2011年 記憶に残るもの ART iT

ART iTでは2010年につづき今年も「記憶に残るもの」を特集する。
後世から見ても激動の年と言われるであろう、2011年。日本から発信しているウェブマガジンとして、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故はあらゆる意味で衝撃的な出来事であった。当事者と他者、社会と芸術、スペクタクル、いろいろな主題が心中を去来した一年であった。
従って、今年の「記憶に残るもの」は東日本大震災を中心とし、社会の出来事に大きく関わったものとなった。社会のことを考えていると言えば聞こえはよいが、不幸にも純粋に芸術を楽しむ余裕がなかったとも言えるのかもしれない。

1月に広島市現代美術館で行われたサイモン・スターリングの『仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)』は、その主題において、予言的ですらあった。ヘンリー・ムーアとその作品「アトム・ピース」(別名「ニュークリア・エナジー」)との関係に着想を得た新作は、冷戦時代の原子力を巡る動きを「仮面劇」に仕立てる。平和と原子力推進の二重の意味合いを持つその「アトム・ピース」と、同作品にまつわる人々が、同じように隠れた仮面を持ち、能の演目『烏帽子折』の登場人物となる。彼らが出演する映像作品に繰り広げられるのはしかし、リアリズム仮面劇ではなく、事実を検証する資料と、登場人物の仮面およびそれらを作り出す職人の姿。複雑に人間関係が絡みあいつつ、アメリカ、イギリス、日本そしてソ連を自由に行き来し、ナレーションによって登場人物の仮面の真相が明かされる、見る者を飽きさせない物語であった。彫刻作品である仮面、それが映し出される鏡、そしてさらに鏡の裏にあるスクリーンに映し出される映像作品で構成され、暗い空間に仮面が浮き上がるように展示されたインスタレーションは、仮面と、鏡に写る仮面、映像に写る仮面とどれもが虚のようでもあり、しかし仮面という物体の存在感が認められる不思議な空間を作り出していた。
原子力を巡る作品が平和のシンボルと原子力推進の証の二重性を持っていたという事実。今から振り返るとあまりにも暗示的で恐ろしくすらあるが、この時点ではもちろん福島第一原子力発電所の事故が生み出す災難を誰が予想できただろうか。
この展覧会は今年日本で行なわれた展覧会の中で圧倒的に質の高い展覧会であった。これを実現した広島市現代美術館および担当キュレーターの学芸課長の神谷幸江に敬意を表したい。

3月11日の東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故について語るとき、復興への道筋が未だたたないことや無策とも言える放射能への対応に唖然としながら、寄付以外の具体的行動が伴わない自らを恥じざるを得ない。そもそも災害直後から社会を覆った、芸術に関わる多くの人が自問した「芸術に何ができるだろうか」という我々の問いは、津波直後より写真を洗う作業を始め、現在も続けているアーティスト志賀理江子の前には何の意味も持たない。アヴィーク・センによるテキストは、今年10月、宮城に志賀を訪ねたセンが、志賀に連れられて彼女が居を構えていた北釜を中心に巡り、彼女と交わした会話を基にしている。彼女自身が地震や津波について語るすべてが、事実の証言でありながら、写真の本質をつく議論に還元されていく。身近な人を多く亡くしながら、村に生き、写真を作り続ける彼女の言葉は、未だ続く日常の困難のすべてを受け止め、その生活の折々で浮かび上がる写真とは何かという、答えようがない問いに即時的かつ継続的に身体で反応し、考え続けるところから紡ぎ出されている。

4月3日には艾未未が北京国際空港で拘束された。国際的にも大きなニュースとなったこの事件の核心は連載「艾未未のことば」の序文を参照してほしい。美術界でも、テート・モダンが最上階の外壁に『Free Ai Weiwei』の文字をかかげ、6月のヴェネツィア・ビエンナーレでは同じ文言を印刷したエコバックが流通するなど、自由を抑制する国家権力に対して美術関係者全体で反対の意思を明確にする立場をとったことは、芸術と政治の関係において注目に値するだろう。それは必ずしも良いことばかりを意味しないと一抹の不安がよぎる。

ART iT編集部が選ぶ「記憶に残るもの」は、下記で個別に紹介するものの他、国内では、『畠山直哉Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ』(東京都写真美術館)[フォトレポートインタビュー]、『菊畑茂久馬回顧展 戦後/絵画』(福岡市美術館と長崎県美術館の共同開催)。
展覧会ではないが、ジェローム・ベルの『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(彩の国さいたま芸術劇場)。ベルのパフォーマンスは、アヴァンギャルドとは何か、作家性とは何かという問いを突きつけるもので、コンテンポラリーダンスというより、現代美術の文脈で理解しやすいものであった。
また、昨年「記憶に残るもの」でインタビューを掲載したクリスチャン・マークレーの『The Clock』が横浜トリエンナーレで多くの日本在住の観客を得たことも喜ばしい出来事として記しておく。


「グリ(壁)」(2009), アルミニウム, 銅線. 神奈川県立近代美術館 2011年, Photo: ART iT.
『彫刻家 エル・アナツイのアフリカ』
2011年2月5日–3月27日 神奈川県立近代美術館 葉山 ほか

ガーナ出身の彫刻家、エル・アナツイの回顧展。神奈川県立近代美術館葉山館の美しいホワイトキューブ空間を生かし、彼の彫刻家としてのキャリアを十二分に見せる構成であった。作品数も適当であり、最も有名なメタルワークに至るまでの軌跡が、時系列で丁寧に展示されていた。初期の木造彫刻から、ところどころアルミが木に貼られるなど、アルミの廃品再利用を始めた作品、そしてアルミニウムと銅線の織物に至る過程がわかりやすかった。「くずかご」(2004–10)は一見すると新聞紙でできているようだが、新聞の印刷原版を再利用して作った作品であり、廃品再利用という観点と素材に皺加工という手を加えることでその素材感をまったく別のものへと転換することが特徴的であり、またその作品展示方法が彫刻よりインスタレーションに近いものとなっている点で、興味深い作品であった。タペストリー作品が多数掲げられた大きな展示室を抜け、さらに奥の展示室で見せた「グリ(壁)」(2009)は圧巻。外光が側面から入る展示室の特徴を利用し、各織物の透過性を最大限に活かしている。アルミという金属にしては柔らかい素材は、まるで布のような柔らかなドレープラインを見せて、光を反射し、吸収し、透過していた。
アナツイ作品は、これまでグループ展(主に国際展)で見ることが多く、その独特なタペストリー作品に強い印象は持っていたものの、作品をまとめて見るのは今回が初めてであった。特にタペストリー作品は、ディテールを見ること、そして遠くから全体を見るという二つの見方によって、質感の見え方が変わる。多種多様なタペストリーを見比べるうちに、そうした様々な見方を観客に許容する開かれた作品であること、そしてそうした観客を巻き込むような鑑賞法を提示し、新しい彫刻の可能性を探究する作品であることが見えてくる。
一方、アナツイの展覧会は難しい問題もはらんだ。国立民族学博物館との共催であるが故に、単なる作品展ではなく、彼が生まれたガーナ、および現在教鞭をとるナイジェリアの文化が最後に背景として紹介されていた。アナツイの作品がアフリカ文化に基づいたものであること、また彼が過ごした青年時代がアフリカ政治において、脱植民地化というかたちで独立を果たした国が多い激動の時代だったことを丁寧に見せていたが、その一方でそれらが必要だったかどうかの問いは残る。特に気になったのは展覧会のための調査時に撮影されたと思われる資料映像であった。日本のアーティスト紹介において、そのアーティストの出身地の現在の映像が流れるかどうか。立場を逆にして考えてみると納得しかねる気持ちが残った。
しかし、その点についてはカタログにある川口幸也(国立民族学博物館)のテキストによってそうした逡巡と、文化をやはり紹介するべきだという結論にいたった理由が率直に述べられている。この点を展覧会でも可視化でき、新たな議論を提起できたらこの問題をより広く共有できたように思う。

関連記事:フォトレポート

タリン・サイモン『A Living Man Declared Dead and Other Chapters』
2011年5月25日–2012年1月2日 テート・モダン、ロンドン

アメリカ人アーティスト、タリン・サイモンはアメリカの知られざる場所を撮影したシリーズ「An American Index of the Hidden and Unfamiliar」(2007)、冤罪で服役した人のポートレート集「The Innocents」(2003)など、綿密なリサーチのもと、ドキュメンタリー写真とキャプションやテキストなどを加えることで、その写真の背景にある、しばしば政治的および社会的問題を孕む物語を明らかにする手法で知られている。本作はその彼女の、4年越しで実現させた新たなプロジェクトである。世界中を旅し、訪れた国の18の「家族」を扱う。ある人物とその家族および子孫のポートレート写真、ポートレートのキャプションにあたる家族個人の名前、生年月日、職業などの情報とその家族にまつわる物語などの文字情報、そしてその物語に関連するオブジェや場所、書類、関連人物などを撮影した写真の3つのパートで構成され、それぞれがパートごとに額装され、ひとつのチャプターとなっている。そのチャプターを写真とテキストを照らし合わせながら読み解いて行く展覧会。
ひとつのチャプターはきわめてシステマティックに構成される。最も大きなボリュームを占めるポートレート写真は、いずれも背景が白であり、証明写真のようにニュートラルなものである。国籍、年齢、性別といった属性によって変化することのない形式で、文脈が付随されることなく撮影され、まず血族の中でもっとも上の人、その子孫、と決まった順番で並べられる。
展覧会のタイトルにもなっているチャプター1はインドのウタ・プラデッシュで撮影されたもので、役所の書類では4人が死んだことになっている家族についての物語である。ドイツ人家族のチャプターでは元ナチスの将校の子孫を撮影しているが、その多くが撮影されること、そして名前を出されることを拒否しているため、番号も、ポートレートの枠も設けられていながら空欄であったり、洋服だけが撮影されている。レバノンのチャプターでは、輪廻転生を信じているドルーズ派の家族のポートレートを撮影しており、同じ人物のポートレートが繰り返される。またブラジルのチャプターではふたつの家族の抗争の物語を取り上げており、それぞれの家族のポートレート、抗争を続ける双方の家族の言い分、刑務所に入っている家族の写真などがある。血を血で洗う抗争は警察権力の不在でもあり、「正義」が必要だと彼らは訴える。
韓国では北朝鮮によるものと思われる拉致家族のポートレート(ここのオブジェ写真には横田めぐみについての漫画などが含まれていた)、スペインではフランコ政権下で迫害された同性愛者、フセインの息子の影武者などとその家族と、どれをとっても物語として興味深く、またそれに関わる家族の存在/不存在、その理由など次から次に想起される物語や問題点に唸らされた。
一方、中国の家族を写したチャプターは、家族ではなく、中国政府に焦点が当てられていた。公式に中国国務院弁公庁に撮影を依頼した彼女は、理由もなくある家族が提案されたことに違和感を抱く。したがって、そこで語られる物語は他のチャプターとは違い、メディアに出す情報をコントロールする中国国務院弁公庁への不信感を表すもので、テキストおよび関連写真はそちらに焦点を当てている。
18のチャプターを通して、世界各地の領土問題、権力闘争、歴史、宗教、文化、科学などのあらゆる問題が浮き彫りになる。詳細に写真を収録した867ページにも及ぶ大型の書籍が発行されており、物語を十分に理解するためには、書籍で読む方が適しているかもしれない。しかし一方で、展覧会という場所で一覧を可能にすることで、各チャプターが抱える問題が実は人間社会が持つ普遍的な問題であり、各場所独自の問題でありながらも、そうした歪みが世界中のあらゆるところで形を変えて出現しているという事実を突きつける。
1975年生まれというまだ若いサイモンの渾身のプロジェクトであった。


Five Car Stud (1969-1972), Revisited Installation view, Los Angeles County Museum of Art,
September 4, 2011-January 15, 2012 Photography by Tom Vinetz, © Kienholz, Collection of
Kawamura Memorial Museum of Art, Sakura, Japan, Courtesy of L,A, Louver, Venice, CA and
The Pace Gallery, New York

エドワード・キーンホルツ『Five Car Stud 1969–1972, Revisited』
2011年9月4日–2012年1月15日 ロサンゼルス郡立美術館

エドワード・キーンホルツが1969年より3年間かけて制作した大型インスタレーション作品「Five Car Stud[5台の自動車のボルト]が、1973年から38年ぶりに、そしてアメリカで初めて、ロサンゼルス群立美術館(LACMA)で展示された。
1966年にキーンホルツの回顧展を企画したLACMAのキュレーターが、当該作品をロンドンのヘイワードギャラリーでのグループ展に出品しようとしたものの、高額な運搬コストのため展示を断念し、その後、ハラルド・ゼーマンが1972年のドクメンタ5で展示して話題となった作品である。1973年にドイツ国内を巡回した後、大日本インキ化学工業株式会社(現在のDIC株式会社)の関連会社である大日製罐株式会社が1974年に彫刻家飯田善国の助言のもと購入し、1990年にDIC川村記念美術館の開館と同時に美術館の所蔵作品となった、日本とも非常に縁が深い作品である。
LACMAのアメリカ館の2階に位置する大きな展示室は、非常に暗い室内に砂が敷き詰められ、4台の自動車と1台のピックアップトラックの計5台がその中心に向かってヘッドライトをあてており、複数の白人男性達がひとりのアフリカ系アメリカ人に対して暴力行為を行なっている様を描き出している。鑑賞者は、入口より砂を踏みしめながら、恐る恐るそのリンチの場面に近づき、等身大の登場人物を目にする。室内が暗いこともあり、間近で見ざるを得ず、よりその場面の暴力性を身体で感じることとなる。
1960年代のアメリカにおける公民権運動の盛り上がりとその反動により再び起こった人種差別の気運に対し、特定の事件を題材に取り上げてはいないものの、アーティストの友人や家族達から型をとり、圧倒的なリアリズム彫刻で人種差別が生む暴力的な場面を克明に表現し、その恐怖や邪悪さを見せることで社会に警鐘をならしている。
そして2011年の現代においてもこの作品が遠い過去の歴史のエピソードではなく、未だ根深く同じ問題が社会に潜んでいることを思い出させる。それこそが美術作品が持つ力であり、その力の存在を見せつけるこの作品の凄さに身震いを覚えた。

アリギエロ・ボエッティ 『game plan』
10月5日—2012年2月5日 ソフィア王妃芸術センター

1994年に亡くなった、イタリア人アーティスト、アリギエロ・ボエッティの大規模な回顧展。DIAアートセンターを休職中で現在ソフィア王妃芸術センターのチーフ・キュレーターであるリン・クックによるキュレーションは、アーティストの作品を時系列にならべ、人生をなぞっていく回顧展ではなく(余談であるが、この近代的な回顧展形式は現代美術にも有効であることに驚かされる。テート・モダンで行われたゲルハルト・リヒター展はその最たるもの。作品ではなく、アーティストの人生が焦点になっているかのようだ)、作品をひとつずつ丁寧に見せ、共通項でグルーピングをすることによって、アーティストが当時何を考えて作品を制作していたかということを、作品を通じて観客に理解させる展覧会であった。会場内のテキストは排除され、キャプションはひとところに集められ、空間に余裕を持たせたインスタレーションは、現代美術の展覧会の美しさを発揮していた。
アルテ・ポーヴェラの一員としてキャリアをスタートさせながら、後にそこから距離を置くようになったボエッティの興味がどこにあったのかが見て取れる。分類すること、記録すること、並べること、文字を記すことに執着した形跡が、徐々に見えてくる。
最も有名な作品シリーズであり、地図上の各国の領土の場所にその国の旗を刺繍した「Mappa」は色も大きさも、制作年も違う作品がひとところにまとめられ、刻々と変化する世界を同時代的に記録した作品が一覧できる。この作品が職人の手によって生み出された地である、アフガニスタンやパキスタンの現状に図らずも想いを馳せてしまう。社会の激動と共に、アーティストが政治的な行動に関わることが見受けられる現在、もしボエッティが生きていたらどうしたかと思ってしまう。描くこと、そして何かをつくること、違う作品を継続して生み出す彼は、政治から少しずれたところで、アクティヴィストではなく、常にアーティストとして生きていた。現代美術が西洋中心だった時代にアジアで制作すること、作家性が重要だった時代に職人の手にゆだねるなど、コラボレーションの概念が入っていること。政治や社会に直接介入することなく、現代美術の現在(当時から見た未来)を先取りするような作品を観て、アーティストとは何かを考えさせられた展覧会であった。そして、同時にキュレーターの力によって作品が生きるということについても。

関連記事:フォトレポート alighiero boetti『game plan』@ Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia

(文中敬称略)

2011年 記憶に残るもの インデックス

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