展示の再設定のための、遅れたステートメント

展示の再設定のための、遅れたステートメント

 

「表現の不自由展・その後」閉鎖をめぐる問題は、当初「リスク管理」をめぐる組織運営の問題であった。しかし、いま現在の状況は、大村秀章愛知県知事と津田大介芸術監督による、「安全性」の名の元に行われる自己検閲へと徐々に問題がスライドしてきていると、ぼくは思う。第三者委員会を設けることによって迅速な「表現の不自由展・その後」再開への道が開かれるというのは方便であって、むしろそれによって遅延が行われている。事務局はさまざまな煩雑な問題の処理によって日々の運営を忙殺されていると聞く。そもそも事務局内での各部署の連携はどの程度できているのか、ぼくには分からない。全ての事柄を把握することは難しいし、細部は入り組んでいる。
しかしはっきりしていることがある。それは、組織作りの不備と対処方法への準備不足であった問題が、「テロ予告や脅迫との戦い」という大きなフレームによって焦点がぼかされ、それによって覆い隠されたのは、政治家たちによる歴史の否定であり、検閲を匂わせる発言であり、人びとの差別感情を煽る言葉たちである。それらはこれからの「表現の自由」をも奪うきっかけとなるだろう。

ぼくは、このような現状を追認するためにいままで活動を続けてきたわけではない。これは私たちの問題であり、ここで行われるさまざまな選択と行動は、未来の誰かにも深い影響を与えることになる。

この状況に抗議し、自分たちの問題として考えるためには、展示自体のフレームを再設定することが必要であるとぼくは思う。ぼくが行うのは「一時停止」ではなく、「展示」をパフォーマティブにすることである。今回のぼくのプロジェクトは、フィクショナルな単一民族としての「日本人」像を解体し、出演者たちが曝されてきた差別について、観客が耳を傾ける行為を促すものであった。そこで、もともとは展示の拡張として構想されていたあいちトリエンナーレの中でのパフォーミング・アーツ枠による二日だけのエクステンション・イベントを、毎週末の集会としてより拡張し、展示空間で行う。映像を通して出演者たちの声を聞き、そこで語られたこと/語れなかったことを考え、彼ら/彼女たちの言葉をガイドにして、観客同士がお互いに話せる場所にする。展示としての機能(開館時間内にランダムに行き来ができる鑑賞形式)は制限される。しかし限定された時間の中で「展示」を「集会化」する。これが、現在のあいちトリエンナーレが置かれている状況への、ぼくの暫定的な応答である。

田中功起
2019年8月21日

Copyrighted Image