものを掲載しています。
MAMコレクション018:グエン・チン・ティ
2024年4月24日(水)-9月1日(日)
森美術館
展覧会URL:https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection018/