「21世紀、映像作品の制作、展示、上映、批評、収集、保存において重要な役割を果たしてきた国際機関・組織のKADIST(フランス)、Han Nefkens財団(スペイン)、e-flux(アメリカ)ならびにそれらと協力してきた世界各国の美術館とアートセンターを訪問調査し、現代美術における映像作品の現状とそれを支える国際的なネットワークを明らかにする。」
これは、2026年度関西大学の学術研究員としての私の研究テーマです。この誌面を借りて、連載形式で調査研究の内容を発表していく予定でしたが、研究開始から4ヶ月。1本の記事も書くことができませんでした。
ここ数年間、私は自分の人生の約半分の時間を共にした大切な存在をゆっくりと失っていく経験をしてきました。それは何月何日に起きた出来事のようにはとても言えない時間の流れで、いまもまだ続いています。人生にはさまざまな節目があるけれど、本当に大切な時間は区切ることができないようです。
とはいえ、帰宅後に玄関で泣き崩れる日が減ってきたのは確かなことです。悲しみに蝕まれ、壊れていた身体が少しずつ回復してきたのも。しかし、ふと鏡を見ると、そこにはすぐにいろんなことの否定的な側面を見つけて、眉間と額にしわを寄せながら毒を吐いてしまう中年女性の姿があります。怖いのは、芸術と教育の分野に携わっている以上、この「毒」が誰かを傷つけかねないことです。
「韓国って、どこを掘っても資源はほとんど出てこないけど、どこを掘っても歴史的な悲劇だけは無限に出てくるんですよ。鉱物資源と関連する歴史をテーマに作品を作るなら、もうちょっとちゃんと掘らなければいけないと思うんです。」これは、先月開かれたある審査会での私の発言です。「問題意識は理解できるが、意外と情報量が少なかった」という、ほかの審査員の意見と類似する内容なのに、どこか刺々しい。空気の読みにくい遠隔参加だったのにもかかわらず、会議に集まった全員が一瞬固まったことが画面越しにも伝わってきました。こうした日は、寝る前にとても暗い気分になります。いつもそばにいてくれた優しさの不在を感じながら。
これから綴る旅の話には、もちろん出張の報告という意味もありますが、世界を肯定的に捉える勇気をくれる「友人」の話という意味もあります。ここでいう「友人」とは、授業で招いたゲストを紹介する時に私がよく使う言葉です。数年に1度程度しか会わないし、プライベートなことはほとんど知らないけれども、お互いの仕事をリスペクトしていて、近い分野で働いていることを嬉しく思える人。そして、これからそういう友人になりたい人。彼女/彼らの手がける展覧会や研究は、現代美術の中でも映像メディア学という私の専門分野に関連するもので、取り上げる作品にも必然的に偏りが出てしまうでしょう。一般的な調査報告とは異なり、外国語である日本語ではこれまであまり書いたことのないエッセイのような文章になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出書房新社、2018年)、大阪にて
馬定延|Jung-Yeon Ma
1980年韓国ソウル生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科修了(博士・映像メディア学)。著書『日本メディアアート史』(2014)、共編著書『SEIKO MIKAMI: 三上晴子-記録と記憶』(2019)、論文「光と音を放つ展示空間—現代美術と映像メディア」(2019)、「この領土の芸術、この芸術の領土—ホー・ツーニェンの『日本三部作』をめぐって」(2023)、共訳書『Paik-Abe Correspondence』(2018)、『田中功起:リフレクティヴ・ノート(選集)』(2020-21)など。現在、関西大学文学部表象文化専修教授、国立国際美術館客員研究員。researchmap
本研究の一部は、2026年度 関西大学学術研究員研究費によって行なわれた。
