第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ 国別パビリオン

The 54th International Art Exhibition, La Biennale di Venezia
2011年6月4日(土)– 11月27日(日)
http://www.labiennale.org/en/art/

アーティスティックディレクター、ビーチェ・クーリガーは今回、国別パビリオンの参加アーティストにも、企画展のテーマである『ILLUMInations』に関する質問を投げかけ、その答えをカタログに掲載した。そのことが影響したかどうかはわからないが、結果として国別パビリオンにおいても、視覚的に「光」や「国家」に関連した作品が多く見られることとなった。
今回の参加国数は89カ国。ハイチやバングラデシュなどが初参加。インドやイラクなど長期にわたり不参加であったが再度の参加を果たした国も多数。また今後、アルゼンチンなど数ヶ国が新たに固定したパビリオンスペースを持つことも決定している。

アメリカ アローラ&カルサディーヤ『Gloria』

イギリス マイク・ネルソン『I, IMPOSTOR』

イタリア グループ展『イタリア統一150周年の美術』『美術はマフィアではない』

スイス トーマス・ヒルシュホルン『Crystal of Resistance』

ドイツ クリストフ・シュリンゲンズィーフ

日本 束芋『てれこスープ』

ポーランド ヤエル・バルタナ『…and Europe will be stunned』


アメリカ

アローラ&カルサディーヤ『Gloria』


Allora & Calzadilla All: Photo ART iT
ダン・キャメロン「アローラ&カルサディーヤ:右にでるものなし」参照

フォトレポート The 54th Venice Biennale – National Pavilions 2


イギリス

マイク・ネルソン『I, IMPOSTOR』


Mike Nelson
今回、オープニング期間中最大の行列を誇ったパビリオン。今回の代表作家、マイク・ネルソンはパビリオン全体をほこりっぽく、みすぼらしい迷路のように入り組んだ室内に転換した。これは2003年の第8回イスタンブール・ビエンナーレに参加した際、17世紀頃建てられた砂漠を旅する商人のための宿であった建物を、古い工具や写真を持ち込み見捨てられた工房といった場所に変容させた現地でのインスタレーションの、規模を大きくしての再制作ともいえる作品である。そのイスタンブールでの作品を基に、ネルソンが2001年、初めてヴェネツィア・ビエンナーレの関連企画としてジュデッカ島で行なった個展『The Deliverance and the Patience』時の個人的な記憶と、ヴェネツィア、イスタンブールの東西の商業の交流地点という歴史における共通点からの視点を加え、パビリオンに組み込んでいる。パビリオン内の作り込みは見事で、特に暗室の作り込みとそこに大量に飾られた写真が生み出す不気味な雰囲気(完全なる不在)は観客の不安を煽る。しかしながら、ヴェネツィア、イスタンブール、そしてイギリスとの繋がりがあまりにもゆるやかで、個人的な記憶のみに依っており、単に視覚的効果のみの雰囲気重視のパビリオンに終わってしまっていた。

フォトレポート The 54th Venice Biennale – National Pavilions 4


イタリア

グループ展『イタリア統一150周年の美術』『美術はマフィアではない』


Italian Pavilion
今回あらゆる意味で驚きの声があがったのはイタリア館。ベルルスコーニ政権が、文化政策への介入の一環としてイタリア館の企画に関わるようになった前回2009年よりさらに規模を大きくした展示。
悪名高いメディア「文化人」であるヴィットリオ・スガルビが今回のキュレーターを務め、『イタリア統一150周年の美術』『美術はマフィアではない』のふたつの展示を行い、ジョルジュ・アガンベンなどを含む知識人、映画監督など200人にそれぞれアーティストを推薦してもらい、200点以上の作品を展示した。ほとんど隙間のない展示は、二流のアートフェアに紛れ込んだかのような錯覚を与える。作品の質に関係なくポピュラリズムに走った展示は展覧会というより展示会といった趣であったが、そのキュレーションなき展示には批判というより、呆然とする人々の姿があった。
奇しくもオープニングの直前にあたる5月30日、ベルルスコーニのお膝元のミラノ市では、首相が党首を務める政党が大敗し、左派候補が市長となった。ヴェネツィア・ビエンナーレ自体は独立性を保っているものの、ベルルスコーニ政権の弱体化がイタリア館の質の復活の鍵を握っていることは明白で、政権の行方にもイタリア美術界の注目が集まる。

参考記事 イタリア国立21世紀美術館(MaXXi)レビュー(2010/06/14)


スイス

トーマス・ヒルシュホルン『Crystal of Resistance』


Thomas Hirschhorn
今回オープニング期間中、最も評判が高かったパビリオンのひとつが、ジャルディーニのパビリオンに『Crystal of Resistance』と題したインスタレーションを展開したトーマス・ヒルシュホルンによるスイス館。グローバル社会や資本主義に対する強烈な批判を持った作品制作を続けるヒルシュホーンは、極右の議員がスイス連邦政府の評議員となった2004年から4年間、生まれ育ったスイスでの展覧会を拒否する態度をとりつづけた。そのため、極右議員が評議委員からいなくなったとはいえ、彼がスイス代表を務めることの是非を巡って、開催前に議論が巻き起こっていた。
ヒルシュホルンは今回の展示で、普段から作品制作に使用しているアルミホイルやガムテープという素材に加え、企画展『ILLUMInations』を意識してか、ガラス、クリスタル、ブラウン管テレビ、携帯電話など光を生み出すものや連想させる素材を多用している。また、現在における「知」をもたらすという皮肉的な意味で使っているとも解釈できる各国の雑誌の表紙が、リビア問題や日本の津波問題など最新の社会政治の問題を切り取って見せていることに加え、ところどころに大量に展示された戦争や軍隊の写真が現在も止む事のない悲惨な現実を伝える。その一方で造形的にはあきらかに過剰で、ばかばかしく思えるプリミティブな工作の集積であり、その集積故の暴力性が生まれている。一方で、なにもかもがゴミのように見えることから迷路のようなパビリオン内部を進むにつれ、深刻な現実世界がフィクションにすら見えてくる。物質としての素材と、物語としての素材が組み合わさることで、フィクションと現実が混ざり合う大きな渦を起こし、観客をその渦の中に巻き込んでいる点で非常に優れていた。

フォトレポート The 54th Venice Biennale – National Pavilions 2


ドイツ

クリストフ・シュリンゲンズィーフ


Christof Schlingensief
代表作家に選ばれた直後の2010年夏に50歳の若さで急死したクリストフ・シュリンゲンズィーフの回顧展。シュリンゲンズィーフは映画監督および演出家、脚本家として活躍したアーティストであり、常に挑発的な姿勢でドイツ国内では若者を中心にカルト的な人気を誇っていた。
コミッショナーはフランクフルト市立現代美術館(MMK)のディレクター、スザンネ・ゲンズハイマーだが、シュリンゲンズィーフを選んだ際には国内で大きな驚きと議論が巻き起こった。
アーティストの急死という事態に面して、ディレクターとシュリンゲンズィーフの妻、および彼と長年に渡り働いていたスタッフたちは協議し、準備中であった新作プランの代わりに彼のこれまでの仕事を包括的に見せる回顧展形式にすることを決定した。もともとの新作プランは、フランクフルト市立近代美術館のマリオ・クラマーによると、「アフリカン・ウェルネス・センター」をパビリオン内に作成するというものであった。これは内部にマッサージセンターやハマムを併設し、アフリカの風景を見せるジオラマのようなものを作ることであった。また、パビリオンの外に檻を作成し、その中にアフリカ人の俳優やコンピューター技師、アーティストを入れて紹介し、その内のアーティストには2010年にサザビーズで高額落札されたリヒターによる「ニグロ」(1964)の写真絵画作品と同様の作品を制作させようとする挑発的なものも含まれていたという。これは19世紀ドイツにおいて、動物園が見世物小屋の役割を果たしており、動物園に小人やアフリカ人といった人々を見世物にしていた過去を踏まえ、シュリンゲンズィーフ自身が深く関わっていたアフリカとアフリカ人を特殊な環境にいれることで、国家とは何か、人種とは何か、また西洋的なこれらの問題に対する慣習や態度を問いただす非常に挑発的なプランである。しかしながら、このプランは本人の存在なしには人種差別と安易に誤解される可能性が高いプロジェクトでもあったため、関係者による協議の結果、彼の作品が知られていないドイツ国外への観客へも作品が伝わるような回顧展形式に変更したとのことである。
演劇、映画、ビデオと広範囲にわたる彼の仕事であるが、彼はまたアフリカで映画製作をし、ブルキナファソにオペラハウスを建設する計画を立てるなど、アフリカとの関わりも深かったため、演劇、映画、ビデオに加えアフリカも彼の作品の重要な要素であり、その4つをカバーする展覧会形式をとった。その中心となるのは、2008年ルール・トリエンナーレの際に制作されたフルクサス聖譚曲「A Church of Fear vs. the Alien Within』の舞台装置をパビリオン内に再現した大掛かりなインスタレーションである。フルクサスとワーグナーという彼の作品人生を形成したふたつの大きな影響を取り込みそれに問いかけつつ、時にはそのふたつをパロディー化し、信じることと疑うこといった彼が生涯にわたり考察しつづけたテーマを扱っている。この作品はシュリンゲンズィーフの中でも特に個人的なもので、彼が少年時代を過ごし、彼の葬式を行うこととなった、彼の人生にとって大きな意味を持つ教会を再構築したもので、そこに多数のプロジェクターを使って映像投射を行なっている。彼自身の病や痛みを伴う経験を通して、既存の生命の環、苦難、死について検証している作品でもある。
パビリオン後部にある左右ふたつの部屋は、ひとつは彼の映画を繰り返し上映する小さな映画館となり、もうひとつは彼の人生の後半で大きく関わったブルキナファソでのプロジェクトを紹介するスペースとなっていた。
今回、金獅子賞を獲得したことは、国家について考察しつつ、国内(もしくはドイツ語圏)では非常に有名だったシュリンゲンズィーフが、国際的にはあまり知られておらず、今回の展示によって知名度を上昇させたという点でも、ヴェネツィア・ビエンナーレにおける国別パビリオンの伝統的な役割を最大限果たしたと解釈することもできるものであった。

フォトレポート The 54th Venice Biennale – National Pavilions 3


日本

束芋『てれこスープ』


Tabaimo
外にあるピロティ部分を含む建物全体を使った映像インスタレーション。多数のプロジェクターによるパノラマ投影に鏡を使うことにより、さらに奥行を深くしたインスタレーションで観客を巻き込む。束芋がこれまでもしばしばモチーフに使用してきた、家と波の表現は偶然とは言え津波を連想させずにはいられない。
圧倒的な描写力に裏打ちされた綿密なドローイングによる完璧な視覚的効果を生んだインスタレーションは、観客にその背後にあるはずの社会に対するアーティスト自身のためらいや疑問を感じさせることはなく、観客自身の経験を投影させることも許す余地を残さぬほどアーティストが目指す物語を展開し、意図していた通りに、観客に空の高さを見せることに成功していた。

フォトレポート The 54th Venice Biennale – National Pavilions 3


ポーランド

ヤエル・バルタナ『…and Europe will be stunned』


Yael Bartana
インタビュー参照

アムステルダム在住のイスラエル人、ヤエル・バルタナによるユダヤ人新生運動プロジェクトの映像三部作の上映。ポーランド人でないアーティストが代表を務めるのは初めてのこと。「300万人のユダヤ人をポーランドに帰国させる」ことを目指すユダヤ人新生運動プロジェクトの全容が三部作を通して明らかになる。
今回プレミア上映となった最終作品の『Zamach』[暗殺]は、これまで運動を牽引してきたリーダーの死から始まる。ふたつの前作と同じように、語られる言葉はオープンであり、決して民族主義的でないにもかかわらず、そもそものプロジェクト自体がシンプルなメッセージであること、プロパガンダ映画の美学に魅せられてきたバルタナらしく、映像内で使用される衣装や小道具、語り方といった「型」が全体主義が行なってきた方式と一致し、見るものを困惑させる。
イスラエル人であるバルタナにとってはもちろん第二次世界大戦以降の中東の情勢がこの作品のそもそもの出発点である。一方で、この作品はポーランド側にとっても対イスラエル、対ユダヤ人という意味からだけでなく、彼ら自身の近年の状況とも重なってくる。ポーランドは2004年に欧州連合(EU)に加盟して以降、ヨーロッパ諸国に積極的に労働力を提供してきた。2008年のリーマン・ショックによる経済危機以降、特にイギリスやアイルランドにいたポーランド人の出稼ぎ労働者は職を失い、冷遇され、差別を受けることも多かった。そうした状況も透けて見えるこの映像作品の重層構造は鑑賞者それぞれが自らの政治的立場や人種といった問題を冷静に考えることを促す。その一方で、正直に言えば、ユダヤ人を巡る問題はあまりに象徴的で、特にヨーロッパが常に歴史的に直面してきた問題である。この作品がもつ優れた映像言語の残像効果により、この作品が伝える本質は、世界の各地で起こっているもしくは起こりうる問題ーーカンボジアとタイの国境問題、中国で起こっている様々なこと、さらには単純に日本国内での差別問題と置き換えて考えることも理論的には可能だーーと頭で理解できるにも関わらず、我々日本に住むものにとっては、地理的にも歴史的にもそれを身体的に理解するには距離を感じてしまうところがあった。それでも、インタビューでバルタナ自身が語るように、現在世界で起こっているあらゆる状況を少なからず反映していることは事実で、フィクションと現実を行き来するような作り方と、全体主義やグローバリズムの根本がどこにあるか考えさせる構成は見応えがあった。長時間にわたる滞留が苦にならないパビリオンである。

フォトレポート The 54th Venice Biennale – National Pavilions 5

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