川俣正 インタビュー

解体する作品、構築する経験
インタビュー/アンドリュー・マークル


Working Progress (1996-99), work in situ, Alkmaar, The Netherlands, wood. Photo Leo van der Kleij. All images: © Tadashi Kawamata, courtesy the artist and kamel mennour, Paris.

ART iT 川俣さんは、現在ヨーロッパに在住していますが、そのことによりかえって日本のことについて考える機会があるのではないでしょうか。ヨーロッパには、アートと社会の関係やアートの政治性について考えることができる土壌があると思いますが、東日本大震災以来、日本でもアートがそうしたものに対していかに関わることができるのかについて、皆が考えているという現状があります。そのようなことを踏まえた上で、川俣さんに町おこしについて聞いてみたいと考えています。

川俣正(以下、TK) 3.11の震災に限らず、9.11の時もそうでしたし、実際に今も3つか4つのところからチャリティを頼まれて、作品を出しています。しかし、僕個人は震災などに直接的にリアクションするということはあまりやりたくないと考えるタイプですね。もちろん、チャリティをやる人はそれでいいと思うし、やったほうがいいとも思います。けれど、僕個人としては、今回に限らず、町や地域や人といろいろな形で関わるのがメインの仕事だから、震災だからといってなにかをやるのは変だなと思っています。もちろん頼まれればやりますけど、震災のためだということをあまり意識化しない方がいいと思っていますね。なぜかというと、このようなことが起こった時、ほとんどの人がチャリティを含む直接的な方向に向かいますよね。災害があった時だけの救援とか援助とか、コミュニケーションとか。それが終わったらまったく違うことをやっている。そうしたリアクションは、僕の中では直接的すぎて、あまり身に付かない感じがしています。普段からそういうことをやっている人だったらいいけれども……。もちろん、感化されて、被災地を見て、なにかやらなければと思って、リアクションをとることはわからないこともない。僕が嫌なのは、みんながそういうことをやることで、やらない人に対するプレッシャーがかかってくるという状況。今の日本の風潮はそうですよね。そうしたことの方が怖いと思っています。逆に、今はみんながやっているから、自分はやらないでいて、みんながやらなくなったときに自分がやればいいのではないかと思っています。みんなが動くときにいっしょになって動くのは、僕にはあまり合わないんです。もちろん、なにかを聞かれれば発言はするし、チャリティも頼まれれば参加するんだけれど、主体となって参加するというよりは、関わりとしてやることはやる。現在、独自にいろいろと考えていることもあるから、自分はそれをやっていけばいいと思っています。

ART iT 町おこしという概念についてはどう考えていますか。

TK 町おこしという言葉は嫌いですね。そういうつもりでやっている気はまったくありませんし、そんなに簡単に町おこしが出来るわけがない。町おこしのための町おこしが、結果としてまったく町おこしになっていないという例をいくつも見ています。結局は、人がどうやって繋がっていくのかということでしかないのに、経済などの観点からいろいろなイベントを組んでも、一過性のアイディアでは将来に繋がらないです。もう少し長いスパンで付き合っていかなければ、イベントで人を呼んで町が起こるというのはありえないと身にしみて感じています。例えば、いろんな地域で町おこしをやっていた時期がありました。けれども、もう完璧にイベント主義で、人が来て注目されれば、町が変わっていくと言われていたにもかかわらず、それは一過性のことでした。もっと根本的なところから町や人に関わっていかないと変わらないと思いますし、経済的なものだけではなく、教育であったり、実際に住民とどのあたりまで繋がるかであったり、もっと地味な繋がり、コミュニティと接していかないとなかなか結果は出ないと思います。現在の町おこしは結果主義なんですよね、結局、結果でしか判断しない。そういうことが一番の原因だと思いますし、そのあたりに関しては否定的なところがありますね。


Working Progress (1996-99), work in situ, Alkmaar, The Netherlands, wood. Photo Leo van der Kleij.

ART iT それでは、基本的には今までやってきた仕事を町おこしとして捉えてはいないということでしょうか。

TK ええ。町おこしとしてやったことは一度もないです。町おこしではなくて、僕自身のやりたいことに、町の人が関わってくれればよくて、彼らを率先して呼び込むという発想はありませんでしたし、それだけはやめようと思っていました。ひとりでも関わってくれる人がいて、その人との付き合いが長くなり、いろいろ見てくれようになる。そこから、やっと人との繋がりができて、その場所でやる意味が出てくる。町がおきるかおきないかはわからないけれども、少なくともそこに住んでいる人の何人かのある意識がちょっとだけでも変わったら、それはそれでいいなと思っています。大きな変革みたいなことではなくて、もうちょっとオープンマインドになるとかね。すごくミクロな意味での町おこしというか、人おこしというか。こういうことを言うことすら、おこがましいかもしれないけれども。関わってくれる人が楽しんでくれて、またなにかやるときに来てくれるのであれば、もうそれだけで充分だと思っています。そうやって同じところに何度も行って、何年も続けていたこともあります。だから、僕は一回で終わるイベントではなくて、いろんなことをケースバイケースでやってきて、引き続き今もやっている。大見得を切って町おこしをするといった発想はまったくないですね。

ART iT 代表的な作品のひとつであるオランダのアルクマーのクリニックで行われた「ワーキング・プログレス」(1996-99)の場合は、町おこしとはどのようなところが違っていますか。

TK あれは町おこしというよりも、今までアートとまったく関わったことのない、アートが大きな力を持っていないところで、アートというものを試してみたかったんですね。どういうことかというと、アルコールやドラッグなど、さまざまな依存症の人たちがいるクリニックがありまして、そこのアート好きのディレクターが、新しく建てる建物に対する予算の1%を持って、僕に彫刻作品を頼んできたんです。中庭に彫刻を作ってくれと依頼されたんだけど、そんなものを作るより、患者さんといっしょになにかをした方が絶対に面白いからと始めたプロジェクトです。最初は、アーティストが患者さんに悪影響を及ぼすのではないか、病気に対してアートがどのように関われるのかまったくわからないといった強い反発がクリニックからありました。しかし、毎年そこに行って、みんなでいっしょに作業して、外でなにかを作っていくということで、患者さんの気持ちがずいぶん良い方向に変わってきた。そして、そうしたアートのプロジェクトがあるということで評判になり、いろんな人が取材に訪れました。最初は患者さんから、患者、しかもあまりいい意味での患者ではなく、ある意味では社会的にマイナスなイメージが出るということで、顔写真は撮らないでくれと言われて、みんなは後ろを向いて、僕だけ前を向いているといった作業風景の写真が新聞に出ていました。しかし、三年後には、みんないっしょに正面を向いている写真が撮影されるようになりました。つまり、三年間ずっといっしょにやってきた中で、自分は患者ではあるが、このプロジェクトに関わってきたということに対する誇りを持ってくれたんですね。この変化はかなり大きいです。この変化はアートとの関わり方によるものだろうと思います。
これは本当に小さなクリニックで始まったことですが、アートによる治療という部分と繋がっていて、それ以来、病院やいろんなところから、メディカルケアやコミュニティケアとアートの関わりについて、話をして欲しいという依頼がずいぶんとありました。もちろんアートセラピーは昔からあるけれど、もっと具体的に体を動かして、いっしょになにかをやるというアプローチがアルクマーで行われ、それを見ることで、こういうアプローチもあるということが少しずつ理解されてきたということが大きかったです。その後、日本に戻ってきてからも、いろんな病院からの依頼があり、ワークショップなどをやっています。今でもたまに、統合失調症の人たちの病院でワークショップをやっています。そういう意味でいえば、アルクマー以降、僕の中ではアートと医療の関係も近いものになってきたんですね。それは町おこしとか地域おこしではなく、医療の中にアートという新しいアプローチを加えてみたという、僕としては面白いプロジェクトだったと思います。町自体は相変わらず変わらないけれど、そのクリニックに人が作品を観に行ったり、話を聞いたりしているということをよく聞きます。そういう意味で、これはひとつの新しい試みだと思っています。
日本では地域おこしとか町おこしがひとつの方法論として出来てしまった結果として、すごく窮屈な感じがしています。例えば、日本で行なわれている地域での大規模なアートプロジェクトでは、コミュニティケアとか地域おこしというものが必ず付随してきて、ひとりで勝手に彫刻を作ることが許されないようなところがある。逆に言えば、そうした付随してくるものが目的となり、アートがひとつの道具として使われている。依頼が明確になることで、アーティストがその目的のために使われている。地域住民なんて関係ないというアーティストがもっと出てきてもいいはずだし、いろいろなアプローチがあっても良い。それが本来のアートの形だったのではないでしょうか。現状ではそれが逆転しているような感じがします。


Top: Destroyed Church (1987), work in situ, Documenta 8, Kassel, Germany, wood. Photo Leo van der Kleij. Bottom: Project on Roosevelt Island (1992), installation in situ, Smallpox Hospital, Roosevelt Island, New York, USA. Photo Hisayasu Kashiwagi.

ART iT そうしたものとは異なる試みとして、ニューヨークの病院跡で行った「プロジェクト・オン・ルーズヴェルト・アイランド」(1992)やドクメンタ8の「デストロイド・チャーチ」(1987)といった廃墟を使った作品もありますよね。

TK あの頃は地域に対して考古学的な見方をすることに興味があって、場所の持つ歴史的な背景を再発見するというか、アートプロジェクトの中でその場所の以前の様子を積極的に使うことで、その場所を違ったものにしようとしました。「デストロイド・チャーチ」の場合も、プロジェクト以前は手つかずの場所で誰にも知られていませんでしたが、なにか不思議な場所だったので、非常に興味が湧いてきました。その場所について調べたり、いろんな人に聞いていくうちに、昔は教会だったが、戦争中に壊されてそのままになっていたことがわかりました。ルーズヴェルトのプロジェクトも同じです。ルーズベルト島は、調べていくと、百年前にハンセン病患者の隔離病棟があったり、その島自体が歴史的意味を持っていたりします。そういうことを調べて、アートのプロジェクトをやることで、まったく知らなかったことを知ることができましたし、それに対して、周りの人たちもその場所に対しての見方が変わってくるという反応が面白かったですね。忘れ去られていたり、あえてみんなが触れていない場所を、アートということで利用することが出来る。そこでは研究者や学者とはぜんぜん違うアプローチの仕方が出来ると思いますね。そういう意味では、アートにはいくらでも可能性があると思います。

ART iT ルーズヴェルトやドクメンタのようなプロジェクトでも、アルクマーのときと同じく、ボランティアの協力を得ながら制作したそうですが、両者には違いはありましたか。

TK 違いましたね。ドクメンタ8のときは廃材を集めて、それで組み立てました。でも、普通は廃材なんてあまりないんですよ。そのとき手伝ってくれた5人のアシスタントは、全員ドイツ人ではないんです。ようするに移民としてドイツに入ってきた人たちなんですね。彼らと仕事をすることによって、違うコミュニティとの繋がりが出来ました。カッセルのトルコ人街に行けば、トルコ人のアシスタントを介して、すぐに材料がもらえたり、単なる人手としてのアシスタントではなくて、そういうコミュニティとのある種の通訳的な、仲介者的なアシスタントとして動いてくれました。ドクメンタ9の『ピープルズ・ガーデン』(1992)で小さな小屋をたくさん作ったときは、ドイツ人の女性と結婚してカッセルに住んでいたブラジルのファベーラ(スラム街)出身のアシスタントが手伝ってくれました。その彼が、実際にファベーラでの小屋の作り方を教えてくれたり、制作する中で密に関わってくれました。地域と人とその場所の繋がりの中で作品が出来るとすれば、そういう密な関係、コミュニケーションがとれたところの方がすごく面白い仕事ができますね。今でもそうしたことが面白いと思っています。


People’s Garden (1992), work in situ, Documenta 9, Kassel, Germany, wood and steel. Photo Leo van der Kleij.

ART iT 医療的なことと関係していたアルクマーに比べ、結果的に出来上がった作品にアシスタントを介したコミュニティとの関係性は見えませんよね。

TK アルクマーの場合も、外見は普通に板が張ってある遊歩道なので、知らない人はそのまま歩いているだけで、この遊歩道をドラッグやアルコール依存症の人たちが作ったことはわかりません。しかし、100人に1人だけでもどうやらなにか関係がありそうだと感づいてくれる人がいれば、それでもう十分だと思っています。やっぱり勘のいい人もいるし、そうでなくても、一般の人の中にはいろんな情報を持っている人がいます。そういう人たちがいるから僕たちの仕事が成り立っているのだと思いますが、僕のプロセスや方法論を全員にわかってほしいと思っているわけではありません。積極的に作品を知ってもらいたいという発想も、たくさんの人に来てもらいたいという発想もないし、少なくとも関わった人たちが満足してくれて、彼らが草の根的に作品を紹介してくれるのであれば、それで十分じゃないかという気がします。野心的な気持ちでやっているわけではなくて、ひとつのプロジェクトをやり、その反応で次のプロジェクトをやる。そうした中で、途切れずに仕事も来ているし、依頼される仕事はそれぞれいろんな面白いアプローチを求められるから、こちらもいろいろと試されますよね。そういう意味で、今はやりたいことをやって生活できているし、認めてくれる人もいるといった感じです。

ART iT 川俣さんの作品に対する時間性についてもお聞きしたいと思いますが、それぞれのプロジェクトはどのように時間と関係していると思いますか。

TK 僕の中では、これまでずっと何十年もひとつの仕事、ひとつのプロジェクトを続けているような気がします。場所、関わってくる人、関わり方、規模、材料、世代とどれも違うけれども、やっていることはほとんど同じで、ずっとひとつのことを継続しているような感じです。今回はスイス、次はベルギー、その次はまた違う性格を持った町に行って、異なるコミュニティとプロジェクトを行なうのだけれども、その方法論はほとんど変わっていません。そういう意味ではずっとインプログレスしている。いつまで続くのか、いつまで変わらないのかはわからないけれど、そういうふうにやってきたという感じはしています。

ART iT それでは、プロジェクトの結果としての構築物が残ったとしても、それを壊したとしても変わらないのでしょうか。

TK 変わりませんね。残っているものもあれば、壊れているものもあるし、失くしてしまうものも、意識的に壊すものもある。それでも、また作ることができるし、実際に作ってもいます。だから、ひとつのことを形や時間や場所を変えて、永遠にやり続けている感じですね。それはどんどん増えていくわけではなく、量はあまり変わらない。ひとつの作品をずっと続けている感じがしますね。


Promontoire sur la Loire (2011), work in situ, Chaumont-sur-Loire, wood.

ART iT そういった考え方が作品に対してある種の政治的な可能性を与えることがあると思いますか。

TK 先日、震災のことについて、日本は復活するのかなどと質問されました。震災は自然現象だし、昔から何度もありました。日本の歴史というのは常にテンポラリーなんですよ。その場その場で出来上がり、終わってはまた出来上がる。だから、ヨーロッパの歴史のようにギリシャやローマ時代から綿々と続く一直線の蓄積の中で街や国が出来ているわけではなくて、その都度滅びて、その都度出来上がっている。そうしたことによって、すごくテンポラリーな文化観を持っている気がしていますし、それは僕が今やっていることとあまり変わらないのではないかと感じています。作品が美術館に残り、保管されて、ひとつのマスターピースになっていくという発想を持つアーティストがいると思いますが、僕の中にはそういったものが全然ありません。僕の中ではひとつのアクティビティというか、活動の記憶だけがあれば、作品がなくてもいいのではないかと思っているところがあります。そういう発想はヨーロッパとは全く違うのではないかと思うし、日本はテンポラリーでしかなく、積み重なっていかない。だけど、積み重なっていかないからこそ継続できるという感じがあるのでしょう。僕にはパーフェクトな作品を作るという発想はなくて、とにかく、作品を作っていくというひとつのアクションだけはずっと続けていけばいいのかなと思っています。

ART iT それでは、最も保存するべき価値を持っているのは何なのでしょうか。

TK 物ではないと思いますね。物ではなくて、繋がりや記憶、いろいろな経験といったことに尽きるのではないでしょうか。放射能のように何十年も、ウランのように1億年以上残るものもあるかもしれないけれど、それにしたって限界はありますよね。物はいずれなくなると思うけど、やっぱり物ではなくて、繋がりとかそういったものの方が信じられると思います。僕の中で一番興味があることは、いっしょに仕事をして、作業をして、気持ちが繋がるということですし、出来上がった作品はその付属物としてあるということでいいのではないかと思います。結果として出来上がった物があるというだけで、それを作るために作業をしたというよりも、コミュニケーションとか繋がりを作りたいが為にアートを利用して、作品を作っていくとようなところがあるかもしれないですね。だから、作品が解体されても別に何も悲しくないですし、また作ればいいと思っています。自分がどんどん転がっていくということに興味があります。

川俣正 インタビュー
解体する作品、構築する経験

第14号 構築

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