ミニマル/コンセプチュアルを解きほぐすために


展示風景『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術』DIC川村記念美術館、千葉、2021-2022年、写真:表恒匡 画像提供:DIC川村記念美術館

 

ミニマル/コンセプチュアルを解きほぐすために
文 / 岡添瑠子

 

『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術』は、現代美術の源流ともいうべき戦後欧米の主要な美術動向のひとつを特集した展覧会である。これだけまとまった形で作品を見られる機会はそれだけで貴重だが、作品理解を補う豊富な解説にも助けられ、これまで日本であまり紹介されてこなかった作家も含め、改めてこの動向の輪郭を描き直すことができた。

本展の特徴は、ドイツ、デュッセルドルフのコンラート・フィッシャー画廊(以下「フィッシャー画廊」と記載)の活動を中心とした構成となっていることだ。[1] フィッシャー画廊は、ミニマル/コンセプチュアルをはじめとする欧米の前衛美術を紹介した画廊である。画廊主のコンラート・フィッシャー(Konrad Fischer)は1939年にデュッセルドルフに生まれ、当時ヨーゼフ・ボイスも教鞭をとっていた地元の芸術アカデミーに進むと、母親の旧姓であるリューク(Lueg)姓を名乗って画家として活動した。ゲルハルト・リヒターやジグマール・ポルケらとともに「資本主義リアリズム」展などを企画するが、フルクサスやイヴ・クラインを紹介したこともあるデュッセルドルフのシュメーラ画廊の画廊主、アルフレート・シュメーラの勧めにより、1967年、自身の創作よりも、画廊を立ち上げて同時代の美術を紹介していくことを選ぶ。画廊の場所は、当時開館したばかりのクンストハレにほど近い、ノイブリュック通りに面したトンネル型の通路だったところで、直方体の短辺にあたる入口とその反対側の出口にそれぞれガラスの扉を取り付け、幅3メートル、長さ11メートルからなる展示室を設えたのだった。その後フィッシャー画廊は何度か移転したが、決して広くない、むしろ小ぢんまりとしたこの展示室での5年間ないし10年間は活動が最も充実していた時期にあたり、今回の展覧会もその期間の活動を中心に取り上げている。

 


ギルバート&ジョージ、展示風景『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術』DIC川村記念美術館、千葉、2021-2022年、写真:表恒匡 画像提供:DIC川村記念美術館


ブルース・ナウマン、展示風景『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術』DIC川村記念美術館、千葉、2021-2022年、写真:表恒匡 画像提供:DIC川村記念美術館

 

フィッシャーは1996年に病気のため亡くなったが、アメリカのミニマル・アートから始まり、ヨーロッパのコンセプチュアル・アートを中心とする多くの重要な作家を、彼らがまだ無名だった60-70年代からいち早く紹介した立役者として、近年再び注目されてきた。[2] 開廊から最初の2年間に限っても、展覧会の順番に即して、カール・アンドレ、ハンネ・ダルボーフェン、シャルロッテ・ポゼネンスケ、ソル・ルウィット、ブリンキー・パレルモ、ライナー・ルッテンベック、リチャード・アートシュワーガー、ブルース・ナウマン、ヤン・ディベッツ、リチャード・ロング、ロバート・ライマン、ダン・フレイヴィン、ローレンス・ウェイナー、メル・ボックナー、ダニエル・ビュレンといった、現在では主要とみなされる作家が並ぶ。今回の展覧会は「工業材料と市販製品」「規則と連続性」「『絵画』の探究」「場への介入」「枠組みへの問いかけ」「歩くこと」「知覚」「芸術と日常」の9つのセクションで構成され、既存の美術のあり方に揺さぶりをかけた実践の数々を紹介している。けれども、ふたつのセクションで紹介されていたブルース・ナウマンに限らず、作家たちの活動は複数のセクションにまたがっていたものも多い。それだけ、「ミニマル/コンセプチュアル」は多様な広がりを持った動きであった。

実際、展示から受ける印象は、「ミニマル/コンセプチュアル」と聞いて連想される、感情や人間らしさを排除した難解な芸術、というイメージからは遠い。たとえばギルバート&ジョージのパフォーマンス「歌う彫刻」や、歩いたり座ったりといった動作を反復するブルース・ナウマンの映像作品には、作家の身体そのものが登場し、見る者の感覚に訴えかけてくるものの、どこか掴み所のないユーモラスな印象も受ける。ギルバート&ジョージがロンドンの公園などで紳士の服装を纏いポーズをとり、その写真をカードや冊子に印刷して美術関係者らに送った一連の「郵便彫刻」は、ミニマル一辺倒の当時の風潮に対して、感情を持った人間の“生”を彫刻として突きつけたものだ。それは、階級主義やエリート主義的な美術界に対するふたりの姿勢も示していた。

 


ハンネ・ダルボーフェン、展示風景『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術』兵庫県立美術館、兵庫、2022年 画像提供:兵庫県立美術館


スタンリー・ブラウン、展示風景『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術』兵庫県立美術館、兵庫、2022年 画像提供:兵庫県立美術館

 

ドイツ出身で、60年代には一時期ニューヨークで活動したハンネ・ダルボーフェンによる日付をモチーフとした一連のドローイングも、独自の数式に基づく数字と文字の反復や用紙を格子状に並べた配置が、一見無機質な印象をもたらす。しかし一方でそれは、日付という、公のシステムでも極私的なものでもあるモチーフを解体し、再構築していく行為にも見える。またその作品には、「u」に似た独特の手書き文字が繰り返し登場するが、物事が振動するさまを思わせるこの文字の連なりを目で追うとき、ダルボーフェンの書く/描く行為を追体験するような感覚にとらわれる。このようにダルボーフェンの作品には、公的な社会/世界の時間と「私」の時間との交差性を冷静に見つめる視線が通底しているように思われる。[3] その点では、1日という単位を基底としていた河原温と比較することもできるだろう。

そして、旧オランダ領スリナムに生まれ、オランダに移住してフルクサスにも参加していたスタンリー・ブラウンもまた、世界における「私」の関係性を問い続けた作家に位置付けることができる。初期の代表作《こちらですよ、ブラウンさん》(1964年)でブラウンは、街頭の道ゆく人に白い紙を渡して、その地点から別のある地点までの行き方を尋ねる。線や言葉で道順を描いてもらったのち、「THIS WAY BROUWN」というスタンプをブラウンが押して作品となる。この作品が当時斬新だったのは、一般の人を巻き込み、普段歩いている街を頭の中で思い描いて紙に投影するというプロセスを促したことだ。しかしより重要なのは、描かれなかったこと——白紙にスタンプだけが押された紙——もそのまま提示することで、作品を見る者もまた想像を促されることである。ブラウンに紙を渡された人はどのように説明したのか、あるいは答えずにそのまま去ってしまったのかもしれない。それはなぜなのか。これらの作品は、人々の都市や世界における個人的な移動の記憶に働きかける。

 


カール・アンドレ《鉛と亜鉛のスクエア》1969年 ほか、展示風景『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術』DIC川村記念美術館、千葉、2021-2022年、写真:表恒匡 画像提供:DIC川村記念美術館

 

また、今回の展覧会の特徴として、当時の手紙や記録写真、展示プランなどの豊富な資料類が挙げられる。現在、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館のドロテ&コンラート・フィッシャー・アーカイヴ(The Dorothee and Konrad Fischer Archive)が所蔵する資料だ。これらは作家たちとの生き生きしたやりとりを伝えるだけでなく、作品を理解するための手がかりとしても十分な役割を担っている。さらに、フィッシャー画廊の条件に合わせたサイトスペシフィックな展示やインスタレーション型の展示の多くは現存せず、その場合は記録写真や展示プランが唯一の資料となる。展示を実際に見ていない者は、断片的な資料を頭の中で繋ぎ合わせていくことで、少しずつ作品に近づくことができる。

たとえばミニマル・アートの代表的作家とみなされるカール・アンドレの、フィッシャー画廊での初個展(1967年)の際の記録写真と、そのときに展示されたドローイングを見てみよう。この展覧会はアンドレのヨーロッパでの初個展であり、フィッシャー画廊の記念すべき第一回目の展覧会でもあったが、訪れた人々を驚かせたのは、展示室の床一面に並べられた鉄板であった。 この作品《アルトシュタットの長方形》 は、50センチメートル四方の正方形の鉄板100枚を5×20の配列で並べたもので、人々は作品の上を歩くことができた。記録写真で見ると、細長い展示室の床のほぼ全体を覆った見た目は床そのもの、あるいは人が上を歩くと「道」のようにも見える。当時の資料から、アンドレは現地に来てから、L字型の鉄板を使う当初のプランを変更し、平板な正方形の鉄板のみを用いたことがわかっている。最終的に展示空間を活かした作品となったことは興味深い。ドローイングには、正方形の鉄板100枚で構成される作品の平面図が5つ描かれており、それぞれ1×100、2×50、4×25、5×20、10×10のバリエーションとなっている。ここには、彫刻を固定したものではなく「組み合わせ」によって構成するという考え方が簡潔に示されている。

また今回の展覧会には、1969年の個展に出展された《鉛と亜鉛のスクエア》と、個展の案内状(案内葉書)が展示されている。《鉛と亜鉛のスクエア》は、20センチメートル四方の正方形に切った鉛と亜鉛の板を合わせて100枚、10×10の配列で互い違いに並べた作品だ。1967年の《アルトシュタットの長方形》と比べると、異なる素材同士を組み合わせるという展開がみられる。案内状には周期表が印刷してあり、この周期表は元素を原子番号順に、似た性質のものが縦に並ぶように配列したものだという。作品と案内状を併せて見ることで、彫刻を元素という単位で捉えようとしたアンドレのアイディアが見えてくるのである。

 


リチャード・ロング、展示風景『ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術』兵庫県立美術館、兵庫、2022年 画像提供:兵庫県立美術館

 

『ミニマル/コンセプチュアル』展では、わずかながら当時の展示の再現も試みられている。そのひとつ、リチャード・ロングの1968年の個展は、山や野での「歩行」を作品とするアースワークの代表作家として知られるロングの画廊での初個展だ。展示は、地元イギリス、ブリストルのエイヴォン川流域を歩き、そこで集めた柳の木の枝を、床に10cmの間隔をあけながら複数の直線をなすように並べた、インスタレーションの先駆けといえるものだった。この作品は枝の線が完全な並行ではなく、展示室の奥に向かってわずかに収束していくように置かれるのだが、今回、仮設壁によって再現された展示空間の隣に平面図の展示プランも展示されており、これを見ると、角度や長さを細かく割り出し、緻密な計算に基づいていることに驚かされる。当時の記録写真と比べると、実際の再現展示はより繊細な印象で、枝同士の間隔の狭さに、展示作業の大変さも想像してしまうほどだった。このように、再現展示は感覚的に作品を掴むために効果的なものだった。

ただ、当然ながら、再現展示は当時の展示の全てを再現することと同じではない。特にインスタレーションや彫刻といった立体的な作品は、展示室や光といった条件によって多かれ少なかれ印象が変わってしまう。また、ソル・ルウィットやブリンキー・パレルモのウォールドローイングは展示期間限りで消えてしまうものだったが、それゆえ展示を見た人の記憶——展示室の構造といった空間的・身体的な感覚、そしてその都度の社会状況や時代の文脈も含めて——の中にこそ残るものといえよう。だからこそ展示プランや指示書といった「作品未満」に分類されるようなモノから何を読み取るかも、見る者、それらを保存する者に委ねられている。資料から作品が見え、作品が資料の新たな読み方を示唆する、「ミニマル/コンセプチュアル」展ではそうした往還が確かに起きていた。

 

 


 

*1 フィッシャー自身は「ギャラリー」ではなく「コンラート・フィッシャーにおける展覧会」を意味する「Ausstellung bei Konrad Fischer」を用いたが、本稿では便宜上「フィッシャー画廊」と呼ぶ。

*2 これまでにバルセロナ市現代美術館(2010年)、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館(2017年)でフィッシャー画廊に関する展覧会が開かれた。現在、デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館にはドロテ&コンラート・フィッシャー・アーカイヴが設置されている。60年代のヨーロッパでは、ワイド・ホワイト・スペース(アントワープ)やアート&プロジェクト(アムステルダム)、ハイナー・フリードリヒ(ミュンヘン)、リッスン(ロンドン)といった新しい画廊が登場し、フィッシャーはそうした画廊や美術館とのネットワークを形成した。また、1968年にケルンで最初のアートフェアが開かれると、ドイツの画廊に限定する独占的なアートフェアを批判し、前衛美術の国際的な動向を伝える展覧会「プロスペクト」(Prospect、1968-76年)を企画。「態度が形になるとき」(1969年)やドクメンタⅤ(1972年)に関わるなど、その活動は従来の商業画廊の範囲を大きく超えるものであった。

*3 現在慶應義塾大学アート・センターで開催中のハンネ・ダルボーフェン展(「スタンディングポイントⅢ」[2022年5月9日-6月24日])では、80年代にかけてさらに深化していくダルボーフェンの作品の変遷を垣間見ることができる。

 


 

ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960–70年代美術
2021年10月9日(土)– 2022年1月10日(月・祝)
DIC川村記念美術館
https://kawamura-museum.dic.co.jp/
担当学芸員:岡本想太郎(DIC川村記念美術館 学芸員)

2022年1月22日(土)- 3月13日(日)
愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
担当学芸員:黒田和士(愛知県美術館学芸員)中野悠(愛知県美術館学芸員)

2022年3月26日(土)– 5月29日(日)
兵庫県立美術館
https://www.artm.pref.hyogo.jp/
担当学芸員:河田亜也子(兵庫県立美術館学芸員)

 


 

岡添瑠子|Ryuko Okazoe
早稲⽥⼤学⽂学研究科博⼠後期課程。近現代美術史。主な論文に「展示の生まれる場所―コンラート・フィッシャーのキュレーション」(『早稲田表象・メディア研究』第7号、2017年)、「ブリンキー・パレルモの『布絵画』に関する考察」(『秋⽥公⽴美術⼤学研究紀要』第5号、2018 年)、「現代美術画廊『かんらん舎』における展示空間(1980-1993年)」(『早稲田表象・メディア研究』第11号、2021年)ほか。現在早稲田大学文化構想学部助手。

Copyrighted Image