リクリット・ティラヴァニ インタビュー (3)


With Philippe Parreno – Untitled (2005), five puppets each with ceramic heads, feet and hands, synthetic hair, clothes, stuffing. All images: Courtesy Rirkrit Tiravanija and Gallery Side 2, Tokyo.

 

学問の厳密さについて
インタビュー/アンドリュー・マークル

 

III.

 

ART iT 「複製」とは異なるけれど関連性があり、あなたの作品にたびたび登場する概念が「デモンストレーション」です。「デモンストレーション・ドローイング」のほかに、舞台を模した「デモ・ステーション」もあります。通常、デモンストレーションという言葉は「抗議する」とか「声をあげる」ことと理解されますが、あなたも「別の可能性を示すもの」という意味で使っているのですか?

RT  はい。人が集まって、何かについて賛成したり、反対したりするという発想が面白いと思いました。一緒になる、ひとつになるというのが。私の作品が、どこかの段階で人が他者とつながる方便になったり、いつもとは違う角度から物事を見たり、声なき声が聞かれる「場」やきっかけになる。
その意味で「デモ・ステーション」の複数プロジェクトは、いくつかの場所で展開しましたが、あくまでひとつのアプローチなのです。そして、各会場において、その土地や参加する人のスペシフィックな「意思」に応じてコンテンツが変わるというのもいいですね。「ザ・ランド」もそうです。会期や開館時間は関係なく、いつもそこにある。それは、とてもアクティブに活動していると考えられる一方で、何もしていないということと表裏一体です。

 

ART iT 社会彫刻について、何か思うところはありますか? あなたの作品との関係性は?


RT ありますよ。重要だと思います。私が社会彫刻という概念から学んだことは、アーティストがメインではないということです。社会彫刻にまつわる様々な言説は興味深いです。でも、どうしたらリーダー不在で何かを成し遂げることができるのか。そこが難しいところです。何かをするには、何らかの枠組みや焦点が必要だからです。私が「意思」と呼ぶのは、そのことです。私が人を集めて何かをしてもらうというのではなく、そこにはコミューナルな意思があるべきで、作品が「使える」ことが重要なのです。もし人々に意思があれば、「デモ・ステーション」はツールになります。ツールとして実際に使われれば、人はその可能性を実感することができます。そうして、誰かに率いられていたら到達することのできなかったコトを、コミューナルに成し遂げることができるのです。

 


Installation view of Untitled, 2001 (Demo Station No 1).

 

ART iT 私たちの生活空間や慣習は、ある程度確立されています。それらは時に、よりトップダウン的であったり、より民主主義的であったりします。もしみんながマクドナルドに行くことをやめたら、マクドナルドは市場からなくなるかもしれませんが、同様に、地元で何代も続く豆腐屋さんも、需要がなくなったら廃業してしまいます。

RT でも、そのあとから豆腐屋を立て直したいという若者が出てきたりするでしょう。日本人が、東京や別の場所に住んでいても、沖縄の文化に魅力を感じているのはとても興味深いです。このような憧れの感情は、人間の性だと思うのです。物事をあまりコントロールせず、自然な流れの中で何かのポテンシャルに気がついたとき、よいことが起きると思います。そういう意味では、私は敵対的ではありません。でも、私が人間的なプロセスと呼ぶメカニズムに対しては、生来的な信念を持っています。一連の「自然回帰」のムーブメントは、すばらしいものだと思いますが、リアルでなければなりません。持続可能な社会に興味があると口では言いながら、リサイクルをしていなかったり、大量のゴミを消費していてはダメだと思います。そうした流れは、コミューナルな意思によって生まれてくるべきなのだと。

 

ART iT 「憧れ」という概念に言及されました。あなた自身はとても国際的なバックグランドをお持ちですが、そのことを作品で扱うことはあるのでしょうか? たとえば、ウィーンでシンドラー・ハウスを展示しています。それは、オーストリアの建築家をアメリカから里帰りさせたとも言えますよね。

RT シンドラー・ハウスをオーストリアで展示する、よい時期だと思いました。シンドラーの故郷であるオーストリアにおいて、彼の存在がまったくと言っていい程忘れられていたからです。私の展示を通して、彼と彼の作品に対する新たな認識が生まれると思ったのです。
同じように、サイクルを経て戻ってくるものはほかにもあります。私はいつも原点に戻り、自分の文化の中で自らを理解しようとしていました。非西洋アーティストの多くは、同じことを経験していると思います。アーティストであるということ自体が、われわれの文化の構造の外にあることなので、その意味についてよく考えなければならないのです。たとえば、日本においてはどういう意味を持つかを考える必要がある。
私は、若手のアーティストとして何をするべきか、私は何者なのかを常に考えていました。アイデンティティーの問題にも向き合う必要がありました。そうして生まれたのが、蘇生することに言及した料理パフォーマンスです。でも、少し年を取って、そうした問題は誰しもが抱えている、だからこそ作品にできると気がついたのです。自分らしくあることの方が、もっと重要だと考えるようになりました。何になるべきかを理解しようとするのではなく、より大きな何かに発展しそうな小さな存在について理解するべきだと気づいたのです。そして、いつもある程度の疑念を持ち続けていなければならない、ということも。

 


The Land (1998- ), Chiang Mai, Thailand.

 

ART iT  ギャラリー・ヴェールでの展示のように、逆輸入のような形でタイで作品を発表することについては?

RT  だいぶ長く活動してきたので、ビエンナーレやドクメンタのような国際展に出品することは、もはやそんなに重要ではなくなってきました。「ザ・ランド」でシソを育てることの方が、ずっと重要かもしれません。
NYにいる必要を感じなくなってからは、タイに戻ることが多くなりました。その中で、タイでアート作品を制作することは、あまり重要ではないと思うようになりました。作品が見る人に与える影響がそれほどでもないので、必要がないのです。誰しもが料理をしている環境で、料理の作品をしてもあまり意味がないということです。その時点ですでに、作品が何かのきっかけとして機能することに興味を抱いていました。コラボレーションをしたり、若手のアーティストをサポートすることは、自ずとその延長線上にあったと思います。それらは作品なのだけれど、展覧会に展示できる類の作品ではありません。いまや政治的な流れにもなってきていますが、その当時は、何かを展示するよりも、言論の場を持つことの方が重要に思えたのです。タイは他者への尊敬を重んじる古い文化なので、王や法律について批判することは、よくないことと考えられています。それは理解できるのですが、物事を批判的に思考する場、意識する場、意見を交わし合う場、先人の行いを疑問視することで若者が成長する場は必要です。私自身が、質問を投げかけられる年配のひとりになってもいいと思っています。年配としてでなくても、私のすることを大いに疑問視してくれればいいと思います。私がタイでしていることは、若手のアーティストが伸びるよう、そうした場を設定することです。これからのことを考えると、とても重要なことだと思います。一方で、自らにも問いかける必要があります。何かを批判するときは、揚げ足をとるためにするのではなく、建設的であるべきです。発展的でないといけない。私がシステム批判をするときは、もっとほかのやり方や可能性があると考えるときです。文句をいうことが目的ではないのです。そこには、何らかの責任感と可能性が介在しているべきです。

 

ART iT 「Untitled(無題)」(2005年)では、あなた自身、ピエール・ユイグ、リアム・ギリック、ハンス=ウルリッヒ・オブリストらの人形を用いて、フィリップ・パレーノとコラボレーションしていますね。このパロディー作品を制作するにあたって、自分自身をどう捉えていたのですか?

RT 確かにパロディーでもありますが、人形が腹話術の人形だったこともあり、作品は「話すこと」に言及しています。人形を用いたのは、自分の声を代弁するモノとして、また、自分で自分の吹き替えをしたらどうなるか、という考えからです。

 

ART iT つまり、新たな人格を作り出すのではなく、自分のアイデンティティーを照らし出し、破壊するために分身を生み出したと。

RT 実はタイには私の影武者がいて、私より若いのですが、時として、私の代わりにいろいろな所に出没します。みんなが彼が私に似ていると言うので、ならばと思いつきました。彼が行った重要なミッションのひとつは、中国に行ったことです。ジョセフ・ノグのキュレーションによる、タイ人作家のグループ展が、北京のギャラリー、北京当代唐人芸術中心(タン・コンテンポラリーアート)で開催されたときのことです。ジョセフが北京を訪れるたびに、「ナンバー1は来中するか?」と聞かれたそうです。「ナンバー1」とは、私のことを指していて、私がタイでいちばんのアーティストだと考えられていたようなのです。これは面白いと思い、中国の人の期待に応えるべく、「ナンバー1」、つまり私に一番よく似た人を送りこんだわけです。影武者は握手をしたり、ハグをしたりして、現地の人と仲良くしていました。
これは、肖像権や複製の問題も喚起します。少し愉快な提示の仕方ではありますが、アジアを考える上で重要な問題を示唆しています。私たちはものを作り出しますが、多くの場合、過去に作られたことのあるものをコピーして、改良しているのです。著作権や権力についての議論が白熱する文化において、複製の問題を考えることは重要です。
それは同時に、避けることのできない構造にも言及していると思います。アーティストとして活動しはじめた頃は、いつも、スペシフィックな時間枠の中でスペシフィックなことをしなければならないと考えていました。でも、年とともに、人がすることはすべて、その時その時においてはスペシフィックであることに気がついたのです。同じことを毎日繰り返したとしても、それは毎回スペシフィックな経験であると。物事は常に変化していることを考えると、興味深いですね。ほかとは違う特別な瞬間があるのではなく、すべての瞬間が特別なのです。1日目とまったく同じカレーはないわけで、だから毎日やってきて毎日食べたっていい。同時に、あなた自身も毎日変化しているわけだから、まったく同じ経験は二度とない。そのことを理解し、受け入れてほしいですね。

 

 


リクリット・ティラヴァニ インタビュー
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フォトレポート Rirkrit Tiravanija: Untitled 2001/2012 @ GALLERY SIDE 2(2012/03/07)

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