第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ 企画展『ILLUMInations』

The 54th International Art Exhibition, La Biennale di Venezia
2011年6月4日(土)– 11月27日(日)
http://www.labiennale.org/en/art/


Jack Goldstein, The Jump (1978), 16mm film, colour, silent, 26″

1895年に開始し、世界で最も長い歴史を持ち、最も重要な国際美術展のひとつであるヴェネツィア・ビエンナーレの今回の企画展『ILLUMInations』は、物理的な光および概念的な光——もちろん啓蒙主義を含む——についての考察とヴェネツィア・ビエンナーレそれ自体が象徴する、国家とは何かという問いを含む展覧会であるが、我々、非ヨーロッパ人にとってはなにより現代美術の中心が今もヨーロッパであるということを認識させるものであった。ここ数回に渡って見られていた多文化的かつ百花繚乱的な展覧会は鳴りをひそめ、2010年ベルリン・ビエンナーレ以降の国際美術展でもしばしば見られるものと同じように、トレンドを見せる国際美術展というよりは、テーマに忠実にそった大型の企画展という様相となった。


Gianni Colombo, Spazio Elastico, 1967–68 (1968)

スイス人キュレーター、ビーチェ・クーリガーは、展覧会全体を通して視覚効果を発揮させた美しい展示を展開した。ジャルディーニのセントラルパビリオンは、ティントレットの大型絵画作品を3点パビリオンの中心に据え、見るものを圧倒した。しかし、この展示は当初のコンセプト通りとはいえ、その過剰にドラマティックな要素によって、他の展示作品との関係性と相容れない明らかな違和感を感じさせるものであった。ヴェネツィアのアカデミア美術館やサン・ロッコ大信徒会といった場所で見られるティントレット作品が保持する建築的および宗教的文脈からあまりにかけ離れたホワイトキューブでの作品展示は企画展のコンセプトの正当化としか映らず、他の作品との整合性に欠けていた。『ILLUMInations』の骨子を作っていたのは、むしろその中央ホールより手前に展示されたふたつの作品であった。レニ・リーフェンシュタール監督によるベルリン・オリンピックについてのドキュメンタリー『オリンピア』(1936)におけるジャンプ映像を使って制作されたジャック・ゴールドスタインのフィルム作品「The Jump」(1978)は、ヨーロッパの啓蒙主義が生み出した光およびその作品の背景の文脈が示すヨーロッパの闇とも言える部分を象徴している。また、その反対側に展示されている、1968年のヴェネツィア・ビエンナーレで賞を獲得したジャンニ・コロンボの「Spazio Elastico, 1967–68」(1968)は闇に浮かぶ光を表現しており、このふたつの作品により近代から現代へ向けての大きな「光」の意味を見せることに成功していたように思える。同パビリオンで特に印象に残った他の作品は、昨年亡くなったジグマー・ポルケの絵画作品、ガブリエル・クリのインスタレーションからフィッシェリ&ヴァイスの泥の彫刻作品によるインスタレーションを抜けてカール・ホルムキヴィストが制作した、ムッソリーニの計画途中のローマ万国博覧会会場に残るイタリア文明館の模型作品が展示された場所までの3つの連続する展示室、ナイリー・バグラミアンのインスタレーションなど。


Both: Andro Wekua, Pink Wave Hunter (2010-11), installation consisting of 15 sculptures on a pedestal

一方、アルセナーレは空間が持つ性格から、セントラルパビリオンで感じられた洗練さは失われ、より素材の力を持つ作品が展示されていた。入口における宋冬(ソン・ドン)のパラパビリオン(実際はイト・バラダとは同じ部屋であるが、別のインスタレーションであり、パラパビリオンとしては機能していなかった)は、今回の企画展の中で数少ないエキゾチスムを醸し出し、国際展であったことを思い出させてくれる。ロマン・オンダックによるチリ鉱山事故で閉じ込められた33人を助けた救出用カプセル「フェニックス2」のレプリカを見ながらアルセナーレを進むと、「ILLUMInations」を字義通りに捉える鏡や光の作品が続く。アンドロ・ウェクアのインスタレーション作品「Pink Wave Hunter」(2010–11)は彼が昨年の光州ビエンナーレで見せていた作品と同じく模型作品。ここでは、彼の故郷の街、グルジアのスフミにあった建築物を17年前の記憶とほとんど残されていない資料を頼りに構築している。したがって、実際の建物とは異なる部分や抽象的に作ってある部分があるものの、それを記憶のギャップとして残し、模型の素材の選び方に至るまであくまでも主観的に作り上げる。作品の形式は彫刻、ペインティング、ビデオと多岐に渡るが、ソビエト連邦時代に現在のグルジアで生まれ、10代の頃にグルジアの独立に伴う内戦において父を殺され、母と兄弟と共に故郷を去ったこの作家にとって、自分の人生を振り返り、それを再構成する行為こそが作品の根幹を成す。二度と戻れない故郷に対する望郷の念と、一方で父を殺された場所である故郷のトラウマにまみれた記憶を執拗に追い、作品化する。


Above: Nick Relph, Thre Stryppis Quhite Upon ane Blak Field (2010), triple CRT projection, 3 projectors, 3 DVD players, 3 DVDs, speakers, RT 44’01”. Below: Emily Wardill, Sick Serena and Dregs and Wreck and Wreck (2007), 16mm film

ニック・レルフの「Thre Stryppis Quhite Upon ane Blak Field」(2010)は、緑、赤、青という光の三原色の各単色に対して1台のプロジェクターを使って、3種類の映像をひとつの画面に重ね合わせる。タータンチェックの歴史、エルスワース・ケリー、コム デ ギャルソンについてのドキュメンタリー番組を混じり合った音声と共に上映する。三原色に還元され、重なり合うことで別の色に変化するイメージを通して、我々が知覚している映像がどのように作られているか、光が織りなす映像の仕組みを身体的に感じ取ることができた。同様に重ね合わされた映像作品として、エミリー・ウォーディルの「Sick Serena and Dregs and Wreck and Wreck」(2007)も秀逸であった。中世の英国国教会のステンドグラスの図像の映像と、愛や信仰についての稚拙にも見える寸劇とが重なり合わさった映像作品であるが、中世においてステンドグラスに描かれた図像は当時読み書きが出来ない人々に寓意を伝えるコミュニケーションの手段であったこと、また寸劇という口頭でのコミュニケーションを同じ画面で展開することによって、現在におけるコミュニケーションについての考察にもなっている。ステンドグラスという物理的にも美しい光を透過するものと、物事を伝える知性という意味での光を巧く組み合わせており、「ILLUMInations」というテーマに相応しい作品であった。


Above, both: Urs Fischer, Untitled (2011), wax, pigments, wicks, steel, installation, dimensions variable. Below: Monica Bonvicini, installation view

一方であまりにもわかりやすく表面的な理解を呼び起こす作品があったことも否定できない。ウルス・フィッシャーによるジャンボローニャ作「サビニの女たちの略奪」(1574–82)の同寸レプリカ、および彼の友人アーティスト、ルドルフ・スティンゲルの等身大彫刻をいずれもワックスで制作し火をつけた作品は、会期中に徐々に破壊されていくというコンセプトで注目を集め、シニカルな笑いを誘うものではあるが、あまりにも表層的な皮肉としか思えない。ジェームズ・タレルの作品についても、ある種のポピュラリティーを獲得できるものではあり、知覚における光を考察する上で必要であったかもしれないが、それ以上のものではなかった。アルセナーレの最後を飾ったモニカ・ボンヴィチーニは、女性が置かれている束縛や制約がある社会に対してフェミニストとして抗う彫刻作品を作り続けているが、今回の作品は作品自体が持つ強さが、光を使っているというその1点のみにおいて、視覚的に美しいものに映ってしまうという不幸に見舞われたように感じた。


Above: Song Dong, Song Dong’s Parapavilion (intelligence from poor people), (2011), site-specific installation steel and wooden house, 100 wardrobe doors. Below: Franz West: Para-Pavilion

もうひとつの問題は、クーリガーが主導して行なったパラパビリオンがうまく機能していなかったことであった。前述したように、宋冬によるパラパビリオンは、バラダの作品をホストしておらず、コラボレーションが成立したとは言い難い。また、同じアルセナーレに展開されたフランツ・ヴェストのパビリオン「Extroversion」(2010–11)は、ウィーンの彼の自宅の台所を再現したものであるが、内側にあるべき壁を外に向けて、そこに彼のアシスタントやアーティストの友人達の作品を数多くかけている。パビリオンという、何かを内部で見せる場所を敢えて逆にすることで外に向けたものとしているプロジェクトとして興味深くはあったが、作品としてはアルセナーレの庭園、ジャルディーノ・デッレ・ヴェルギーニに展示された「Eidos」(2009)の方がやはり魅力的であった。オスカー・トゥアゾンによるパラパビリオンはその意味では最も力強く美しい作品であり、そこでパフォーマンスが行なわれるなどパラパビリオンとしての機能を果たしていたが、アイダ・エクブラッドによるペインティングが必要だったかどうかは疑問が残った。


Both: Oscar Tuazon: Para-Pavilion

「ILLUMInations」というテーマ自体は可能性があるものではあったが、展覧会の視覚的な美しさについては高く評価できるものの、そのコンセプトにおいて普遍的な広がりが見られなかったことについては悔やまれる。特にティントレットを出発点とするのであれば、未来に向けた展望が提示されるべきだったとは思うが、前述したフィッシャーの他、ライアン・ガンダー、マウリッツィオ・カタラン、フィリップ・パレーノといった実体を伴わない虚構を作り出す刹那的なコンセプチュアルアーティストの作品が陳列されることで、国とは何かを問う重厚になり得たテーマが軽い光のように消失したかのようであった。

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