アーティストとひらく 鎌田友介展:ある想像力、ふたつの土地 @ 横浜美術館 ギャラリー4

展示風景「アーティストとひらく 鎌田友介展:ある想像力、ふたつの土地」横浜美術館、神奈川、2026年

 

横浜美術館が、新進アーティストと共に、これからの美術、これからの美術館の可能性について考え、試行錯誤をする場として立ち上げた年1回のプログラム「アーティストとひらく」。その第2回となる「鎌田友介展:ある想像力、ふたつの土地」では、横浜出身のアーティスト・鎌田友介が、三溪園を築いた実業家・原三溪(1868-1939)を主題に、横浜、岐阜、ソウルでの調査をもとに構想した新作インスタレーション《ある想像力、ふたつの土地》を発表している。

鎌田友介(1984年神奈川県生まれ)は、歴史や社会の状況を反映するとともに、国家の文化やアイデンティティ形成のツールにもなる建築をテーマに美術と建築を横断する活動を続けている。2016年から継続するプロジェクト「The House」では、1910年から1945年のあいだに韓国・台湾・アメリカ・ブラジルなど日本国外に建てられた日本家屋を対象に、現地調査や、そこに暮らす人々、研究者と対話を重ね、複数の歴史にアクセスする作品を発表してきた。横浜に多くの建築を残す建築家・アントニン・レーモンドをめぐる近作もその一例である。レーモンドは、日本にモダニズム建築を根付かせた存在であると同時に、戦時中にはアメリカで実施された焼夷弾の効果を調べるために実験用の日本家屋を建てるなど対日戦争に関わり、戦後はヤマハのピアノ設計を通じて日本の復興にも携わった。鎌田は、アメリカに残るレーモンドの自宅を訪ね、その孫らと対話を重ねながら、この人物を10年以上にわたって調査してきた。2023年に国立国際美術館で発表した《Japanese Houses》では、焼夷弾一基あたりの子弾数と一致する38本の蛍光灯と、調律されるピアノの音によって、その多面性を空間として立ち上げた。

 

鎌田友介《ある想像力、ふたつの土地》2026年

 

国外の日本家屋とそれを取り巻く人々や歴史に向き合ってきた鎌田にとって、本展は自身の出発点へと立ち返る試みでもある。横浜で生まれ育った鎌田は、三溪園の日本建築群に早くから魅了されてきた。三溪は、義祖父から継いだ原家の生糸業に近代的な経営手法を導入し、国内有数の企業へと成長させた実業家として知られている。岐阜に生まれ、南画家であった祖父と叔父の影響で、幼少期から漢詩や漢画に親しんだ。その後、岡倉天心と交流し、横山大観、下村観山、今村紫紅、牛田雞村ら近代日本画家を支援する美術のパトロンともなった。自らが築いた三溪園には、京都や鎌倉などから古建築を集めた。なかでも臨春閣は、もとの建物をそのまま移築するのではなく、組み方を変えたり反転させたりするなど、三溪自身が建築家のように手を加え、譲り受けてから完成までに11年を要している。一方で、横浜・本牧一帯の宅地開発を進めるとともに、自身は一度も訪れたことのない朝鮮・京城(現ソウル)の農林・宅地開発事業も手がけた。鎌田が焦点を当てるのは、こうした三溪の多面性を貫く「想像力」のあり方である。書画家・美術支援者としての芸術的感覚と、実業家としての都市開発における空間的視座のあいだに共通する想像力があるのではないか、と考え本展の構想に至った。

 

原三溪《桃源》1927年 吉田喜代子氏寄贈(渡邊未灰[正男]旧蔵)
鎌田友介《ソウル六景》2026年

 

展示室全体は、中央に投影された映像作品を中心に、左側の壁から床にかけては京城が、右側には三溪園を含む横浜一帯が、それぞれ三溪の生きた時代の地図として、白色のラインで描かれている。どちらの壁にも、二枚の写真を中央で分割し、互い違いに組み合わせた写真作品が、地図に重なるように掛けられている。京城側の《Japanese Houses(Seoul/Yokohama)》は、厚岩洞フアムドンに残る日本家屋の内部と、三溪園にある蓮華院の内部。横浜側の《LandScapes(Seoul/Yokohama)》は、南山ナンザンから望む狎鴎亭アックジョンと、三溪園から望む本牧の風景である。さらに、入口に近い左手には、モニターを2台積み重ねた映像作品《ソウル六景》、右手には、三溪自身が描いた《桃源》が床の間を思わせる意匠のなかに据えられている。

三溪の《桃源》は、伊豆の別荘から訪れた春の河津を主題とした南画で、中国の文人が余技として描いた南宗画に由来し、それを日本的に解釈した山水画の系譜にある。その画面は、俯瞰的な視点から、近景・中景・遠景を、遠近のままではなく、たがいに等価なものとしてひとつの面に収めている。そうした画面構成は、2台の縦長のモニターが上下に積まれた作品にも反復されている。下段は引きの視点、上段は寄りの視点で、同じソウルの風景が映し出されている。近景と遠景がひとつの画面に積み上がっていくこの構成は、三溪が親しんだ南画の画面の組み立てを、現代のソウルの映像へと移し替えたものといえる。

 

鎌田友介《ある想像力、ふたつの土地》2026年
鎌田友介《ある想像力、ふたつの土地》2026年

 

中央に投影された映像は、18世紀の画家・チョン・ソン[鄭敾](1676-1759)が狎鴎亭を描いた山水画を映すところから始まる。狎鴎亭は、古くから風光明媚な別荘地として知られ、朝鮮の画家たちが滞在してはその風景を山水画に残した土地だった。画面が引いていくと、それは和室の床の間に描かれている。入口の《桃源》が据えられた床の間にも、このチョン・ソンの山水画が、臨春閣の襖の山水画などと組み合わせて描かれていた。映像は鎌田自身の回想に移り、三溪園の風景──とりわけ臨春閣の建築と、それを取り巻く風景との調和──に息を呑み、「自分が過ごしてきた日本の風景ではない、しかしかつてあったであろう風景」を想像したと語られる。そこから映像は、この庭を築いた三溪の生涯に触れる。南画に親しんだその感覚が作庭にも及んだのではないかということが述べられ、さらに、中国に渡ることなく杭州の庭園や山水画から日本庭園の礎を築いた禅僧・夢窓疎石(1275-1351)が、まだ見ぬ土地の理想郷を想像した先例として重ねられる。

やがて映像は、1911年頃から三溪が三溪園周辺の開発を進め、同じ時期に朝鮮へと土地を広げていった経緯へと移る。三溪自身は内面をほとんど書き残していないが、その生涯を記述した伝記には、朝鮮での土地取得を記した一節が残っている。三溪は現地を一度も訪れることなく、京城で事業にあたった佐藤虎次郎らから送られる地図や報告をもとに、眺望の良し悪しや将来の発展性を見込んで土地を買い進めていった。鎌田はこの経緯を出発点としながら、三溪本人ではなく、三溪を取り巻く人物の側からその想像力に迫ろうとする。手がかりとしたのが、三溪に支えられた日本画家・牛田雞村(1890-1976)の日記とスケッチである。雞村が残した記述は、原家の所有地であった狎鴎亭のものが多くあり、鎌田はその道筋を自らの足でたどり直した。映像では、三溪が眺めたであろう地図が俯瞰から斜めへと加工され、CGで再構成されていく。映像の最後に流れるのは、鎌田自身の語りではなく、雞村の日記から引かれた言葉と、そのスケッチをもとに鎌田が訪れて撮影した風景である。狎鴎亭から望む漢江沿いの景色を、雞村は「まるで漢画に描かれた情景のようである」と書きとめている。

南画や造園に向けた芸術的感性と、見たことのない朝鮮の土地を地図の上で取得していった植民地的な事業。そのふたつは、三溪というひとりの人物のうちに同居していた。展覧会のタイトルに掲げられた「ある想像力」とは、訪れぬ土地を思い描く力であると同時に、三溪の幾つもの面を貫く一筋でもある。鎌田は、ひとつの物語へと回収されがちな歴史に複数性を呼び戻し、閉ざされてきたものを開こうとしている。

 

鎌田友介《ある想像力、ふたつの土地》2026年
鎌田友介《LandScapes(Seoul/Yokohama)》2026年

 


 

参考資料:
三溪園保勝会編『三溪園100周年原三溪の描いた風景』神奈川新聞社、2006年
藤本實也、三溪園保勝会編、横浜市芸術文化振興財団編『原三溪翁伝』思文閣出版、2009年
大塚真弓編『対話のあとさき 記録集』横浜市民ギャラリー、2020年
2024年度 ACYアーティスト・フェローシップ助成 活動報告書
植松由佳編『ホーム・スイート・ホーム』国立国際美術館、2025年
秋月望『原四郎と朝鮮』一松書院、2025年
「アーティストとひらく 鎌田友介展:ある想像力、ふたつの土地」(横浜美術館、2026年5月17日)でのアーティストトーク(聞き手:飯岡陸)

 


 

アーティストとひらく 鎌田友介展:ある想像力、ふたつの土地
2026年4月25日-6月28日
横浜美術館 ギャラリー4
https://yokohama.art.museum/
https://yokohama.art.museum/exhibition/202604_openingdialogues/
企画:飯岡陸(横浜美術館学芸員)

(文 / 中村元哉)

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