タニア・ブルゲラ、小泉明郎「「表現の自由を守る」・その後」

「表現の自由を守る」・その後
インタビュー / アンドリュー・マークル(ART iT)、前山千尋(共同通信)
(本稿は英語版を元に翻訳)

 


表現の不自由展・その後、展示風景『あいちトリエンナーレ2019:情の時代』

 

本インタビューは、2019年8月14日に東京都内で実施された。タニア・ブルゲラは同日までに、同じくあいちトリエンナーレ2019に参加したアーティスト10名とともに、トリエンナーレの展示の一部である「表現の不自由展・その後」の展示中止に対する抗議として、出品作品を一時的に停止する意思を表明したステートメントを公表していた(ステートメントには、同トリエンナーレのキュレーターのひとりであるペドロ・レイエスも署名している)。「表現の自由を守る(In Defense of Freedom of Expression)」と題された8月12日付のステートメントは、「表現の不自由展・その後」の展示中止を検閲行為として非難し、トリエンナーレ事務局に同展示の再開を要求するものであった。公表当時、そこには日本のアーティストの署名はひとつもなかった(現在では田中功起が署名している)。公表以前には、8月6日にあいちトリエンナーレ2019参加アーティスト(現在は88名が署名)が展示閉鎖に対するステートメントを公表、8月12日にはトリエンナーレのスタッフ、参加アーティスト、一般参加者を交えた公開討論の場が名古屋で開かれた。ブルゲラは、あいちトリエンナーレをめぐる状況に対する彼女の理解を説明し、ステートメント「表現の自由を守る」の意図を明らかにするために、同じくトリエンナーレ参加アーティストの小泉明郎とともに、ART iTのアンドリュー・マークルと共同通信の前山千尋のインタビューに応じた。

1. 状況把握
2. 表現の自由を守るために
3. 交渉すること
4. 『キセイノセイキ』の検証
5. 「慰安婦」、そして、アートにおける傷
6. キューバの状況
7. 確認事項

下記の文章は、内容を明確に伝えるために編集、構成した上で掲載している。

 




1. 状況把握

 

アンドリュー・マークル(以下、AM) あまりに問題が大きくて、どこからはじめたらよいか悩みますね。まずは、タニアさんから今まさに起きているこの状況をどのように理解しているのか話してもらえませんか。

タニア・ブルゲラ(TB) そうですね。実はオープニング当日にインタビューを受けた際に、そのとき何が起きていたのか知らないまま、今回のトリエンナーレで最も優れているのは「表現の不自由展・その後」ではないかと答えました。

後になるまで、その展示が閉鎖されることはアーティストに知らされませんでした。それから、私たちはトリエンナーレ側と10〜11日ほど、展示再開について話し合いました。また、待機していたところもありました。脅迫のことも知っていたし、警察の捜査に時間がかかることも理解しているので、無闇に動くわけにはいきませんでした。しかし、現在は警察により脅迫していた人物のふたりは逮捕されました。次に、政治家は問題の発生について知っています。つまり、彼らは安全性の面から展覧会を支えなければなりません。それから、私たちは日本のアーティストたちと何をすべきかを話し合い、その一環として、8月12日にはアーティスト、芸術監督、キュレーター陣、そして、市民とで公開討論を開きました。各々が考えていることや、これからの進め方について話すことができて本当に良かったです。

しかし、ある一点において、意見の相違があります。それは芸術監督の津田大介さんが「リスク管理」と呼び、私たちが「検閲」と呼ぶものです。この違いは、リスク管理ならば論理的かつ従来的な運営の手法で達成、克服できるというところにあります。たとえば、セキュリティをより強化すること、教育部門がより多くの作品解説のテキストを観客に提供することなど。リスク管理に関する対処法は、既によく知られています。

閉鎖された展示の問題に話題が及ぶたびに、話し合いが必ず作品の内容に戻ってくると感じました。そこに意見の違いの原因があります。問題を引き起こしている原因が作品の内容で、それを取り除くことになるのであれば、私たちはその行為を検閲と捉えます。私たちは現在もトリエンナーレのキュレーター陣や事務局とやりとりを続けています。ステートメントを公表する前に津田さんにも話しかけ、検閲された展示が再開するまで、自分たちの作品を一時的に停止すると伝え、公開討論の約束を取り付けました。その後、私は彼に再度自分たちの行動について直接伝えてから、彼とチーフ・キュレーターの飯田志保子さんにステートメントを送り、私たちが対話の継続を望んでいること、これ(ステートメント)で対話を終わりにするつもりはないこと、トリエンナーレの評判を傷つけたいわけではないことを伝えました。重要なのは、倫理的な手続きをとること、透明性を保つこと、何も解決されなければ少しずつ対応を強めていくということです。

私たちはトリエンナーレを離れるわけではありません。状況が解決するまで作品の展示を停止しようと考えているのです。最後までこの状況が解決されないのであれば、当然私たちの作品が再び展示されるようなことはありません。ただ、私たちの態度はアーティストへの連帯を示すものであり、トリエンナーレを貶めようとするものではありません。「表現の不自由展・その後」が展示できないのであれば、自分たちの作品も展示してほしくないと考えているのであって、「表現の不自由展・その後」が再開すれば、私たちの展示も再開する。極めて明確な意思表示です。

また、報道機関にはこの意思表示を国家間の問題として分析してほしくありません。私たちはアーティストであり、いかなる国家を代表するものでもない。ここには集まったのは、これまでに自分の作品が検閲された経験を持つアーティストです。だから、自分たちが検閲を受けたときに連帯を表明してくれた人々のためにも、私たちが自分以外のアーティストの検閲に対して同じように連帯を表明しないわけにはいかないのです。

しかし、私たちは本当に心から展示再開を願っています。小泉さんには、私が受けてきた数々の検閲の経験において、この件には実際に解決の余地が残されていると感じていること、そして、それができれば、世界に向けて、あいちトリエンナーレがこのような状況に対応するための象徴になりうるのではないかということを話しました。

 

AM どこにそのような期待を見出しているのでしょうか?

TB それはキュレーターたちが解決策を見つけようと熱心に動き、日本のアーティストも創造的な応答を探して懸命に動いていて、そして、海外のアーティストも日本のアーティストとの対話を継続するためにがんばっているところです。今や、あの展示を検閲するのはやりすぎで、自分自身で作品を見て考える機会を奪われた人々に対して公平ではないと思いはじめているのではないでしょうか。ですから、これは分裂ではありません。政治家がアートの自由を判断することなど、私たち海外のアーティストには受け入れられない。だから私たちが政治家に圧力をかけることができればと思うのですが。

私は自分の国でも他の国でも声をあげてきたので、ここは譲れません。もちろん私たちは日本出身ではありませんが、退行的な考えを持つ人々がアーティストによる表現を阻止しようとすることや、芸術における検閲の事例が増えていることは国際的な問題です。日本だけの問題ではありません。ただ、私がこの一件は解決できるのではないかと考えているのは、たとえばアメリカ合衆国の事例に比べたら規模が小さいのと、関係者に変えようとする意志があるからで、政治家こそ、アートは絶対に規制してはいけないと理解すべきなのです。

 

AM 津田さん以外のステークホルダーと話す機会、大村秀章愛知県知事と話す機会はありましたか?

TB ぜひ話したいと思っているのですが連絡手段がありません。Eメールか何かで連絡を取りたかったのですが、正直に言えば、この政治劇の中で誰もがそれぞれの役割を持っているのではないでしょうか。私たちの役割は国際的な立場から圧力をかけることで、ここを拠点に活動しているわけではなく、日本の政治に関する細かな部分を知らないので、政治家と話をするのは日本のアーティストの役割であるべきではないか、と。もし彼らが政治家に話をしにいき、私たちもその支持を表明するのにこっそりついていけば、違ったものになるかもしれませんが、私たちが自ら政治家に会いにいくのは、連帯の表明というよりも外からの介入のようなものに思われてしまうかもしれず、適切ではないでしょう。

 

AM 小泉さん、誰か日本のアーティストが、大村県知事や河村たかし名古屋市長と話す機会はありましたか?

小泉明郎(以下、MK) まだありませんね。

 

AM ではここで、おふたりから海外のアーティストと日本のアーティストの間で話し合われていたことについて教えてもらえませんか?

MK わかりました。まず、私たちはこの出来事の直後にアーティスト・ステートメントの作成に取り掛かりました。アーティストが一丸となって検閲に反対するために、出来るだけたくさんのアーティストの署名をもらうことを目標に海外と日本の参加アーティスト全員に連絡を取りました。それ以来、たくさんの反応があり、数々のアイディアを交わしてきましたが、私たちが抱えている懸念や困難は、日本にいないと出来事の文脈がわかりにくいと思います。政治家がどんな人で、誰が何をしているかわからない。私たちと他の人たちが知っていることの差異が大きいので、その差を埋めるために懸命に動いてきました。

ほとんど誰もが、いわばかなりのアーティストが検閲を体験している。それ故に、いかに検閲が複雑で、各社会がどれだけ個別に違うのかを知っていますが、同時に、たくさんの共通点があることも知っている。そこで私は海外のアーティストが自分で判断できるように、できる限りたくさんの情報を伝えようとしました。「これは検閲で、悪いやつがいて云々」なんてことはありません。そんな単純なものではありません。誰もそんな単純なものだとは思っていません。だからこそ、私たちは可能な限りコミュニケーションをとろうと動いてきました。これらがこれまでにやってきたことですね。

 

AM タニアさん、あなたはこれまでに進めてきた日本のアーティストとのコミュニケーションをどのように感じていますか。

TB とてもすばらしいものでした。日本のアーティストから連絡を受けたときは良い意味で驚きました。最初の意思表示は彼らがするべきことで、外国人である私たちからすることはできないと思っていたので嬉しかったです。そして、そこには私たちの知らないことがたくさん書かれていました。

そこからはじまり、以降、より多くのコミュニケーションを取っていきました。この状況について話し合うために日本のアーティストと会い、今ではWhatsAppを使って、お互いにどのように動いているのかを常に連絡しています。現に、ステートメントに問題がないか確認するために公表前に送っていたので、(公表されたことに)驚きはなかったと思います。

今回のことは誰が犯人かという問題ではありません。私たちには感情的に対処するのが難しい物事に意見を述べるための空間として、アートが社会の中にあるというのを譲ることはできません。そうした一連のものを閉じてしまえば、前に進むことなどできずに自分の国の文化を終わらせてしまうことになるでしょう。私は12日の公開討論で、教育によってテロリズムや検閲と戦うことができると発言しました。あの日はお互いにさまざまな考えを共有しました。アーティストがあの展示空間の監視ボランティアをしたらどうだろうかとか、監視員と表現の自由について話すのもいいだろうなどと盛り上がりました。また別のアーティストからは、トラックの荷台に作品を積んで、作品の解説をしながら市内を回るなんて提案も出ました。

問題を解決し、展示を再開するために、私たちだけでなく彼らの検閲の経験、みんなの創造力をすべて出し合うなど、関係は極めて良好です。展示を再開すること、それだけが私たち共通の目標です。気に入らないものがあるというたった数人を怖れ、政治家や美術館の外で拡声器を持っている人々の要求に屈した後に何が起きるかと言えば、その要求がますますばかげた、無責任なものになるということです。そして、数年後には気にくわないからといって、海外のアーティストが展示できなくなったり、過去を参照できなくなったりしてしまうかもしれません。私が怖れているのはこういうことです。今この愚行を止めなければ、それは肥大し、もはや実際に戦うことなどできなくなってしまうでしょう。

 




2. 表現の自由を守るために

 

ART iT どれだけ人口の割合を占めているのかは不明ですが、反日と受け取られている内容について、極右による煽動ではなく、個人の信条という形で純粋に怒りを感じている人々についてはどう思いますか?そのふたつの立場からどのように表現の自由を守ることができるのでしょうか?

TB おっしゃる通り、あらゆる人のための空間がアートの中に必要です。私は公開討論を通じてそれを成し遂げられるのではないかと思いました。とはいえ、2時間で完璧に分析することなど不可能なので、継続的に公開討論を持つべきだと提案に盛り込みました。人々を招いて自分の意見を述べてもらうような話し合いのための安全な空間を設けた公開討論の継続的なプログラムを、トリエンナーレが終了するまで続ける必要があるでしょう。それがひとつ。もうひとつの方法は、教育を通じて、異なる説を聞く機会を作ることです。作品を展示するとき、その作品に賛同しない人や作品の内容を不快に思う人がいるかもしれないことを観客に伝える。観客はその複雑さを知って、作品を見たいかどうか、対話に加わりたいかどうかを決めることができる。関わるかどうかの選択肢を観客に与えるのです。また、教育的なゲームもいろいろあります。たとえば、観客は不快に感じた作品の横に自分の意見を書いたポストイットを貼ることができるというもの。このように、観客が暴力を使わずに自分自身を表現するための方法があり、美術機関はまとめ役を務めることができます。

しかし、賛成であれ反対であれ、自分の意見を感情的に表現するだけでは十分ではありません。そうした感情は適切に扱われるべきで、そうでなければ、それがテロリズムの原因になってしまいます。あるいはそれは単なる怒りで終わってしまうことでしょう。たとえこれは反日ではないということに納得しない人がいても、自分の感情を適切に扱う方法を持たなければいけません。そうした感情をそのまま放っておくことはできません。そこに危険性があり、検閲とはそういうものです。誰もが自分の意見を持つ権利を持ちますが、その意見は黒か白かではない。それは他者の理解を伴うものでなければいけません。

 

AM 日本のアートシーンやアートに関する議論を見てきた私の感覚からすると、今回の反応や行動の一部は、この国の制度としてのアートと大衆との間の不安定な関係にも煽られているのではないかと感じます。アート、とりわけ国際的なアートのことを、自分に意見を押し付けてくる権威的な存在としてみなす人もいます。この点について、おふたりはどう思われますか。日本で過ごした時間の中で、似たような見解を持つことはありませんでしたか?

TB 私の経験からすれば、それは日本特有のものではありません。アートが全国的な議論の中心となることのない場所では、アートそれ自体に力がないために外から来た人の発言がとても力を持つように感じられるのを目にしてきました。しかし、あなたがそれを許しているから、その人がそう振る舞うのだということです。海外のアートが権威的で、考えを押し付けてくると感じるのであれば、それはあなたがそうさせているにすぎません。

 

AM 小泉さんはどう思いますか?

MK 私はイギリスとオランダで美術を学び、日本に戻ってきてから10年になります。海外のアーティストと言っても、それはともに学んだ友人たちですから、個人的に権威的なものを感じることはありません。

ただ、もしかしたら日本の多くの人々は、私が「西洋美術」、そして政治的なことをやっていると考えているのではないでしょうか。あるとても尊敬する上の世代のアーティストと話したとき、私がとても「西洋的」なことをしていて羨ましいと言われたことがあります。日本の多くの人々は西洋に対して大きなコンプレックスを抱えています。

 

AM とはいえ、まずひとつの制度として美術館があり、それから、不定形ながら芸術祭というもうひとつの制度があります。一般の人々は、そこに膨大な予算が使われていることや、キュレーターがそこで展示するものを決めていることを知っています。彼らは自分たちの関心や声が美術館や芸術祭、美術という制度の中に反映されていないと感じているのかもしれません。

TB 美術館がすべての人のためのアートを反映することは絶対にありません。それに対する私の回答はこうです。より多くの美術の場を作るのです。自分が現存する美術制度に反映されていないと感じたら、自分自身の美術の場を作りなさい。私自身も数多く作ってきました。あなた自身の美術の場を創造し、自分がその一部になりたいと思うような議論を形成するのです。伝統文化に比ベて、アートは実験的、挑戦的、不敬なものであるべきだとされているから、人々がそこに価値を見出したり、賛同するのは難しいでしょう。アートは私たちのアイデンティティに流れ込む文化規範を挑発してくるので、多くの人々が居心地の悪さを感じるのは理解できます。

MK たしかに日本では美術館あるいは現代美術それ自体という制度が外から輸入されたもので、どれだけ一生懸命やっても、自分たちの作品が日本の文化全体においてとても小さなものでしかないと感じています。美術館で企画される大型展は必ず、ルノワール、フェルメール、トイ・ストーリーといったもの。これが制度的な美術で美術館がお金を稼ぐ方法でもあります。だから、私たちが美術館で急進的、挑戦的なことを試みても、一般の人々が関心を持つことは絶対にありません。だけど「表現の不自由・その後」が中止されてからのこの10日間は、一般の人々がアートを話題にしています!

TB それはすばらしい!みんなこの状況を否定的なものとして話していますが、私はこれをアートと文化の例外的な瞬間として肯定的に捉えています。

MK ということは、少なくともこれは私たちにとって美術館で起きていることにみんなが関心を持ち、これまでは語られることのなかった表現の自由について話しはじめる空間を社会の中に得た小さな一歩ですね。そして、ここに現在の政治状況が反映されています。

TB ここだけではありません。この世界はどんどんファシズム的な態度へと向かっていて、アートや文化を規制することもその一部です。なぜなら、それらはあなたを想像力やさまざまなアイデンティティを創り出すこと、問いかけることに開く要素で、規制する側はそれを望みませんから。

 




3. 交渉すること

 

ART iT タニアさんはキューバの抑圧的な政権下で生活、制作してきて、制作活動と政治活動の両方で拘束された経験がありますが、そうした経験からこの状況に転用できるものがあるとすればどんなことでしょうか?

TB 私はあなたたちが羨ましいです。キューバではこうしたことはいずれも不可能です。このような公の場での会話すらできません。法廷で検閲について争うこともできません。政治家に考えを変えるように促すこともできません。アーティストが政治的な決断に疑問を投げかけることも、それを議論することもできず、あるいは、どうしたらいいかわからないとさえ言えません。そのすべてが可能だなんてすばらしい!私が期待を寄せている理由はそこにあります。キューバでは約一年前に検閲を合法化する法律、法令349が施行されました。それが施行された原因のひとつには、過去20年間の検閲に誰も抗議をしなかったことがあります。私は検閲を受けましたが、キューバでは私に連帯を表明してくれるアーティストがほとんどいませんでした。それは私個人の問題であって、自分たちの問題ではない、と。検閲はすべてに影響するのだから、このような個人主義はいけません。そして、現実はひとつの小さな検閲行為に声を上げなければ、おそらく数年後には日本でも検閲を合法化する法律ができているということ。だからこそ、沈黙しないことが重要です。

 

AM 事実、自民党は憲法改正の方針を打ち出していて、それは必ずしも検閲を合法化するものとは言えませんが、「公益および公の秩序」に基づいて、表現を制限するとしています。

TB そうでしょう!それこそまさに私が愛知の検閲のことを耳にした日に話したことです。ここで何もしなければ、それが規範となってしまいます。

 

AM ジョージ・オーウェルの『1984』を読んだ人はわかると思いますが、抑圧的あるいは権威主義的な政権の下で、政権は検閲について直接は語らず、それは「公益」のためであり、憲法にも記されていると述べてくるわけです。今回、その言葉に当たるのは「リスク管理」でしょう。タニアさんの見解では、これはただの婉曲表現に過ぎないということでしょうか?

TB ええ、婉曲表現だと思っています。もしそれが本当にリスク管理の問題ならば、簡単に解決できます。より豊富な教育、より強力な警備を準備すること。それだけです。「一部、不愉快に感じる内容を含む表現がありますのでご注意ください」といった注意書きを、展示室の入り口に置いておくこともできるでしょう。そうすることで、観客に自分を挑発するような体験に対する心構えを促すことができます。「これは数ある考え方のひとつであり、あなたがアーティストに賛同する必要はありません」というテキストを置くこともできるでしょう。観客を難しい作品の前に立たせるための準備は、キュレーターや美術機関の仕事です。

 

AM 小泉さんの作品には、神風特攻隊や昭和天皇のイメージを扱ったものがありますが、そうした作品は日本でどのように受け入れられてきましたか?

MK 自分にはそれが必要だったから、そうした作品を制作してきました。天皇、これはとても重要な主題です。それはこの国のことであり、私たちの無意識のことであり、そして、この社会がどのように統治されているのかに関わることです。だから、私がナショナリズムや歴史、そういったあらゆるものを扱う上で、それはまさに欠くことのできない主題なのです。そうはいっても、そうした作品を公共施設で展示することが難しいのはわかっています。自分がいっしょに仕事をしている民間のギャラリーで展示することはできます。ギャラリーは展示するための準備や仕事をすべてしてくれます。しかし、私たちは今、それを公的な空間で見せることに挑戦しているのです。私たちはこれがただ個人的なものではなく、公共的なものであること、公の場で話し合われる必要があるからこそ、公金を使う公立美術館で展示されるべきものだと理解されなくてはなりません。

 

AM 日本の美術機関から作品を検閲されたことはありますか?

MK 答えづらい質問ですね。ここ(日本)での検閲はより自己検閲のようなものです。システム全体がほとんど自己検閲に関係していると言ってもかまいません。作品が美術館の壁に展示されるにせよ展示されないにせよ、そこに至るまでにたくさんの積み重ねやプロセスがあります。とはいえ、作品を展示してから検閲を受けたことがあるかと問われれば、答えは日本ではNOです。そのような経験は一度もありません。検閲が起きるのは常に美術館の壁に作品がかかる前です。たとえば、私はこの2年の間に5つの作品を制作しましたが、制作において、いずれも日本の公的機関の助成、資金提供を受けていません。

TB しかし、世の中に知られずに検閲する方法はたくさんあります。キュレーターがあなたを(展覧会に)呼ぶとき、既にそこから検閲がはじまっていることは少なくありません。キュレーターがアーティストの提案するものに対して、できないとかやりすぎだとか言う場合もありますし、それはこのあいちトリエンナーレでもあったと聞いています。その際、外から来ていたら納得する場合もあれば、自分が事情をよく知っている地元であれば、抵抗するかもしれません。検閲は必ずしも目に見えるプロセスとは限りません。当初、この問題を「表現の不自由展・その後」の展示を通して前面に持ち出した芸術監督の津田さんに向けて、アーティストみたいなことをする人だなと思ったと告げましたが、この状況は極めて珍しいものだと思います。あれらの作品は過去に検閲されていたもので、今回、再び検閲されたということが興味深い。

 

前山千尋(以下、CM) あなたはあいちトリエンナーレ実行委員会が自ら「表現の不自由展・その後」を検閲したと考えているのでしょうか?

TB いいえ。私が知る限り、トリエンナーレの方々はとても協力的です。どうしたら展示を再開できるのか、ほとんど寝ずに考えてくれています。どうやら名古屋市長が政治的立場か何かに不都合なことがあるために、圧力をかけたり、政治的議論を使うことで、展示を閉鎖に追い込んだのだと理解しています。

愚かな政治家は、自分が検閲することにより作品の強度が増し、自分たちが黙らせたいと思っていたものを増幅してしまうことに決して気がつきません。あの市長が何もしなければ、誰も作品の内容について話さなかったのではないでしょうか。

 

CM では、展示を再開したいと考えているわけですね。

TB 私たちが望むのはただひとつ。ステートメントを書いたのは、政治家に圧力をかけるためで、トリエンナーレではなく政治家に彼ら自身がしたこと、私たちがそれを外からどう見ているのかに関心を持たせるためであって、私たちは閉鎖された展示が再開されることを望んでいます。それがステートメントを書いた唯一の理由で、展示を閉鎖されたアーティストたちとの連帯を明らかにするための方法です。あの展示が再開されたら、私たちも展示を再開します。ただ、時間も重要です。ステートメントを公表してから作品を封鎖する手続きをするまでには時間があるので、彼らにはまだ展示を再開するチャンスがあります。検閲の責任を負う人々には、決断を考え直し、展示を元通りにする数々の機会が与えられています。

 

AM キュレーター陣との交渉において、許容範囲はどのあたりだと考えていますか?

TB 展示を再開するまでいつまでも交渉するつもりです。プロセスは問題ではなく、目標を達成することが重要です。どれだけ交渉したとかそういう問題ではなく、重要なのは展示を再開するという結果です。

 

AM 小泉さんはどのように考えていますか?

MK 正直なところ、真っ只中にいるので自分の立ち位置はわかりません。みんなからあらゆる意見を聞き取り、みんなを繋げよう、みんなに情報を与えようと動いていて、キュレーターたちとも連絡をとっています。そうしたことを現在は4、5人で引き受けています。たしかに海外のアーティストよりも日本のアーティストの方が情に流されやすいようにも見えますが、以前に仕事をした経験や、もともと知り合いであることもあり、少し難しい状況にあるのではないでしょうか。

TB 私たちはここを離れますが、あなたたちがここに残るということは理解しています。だから、私たちは日本のアーティストに署名を強いることはありませんでした。正直に言えば、海外対日本という形は望んでいませんでした。海外のアーティストの署名のみという状態は避けたかったので、日本のアーティストにもステートメントを送りましたが、署名は強要しませんでした。ここで生活している人々の方が難しいのはわかっていますが、それはまた彼らの責任の問題でもあります。

 




4. 『キセイノセイキ』の検証

 

ART iT あいちトリエンナーレの出来事は、言うまでもなく、小泉さんも関わった2015年の東京都現代美術館の展覧会にどこか似ているところがありますね。展覧会のタイトルは日本語で『キセイノセイキ』、英語では『Loose Lips Save Ships』でした。そこで、小泉さんが天皇を扱った作品は「検閲ではない」けれど、展示されませんでした。

MK あれは、自己検閲のようなものですね。

 

AM 何が起きていたのでしょうか?あの作品は「表現の不自由展・その後」にも含まれていましたよね。

TB 「検閲ではないけど展示できなかった」というのは、婉曲的な表現ですよね?

MK 検閲なのか検閲ではないのかの判断はみなさんの個々の判断にお任せします。私を含む3人のアーティストとひとりのキュレーターで、検閲に関する展覧会を企画していたのですが、検閲に関する展覧会は無理だということになり、自己検閲に関する展覧会を企画することにしました。そこから、自分たちに何ができるのか、たくさんのアイディアを共有し、何も決まらないまま何ヶ月も話し合っていましたが、ある時点で、私は天皇を扱った作品が含まれていないことに気がつきました。ご存知の通り、天皇は良く知られたタブーのうちのひとつです。そこで私は自分たちがこのタブーについて触れないことで自分たちを検閲していないかと切り出し、私は既に天皇を扱った作品を制作したことがあったので、自ら手がけることを伝えました。すると、キュレーターは私を制して、「ちょっと、それはどう扱っていいかわからない」と言うのです。彼はまだ若手のキュレーターだったので常にチーフキュレーターに相談しなければいけなかったのですが、そのチーフキュレーターも私たちの展覧会の直前に別の検閲問題に関わっていました。

TB ということは、それがいま再び繰り返されているということですか?トリエンナーレがそうしたことを話し合っているのはすばらしいことです!

MK 状況はとても複雑でその若いキュレーターの手には負えないものだったので、私が直接チーフキュレーターに話をしにいきました。大抵の場合、私の作品は誰がその決断をしたのか私が知り得ないところで検閲を受けたり、自己検閲してきました。責任の主体は常に曖昧模糊としています。しかし、このときは彼女が「これこれこういう理由でこの作品を展示したくない」と述べたので、それに対して私は普段は隠されている明確な取り下げの理由とその判断の主体がはっきりしていたので、作品を取り下げました。そして取り下げられた理由を会場にテキストとして展示しようとしましたが、最終的に私はそのテキストを展示できませんでした(展示会場では、作品のタイトルだけが展示された。また会期内に美術館近隣のギャラリーで作品展示は行なわれ、テキストもそこで発表された)。とにかく、展覧会オープニング二週間前になっても、交渉はこじれ続け、展示会場に空っぽの空間がいくつか残っており、私たちの手にそこを埋める作品はなく、最終的に何もないままの空間もありました。実際には、とても強い作品も展示していたのですが、何もない空間も残ってしまいました。そして、私たちはたくさんの対立を生み出してしまいました。本当にたくさんの。説明しようとしても、私の手には負えないものになっていました。

TB いいですか、経験上、検閲は自分勝手な人物と強く結びついているものだと感じています。ときに権力の座にいる人物はニュースで悪く見えるのを怖れたり、仕事を失うのを怖れたりする。そして、本当の理由などなく、安易な解決法として検閲に手を染めるのです。本当の理由とは、そのままにしておけば何も起こらないということがわからぬまま、何かが起こるのではないかと怖れているというもの。私の経験では、検閲する人物は大抵の場合、アートやアートに傷つけられる人を心配せず、自分自身の利害を心配しているだけです。

しかし、同じ兆候が何度も繰り返し現れてくるのであれば、そこには癒されるべき病理があるのかもしれません。だから、近年、検閲や自己検閲の事例、タブーに挑戦する人々が数多く現れているということが意味しているのは、社会にそのような話をする準備ができているということかもしれません。これは兆候ですね。だからこそ、この最良の事例であるあいちトリエンナーレで起きたことを国際的な場にあげるのはとても重要なことなのです。

 

AM 小泉さんに質問ですが、天皇のイメージは宗教的な象徴だという主張があったということでしょうか。

MK ええ。宗教的な象徴であり、そして、あのイメージを見ることで傷つく人がいるだろう、と。また、そのようなタブーを扱うには相当の準備期間が必要であり、その時間がないというのも理由でした。

 

AM ということは、そこではマイノリティを守ることを意図して作られたヘイトスピーチや尊重という考え方が逆に作品に向けられているということですね。しかし、日本において、天皇は国の象徴ですから宗教的な象徴として見ることには矛盾がありますよね。政教分離に反していないでしょうか。一方で、キューバにはフィデル・カストロのイメージの使用に関する法律などはありますか?

TB これはとても皮肉なことですが、彼自身が死ぬ前にいかなる自分の表象も望まないと述べ、自分で法律を作ってしまいました。事実、彼の彫刻や絵画を制作することは法律によって禁じられています。彼は自分自身にそれを要求しました。彼は最高主導者ですから、彼の言う通りに従わなければいけません。

 

AM 彼は表象を凌駕している、と。

TB その通りです。奇妙なことですが、私たちの間では、自分の彫像を引き倒すことができないようにそのような法律を通したのではないかと話しています。彫像を引き倒すことはあらゆる革命の象徴ですが、彫像がなければ、一体どうしたらいいのか、と。フィデルは表象できない。預言者マホメットのように。彼はとても賢い男でした。

 

AM キューバでの実践において、そのような検閲体制下で活動するための戦略はありましたか。また、これまでにその検閲体制の限界を意図的に試すことはありましたか?

TB どちらとも言えますね。自分が検閲された理由もわからないままに検閲ははじまりました。そうした検閲はアーティストより政府に反対しているのではないかと、友人と笑いながら話すことがあります。彼らは私たちがアーティストとして想像もしていなかったあらゆること、アーティストとして考えていなかった作品の波紋や意味を想像しています。もっとも悪質な解釈をしてくるので、検閲こそが最大の反体制派なんじゃないのかなんて話すこともあります。

アートは一般的に政治家のプロパガンダに挑戦し、彼らが言っていることが正しいのか正しくないのかを確かめる方法だと思います。キューバでは大抵の場合、政府はあらゆる物事に対して誰もがまったく同じ意見を持つことを望んでいます。全員が賛成し、全員が支持しなければいけない、と。私は制作活動を通じて、意見の多様性を引き出そうとしているのですが、政府はそれを望んでいないので、それが既にひとつの挑戦になっているのではないでしょうか。政府は誰もが同じ物の見方をすることを望んでいます。

現在、私は教育に取り組んでいて、「Institute of Artivism Hannah Arendt(ハンナ・アーレント・アーティヴィズム研究所)」を開設し、2年半にわたって運営してきました。公共空間で創造的に声をあげる方法や自分たちの感情を適切に扱う方法を教えています。自分の感情を適切に扱う方法を知らないと、それは暴力に行き着いてしまいます。

政府は私たちがやっていることを快く思っていません。海外から人を呼ぶ際、私たちはその人が入国するまで誰がワークショップをするのかを誰にも伝えません。おかしいですよね。すべて極秘で事を進めなければいけません。たとえば、今年、私たちは5つの賞を主催しました。そこにはインディペンデント・シネマのための賞や社会的なタブーを扱った映画のための賞があり、ソーシャル・アートのレジデンスにも出資しました。また、歴史に対する賞、まだ誰にも語られていない歴史的な物事を扱った書籍のための賞。そして、私自身が最も気に入っているのが、調査報道に対する賞です。こうした賞も教育の方法のひとつで、受賞のことばかりでなく、どうやって映画製作、調査報道の方法論など、やりたいことができるのかを学ぶワークショップやトレーニングも提供しています。たとえ受賞できなくても、学ぶものがあるということです。

 

AM その教育機関を通じてあなたが支援している異議を唱えるさまざまな活動は、必ずしも革命をもたらすものではありませんが、しかし…


TB 私はもう革命には関心がありません。それがどんなに最悪なものになるのかがわかっていますから。それよりも長期的な市民教育に関心があります。革命は感情的な状態。市民教育は何かを構築するための基礎です。市民教育なき革命は必ずしも先進的なものではありません。

 

AM 個別にひとりひとりを変えていくことであり、次の世代に種を蒔いていくということですね。

TB その通りです。

 




5. 「慰安婦」、そして、アートにおける傷

 

ART iT 質問したいと考えていた重要な点に「慰安婦」の問題があります。言うまでもなく、それはこの地域の地政学上、とても繊細な問題です。タニアさんもステートメントの中で示唆しているように、「慰安婦」制度の歴史を否定したり弾圧したりする日本政府の立場は、ある意味では女性への暴力行為に当たる。それは女性への暴力という文化を永続させるものです。しかし、もう一方の議論には、慰安婦を反日とする煽動的なものもあります。それについてはどう応えますか?

TB 戦争から生み出されるものに公平や正常なものは何もない。それを扱わない限り、戦争は国家のトラウマとして残り、国家のトラウマを扱わない限り、自分のナショナル・アイデンティティを次の段階に至らせることはできません。地政学には女性に対する暴力を弁明することはできません。とても繊細なものだということは知っていますが、それについて語らないのでは、物事はなにも改善しません。語らないことで過ちを受け入れるという文化が作り上げられてしまいます。

 

AM ナショナリストの言い分では、「慰安婦」問題は中国と韓国で政争化されたものだということになります。中韓の政治家が日本に反対する民族主義的感情を煽動するための政治的道具に利用しているのだ、と。

TB どの国にも恥じていることや敵対者のプロパガンダに利用されるものはあります。それについて公の場で話すことができれば、敵対者はもうあなたに対してそれを使えなくなるでしょう。過ちを犯したことを認めるのは不名誉なことではありません。その国や新しい世代には自分たちが繰り返したくない過去、とりわけ75年も前のことを振り返り、認識する権利があります。恥ではなく歴史の再検討として扱うことで、もはやタブーではなくなり、あなたを攻撃するために利用されることもなくなります。私は中国や韓国にも彼らが恥ずべき自らの戦争の惨事があるに違いないと思いますよ。

 

AM 女性に対する暴力の歴史の否定や抑圧を受け入れられるなんらかの状況というものはありますか?

TB ありません。しかし、歴史を認識することについて話すとき、そこにはある種の修復過程が必要だと考えています。歴史を受け入れたと言いさえすれば、誰もそれに口を出せず、次に進めるというわけではありません。そうではなく、共同で話し合い、適切に扱うという歴史を検証するプロセスが必要になります。とはいえ、いかなる場合も、歴史的な出来事の抑圧は正当化できません。

 

AM そして、どの国もそれぞれ抑圧の歴史を抱えていますよね。

TB まったくその通りです。たとえば、たとえば、ステートメントに署名したアーティストの、レジーナ・ホセ・ガリンドやモニカ・メイヤーは、自分の国やそれ以外の国々で似たような問題を扱った数多くの作品を制作してきました。抑圧の歴史は日本特有のものではありません。たとえば、自由の国、アメリカ合衆国はどうでしょうか。彼らは日系アメリカ人の強制収容所を建設しましたが、彼らはいったいどれほどの間、口をつぐんでいたでしょうか。ようやく語りはじめたところです。このように、日本だけが痛みを伴う物事について話したがらない唯一の国だというわけではありません。

 

AM 2017年のホイットニー・ビエンナーレで、エメット・ティルを描いたダナ・シュッツの絵画をめぐる論争が起きたとき、あなたはニューヨークにいましたか?

TB はい。良い例えですね。あの絵画にアフリカ系アメリカ人にとって本当に痛ましいことが描かれていた一方で、もうひとつの歴史を扱う権利は誰にあり、その歴史は誰に属しているのかという問いが立ち上がりました。苦難の歴史を抱える身体、それは今日もなお警察に殺されている身体でもありますが、そのような身体があの作品の前に抗議を示すために立つ姿をとても美しいと思いました。あれは傑作で、これまで見てきた中で最も美しいパフォーマンスのひとつでした。

 

AM 現在、私たちはドナルド・トランプやアメリカ合衆国の極右がポリティカル・コレクトネスの言葉を私有化するのを目にし、同様に、日本の右翼がツイッター上であいちトリエンナーレに対して、ヘイトスピーチやプロパガンダだと反応するのを目にしています。

MK その人たちは「平和の少女像」を自分たちに対するヘイトスピーチだと言っているのですか?

 

AM そうです。

TB 驚くべきことですね。人権を侵害したり弱者を叩いているのに被害者を装うとは。これはトランプにはじまる最大の皮肉に他なりません。特権的な立場にいる者が被害者になることはありえない。その行為で犠牲者を再び黙らせているにもかかわらず、自分が攻撃されているなんてことはありえません。彼らがしているのはそういうこと。事実の代わりに自分たちの感情を使っているのです。これは彼らの問題ではなく、歴史的正義の問題です。

 

AM 小泉さんは何か思うところはありますか?

MK すでに自分が何をすべきか考えはじめているのですが、どんどん考えが浮かんできます。

TB あいちトリエンナーレが終わるときに数々のアイディアを手にしているのは間違いありませんね。

MK たとえば、私たちは右翼の人々とも話し合いの場を設けるべきです。彼らは自分たちの声を聞いてもらえないと考えているのですよね。ならば、彼らも誘うべきです。おそらく、他者に関わることではない彼ら自身が自分について語る声も展示空間に包含できるのではないでしょうか。

TB だから私は教育について話したのです。展示室の入り口や作品の隣に「これが唯一の意見ではなく、異なる意見もあります。あなたも自由に自分の意見を考えてみてください」と書かれたテキストを配置することもできるでしょう。これは美術機関が市民の施設としてすべきことです。市民のための場なのですから。難解かつ感情的な問題や未解決の問題について語る作品を展示する一方で、観客が痛みを適切に扱うための要素を与える責任を負うべきです。

ポリティカル・コレクトネスについて、今日私たちが愛する名作の多くが、制作された時代には政治的に正しいものではありませんでした。それらは社会に対する間違っているという思いや正直な思いを伝える個人の声だった。そして、時代が変わり、私たちがその時代について信じるものの模範になりました。ですから、アートとそれが社会に受容されることの間にはある種の時差があり、それが摩擦を生み出す。私たちはそれを受け入れなければいけません。

MK あいちトリエンナーレのキュレーターとのやりとりのすべてにタニアさんの存在が必要だと思います。

TB それは違います。キュレーターは自分たちの役割を果たす必要があり、日本のアーティストは表現の自由を守るべきで、私たち海外のアーティストはあなたたちとともにいるべきです。それぞれが非常にはっきりした役割を担っています。自分たちの文化、自分たちの歴史ではないものの内側に入ることは危険なことだと思ってますから。対話や議論、とりわけ公開討論があるなら、私もスカイプで参加できます。最初の公開討論はとてもよかったですよね。とはいえ、この問題は日本の人々にしか解決できません。それは自分たちや自分たちの未来に対する責任です。

私たちが望むのは「表現の不自由展・その後」の再開のみ。そして、私たちはトリエンナーレに反対しているわけではないと強調しておくことも重要ですね。私たちはボイコットも撤退もしていません。連帯を示す方法として、展覧会の自分たちの作品を一時停止するという形で犠牲を払っているのです。私はそれが一時的なものであることを願っています。それは「表現の不自由展・その後」の展示が再開するのを信じているから。

付け加えておきたいのですが、観客の苦痛やスタッフの苦痛について考え、心配する人々はいるけれど、検閲を受けたアーティストたちの苦痛について考える人がいないことが気になります。先日、私たちは検閲されたアーティストのひとりである大橋藍からとても強い表明を受けました。彼女は本当に若いアーティストです。彼女はこの事態が起きてからとても不安定な状態で、検閲とこの結果を受けて、公の場で自分はもうアーティストを辞めようかと考えていると語りました。

 

AM 彼女の作品は自分のアルバイト先の中華料理屋における人種差別を扱ったものでしたか?

MK はい。あの作品はそこまで展示が難しい作品ではありません。

TB 誰もが怒りを露わにする右翼や価値観の違いから作品に近寄るべきでない観客、この事件で自分のキャリアに傷をつけたくない政治家のことを考えています。しかし、誰が右翼の不寛容によって心に傷を負ったアーティストのことを考えるのでしょうか。

 

AM 「表現の不自由展・その後」の実行委員会と話す機会はありましたか?

TB メンバーのひとりと個人的に話しただけでしたが、現在はEメールを通じて連絡を取っています。

 




6. キューバの状況

 

ART iT キューバで自分の作品が検閲されたとき、あなたはどのように抵抗し、どのように対応しましたか?

TB 一般的に、全体主義体制は国際的な意見に非常に神経質になるので、国際的な連帯とともに対応してきました。全体主義体制は自分たちが悪者に見えるのを嫌います。というわけで、文字通り私は国際的な連帯によって救われました。また、もはや私のことをアーティストとして認めないとさえ言った文化に携わる政治家とも激しく論争したこともあります。検閲されたり投獄されたりしているアーティストとの連帯を示そうと試み、また、キューバに集団で自由に考えたり、現実を分析し、自分たちの世代の視点から歴史を研究したりするためのオルタナティブスペースを作っています。

MK 彼らは今でもあなたにキューバで作品の展示を依頼しますか?

TB いいえ。美術機関に入ることすら許されていません。国立美術館は私の作品を所蔵していますが、私自身は足を踏み入れることもできません。

 

AM キューバ自体に戻ることは許されていますか?

TB キューバに行くときは毎回空港で三時間の面会を受けます。そう、彼らはそれを面会と呼びますが、取り調べですね。彼らは毎回、私のことを送還も入国拒否もできると言ってきます。常に自分が間違ったことを口走ってしまわないかという怖れがあります。あるいは、私が何も話さないつもりだと言えば、たとえそれが私の権利であっても挑発的だと捉えて苛立ちはじめるのです。

しかし、数ヶ月前にキューバにいたとき、彼らは「我々はもはやお前を刑務所に入れることはない。お前をキューバの艾未未になどさせたくないのだ」と私に告げ、「投獄されたアーティストのためのノーベル賞など獲らせたくはないのだよ」と言ってきたのです。

私は窓を閉めたままの車の中に6時間も閉じ込められていたので、「すばらしい。じゃあもう外に出てもいいですか。投獄しないなら、もう行ってもいいですよね」と訊ねると、「それはできない」と言われて、私は「ここが刑務所ね」と呟きました。それは独房ではありませんでしたが、私は6時間も窓が閉められた車の中で猛暑の中、立ち去ることもできないまま、ふたりの監視人とともに閉じ込められていました。

彼らはいつも圧力をかけすぎないよう、25時間から27時間の後に私を釈放するのですが、次の日、再び私を拘留しました。彼らはハバナの市外へと私を車で乗せていき、あるところで私に目を閉じて頭を下げるように命令しました。笑えるのが、そのとき私はちょっと太り気味だったので頭を下げる姿勢がきつくて。それを彼らは私が周りを見ようとしているのだととらえて私の頭を押さえ込みました。45分間、どこに向かっているのかまったくわかりませんでした。目を閉じたまま、取調官と警察官に挟まれて。そして、人里離れた場所にある家の中へと連れていかれました。本当に怖かったです。家の中には9人、全員が軍人です。私はたったひとり。「家族と話すというか、電話してもいいですか」と聞くと、「アメリカ映画の見過ぎだな」と。それが彼らの答えでした。一番最近のものはちょっと…何が起こってもおかしくはありませんでした。このように彼らはどんどん過激になってきています。

 

AM 帰国するたびにそんなことがあるのですか?

TB 毎回です。そして、彼らは私を監視します。ある日、友人と話をしているとそこに近づいてきた人が「あいつら、あなたを撮影しているよ」と告げてきました。私を怖がらせるためにわざと気づかれるようにやるときもあれば、気づかれないようにやるときもあります。「どこそこで誰々と話をしていたな」と詮索してくることもあります。なぜ彼らがそれを知っているのかと思いますが、私を監視しているからですよね。だけど、私は気づいていません。今ではそれを気にしないことにしました。彼らが監視しているのは知っていますが、私は何も違法なことなどしていないので隠し事はありません。ただそれはかなり緊張を強いるものです。本当に。

 

AM ハンナ・アーレント・アーティヴィズム研究所の同僚はどうですか?同じく嫌がらせを受けていますか?

TB 嫌がらせは多少ありますが、それほどではありません。以前は私が毎月帰国していたので、その頃は本当に嫌がらせが厳しかったです。彼らは私たちのイベントにやってくる人を止めて、数々の嫌がらせをしてきました。現在は私なしで研究所を運営したときに政府がどう出てくるのかを窺っています。嫌がらせがなくなることはありませんが、明らかに少なくなっています。これまでにひとり、このプロジェクトで働いていて嫌がらせを受け、彼女の友人の何人かも警察に拘束されました。そういうわけで、順風満帆ではありません。しかし、研究所ではそうした嫌がらせに屈せずにイベントを続けるというモットーを掲げています。彼らが何をしようが構うことなく私たちは続けていきます。

 

AM 学生はどうですか?

TB とても難しいですね。たとえば、警察に取り調べを受けたことでもう2度と研究所には来ないと言いにきた人もいました。警察が私の自宅を監視するために人を雇っていて、訪問者を通さないこともあるので、信頼できる核となるグループを作るのはとても難しいです。彼らは訪問者に話しかけ、「あそこに行ってはいけない。悪いやつらだ」とかなんとか言ってくることもあります。訪問者を怖がらせ、時に買収するのです。

 

AM 買収?お金ですか?

TB 違います。条件ですね。アートに関する条件。彼らは今、新しく自由に旅行することを取り締まるということをはじめました。というか、旅行はできるのですが、ただ政府を非難する者に対して、旅行できるかできないかを政府が判断できるのです。政府を批判したことで、会議や展覧会に参加するのを止められた人もいます。こうしたことが広まっているので、ワークショップに12人とか16人とか人が集まったときは本当に嬉しい。それはかなりの人数で、こうしたあらゆる圧力に抗して参加してくれた人々なのですから。

研究所で講義をするために学生を連れてきてくれた美術学校の教授もいましたが、次の日、その美術学校の校長が学生の両親ひとりひとりに電話して、学生を二度と私のプロジェクトに参加させないようにし、その教授を解雇しました。このようにかなり緊迫した状態ですが、いつかこのバランスが表現の自由や意見の多様性の尊重に傾くときが来るので、私たちは続けなければいけません

 

AM フィデル(・カストロ)が亡くなり、こうした抑圧はさらに酷くなりましたか?

TB はい。当初、オバマ政権時は彼らも自分たちをよく見せたかったのか少しはましでしたが再び酷くなりました。ただ、人々は初めて路上に出て、デモをはじめています。既に3回行なわれました。最初のデモは動物の権利。動物を守る法律を要求しました。「それは重要ではないのでは?」と疑問に思う人もいましたが、「いや、あらゆることが重要です」と答えると、「なるほど、でも人間はどうなんだ」と重ねてくるので、「ご心配なく。これからです。千里の道も一歩から」と返しました。

次に同性愛者の権利。ラウル・カストロの娘は同性婚を認めると約束していましたが、福音派の教会が邪魔をして、教会側が勝ってしまった。宗教国家でないにもかかわらず、教会が市民の問題を論破しうるというのは非常に危険で、ショックな出来事でした。

そして、3度目はインターネットの料金の値下げに関する抗議です。

 

AM これもまたとても重要な問題ですね。

TB はい。インターネットが普及して以来、キューバ社会は非常に大きく変わりました。人々が自分の話を語りはじめ、より勇敢に、怖れなくなりました。支持してくれる人々の共同体があるのです。

 

AM こうした経験のすべてが、あいちトリエンナーレをただ傍観し、状況が過ぎ去るのを見ていられない理由のひとつにもなっているということですね。

TB その通りです。次にどうなるのかがわかっていますから。私もかつて経験していますから。ひとつ不正義を許せば、より大きな不正義が続いてきます。

MK すべてのアーティストとこうした対話をすることが重要なのではないでしょうか。そうすれば、イム・ミヌクの話も、他のアーティストの話も聞くことができる。日本社会にとって、それはとても良い教訓になります。

 




7. 確認事項

 

CM 確認しておきたいのは、このステートメントは検閲されたアーティストたち、イム・ミヌクさん、パク・チャンキョンさんといった韓国のアーティストと連帯するためのものですよね?

TB このトリエンナーレで検閲された展示のアーティストとの連帯で、展示を再開させるために政治家にプレッシャーを与える意思表示です。

 

CM ということは、あの展示が再開されたら、あなたの展示も再開されるということですよね。

TB はい。私たちの作品もすぐに展示に戻ります。「表現の不自由展・その後」の展示が再開するまで、自分たちの作品の展示を一時的に停止しているだけです。

 

CM そして、それは表現の自由のためであって、日本と韓国の国家間の問題によるものではない、と。

TB これは日本と韓国の国家間の問題とも歴史的な問題とも関係ありません。これは政治家に検閲されないアーティストの権利、繊細な問題に触れていようが、その作品を見る観客の権利、表現の自由を持つアーティストの権利、複雑な問題を公の議論として提示する美術機関の権利に関わるものです。

 

CM 歴史に対する開かれた議論ですか?

TB そうです。

 

CM 日本では政治家にプレッシャーを与えるのは難しいのではないかと思います。そうした文化がないと言いますか。

TB それは理解しています。それは常にどこであれ難しいことです。ただ、ステートメントで表明している通り、私たちにはアーティストとの連帯が重要で、だから、私たちは「表現の不自由展・その後」の展示が再び開くまで作品の展示を停止状態にしておくのです。

 


 

タニア・ブルゲラ、小泉明郎「「表現の自由を守る」・その後」

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