1:大竹伸朗の現在はどこにあるのか

今月から月評が始まることになった。いま、その初回の原稿を書こうと机に向かったところだ。月にひとつの展覧会レビューなら『美術手帖』誌で書いているので、ここでは別のかたちを探ってみようと思う。1本に絞るのではなく、複数の展覧会や事象について書くことになるだろう。が、いっそ生活するなかで拾った雑事も取り入れ、そこから生まれるリズムのなかで、ざっくばらんに書いていくというのはどうだろう。第一、ここは不透明な紙に印刷された反射文字の世界ではなく、発光するモニターに映し出された透過ウェブでの話だ。日記というのではないにせよ、それ相応の読まれ方というものがあるだろう。もちろん書き方も。

外からの大竹批評

たとえば、いま机上には秋学期が始まり、久しぶりに大学の研究室に顔を出してポストで見つけた新刊が1冊乗っている。ひとまず、そこから昨今の美術の状況について考えてみることはできないか。ここで新刊というのは可能涼介の『圧縮批評宣言』(論創社)。著者が数年にわたり手がけた文芸月評や書評を中心に編んだいわゆる文芸批評の本なのだが、それをここで取り上げたのには理由がある。巻末に載っている座談会(*1)のなかで、僕が前に『新潮』で書いた大竹伸朗論(「寒さと残酷さとからなる響きのブルース」、『なんにもないところから芸術がはじまる』新潮社、所収)が俎上に乗っていて、そこで語られていることにレスポンスをしておく必要を感じたからだ。


可能涼介『圧縮批評宣言』(論創社)

大竹伸朗といえば、数年前に東京都現代美術館で大規模な回顧展が開かれ、一般への大竹の知名度を一気に押し上げた。作家にとっても大きな転機になったといってよい。けれども、これを機会に肝心の美術界でこの展覧会の持つ意味や作家の位置づけをめぐり充分な議論がされたかというと、そうはいいえない。実は、こと東京都現代美術館に限っても、大竹に先立ち、森村泰昌や村上隆、横尾忠則や森万里子といった1980年代以降に(美術界で)頭角を現した作家たちの個展が次々に開かれている。が、美術界でその個別な批評的総括がされているとは思えない。そうした総括がなされなくとも、もちろん作家たちはおのずと「それ以後」の活動に入っていく。が、そのことが日本で美術作家たちの「その後」を何か曖昧としたものにしてはいないか。おそらく、それは大竹も同様だろう。そんなことを感じていたので、先の座談会でこの展覧会が批評的に言って(美術界よりも)遥かに論点としてまともに取り上げられているのはありがたかったし、僕としても事後的に遠隔からではあるが参加しておきたいと思うのだ。


『大竹伸朗 全景 1955-2006』(東京都現代美術館、2006年)会場風景
撮影:平野晋子 写真提供:東京都現代美術館

さて、そこでも取り上げられている先の大竹論を、僕は「懐かしさ」をキーワードに書いたのだった。『圧縮批評宣言』の著者である可能は、そこで僕が下敷きとしている坂口安吾の「懐かしさ」に反応して、大竹の「ゴミ」を、すべてが等価となり突出のない今の時代の「石ころ」から見ようとしている。が、同時に大竹のゴミには聖/賤が循環して糞便が黄金となる(文化人類学的な)危うさがあるとも言う。そして、そのあたりの曖昧さを(絓や鴻に)つかれてロマン主義的ではないかと突っ込まれている。

石ころはたしかに懐かしい。誰でも子供のころ、道ばたの石ころを拾って意味も無く遠くへと投げたことがあるだろう。そういう遠さへの志向と手に取った石ころの重くも軽くもなく疑いようがなく「在る」という感触は身体に深く根を張って残存していて、ふとしたときに成人してからも手のひらにおかしな触感として復元される(実際ににぎってみるとわかる)。それを懐かしいというのだから、ここでの懐かしさは記憶ではなく、むしろ触覚にかかわっている。だからロマン主義を回避できるとは即、言わないが、少なくとも大竹のゴミは、懐かしいと言っても記憶の残影というわけではなく(この点で大竹と横尾忠則は大きく分たれる)、目で見てはいても具象的な再現性には乏しく、むしろ(それを拾うときの)触覚的な蘇りのアトランダムな集積でできている。つまり、大竹のゴミはそこからただちに「帰りたい風景」(洲之内徹)が立ち現れるものではなく、目でいくら凝視しても、見ただけでは実体がよくわからない。「拾う」「拾った」「自分も拾ったことがある」けれども、「それが何であるかはわからない」という様々な感覚の呼び起こしがあって、初めてそれは大竹らしさを帯びてくる。

逆に言えば、だからこそ大竹の作品には歴史が宿らない。先の座談会で鴻は大竹のゴミが、同じくジャンク性を孕んだカントールの演劇やカバコフのインスタレーションのようには「歴史が刻まれた過去の残骸」として意味を産出しないことにいら立つのだけれど、もしも大竹のゴミが可能のいうような可能性としての「石ころ」にあるのだとしたら、元より歴史は排除されていてしかるべきだ。むしろ、そうした重力が入り込む余地がないことでそれらのゴミは歴史主義から即物的な距離を取りうる。この距離=軽さが大竹をして鴻の言う「たとえばこれはほとんどキーファーだと誰もがわかるような模造作品」を「模造」としてではなく、終わってしまったゴミのひとつとして拾わせるのであって、そのことが大竹の作品から西洋美術の血なまぐささを脱臭し、結果としてゴミであるにもかかわらずそこには奇妙な清潔感(浄化ではなく)がある。この清潔感はすべてを等価に標本化するからやはり糞尿的と言うことはできず、西洋美術に望まれるようなダイナミズムもない代わりに、見る者に対しぶっきらぼうに投げ出されている。情報は圧縮されていても自分からは語ってこない。だから、大竹の作品が「懐かしい」と言っても、それは物語になる前の状態に閉じ込められていて、(ブルースにおける微分音=ブルーノートのように)余韻(テンション)として「懐かしい」だけなのだ。頼まれなくても饒舌に意味を物語りたがる西洋の美術とは全く違っていて、そのあたりはやはり歴史の断片ではなく道端の石ころというべきか。


『大竹伸朗 全景 1955-2006』(東京都現代美術館、2006年)会場風景
撮影:平野晋子 写真提供:東京都現代美術館

貧困でも裕福でもなく

ちなみに僕はカントールにもカバコフにもあまり関心が持てずにいるのだが、それも同様の理由による。彼らのゴミは一目には貧困であっても、意味的にはあまりに裕福すぎる。もっとも、キーファーは歴史主義を装いつつ相当のキッチュであることでギリギリそれを裏返すところに強度があったが、冷戦解体以降、第三帝国のイメージから離れることで却ってアイロニーが失せ、近年では単純なシンボリズムに近づいている。ゆえにメランコリーといっても、どこか梁が効かずにメロドラマ的に落ちて見えることがなくはない。メロドラマといえばソ連の解体直前にモスクワのカバコフのアトリエを訪ねたことがあって、渡米中の本人には会えなかったが、アトリエというよりは彼の住むアパートの様子がゴミだらけでインスタレーションに酷似(というかそのまま)だったのが強く印象に残っている。もっとも、そこで床で埃にまみれ放置されたジャンク群に僕はなにも感じなかった。乾き切った大竹のゴミの触覚的な「懐かしさ」と違い、カバコフのそれが血や涙が染み込んだ跡のような「哀しさ」を帯びていたからかもしれない。

実は9月の末に、あの回顧展のあと大竹の仕事として最大のものとなる直島の銭湯(作品?)を見てこようと計画している。そして、そこに「懐かしさ」をめぐる変質はないか、依然それは「ゴミ」に見えるのか、あるいは可能の言うような「石ころ」化をいやましているのか、湯に浸かりながら確かめてこようと思っている。

 



1. 鴻英良×絓秀実×高橋宏幸×可能涼介「ゴミと石ころ」、『圧縮批評宣言』(可能涼介著)、論創社、2009年

 

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