シュー・タン[徐坦] インタビュー

言語と種子:もうひとつの知の経路
インタビュー / アンドリュー・マークル


“Socio-Botanic” project (2013- ), video still from Immortality.

ART iT あなたの実践は、ビデオや彫刻のような具体的なメディウムではなく、言葉や知識といったものを第一に扱っているので位置づけが難しいですね。前々から、あなたの作品は基本的に非物質的なものだという印象を抱いてきましたが、ここ京都でのインスタレーションを拝見して、そこに熟考のための空間を創り出す、たしかな物質的要素があることに気がつきました。ご自身のアートへの取り組み方について、詳しく教えていただけますか。

シュー・タン[徐坦](以下、XT) 私はいわゆる美的経験と研究をいかに結びつけるかを重要視しています。通常、私の制作の大部分は、インタビューや調査、情報の分析という美術制度の文脈から外れたところで行なわれています。しかし、こうした活動を終えたら、次はその素材でなにかをつくりだす「組立」の段階に入ります。ここがアーティストにとって本質的な部分になります。私にとって、組立の基本要素は空間と現場。それは自分のコンセプトと他者の知覚との遭遇なのです。リサーチだけでは十分とはいえません。組立を通じて、社会への調査をさらに押し進めることができます。最近はこのようなことを考えています。


Both: Installation view in “PARASOPHIA 2015” at the Kyoto Municipal Museum of Art, 2015.

ART iT 何がこのような作品をつくるきっかけになったのでしょうか。大尾象工作組(Big Tail Elephants)*1に参加していた1990年代には、既にこうしたアプローチに関心があったのか、それとも、時間を経てこのように展開してきたのでしょうか。

XT 現在取り組んでいることは、大尾象工作組の頃とは全然違います。あの頃は、中国に比較的遅れて入ってきた初期のコンセプチュアル・アートを学んで、強い影響を受けていました。20年以上も前のことですね。2000年以降は、アートで何をすべきか、概念をいかに拡張していくかを考えることに関心が移っていきました。
基本的には、コンセプチュアル・アートをある程度理解したと感じた時点で、私たちはそれを使ってもっと別のことがやりたいと思うようになりました。そうした方法を中国社会、グローバリゼーション、さまざまな文脈で起きている物事を考えるために使いたいと思いました。

ART iT 自分の作品はコンセプチュアル・アートというより、いわゆるリサーチ型の実践だと考えていますか。

XT そうですね。コンセプチュアル・アートは根本的に概念と形式の問題を扱っていました。形式的なアートの頂点に達したコンセプチュアル・アーティストもいましたよね。彼らは後続の私たちのような世代に、いくつかの有用なアプローチを示してくれましたが、私たちは自分を与えられたものの中に制限すべきではありません。そのような概念への着目を乗り越えていかねばならないのです。

ART iT しかし、当然、言葉も概念です。そして、あなたは言葉を扱っている。

XT ええ、いまや「キーワード・プロジェクト」を始めて9年以上も経ちました。その間にこのプロジェクトもずいぶん変わりました。最初の3年間は、「キーワード・サーチ」と呼んで、さまざまな社会集団を調査するインタビューを数多く実施し、その結果からキーワードを検索した「キーワード・ディクショナリー」(2008)などの出版物を制作しました。それから、2008年から2011年の主なプロジェクトは「キーワード・スクール」でした。交換に関するキーワードを使いながら、さまざまな人々があらゆる課題を話し合う社会的なフォーラムを開催しました。2011年以降、「キーワード・ラボ」と呼ぶ新しい段階に入ってきました。ここの作品と社会植物学プロジェクトは「キーワード・ラボ」の一部にあたります。
以前は、私の実践はある種のコンセプチュアルな言葉遊びで、ゲームから学ぶことができるのは確かですが、最近では作品をより拡張するために、キーワードの方法論に関心があります。あるゲームが終わると、そのゲームの既存の構想を使うだけでなく、新しい概念を創り出したいと考えるのですが、例えば、私たちは「社会植物学」という新しい言葉を創りました。この言葉は、インターネットで調べてみても、これ以前にはどこにも見当たりませんでした。また、調査を通じて、「動物的な自由」という概念も頭に浮かんできました。この概念を支えるための膨大なリサーチがあります。最近は、文化人類学者や社会学者と協働して、このプロジェクトの領域のさらなる展開を試みています。ここで重要なのは、私がアーティストという自分の立場を明確にしていることです。表面的な類似性はあれど、ほかの領域の研究者とは当然まったく違いますから。


Both: “Social Botany” project (2013- ), video still from Visible Speech Writing.

ART iT 例えば、日本では中国語の「造型(zàoxíng)」に相当する「造形」という言葉が、しばしば美術学校の名前に見られるように、創造的な行為と強く結びついています。この言葉は、文字通り、つくることや具体的な形を与えることを意味しています。中国語の「造型」にも同じようなニュアンスがあるかどうかわかりませんが、あなたの制作に「造形/造型」的な側面はありますか。

XT 私の作品の基本となる形式は、3つか4つの表現方法に従っています。まず、人々と話すために地方やいろんな場所に行くこと。とはいえ、このインタビューはただのインタビューではありません。美的経験の交換なのです。例えば、京都では植物園の元館長にインタビューをして、それはとてもいい話し合いになり、本当にアートの深い問題へと入り込んでいくのを感じました。この交換は美的感情に溢れていて、単なる知識の交換といったものではありません。これが私の作品のひとつ目の要素、ある種のサイトスペシフィックなパフォーマンスです。次に、ここで展示しているように、こうした交換をビデオやインスタレーションに変換すること。これらは今までどおり、非常に重要なものとして考えています。
その次に来るのは、書き記すことです。私は言語を3つの活動に分けていて、ひとつは「書く」と「読む」。もうひとつは「話す」「読む」「聞く」。3つ目は私が「可視的な話しことば(visible speech)」と呼んでいるものです。そんなわけで、私にはふたつの執筆方法があります。まず、コンピュータで打ち込むのであれ手書きであれ、テキストを使うこと。そして、「可視的な話しことば」。これは単純にビデオカメラを向けて、そこに向かって話すことです。この3、4年の間にこうしたことをやっていて、今回のプロジェクトでも見ることができると思います。私はこれを「可視的な話しことばを書き留めたもの(visible speech writing)」と呼んでいるんですね。
このように、私の実践の核となる3つの要素は、パフォーマンス、ビデオ&インスタレーション、文章になります。ときどきドローイングを描いたりもしますが。

ART iT あなたが口にした「社会植物学」という言葉は、2013年に広州のビタミン・クリエイティブ・スペースで開いた展覧会『Questions, Soil and ‘Social Botanic’』でもテーマとなっていました。この言葉はメタファーとして捉えればいいのか、それとも、ひとつの体系と考えればいいのでしょうか。例えば、ここで展示しているビデオには、農場主や農園主へのインタビューが映っています。あなたは農業のさまざまな側面にまつわる知識を得ることができたと思いますが、その知識はどうなるのでしょうか。

XT 私は可能な限りさまざまな農業の場所を訪れているんですね。まだアメリカ合衆国にいたときにも農場主を訪ねていましたし、中国にいるときはほとんど毎週地方に出掛けています。とはいえ、私がこの研究で望むのは、植物学的な知識とも文化人類学的な知識とも異なるものです。私の研究の指針となるふたつの方向性があります。ひとつめは中国の政治的状況の調査で、独裁政権下で農民や人民がどれだけの苦しみを経験し、それでもなんとか状況を受け入れていることを理解したい。中国には、過去の知識人にまつわる言い伝えがあって、それは自由を欲するのなら、詩人の陶淵明(365-427)のように、山里へと離れ、菊を摘みながら暮らしなさいというものです。*2 この伝承は今日にも強い影響を残しています。大半の知識人が惹かれているのは、「独善其身」という句です。それは、広義の政治的状況を変えるのは不可能なので、彼らは個人的な道徳を深めることに力を注ぐということです。これも中国における政治的な行為の表し方のひとつなのです。とはいえ、私は植物学の研究を経て、農民の意識や「動物的な自由」について学んできました。
この研究のもうひとつの指針は種のことです。現代の農業では、誰もがアメリカ合衆国に拠点を持つモンサントのようなコングロマリット(複合企業)から種を購入しています。この利益を最大限に考慮した動きが至る所で凶作を引き起こしていて、私はこの現象を理解しようとしているわけです。これらが「社会植物学」に含まれている研究のふたつの方向性としてあります。

ART iT 知識人は政府を変えられないけど、農民は異なる解決策を提示しているということでしょうか。

XT 農民と言ってもさまざまです。太古の昔から、知識人は基本的には国家の官僚組織の高官で、それ故に、自由に考えたければ、農業をはじめ、山里へ隠れよという考え方が出てきたわけです。皇帝や独裁者に抗うことなどできません。これが文化となり、習慣となりました。未だに多くの人々がこうした考え方に従っています。

ART iT しかし、どんな国でも全体主義体制との距離を確立するのは難しいことです。アメリカ合衆国やイギリスは民主主義の手本として支持されていますが、そこでもなんらかの形で全体主義体制が作用しています。ただ、それがわかりづらいだけです。日本もまた同様ですよね。大半の人は民主主義を手にしていると信じていますが、高度な全体主義体制が存在します。

XT とはいえ、それでも中国よりはマシでしょう。農民たちに惹かれるのは、彼らがほとんど動物のように生きているからです。中国文化の美しい側面とは、人間と動物の繋がりを維持していることです。例えば、中国には人間の営みを表す動物のメタファーを使った言葉や言い回しがたくさんあります。私たちの文化では、人間と動物の区別はそこまで断固としたものではなく、ヨーロッパの文化とは異なっています。


Above: “Social Botany” project (2013- ), video still from Plant. Below: “Social Botany” project (2013- ), video still from Consanguinity.

ART iT 「キーワード・プロジェクト」に話を戻しますが、以前、あなたは多国籍企業「コーウィン・グローバル(Cowin Global)」との「コーウィン・グローバル・キーワード」(2010)をはじめ、さまざまな組織とプロジェクトを実施していましたね。ここで「キーワード」ワークショップは、内在する問題を解決、管理する企業戦略と、労働者を組織するアクティビズムの戦略の狭間という曖昧な空間を占めています。こうした実践について、もう少し説明してもらえますか。

XT 「コーウィン・グローバル・キーワード」はだいたい5年前ですね。コーウィン・グローバルは香港を拠点とするスウェーデン系企業で製造の中心地を青島に置いています。私はそこで中国人スタッフとプロジェクトを実施しました。昨年、サンフランシスコの中国文化センターやチャイナタウン・コミュニティ開発センターと実施した「サンフランシスコ・チャイナタウン・キーワード・スクール」は、このプロジェクトの最新のものです。サンフランシスコの「キーワード・スクール」は、まる一年間運営し、たくさんのアーティストや社会組織に参加を促しました。これらは共同のプロジェクトであって、自分だけのものではないと考えています。しかし、中国は特別な状況にあると思います。多くのアーティストがすぐに結果を求め、成功を手にしたいと考えています。文化大革命を機に中国社会は変わりました。この頃に新自由主義が現れはじめました。今ではみんな革命期の考え方を拒み、個人的な成功に邁進しなければならないと考えています。人々の頭の中にはそれしかありません。有名になれば、富、権力、新たな機会を手に入れられる。だから、他人のためにできることがしたい、質素な生活を続けたいなんて言ったら、メインストリームからは逸脱してしまうでしょう。


Installation view at the Kyoto Municipal Museum of Art.

ART iT 中国の古典文学には、隠れた賢人や学者として匿名の人生を送る「隠士」という魅力的な人物像があります。例えば、共同市場で肉屋とかとして働いているけれど、社会や出来事に対する優れた洞察力を持ち、適切なときに君主とそれを共有する人物です。

XT はい。隠士は社会から隠居した古き知識人について私が先程話していたことに似ています。私はそれを「動物的な自由」の洗練された現われだと考えているのです。一方で、彼らは真に自由というわけではありません。「終南山之路」という句があります。有名になりたいとか、権力者や政府から認められたいと思うのであれば、まず、正反対の方向へと向かい、参加せずに身を隠すべきだという意味です。正反対の方向へ向かえば、いずれ目的地へと辿り着き、認められることとなるでしょう。

ART iT あなたは中国美術における隠士だと言えませんか。

XT いえ、それは違います。ときに、隠士になることは戦略的な選択です。私が一番大事にしているのは、自分がやりたいことをすることですね。


*1大尾象工作組:中国初の国家級経済技術開発区の一つが設置された広州の、急激な都会化に伴う問題を中心的に取り上げた作家集団。リン・イーリン[林一林]、チェン・シャオション[陳劭雄]、リャン・ジューフイ[梁矩輝]が1990年に設立。その後、シュー・タンのほか、チェン・グオグ[郑国谷]、チャン・ハイアル[張海兒]、ホウ・ハンルゥ[侯瀚如]が参加。

*2 「采菊東籬下 悠然見南山(菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る)」陶淵明「飲酒」詩の第五首より

シュー・タン[徐坦]|Xu Tan
1957年湖北省武漢生まれ。現在、広州とニューヨークを拠点に活動。93年に広州の急激な都市化に伴う問題に取り組んだ「大尾象工作組」に参加。綿密な調査に基づく実践は狭義の美術の領域に留まることがない。とりわけ、2006年から取り組む「キーワード・プロジェクト」は形を変えながら、現在、「キーワード・ラボ——社会植物学」という方法論として展開している。これまでに、ベルリン(2001)、光州(2002)、ヴェネツィア(2003、2009)、広州(2005)、深圳彫刻ビエンナーレ2014など多数の国際展に参加している。
PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015では、「社会植物学――種と血筋」(2015)を京都市美術館の南側階段に展示。京都での調査内容と併せて、マルチチャンネルのビデオインスタレーションとテキストなどの素材を組み合わせた「読書空間」を創り出している。
http://www.xutan-keywords.com/


PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
2015年3月7日(土)–5月10日(日)
http://www.parasophia.jp/

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