マリア・タニグチ「アンダー・ザ・スキン」


All images: Unless otherwise noted, installation view at Taka Ishii Gallery Tokyo, 2017. Photo: Kenji Takahashi, courtesy Taka Ishii Gallery.

 

アンダー・ザ・スキン
インタビュー / アンドリュー・マークル

 

ART iT あなたは代表作として知られるブリック・ペインティングを思考方法のひとつとして捉えていると聞きましたが、「ブリック・ペインティングで思考する」とはどういうことなのか、もう少し詳しく教えてもらえますか。

マリア・タニグチ(以下、MT) 当初はこのシリーズにそのような可能性があるとは気づいていませんでした。2008年から取り組んでいますが、最初のブリック・ペインティングは皮膚や被覆材といったものを扱った作品でした。「表面」があらゆるものを包み込み、いかなるものであれ包んだものそのものの形をなすことに興味がありました。非常にアナログで時代錯誤的なところもブリック・パターンの魅力で、労働と価値だとか、労働とプロセスといった概念を喚起する。最初は意図しないまま10フィート(3メートル)程度の細長く扱いづらいサイズになってしまって、まるで部屋の一部みたいでした。それから、異なる形を組み合わせてみたり、ブリック・パターンでいろんな形をつくってみたり、「表面」に対するさまざまなアプローチを試していきました。ですが、私は彫刻にも興味があり、その建築的側面に魅力を感じていたので、同一サイズの作品をたくさん制作することでより深く掘り下げていこうと決めました。ゆっくり時間をかけながら、たくさんのブリック・ペインティングを反復し、制作し続けることで、結局、自分はひとつの巨大な作品として存在しうるものをつくっているのだということ、絵画という行為と思考プロセスを完全に分かつことなどできないということを実感することになりました。

 



 

ART iT ブリック・ペインティングのシリーズには、平面性と立体性という相反する力学が存在していますね。まず、平面化したブリックをキャンバス上にパターンとして落とし込む。それから、展示空間の壁に立てかけることでキャンバスの立体性が浮き上がる。ここに制作時と鑑賞時に起きる方向性の変化を見ることもできますね。おそらくあなたはキャンバスを床置きにして制作しているのではないかと思っているのですが、展示ではそれを壁に立てかけています。自分の作品に関して、平面性や方向性について考えたことはありますか。

MT 二次元的なブリック・パターンと三次元的なコンテナもしくは絵画空間の間の次元性が引き延ばされていると考えているのですが、たとえば、脳がブリックの重さや固さを認識するのを表面の平面性が否定する。つまり、単なる絵具や布だと認識するまでのわずかなスペースをつくりだす。ある意味、この感覚がブリック状の矩形を維持する領域へと引き延ばされたり、拡散していくわけです。

方向性の変化については気に入っていますね。床にフラットに置いた状態の絵を見るのは私だけ、いや、私もしっかり見ていないかもしれません。制作に使っているスタジオ兼リビングルームにはその絵を立てかけておく場所がほとんどないので、より広い空間に持っていったときにようやく絵の全体を見ることになります。かなり広い空間を占拠してしまう絵はさながらもうひとりの住人かのようです。小さなマットレスをキャンバスの上に置いて、マットレスの上に寝そべって描いているのですが、結局、読書をしていたり、メールを書いていたり、電話をしていたりと、絵を描くこと以外にもいろいろしていますね。私の描く絵が反復的でモノトーンだからか、どうやって毎日、絵を一日中描いているのかと聞かれますし、瞑想みたいなものなのかと聞かれるのですが、まったく違います。描くことは、ヨガとか世界から離欲するためのいかなる形式の瞑想とも違うものです。描くことは情報を吸収する機会だと考えています。たとえば、私は絵を描きながら本を読んだりポッドキャストを聞いたり、ニュースを聞いたり、そうした快感と結びつけているので、描くことをいつも楽しみにしているのです。まあ、ニュースの場合は最近あまり快適なことじゃないけど。

ですから、絵画それ自体は屋根裏部屋のようなものというか、余地のようなものなのです。私が飼っている犬もまた絵画をそのような余地として認識しているのではないでしょうか。絵のまわりをうろつきながら、私がマットレスの上に乗るのを自分も絵の上に乗ってもいいという合図だと捉えていて、それがすごくお気に入りみたいなんです。私が机で作業しているときでさえ、近づいてきて私をちょんちょんとたたいてから、絵の上のマットレスに向かって一直線に走っていったりします。自分も絵の凝縮した時間の一部になりたいなんて考えているのではないでしょうか。絶対に絵を描くのを邪魔しないし、そばで寝そべりながら、私を見たり、うたた寝したりしていますね。

 

ART iT それでは、作品と身体性の関係について聞かせてもらえますか。制作過程でフラットな表面に重なるように描いているあなた自身の身体だけでなく、展覧会で作品の空間を共有する観客の身体のことも。あなたの作品画像の多くに作品の前に立つ観客の姿が写っていますが、それによって作品の大きさが伝わるのはもちろんですが、観客と作品が相互依存関係を持っているようにも見えますね。

MT そうですね。ひとりかふたり、観客が作品の前にいる様子を撮影した写真が使われることが多いですね。ひとつには作品のスケールを伝えるということもありますが、非常に興味深いのは、私も制作しているときに絵の表面ギリギリのところまで近づくのですが、観客が作品に近づくとき、彼らも私とまったく同じような作品との関係を築いていること。それは私が床置きにした絵と平行に向き合うときとほとんど同じポジションで、ただ、彼らの場合は垂直に立てられた鏡に向かい合うようにしているという違いしかありません。しかも、絵画と同じ軸に添っているときすらあるのではないでしょうか。私の絵画は直角ではなく、前に倒れないように少しだけ角度をつけて壁に寄りかかっているので、静止しているとともにほんの少しだけ不安定でもある。

 

ART iT 他方で、ブリック・ペインティングは常に同じパターンを反復していて、「内容」や主観性といったものを否定していますね。たとえば、作品からあなたの生い立ちやアイデンティティを読み取ることは不可能でしょう。意図的にそうしているのでしょうか。

MT ブリック・ペインティングは、私が制作活動で一貫して扱ってきた問いや芸術上の問題を継続しています。もう10年か12年くらい考え続けていますね。韓国のダンセッファ(単色画|Dansaekhwa)からはるか曼荼羅にまで遡るアジア各地で確立されたプロセス・ベースの絵画との関係で捉える人も多く、SFとの関係で捉える人もいます。実際、黒い床面の東京のこの空間ではどこかSF的な感じするし、スカーレット・ヨハンソンがエイリアン捕獲者役を演じる『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013)の黒々と滲んだ床を思い出しました。展示空間の床を見て真っ先に思ったのは、「黒に黒」になるなということでした。実は展覧会を準備しているとき、ギャラリーのスタッフが『2001年宇宙の旅』のモノリスを印刷したプリントをくれました。なんでそんなことをしてくれたのかわかりませんでしたが、面白いなって思いました。ちゃんと思い出せないけど、たしかモノリスは奇妙な記憶装置のようなものでしたよね。思いつきにすぎないかもしれないけど、私自身、ブリック・ペインティングはジェスチャーやシグナルの収納庫だと思っているから、どこかモノリスとも繋がっているのではないか、と。『2001年宇宙の旅』のモノリスは、最先端のテクノロジーであると同時にどこか生命体のようで、その存在はほとんど有機的とも言える。同じく、ブリック・ペインティングも身体の外部装置であるとともに内臓的なものでもあり、精確であるとともにどこかミステリアスで生物的なところがある。神経系統のネットワークのように。

 

ART iT 皮膚そのものもひとつひとつの細胞が常に再生させるわけで、ブリック・ペインティングを皮膚や生産という文脈で考えるのも面白いですね。ブリック・ペインティングのような果てしなく続くシリーズと、私たちの身体から絶えずつくられる皮膚とがそこまで離れているわけではない。

MT その通りです。とくに大きなサイズの絵画を次々と制作しているときはそう感じます。絵と渾然一体となっているような感覚。または、絵の中へと消滅していくような感覚になります。それを私が絵を描いているときに感じる「快感」と呼んでもいいかもしれません。

 




Above: Figure Study (2012-13), installation view. Below: Untitled (Dawn’s Arms) (2011), two-channel HD video, monitors, plywood, 23 min 7 sec, color, with sound. Installation view, “Don’t You Know Who I Am? – Art After Identity Politics,” at M HKA, Antwerp, 2014. Both: Courtesy Maria Taniguchi.

 

ART iT ほかの作品はより自己言及的なものが多いですよね。たとえば、「Figure Study」(2012-13)という映像インスタレーション。映像内に土を掘っているふたりの男性の姿が映されていますが、掘った土でつくられた粘土のオブジェが映像に合わせて置いてあります。映像を伴いつつその映像に言及するオブジェをつくることについて扱った映像という作品になっていますね。

MT その作品では映像が彫刻になることを扱いましたが、最近では徐々にその逆の、彫刻が映像の技術的、感性的次元に絡みとられていくことを扱うようになってきました。ブリック・ペインティングとの共通点もたくさんありますよ。ほかの作品はどこかブリック・ペインティングのリフレクションになっています。マットな黒い表面が光の吸収と関連づけられやすいので、どこか少し奇妙に聞こえるかもしれませんが、ひとつのパターンをずっと描く行為は、それ自体をどこか別のところに再生することから逃れられないという固有の論理をつくりだす傾向にあります。たとえば、作品それ自体について考察する作品と同じ論理を具現化するほかの作品群であったり、素材から「もの」になるプロセスを考察する素材のように。

 

ART iT しかし、身体的な関係について考えたとき、これらの映像はブリック・ペインティングとはほとんど真逆に位置しますよね。少なくとも「Figure Study」や「Untitled (Dawn’s Arms)」(2011)では、あなたは作業したり、地面を掘ったり、大理石の彫像を彫ったりしている人々をカメラの後ろから撮影しているわけで、作品から限りなく遠くにいます。

MT これは距離の反復を扱っていると言えないでしょうか。私は映像を考えるためのフレームのひとつ、もしくは、題材について調べたり、科学的に意識するための観測装置として扱っています。映像インスタレーションにおける「フレーム」とは、彫刻として展示されている映像に観客が出会うための二重の距離をひとつにまとめる道具です。私は作品とそれにアプローチする観客との間に複数のフィルターを設置するという考え方が好きで、たとえ目の前にあるとしても、観客と観客に見られているものの間にはある種のねじれが存在するのです。

 

ART iT それはこの展覧会の天井から吊り下げている木材の彫刻群にも生じていると言えますか。「I/O(アイ/オー)」もしくは「1/0(イチ/ゼロ)」という形は必ずデジタルコードを連想するように意図されていますね。

MT 私たちはみな0/1の二進法のもとで生きているという点で、そういう感じもあるでしょうね。特に私は1980年代生まれですから。ですが、この作品では空間を違う仕方で占有するという意図の方が強かったですね。私は作品の外部についてあまり参照しないんですね。テクノロジーへの言及という意図も、ブラジルのネオ・コンクリートのアーティストへのオマージュという意図もありません。この作品について、空間の問題に応答したものであるとか、具体的なこの作品がこの空間の中で観客をどのように移動させるのかといった私が意図したように語ることもできますよね。たとえば、これほどの絵画作品が壁に掛かっていれば、観客が壁に沿ってぐるっと見てまわることをあらかじめ想像するのは難しいことではありません。ですから、そこに何もなかった場合に観客が動くであろう流れとは異なるものをつくりだすために、空間に小さな波紋を生み出すものを必要としました。ささやかな実験といってもいいかもしれません。あの空間で大型の絵画がしっくりくる方法は限られていたので、その間に何かを置いて、流れに介入するような場が欲しかったんです。

 

ART iT 特に直線の彫刻群ですが、木が歪んでいるような気がしましたが、これは木の性質に因るものでフィリピンにあった時点でそうなったのか、それとも、東京の新しい空気に触れたことでそうなったのでしょうか。

MT おっしゃるように木材(特に今回使ったような非常に薄いもの)を遠くに運んだり、新しく何かをつくったりときには、ほんの少し、変化したときのための余白が必要ですね。とはいえ、私は木材の専門家でも木材を扱う職人でもありませんが。この歪みはフィリピンにいるときにはじまりました。私は外周の部分をできるだけ薄くしてほしいと頼み、手彫りでやってもらいました。今回の彫刻をつくるにあたり、協力者とたくさん話し合って、たとえば、もう少し曲げやすいラタンを使ってみてはどうだろうといった提案も受けましたが、やはりそれだとまったく違うものになってしまう。素材に使ったのは熱帯地方や亜熱帯地方の各地に生息するジャワ・プラム(ムラサキフトモモ)です。母が私を身籠っていたときにその青い実を食べていて、食べ過ぎで歯が青く染まってしまったほどだそうです。妊娠期間にはどこか興味をそそられるところがありますね。この場合は生物学的なものというよりも思考上のものですが。とにかく、この作品は私にとって初の木彫作品になるのではないか、と。ちょっとやり過ぎたかもしれないという気持ちがないわけではありませんが、少し曲がりくねっているくらいがちょうどいいのではないでしょうか。ドローイングのようにも見えますよね。この空間で吊られているときの木の動きによって、「揺れ」のようなものが出てきました。

 

 

ART iT ブリック・ペインティングにも「揺れ」のようなものを感じますか。

MT ブリック・ペインティングにおけるブリックのひとつひとつは、それぞれ黒い絵具と水の混ぜ具合を変えて描いています。水を増やせば、より灰色っぽくなるので、その部分がより明るくなる。ですから、あるブリック・ペインティングはほかのものよりも明るい光を発していたり、表面により動きが見られるようになります。制作中に自分が何を描いているのかを知るのは難しいことです。水と絵具の分量、湿気なんかは気まぐれなものですから。そして、最後、展示のときになって、自分がうっかり描いてしまった鳥や顔を見つけるようなゲシュタルト崩壊を半ば待っているところがありますね。

 

ART iT あなたはこれまでにブリック・ペインティングはミニマリスト・ペインティングやミニマリズムとは関係がないと語っていましたが、一方でそれらは作品が語られるときに常に浮かび上がってくるものでもあります。年月を重ねる中で、人々がそのような繋がりを見ることについて何か思うところはありますか。

MT そう、皆さんミニマリズムとの繋がりについて聞いてきますが、アートを学んでいたとき、ミニマリストをまったく参照していませんでした。私が好きだったのは、ポール・ファイファーのようなメディアや表象の問題を扱うアーティストでした。何の繋がりもないと言うのはふざけているんじゃないかと思われるかもしれませんが、私にとってミニマリズムとの繋がりは重要なことではありません。

 

ART iT それでは、フィリピンの美術史との関係について教えてもらえますか。肯定的であれ否定的であれ、あなたが応答しているアーティストや芸術運動といったものはありますか。

MT あなたがラブ・ディアスにインタビューしたものを読みました。そういえば、私の友人も彼の映画制作に関するパネルディスカッションに出演したことがあって、彼は私の作品について「持続」という観点から語っていました。[1]面白い偶然ですよね。「フィリピン」のアイデンティティの形成は、当然植民地化の歴史と切ってもきれませんが、そのことに関する対話は数多く存在しています。ですから、たとえそれがアーティストとしての自己やアーティストとしての方法に過ぎないとしても、作品には自己形成の問題を扱うこの対話に関わりを持とうとする側面があるでしょう。しかし、なんらかの社会規範からの解放のようなありきたりな語り方でアイデンティティを語りたいとは思いませんでした。いまのところ、自分自身、自宅で犬といっしょにただ絵を描いている人だって考えています。

(協力:タカ・イシイギャラリー)

 


 

[1]ラヴ・ディアス インタビュー「すべては映画にたどり着く」2014年4月18日

 

 


 

マリア・タニグチ|Maria Taniguchi

1981年フィリピン・ドゥマゲテ生まれ。フィリピン大学で彫刻を学び、渡英先のロンドンのゴールドスミス・カレッジで2009年に修士号を取得。絵画、彫刻、映像など複数のメディアを通じて、社会的・歴史的文脈を踏まえつつ空間や時間を探求している。2008年に制作をはじめた「ブリック・ペインティング」、一定サイズの矩形をグリッド状に描き続けるシステマティックな方法によるモノクロームの絵画が代表作として知られている。

2011年、2012年と2年連続でフィリピンの36歳以下のアーティストを対象としたアテネオ・アート・アワードを受賞。2015年には東南アジアを新たに対象地域に加えた第2回ヒューゴ・ボス・アジア・アート賞を受賞している。近年の主な展覧会に『History of a vanishing present: A prologue』(ミステイク・ルーム、ロサンゼルス、2016)、『Afterwork』(パラサイト、香港、2016)、『Global: New Sensorium』(カールスルーエ・メディア芸術センター、2016)、『The Vexed Contemporary』(ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート・アンド・デザイン、マニラ、2015)、第8回アジア・パシフィックトリエンナーレ(2015)など。

日本初個展となったタカ・イシイギャラリー東京での展示では、ブリック・ペインティングから大型の作品1点、小ぶりな新作12点のほか、「ジャワ・プラム」と呼ばれる硬質の木材を使った彫刻作品を発表した。

 

マリア・タニグチ
2017年4月21日(金)-5月20日(土)
タカ・イシイギャラリー東京
http://www.takaishiigallery.com/
展覧会URL:http://www.takaishiigallery.com/jp/archives/16431/

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