ダン・フォー インタビュー (3)


Installation view of Danh Vo, Galoppa! (2008-09) at Yokohama Triennale 2008. Courtesy Danh Vo and Galerie Isabella Bortolozzi, Berlin.

 

5つの事柄についての永続的な調書
インタビュー/アンドリュー・マークル

 

III. 親密性

 

ART iT 前回、言葉とは不透明なものだというコンセプトの話をしましたが、現代美術自体が使う言葉もときには不透明だと言えるのではないでしょうか。初めてあなたの作品を見たのは2008年の横浜トリエンナーレ、そしてその次は2009年のクンストハレ・バーゼルでの展覧会でした。あなたの作品は後期ミニマリズムに通じると言うことも、全く違うと言うこともできると思います。自分の作品と既存の現代美術の文脈との間に繋がりを見出すことはあるのでしょうか?

ダン・フォー(以下DV) 見出していますね。私は色んな意味で日和見主義者なので、空間やその性質について考えることを心掛けています。多分、展示空間において最初にある性質は不透明性なのではないかと思います。展示空間を訪ねてもなんの情報も得られない。そして私の作品ではそれをバネとして活かしたいのです。私の作品の核心はそこにあります。まるで情報を与えるような印象を与えつつも、実質的にはそうでもありません。
他方、展覧会カタログはもちろん、インタビューなどの記事を含め、私の作品についての印刷物には力を入れています。それらの媒体も私にとってはひとつの空間なので、どのように使えるかきちんと考えたいのです。例えば、インタビューは私がたくさんの情報を与える場となるかもしれませんが、必ずしも作品から切り離して考えていません。何がどこに当てはまるか考えた上で、もし一部の情報が削除されたとしたら、それは私が何かを恐れているわけではないし、独断的であるわけでもありません。単に矛盾と、矛盾から生まれるものも取り入れるべきだと思うのです。

 


Left: Installation view of the exhibition “Where the Lions Are” at Kunsthalle Basel, 2009. Courtesy Danh Vo and Galerie Isabella Bortolozzi, Berlin. Right: Brass plaque with floorplan and work list by Danh Vo for the Felix Gonzalez-Torres exhibition “Specific Objects without Specific Form” at Wiels, Brussels, 2010. Photo Sven Laurent, © The Felix Gonzalez-Torres Foundation, courtesy Andrea Rosen Gallery, New York.

 

ART iT 例えばバーゼルでの展覧会の場合、もし誰かが展示している物だけを見てテキストは一切読まなかったとしたら、それでも展覧会から何か得られたと思いますか?

DV テキストは重要な部分だと思います。今言ったような状況を解決する方法はまだ見つけていませんが、テキストはひとつの鍵となると考えていますし、タイトルにもなると思います。要は、バーゼルのテキストは作品のタイトルやデータを記したキャプションでした。このバランスは今も調整中です。どれくらいの情報を出すべきか?
なんの変哲もない、昔から使われてきた戦略のひとつです。物事を強調するひとつの方法です。例えばリチャード・プリンス、「Untitled」というタイトルの作品。ここから色々開けて、その後は知っての通り、フェリックス・ゴンザレス=トレスなどといった大勢のアーティストが使い続けてきました。

 

ART iT フェリックス・ゴンザレス=トレスはあなたのアプローチを形成する上で重要な存在だったのでしょうか? 過去にゴンザレス=トレスを参照する作品を作っていますが。

DV はい。ブリュッセルの現代美術スペース、ウィールズでのゴンザレス=トレスの回顧展『Specific Objects without Specific Form』のキュレーションにも関わりました。ゴンザレス=トレスは間違いなく重要な存在です。私がアーティストとしての活動を始めた頃は彼の作品に取り付かれているかのようでした。多くの人について言えることですね。ちょっと怖いくらいです。
私は多分彼の作品の中の矛盾、つまり一貫性の欠落や倒錯具合に反応しているのだと思います。きっかけはとても単純なことでした。初めて見たのはキャンディーを使った作品です。誰もがしていたように、ひとつ取って食べました。それから彼の作品について調べ始めて、彼のインタビューを読みました。消える可能性のある、むしろ消えるべきである作品というのは気に入ったにも関わらず、何故そのキャンディーを食べずに持っておかなかったのかと真っ先に自分を責めていました。自分の鑑賞者としての行為にその矛盾を認識するというのは本当に奇妙な体験で、美術作品がその可能性をはらんでいるというのは類稀なことだと思いました。

 

ART iT 考察に何か本能的な要素が入りますね。作品について考えるために展示空間を訪れて、その体験についての何かを記憶に留めることを試みるものの、キャンディーがその思考をもっと卑しい、消費できるものを消費するという思考に切り替えてしまう、ということかもしれません。

 


Installation views from the Felix Gonzalez-Torres exhibition “Specific Objects without Specific Form” at Wiels, Brussels, 2010. Photo Sven Laurent, © The Felix Gonzalez-Torres Foundation, courtesy Andrea Rosen Gallery, New York. Above: “Untitled” (Placebo) (1991). Below: “Untitled” (Passport) (1991) and “Untitled” (Alice B. Toklas’ and Gertrude Stein’s Grave, Paris) (1992).

 

DV 私にとってゴンザレス=トレスは作品についてもっと知るにつれ更に衝撃を受け続ける数少ない作家の一人です。彼はたまにマルチプルでない作品を作るということをしていました。エイズ患者というのも、数年間のうちに死んでしまうことが予期される場合は制作の全工程を計画できる(少なくとも私にはそうでもないとできないことです)点で、ひとつの要素でした。例えば、ポスターを積んだ「”Untitled” (Implosion)」(1991)という再現不可能な作品を作りました。また、いくつかのスナップ写真のうち1枚だけにサインを入れてその1点のみが作品となり他は作品ではないようにした作品「”Untitled”」(1994)もありましたが、そのサインを入れたスナップ写真というのが2体のおもちゃのフィギュアがベッドを共にしている写真で、空のベッドのビルボード作品「”Untitled”」(1991)との対照も生まれている——という具合に、いくつものひねりが見られます。
彼の「”Untitled” (Alice B. Toklas’ and Gertrude Stein’s Grave, Paris)」(1992/93)という作品についてのテキストも書きました。一見ただの花の写真でありながらも、公共性というものの性質の検証——これは彼の最も重要なテーマでもありました——に向けた議論を提起するという名作です。パリのペール・ラシェーズ墓地まで実際にお墓を見に行ったときには、アリス B. トクラスが永年のパートナーであったガートルード・スタインの20年後に亡くなったときに本人の意志でスタインの隣に埋められたという話を既に知っていたので、ゴンザレス=トレスはそのために写真を撮ったのだと思っていました。でもお墓自体は一人分の広さしかなく匿名性の高いもので、墓石にはガートルード・スタインの名前しか刻まれていませんでした。お墓の周りを歩いたときに偶然、裏側に刻まれているトクラスの名前に気付きました。この行為に気づいたゴンザレス=トレスはさぞかし興奮しただろうと思いますが、彼は墓石ではなく一種の「おとり」として花の写真を撮りました。そして作品のタイトルではトクラスをスタインの前に置き、トクラスが主役になるように関係を逆にしたのです。
作品自体も傑作だと思いますが、ゴンザレス=トレスの作品制作や彼が私生活を公にすることについての議論をとっても、公的な出来事を内在化することができる様子が伺えます。

 


Installation view of Felix Gonzalez-Torres, “Untitled” (for Stockholm) (1992) at the exhibition “Specific Objects without Specific Form” at Wiels, Brussels, 2010. Photo Sven Laurent, © The Felix Gonzalez-Torres Foundation, courtesy Andrea Rosen Gallery, New York.

 

ART iT あなたの作品においても「おとり」というコンセプトを取り入れているのでしょうか?

DV 取り入れたり取り入れなかったりしています。確かゴンザレス=トレスは、どのようにして作品を作るかは朝ベッドから起き上がるときにどちらの脚が先にでるかによって決まる、とどこかで言っていたような覚えがあります。ときには機嫌よく、ときには世界への怒りで震えながら。ボーイフレンドやお父さんの体重に合わせた作品「”Untitled” (Ross)」(1991)、「”Untitled” (Portrait of Ross in L.A.)」(1991)、「”Untitled” (Portrait of Dad)」(1991)を作ったすぐ後に「Placebo」や「Revenge」といった言葉のあるタイトルの作品も作れます。ときには彼の作品のキャンディーが意味のある物に思えるし、ときには屁のようなものにしか思えません。それが美しいところであって、この正直さはとても良い出発点になると思います。

 

ART iT あなたが活動を始めた頃、他にも重要な存在だったアーティストはいたのでしょうか?

DV もっと後になってからですね。最初の頃は本当にゴンザレス=トレスだけを研究していました。もはやストーカーまがいと言えるほどに。本当に良いアーティストというのは皆、自分が死ぬことを分かっているように思えます。それで何もかも手放して破天荒なラディカリズムを生み出すのです。今はそれが欠けています。だからこの場合は実際にエイズから何か良い結果が生まれたのだと言えます。

注: フェリックス・ゴンザレス=トレスの作品タイトルは引用符も作品タイトルに含まれている。

 

 


 

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第8号 テキスト

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