笹本晃《Strange Attractors[ストレンジ・アトラクターズ]》2010年、展示風景「笹本晃 ラボラトリー」東京都現代美術館、2025年 撮影:白井晴幸 ©︎Aki Sasamoto. Ninagawa Maerkle Family Collection.
ねじれた実験室と世界の味わい──笹本晃 ラボラトリー
文 / 飯岡陸+白尾芽
“20代、性的衝動に駆られ、ありとあらゆるものと踊りたかった。触れることを通して自分の周りの物事を理解したかった。ものづくりを学びたくて、あらゆるものを解体した。
家具を分解して木をいじり、大工の頭脳や金物工場の機械に触れてみるのはどうだろうか。そんなふうに何でも触ってみたかったし、世界の一部になりたかったのだ”[1]
笹本晃はニューヨークを拠点に造形表現とパフォーマンス・アートのあいだで制作を続けてきたアーティストである。東京都現代美術館で開催された「笹本晃 ラボラトリー」は、そのおよそ20年間にわたるキャリアを振り返るものである。展覧会の冒頭に配置された《Secrets of My Mother’s Child[母の娘の事実]》(2009)の解説には次のように書かれている。「大学院では、こうした作品が、彫刻なのか、それとも劇場作品のプロップ(小道具)なのかをしばしば問われ、パフォーマンスでの機能を保ちながら、いかに彫刻としても展示することが可能かが、課題として意識されていたという」。たしかに、この問題意識は現在まで引き継がれているように思える。しかし笹本は、造形とパフォーマンスを切り離さないでおくこと、つまりある状態に置かれたモノを保存するのではなく、モノを扱い、動かし、そのなかに入り込むことによって、具体的には何をしようとしているのだろうか?
展示風景「笹本晃 ラボラトリー」東京都現代美術館、2025年 撮影:白井晴幸 ©︎Aki Sasamoto. Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo
ところで、個展の開催にあたって美術館から笹本に企画の提案をした際、展覧会名は現在と同じ「ラボラトリー」であり、英題は単に「Laboratory」としていたそうだ。笹本はオファーに応じつつ、そこに「Life」という単語を加えて「Life Laboratory」とすることを求めたという[2]。生活(ライフ)と実験室(ラボラトリー)──ここに、笹本の制作のひとつの態度を見出せるかもしれない。
生活に実験精神を持ち込むこと。あるとき出会った親友候補に長い時間をかけて傾倒することで、自分の人生に「何か」が起こらないか期待してみる。パラリーガルや私立探偵、音楽監督になりすましてバーに行ってみる。子どもに見つからないように部屋のあちこちにチョコレートを隠してみる(が、しばしば自分でも隠し場所がわからなくなってしまうらしい)[3]。実験するとは、自分を未知の状態に置くということでもあるだろう。笹本は自分を不安定な状態に置き、世界のまだ見ぬ一面との出会いや変化がやってくることを期待する。
あるいは、実験室に生活を持ち込むこと。笹本の作品には、作家のその時々の関心がそのまま現れる。たとえば《Strange Attractors[ストレンジ・アトラクターズ]》(2010)では制作当時にハマっていたドーナツがモチーフとなり、ドーナツ型のクッション、紙製の筒、丸のドローイングなどが次々と登場する。生活が実験室を侵食し、思考を媒介することで、違う領域にある事象が重ね合わされていく。笹本によれば現在の関心事はもっぱら「釣り」にあるそうだが、近作《Sounding Lines[測深線]》(2024)や新作《catch or be caught[とるかとられるか]》(2025)には、船の上から水深を測り、餌やルアーによって魚を惹きつけるときの感覚がそのまま反映されているように見える。
笹本晃《Strange Attractors[ストレンジ・アトラクターズ]》2010年、パフォーマンス風景「Strange Attractors」Take Ninagawa、2010年 撮影:大野圭 ©︎Aki Sasamoto. Ninagawa Maerkle Family Collection.
笹本晃《Sounding Lines[測深線]》2024年、Para Siteでのパフォーマンス風景 Courtesy of Para Site, Hong Kong. Photo: Felix S.C. Wong ©︎Aki Sasamoto. Collection of Shane Akeroyd.
また笹本のインスタレーションは、その性質からして「忘れる」という状態を予期的に含んでいる(数年前の自分の関心を覚えている人はどれくらいいるだろうか)。展示室で組み立てられたインスタレーションは、それ自体が動きの指示を埋め込んだスコアであると見ることもできるだろう。だが、そこに配置されたモノたちは、ある動きや語りを毎回同じように再現するためではなく、むしろそれを作った時点のアイディアに笹本自身を引き戻すために置かれている。そしてそれぞれのモノには、アイディアを駆動させるひとつの契機として、ちょっとした仕掛けが施されている。するっと解ける紐、気持ちよく外れて他のものも留めておけるピン、引っ張り出せるロール紙……パフォーマンスを展開させるこうした仕掛けは、生活を楽にするライフハックのように笹本の動きを助け、次の行動へ、次の語りへと駆り立てる。モノたちは予想を裏切る形で用いられ、パフォーマンスが進むにつれて、新たなアイディアが空間に上書きされていく。
笹本は近年、自分がミッドキャリアに差しかかっていることに好奇心をもって言及している。この展覧会は、これまで再演を積極的に行なってこなかった笹本にとって、モノを作ったときの自分と、そこに埋め込まれたアイディアを蘇らせる自分のあいだにある時間を経験する、文字通りレトロスペクティブ(回顧=過去を振り返ること)の機会であったはずだ。「モノと生活を等しくする──インスタレーションの方法論について」というテキストで笹本は、自分が作ったモノとの作品空間における関わりについて、次のように論じている。「手作りのドーナツ。特定の種類の小麦粉、油、砂糖を使い、各材料の分量をグラム単位で把握している。慣れ親しんでいて、口に入れる前からその味が想像できる。パフォーマンスのためにその空間に足を踏み入れた時、インスタレーションもまたそのような感覚を与える。しかし頭のなかで経験することと、実際にその空間を移動することとの間には大きな隔たりがあって、だから私をパフォーマンスに立ち戻らせるのだ。[中略]一度そのドアを通ったあと、今度は後ろ向きに通る。次は横歩きで通る。そうしていると私は、ドアとそれを通過するという行為に対して、感情的な結びつきを持つようになる。私はもはや単なるドアの制作者ではない。ドアは私に何かを教え返してくる。[中略]私は、私が作り、私を作るそのドアを通っているのだ(I am going through this door that I made and that makes me)」[4]。
笹本晃《Wrong Happy Hour[誤りハッピーアワー]》2014年、展示風景「笹本晃 ラボラトリー」東京都現代美術館、2025年 撮影:白井晴幸 ©︎Aki Sasamoto. Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo
笹本が造形とパフォーマンスを同時に考えようとする理由はここにあるだろう。つまり、笹本の実践は、単にモノを作って配置し、それを動かすことだけに向けられているのではない。それは、使う−使われるという関係を超えて、あるドアを介して過去の自分と出会うように、作品を介して奥行きある世界の一端に触れることにこそ向けられているだろう。上記のテキストではそれを自らドーナツを作り、食べる経験になぞらえられているが、笹本の活動を牽引しているのは、こうしたモノとの関係を通して世界のまだ見ぬ側面をじっくりと「味わいたい」という欲求である。ゆえに笹本の作品においては、甘いドーナツ、釣り、恋愛感情など、「惹かれる」ことが重要なベクトルとなる。
また作品にはしばしば、的を射ているようで射ていないような、流行のMBTI診断のように類型化された人物が登場する。朝にグラノーラを食べ、環境会議には高い車を運転していく蚊(《Skewed Lies[ねじれた嘘]》2010)。ハイスクールのヒエラルキーを思わせる、ノーム/ティンク/オッズ/カフナー教授という人間の4分類(《Strange Attractors》)。これらについて語る笹本もまた、ステレオタイプに誇張された「エキセントリックな語りをする科学者」のような人物として登場する。現実の人間の複雑さを捨象し、あるひとつの特徴だけを誇張することで、グラフのような関係性が浮かび上がってくる。「想定された特徴を誇張して寄り道を楽しめば、ダイアグラムは異世界を創造する」[5]。
そしてさまざまな仕掛けがはりめぐらされた空間は、さまざまな未知の可能性を秘めた世界のメタファーとなる。こうした性質は本展出展作のなかで最も古い《cooking show [クッキング・ショー]》(2005)にも見てとることができる。料理番組をパロディ化した本作では、極端に長いナイフやフォークを用いることで、カメラと被写体、イメージとそれを見る者の関係が作り直されていく。
日常は退屈で、淡々とした繰り返しによってできている。しかし何気ないきっかけ──たとえば生活における困難、経済状況、人間関係、恋愛、疲れたり年を取ったり病気になったりすること──によって劇的にその姿を変え、別世界として姿をあらわす。作品空間に配置された風変わりな仕掛けはそうした入口を作り出すためのものであり、笹本の作品は世界の奥行きへとわたしたちを引き込む生の実験室なのだ。
笹本晃《cooking Show[クッキング・ショー]》2005年 ©︎Aki Sasamoto. Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo
*1 『笹本晃 ラボラトリー』(torch press、2025、以下笹本展図録と表記)p.109.
*2 岡村恵子「笹本晃 ラボラトリー」笹本展図録(前掲)p.138.
*3 笹本展図録(前掲)掲載の笹本のテキストより。チョコレートに関するエピソードは2022年の個展「浮き沈み浮き」(Take Ninagawa)でのアーティストトーク(聞き手:岡村恵子)内で同展の作品について説明する中でなされていた。
*4 Aki Sasamoto “EQUALIZING OBJECTS AND LIFE: ON INSTALLATION METHODOLOGY,” Aki Sasamoto: Point Reflection, CARA, 2024, p.61.
*5 笹本展図録、p.55.
笹本晃 ラボラトリー
2025年8月23日(土)– 11月24日(月・振休)
東京都現代美術館
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/Aki_Sasamoto/
企画担当:岡村恵子(東京都現代美術館)
飯岡陸|Riku Iioka
キュレーター、横浜美術館学芸員。2018年から森美術館勤務を経て、2024年より現職。森美術館では「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」(2022年)等の展覧会や調査に携わる。大学院在学中からアーティストとの協働を始め、「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」(KAYOKOYUKI・駒込倉庫、2016年)などを企画。主な論考に「批評としての《ケア》」(『美術手帖』2022年2月号)があるほか、翻訳アンソロジー『公共なき実践:間-地域のキュラトリアル私研究に向けて』(0-eA、オンライン、2025年)を共編。昌原彫刻ビエンナーレ2024「silent apple」(韓国)にco-thinker of gudeulとして携わる。
白尾芽|May Shirao
ダンス研究/編集者。ダンスを中心とする舞台芸術や美術について執筆。東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学コース(伊藤亜紗研究室)修了。修士論文を元にした論文に「ポストモダンダンスにおける観客性と「身体的共感」──イヴォンヌ・レイナーの作品を中心に」『Commons Vol.3』(未来の人類研究センター、2024年)がある。現在出版社勤務。
