アネット・メサジェ インタビュー

表徴の女王
インタビュー / アンドリュー・マークル


Mes transports (Detail) (2012-13), mixed media, dimensionen variable, courtesy Annette Messager / Marian Goodman Gallery Paris/New York, © VG Bild-Kunst, Bonn 2014. Photo © Marc Domage, © Kunstsammlung NRW.

ART iT 今年は夏から秋にかけてシドニー現代美術館、現在もデュッセルドルフのノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館(K21)で回顧展が開催されています。これらの展覧会は、2007年から2009年にかけてポンピドゥー・センターや森美術館など世界各国を巡回した回顧展から続いているものですが、自分の作品をこのように回顧的に概観することについてどのような感想を持っていますか。

アネット・メサジェ(以下、AM) 始めは非常につらいものでした。最初の回顧展は1989年のグルノーブル美術館で、準備している間ずっと憂鬱だったのを覚えています。あの頃は精神的に酷く動揺しましたが、今では問題ありません。年齢を重ねたことや、出品作品は過去に制作されたものだということを受け入れるようになりました。しかし、今回は回顧展の最中なので、過去の作品について考えないようにしています。しかし、過去を振り返らないと忘れてしまうでしょうし、興味深い繋がりや関係性を認めることもできるので、ある意味では良いことだと思います。

ART iT 展覧会毎に自分の実践に対する解釈が変わってしまうとは思いませんか。

AM それは私には関係のないことです。私はキュレーターがやりたいことではなく、自分自身がやりたいことをやってますので。自分の作品に対する他人の解釈について、個人個人がそれぞれの物語をつくるしかないので私の問題ではありません。

ART iT あなたの経歴を振り返ったとき、当時のいわゆる女性の労働や家事労働という関心事に応答したものと思われる1970年代の作品が強く印象に残りました。あれらの作品は、現在、私たちが情報や画像を収集したり、共有したりして、インターネット上に新しいアイデンティティを生み出している様子を先取りしているかに思えます。身体を部分部分に還元した「私の願い[Mes Voeux]」シリーズも、各写真がちょうどスマートフォンのモニタと同じくらいの大きさで、今日のメディアやセルフィー(自画撮り)のような習慣を通して断片化される身体を予測しているかのようです。このように、作品が異なる文脈を飛び越えていっていると感じました。

AM 初期作品では私自身の持つアーティストや女性というアイデンティティを扱っていました。私がもっと若ければ、ネットショッピングのためだけではなく、もっとたくさんインターネットを活用しているはずです。当時は雑誌や新聞を使っていましたが、もはや変わってしまいましたね。
「私の願い」シリーズで使用した写真はモノクロですが、今日の写真には多数の醜い色彩が使われていて、人の肌がまるで豚の皮膚に見えたりします。若者は自分自身や自分の身体に関心があって、それを他人と共有しようとしているみたいですが、そのような関心は私の場合、もっと秘密のものでした。今や、それはあまりにも即時的なものになっています。まさに、この瞬間!この瞬間!この瞬間!というように。
モノクロを使うことで、そこには距離の感覚が存在していました。剥製術と写真術の間に類似性があると考えているのですが、写真に撮られてしまうと、その瞬間は終わり、死んでしまう。剥製にされた動物はまるで生きているかのように展示されていて、それはまさに、写真に写されたもののように凍っているのです。

ART iT 言うまでもなく、かつて、写真には時間のかかるプロセスがありました。撮影して、それから現像しなければならない。そのような遅さをどのように捉えていましたか。

AM 好きでしたね。私は暗室に入り、自分で現像も行なっていました。そうした作業の時間は好きで、イメージに深く入り込んでいく感覚を与えてくれました。あれらの写真では、主に友人に協力してもらい、母親にも一度協力してもらいました。そうして、私は主体と客体の間にあるなにかすごく秘密めいた、親密なものができあがるような感覚がありましたね。


Above: Installation view, K21 Ständehaus, 2014. Photo Achim Kukulies, © Kunstsammlung NRW. Below: Continents Noirs (2010–12), mixed-media installation, dimensions variable, courtesy Annette Messager / Marian Goodman Gallery Paris / New York, © VG Bild-Kunst, Bonn 2014. Photo © Marc Domage, © Kunstsammlung NRW.

ART iT 「トリックスター」や「実務家」、「アーティスト」といったアイデンティティを装うとき、あなたは自分がある種ヴァーチャルな変身を遂げているような感覚を覚えましたか。それとも、それはもともと自分の中にある要素を引き出すようなことだったのでしょうか。

AM 私は「実務家」には、間違ってもなろうとは思いませんでした。そんなの自分ではない、と。しかし、アーティストなら、それは常にトリックスターですね。とりわけ1970年代初頭は、アートは制作の度に厳密なルールを伴う非常にコンセプチュアル、もしくはミニマルなものだったので、私自身のアイデンティティを変えることは重要なことでした。ドローイングや刺繍、写真作品などを制作したかったのですが、そうしたことが受け入れられるのが非常に困難だったのです。あの頃は、フルクサスのあったドイツや、誰よりも生活に関与していた(マルセル・)ブロータースや(ロバート・)フェリューや(ヨゼフ・)ボイスといった人々を除けば、ある種「禁欲的な」アートの時代でした。

ART iT 2013年にはギャルリー・イザベラ・チャルノヴスカで、アリーナ・シャポツニコフとの二人展を開催していますね。シャポツニコフのアートへのアプローチは自分とは異なるものでしたか。また、おっしゃったような「禁欲的な」コンセプチュアルな表現方法から抜け出る道をあなたに指し示したアーティストはいますか。

AM 難しい質問ですね。アリーナは私にとって重要な存在でした。彼女は女性だった。それは彼女にとって非常に難しいことでした。アリーナが亡くなっても、誰も彼女の作品を気にかけることはなかった。そして、遂に彼女の作品が発見されたとき、彼女の死から既に20年以上が経っていました。あの時期、フランスには男くさい空気があって、女性は本当に難しい時期だったのです。しかし、一方で私は、例えばヒッチコックのような映画や、アートだけではなく、さまざまなものから影響を受けました。アリーナとは共同制作するということはありませんでしたが、友達同士でした。彼女は私よりも年上で、強い女性で、一生懸命な、私にとって重要な人でした。それに、彼女は幼少期の強制収容所のことも話してくれました。短く非常に厳しい人生でしたが、彼女はあのような作品を遺したのです。

ART iT 来年の大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレでは、空家になった藁葺き屋根の古い民家を使った新作を発表すると聞きましたが、越後妻有という土地にどのような印象を持っていますか。

AM 美しいところでした。木々も紅葉も。訪れたとき、山の上の方には既に雪が積もっていました。まだどうやって使うかは決めていませんが、あの家は当然美術館やホワイトキューブではなく古い民家ですので、そこには人生があったはずです。とはいえ、実際はあの民家の歴史を知りたいとは思いません。もしかしたら、殺人かなにかがあったかもしれませんが。知ろうとは思っていません。ですが、そのような状況とは戯れてみたいと思っています。あの家が最初に建てられたときを想像して、女性たちや子供は家の中にいて、男性たちが外で働いていたのではないかと考えたりしています。

ART iT あなたは以前、自分の制作方法とロラン・バルトが『表徴の帝国』で書いた日本料理を比べていますね。それから何度か日本を訪れて、なにか別の影響を受けたりしましたか。日本での体験があなたの作品に対する新しいアプローチのきっかけになることはありませんでしたか。

AM 知的な答え方はできませんが、日本にはフランスとは正反対のものがあると思います。街中にいる若い女の子たちの服装だとか。また、日本にはフランスとは異なる時間の概念があると感じます。例えば、河原温は私にとって非常に重要なアーティストですが、彼は私とは正反対で、非常にコンセプチュアルで、同じことをずっと続けていました。それでも、彼の作品は私を惹き付けるのです。彼の作品は私にとって、無であるとともに重要でもある、悲劇的であるとともに喜劇的でもあるのです。彼には一度も会えませんでしたが。


Site of Annette Messager’s new commission for the Echigo-Tsumari Art Triennale 2015, Tanokura Village in the Matsudai area of Echigo-Tsumari. Photo courtesy Echigo-Tsumari Art Triennale Executive Committee.

ART iT しかしながら、あなたのアルバム・コレクションには河原温の作品とのなんらかの類似性があると言えませんか。

AM 言えるかもしれませんね。

ART iT 以前とは作品は変わりましたが、「コレクター」という概念は今でも駆り立てるものですか。

AM コレクターになることは素晴らしいことだと思います。年を取るにつれてコレクションは増え、より良いものに成長していきますし、どこか癒しのようなところもあります。例えば、ティーバッグのラベルはそれ自体では魅力的ではないけれど、それを100個揃えると意味のあるものに変わります。そして、コレクションをアレンジしたり、アレンジし直したりして継続的に関わっていくことにも意味があるわけです。

ART iT コレクション自体が、常に形を整えたり、変えたりできる彫刻的な素材と考えることができるということでしょうか。

AM その通りです。

ART iT 歴史を素材として使ってみるのは好きでしょうか。

AM 少しだけなら。遊んでみるというか。そうやって試してみるのが好きなのです。

ART iT それでは時間はどうですか。時間も素材として扱えるのでしょうか。

AM 本当に少しだけですが。

ART iT 時間の場合は、おそらく素材としてというよりもプロセスとしてですかね。

AM そうでしょうね。

アネット・メサジェ|Annette Messager
1943年ベルク・シュル・メール(フランス)生まれ。収集、刺繍、モノとの戯れ、言葉遊びといった行為を通じて、無邪気かつ残酷な物語世界を醸し出すインスタレーションで知られる。制作活動の初期より、アウトサイダー・アートに関心を持ち、作品にはその影響も色濃く見られる。1970年代にはパリ・ビエンナーレ(1977)やドクメンタ6(1977)、シドニー・ビエンナーレ(1979)に参加、1989年にはグルノーブル美術館にて自身初の回顧展を開催する。その後も、リヨン・ビエンナーレ(2000)、ドクメンタ11(2002)、通算3度出場したヴェネツィア・ビエンナーレでは、2005年の第51回にフランス館代表として参加し、金獅子賞を受賞している。2000年代後半に入ると、ポンピドゥー・センターを皮切りに回顧展が世界各地を巡回。同巡回展として、2008年には森美術館で日本初の大規模個展『アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち』が開催された。なお、今夏に開幕する大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015への参加が既に発表されている。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015
2015年7月26日(日)-9月13日(日)
http://www.echigo-tsumari.jp/

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