艾未未のことば 13 中国での初個展『艾未未』展をめぐって―艾未未インタビュー

中国での初個展『艾未未』展をめぐって―艾未未インタビュー
インタビュー / 蘇晏(翻訳、解説 / 牧陽一)


All images: Photo Yoichi Maki

艾未未(アイ・ウェイウェイ)の名をそのまま冠した展覧会「艾未未」展*1 が2015年6月6日午後、盛大に開幕した。私たちはその準備の最終段階に勤しむ艾未未にインタビューをおこなった。今回の展覧会は北京の798芸術区における重要な芸術機構である常青画廊と当代唐人芸術中心が共同で開催している。ひとつの作品がふたつのアートスペースを貫通して全体が展示スペースになっている。艾未未が帰国してから22年、最大規模で最も重要な美術展として注目される。アーティスト艾未未に関する論争は絶えない。今回の取材で彼は何を言うだろうか、どんな痛みがあなたを瞠目させるだろうか?驚愕するか、言葉を失くすか、感銘するだろうか?

キーワード
展覧会のコンセプトはどこから来るのか?
どのように実行したのか?
作品製作資金はいくらか?
芸術と金銭に対する考え方は?
覇権問題をどうみるか?
中国のアーティストに最も罵られる人?
なぜ「私より成功した芸術家はいない」といえるのか?
それなのになぜ自分をかなり失敗した人間といえるのか?
アーティストの無力が彼を絶望させるのか?
作家王朔*2は彼を罵ったことがあるのか?
なぜ少年時代を忘れたい時代というのか?
こんなに早く自伝を書くのはなぜか?
息子の名前はどうして艾老なのか?
艾老が彼の代わりに受賞したのはなぜか?なぜ彼は感動したのか?

取材:蘇晏(牆芸術執行理事)
対象:艾未未
時間:2015年5月25日(月)

インタビューを始める前に蘇晏が私たちは「牆報QiangBao(壁新聞)」です、と自己紹介すると、艾未未は「強暴QiangBao」だって?非暴力について話すんじゃないの?と。それを受けて蘇晏は「強暴ではありません。でも駄洒落でそう取って貰ってもいいです。日ごろあなたは他人に強暴(暴力的)ですから、今日は私たちに強暴(強迫)されてください。」と返答し、インタビューはみながリラックスし、楽しげな雰囲気のなか、始まった。

蘇晏(以下、SY) 今回の展覧会では何を出品したのですか?

艾未未(以下、AWW) 現場で見ることのできるのはおよそ400年の歴史を持つ明代末の祠堂(祖廟)だ。汪家の祠堂で、江西省上饒市婺源古県江湾镇暁起村の汪という姓の家族の祠だ。汪家は茶の販売を生業にしていた。商売がうまくいって、こんなに巨大な祠を建てた。祠は数百年の社会変遷を経ている。様々な変化の中で落ち着くことはなかった。資産家や地主が社会から取り除かれた後、村人も誰も顧みることはなかった。祠は荒れ果てて、数十年の間にスクラップになってしまった。
ここ十年来、古建築は再び不動産として利用されるようになり、民族的あるいは復古的な装飾として、各娯楽施設や飲食、私宅に出現することとなった。この美術展はこのプロセスのなかで形成されたもので、くどくど言うようだがこれはプロセスだ。ふたつの画廊が私を呼んでくれた。私はふたつの画廊に跨ってひとつの作品を造ろうと思って、この考えが出現した。ひとつの家屋を隣接しているふたつのスペースの間に掛け渡す。空間も十分に大きい。私の意の通りの家屋を見つけた。汪家の祠だ、これが得がたい機会を作り出してくれた。

SY なぜこんなにも大きく、ふたつの画廊を突き抜けさせたのですか?

AWW 中国に帰国して22年、ここでこんな美術展をして、ひとつの作品を展示して、両方の画廊に半分ずつ展示する。大きいだろうか?私は器物に関心はない。いかなる形式にも全く興味がない。もっと大きく言えば「美感」にさえも興味がないといえる。私は人の行動様式にだけ興味がある。作品を通じて私のあるいは他人の行動様式をデザインする。この行動様式には思考、組み立て、考察解釈、理解が含まれていて、それらが私の関心の所在だ。私に言わせれば、作品には大きい小さいという問題などない。我々は通常、人間を標準として大小をはかっているが、宇宙空間では私たちの星も塵に等しい。もし蚊を拡大すれば、あなたに宇宙以上に大きいという感覚を与えるかもしれない。大小というのは錯覚に過ぎない。この錯覚は利用できる。多くの人は錯覚によって日々過ごしているのだ。

SY 確実に表出する理念はありますか?

AWW その理念は形成過程のなかにある。歴史的な器物を今日の文脈のなかに置き、本来の方式で再び平静に現す。祠が倒れたあと、その使用機能も体系も失われた。祠堂を再建するには不完全で、鑑賞に値するようなものではない。たとえこんなものでも、人々はその一部分しか見ることができない。ひとつの空間のなかで鑑賞することができない。もうひとつの空間を想像するか、ひとつの空間の記憶を手繰るしかない。この製作過程ではまずふたつの画廊の承認を得ることだが、この承認は私への信用から来る。この信用は私の「海外での名声」による。私は海外で多くの美術展を手がけてきた。画廊は何の制約も加えることなく自由に遊ばせてくれ、すばらしい機会だった。特に唐人画廊だ。この古い家屋が彼らの事務室を貫き、全ての床面も壁面も破壊することになった。彼らがゴーサインを出してくれたのだから、喜んでやらないわけにはいかない。製作には長い時間がかかった。5ヶ月をかけてこの家屋を解体し、1500件の構造部材とし、測量し、印をつけ、製図した。浙江省から運搬し、20日間の建築期間を要した。今日は17日目で、まだ3日残っている。
私は1993年に帰国して、今日までひとつの美術展も自らで完成させたことがない。何点かの作品を展示したことはあるが、どれも画廊が展示を完成させた。今回ふたつの画廊が招聘してくれたが、時期的にはぴったりだった。国内で多くの経験を積んできた。百棟以上の古建築も見てきて、興味はあったが、これで何かつくるとは思ってもみなかった。私は懐古趣味ではないし、骨董としてものを見るのが好きではない。私は1996年に古建築に触れ、初めて浙江省に行った時にはかなりたくさん見、深い印象があった。北方で育った私が、南方の建物に入って、天井を見上げる。木材の構造や彫刻の細工は確かに驚きだった。中国の器物は完成された体系下にあって、その体系が数千年に渡って継続されている。各王朝の材質や趣味、工芸は違うが、潜在的な体系は全く乱れてはいない。1949年まではそうだったが、それからはこの秩序は二度と存在しなくなった。残ったものも不動産開発、新農村の建設の中で消失した。

SY この作品は売りに出すのですか?売るとすればいくらですか?

AWW 君と話をしているのは君に売るためじゃないか。さすがだね、君には実力がある。原価で売ろうじゃないか。

SY 頑張りますから、原価でお願いします。あなたの作品はどれもお金がかかっていますね。金銭と芸術の関係についてどうお考えですか?お金がなければアートはできないのでしょうか?

AWW 芸術も金もどちらでもない。私はこのふたつの材料を使う人間に過ぎない。お金があっても代価を惜しむことはないし、なくても私の観念や態度に影響するわけではない。私の作品にもお金のかかっていない廉価な作品もある。針金のハンガーで(デュシャンの)横顔をつくった「Hanging Man」(1985)なんか針金をちょっと曲げればできる。同じように売っているよ。お金のかかった作品もある。たとえば「ひまわりの種」は1600人の職人が2年半働いた。お金は種を描いた女性たちに支払った。お金は手工業者に支払われるのだから、まずいことは何もない。こういう面では私ははき捨てるように金を使う。無駄な使い方はしない、節約もしない、私の作品をつくる人が実利を得て欲しい。もしも金銭が人に快楽も実利も与えないのなら、それは要らないものだ。私は北京で定職もないし、家もいい車だって持っていない。私の事務所は借りた土地に建っている。私は作品のためにお金を使うのはうれしいことだ。お金を使いたいところに使うのはとってもいいことだ。

SY でも、ほかのアーティストには、彼らの経済的基盤を考えると、あなたのような作品は作れません。

AWW じゃあ、勉強して便器でも買えばいいだろう。大きいのを買えばいいよ。

SY それでは剽窃、模倣で罵られます。

AWW 罵られ、批判を受けることはアーティストにとって助けになることもあるだろうし、害を与えることもある。私は中国のアーティストのなかでは、最も多く批判された人間だろうね。

SY そう思っているのですか?あなたは批判されることも成果のひとつだと思ったことはありませんか?

AWW 批判を受けることは成果なんかじゃない。怨恨とは成功に対する理解から来るのだ。彼らは私の存在を障害だと思っている。あるいは私には分からないがほかの何かかもしれない。私も触れ回るようなことはしてないし、しかも言いふらせば、その結果自己の消失を招くだけだ。海外で人に認められるのは別のことだ。私の人生で画廊も美術展もこちらからお願いしたことは一度もない。数百の展覧会に参加したり、開催したりしたが、オープニングに出席した展覧会はほんの僅かでいくらもない。たぶん10は超えないだろうね。私は低迷しているのだ。しかも私は自分が芸術家ではない、偽者だ、政治をやっているとずっと言ってきたからね。

SY あなたはさっき多くの人があなたに怨恨を抱いているといいましたが、実際のところ、私の理解では、多くの若いアーティストが、あなたに憧れ尊敬している。あなた個人がほかのアーティストに与える影響をあなたはどう思っているのですか?

AWW 確かにある。いくらかのアーティストはそうだね。私は私の存在が、ある種の価値を具えることを望んでいる。特に若い人に見本になるような作用を望んでいる。それは私が物をうまく作るとか作らないとかには関係なくて、ただこういう存在を認識して欲しいのだ。この存在には特徴がある、彼らがこれまで会ってきた他の人間とは違う。それだけで十分なんだよ。

SY ドクメンタ12で発表した「童話」(2007年)はアート界で「剽窃騒ぎ」にみまわれました。この問題について正面から答えましたか?文章は王朔が書いたものだとか?

AWW いや、答えてはいない。でたらめな問題には答えられない。一生かかっても答え切れない。私は筋の通らないことには答えないことにしている。王朔は私の友人で、彼は「ウェイウェイは兄弟分だ、奴が人殺しだろうが盗人だろうが支持する」と言っているが、その文は書いてはいない。

SY アーティストの成功についてあなたはどう考えますか?自分は成功したと思いますか?

AWW 私は、私以上に「成功」したアーティストはいないと言えるアーティストだろう。私以上に「成功」したものは少ない。アルカトラス島の美術展では90万人近くが観覧したし、私は98回の個展を開催し、300回のグループ展に参加している。

SY ではあなたは成功した人ということですね。

AWW いやそうとは言えない。父子は離れ離れ、不安で一日として心の休まることがない。アートというこの生業は成功や不成功などと言う意味を持つものとは私には思えない。成功は結局、個人的な心理状態を満足させるだけだ。それよりも、あなたがどのように自己を想像できるか、この社会のために何ができるかということの方が大事だ。

SY さっき父子が離れ離れだと言いましたが、2015年3月21日、ベルリンであなたの息子、艾老(アイ・ラオ)があなたの代理で、アムネスティインターナショナルが与える、人権についての賞である、良心の大使賞を受賞しました。*3 このことについて話してもらえますか?

AWW 私が息子に代わりに受賞させたわけではない。その前に受賞委員会が私に訊いて来た。「あなたは来る事はできないし、あなたの息子がここに居るのだから、息子さんに来てもらえないか」と。それで私は「お前は授賞式に行きたいかい?」と彼に訊いてみた。彼は行きたいと言った。そこで「艾未未に自由を与えてください」と言いたいのだという。私は感動した。でも私は、彼が行くべきではないと思った。私は「お前は幼すぎる。自分のよく分からないことに関わらないほうがいい。お前にはこれがどういうことなのか分かってはいない。私はお前が行くことを望まない。」と言った。それから彼は自分で行かないことに決めた。艾老は「そうすることで父さんが不利になるのが心配だから」と言った。
授賞式の翌日、スマートフォンの一枚の写真に目がとまった。ある外国人が私に送ってくれたものだった。艾老はやっぱり行ったのだ。行く前に彼は母に「こんなことしたらお母さんたちに不利になる?」と訊いたところ、彼の母は「これはあなたが決めなさい。私たちに何の不利もないわよ。」と答えた。艾老はその日、40.1度の高熱を出した。私はこれまで子どもに教え込むようなことをしたことがない。でも彼が授賞式に行っても問題はないと思う。ただ彼に刺激が強すぎはしないかと心配だ。いずれにせよこんな場面はかなり特殊で児童が決められるようなことではない。たとえ間違った決定をしてもかまわない、彼は過ちの中から学ぶことができるのだから。

SY 艾老はこんなに小さいのにちゃんとした考えがあるのですね?あなたは彼に整った家庭というものを提供したいと思ったことはないのですか?

AWW 彼は6歳と少しだ。標準的ではない家庭に育って、もちろんいろいろ考えることもあるだろう。でも私たちが育った頃にも、両親と離れていた子どもが多かった。それでも大人になった。艾老には多くの愛を注がれている、大丈夫だ。

SY なぜ「艾老」という名前にしたのですか?彼の誕生によってあなたの考え方や方法に変化はありましたか?

AWW それは私の彼への愛からきている。実は私もなぜ「艾老」にしたのか分からない。なぜなら多くのものは抽象的で言い表せない。まるで昼をなぜ昼というのか、夜をなぜ夜というのかと同様だ。彼が生まれた後、私には大きな変化があった。以前より責任が増し、より具体的で満ち足りた幸せができた。

SY あなたは宿命を信じますか?

AWW もちろん宿命を信じるよ。なぜなら私たちがこの世にやってきた理由もはっきりしない。誰かが一度決断したか、あるいは誤解したためだ。私たちがこの世を離れることも承知の上というわけではない。誰もが自分の老いさらばえる姿を見ながら離れていく。私たち生命のもっとも重要なふたつの条件、来ることと去ることは決定される。中間の戦乱や疾病の発生など誰も予見できない。避けては通れないことだ。教育や学識、置かれる環境などを含む一切は宿命の成分だ。

SY あなたの芸術人生の中で、あなたをずっと助けてくれている身分の尊い貴人がいますか?

AWW 貴人というのはいろいろな分類ができるが、比較的大きな助けになったのはスイス人のウリ・シグという人だな。彼は私の作品が好きというわけではない。私たちの関係はいい友人だ。私の最初の展覧会は基本的に彼の推薦によるものだった。もちろん美術館やキュレーターは彼の影響だけを受けたわけではないだろう。でも彼は私にチャンスを与えてくれたのだからやっぱり感謝している。彼の知り合いは多く、沢山のチャンスを与えてくれる。でも私だけに偏るようなことはない。日頃よく冗談で彼に、私は君によってつくられたと言っているんだ。

SY いま美術展を開催したい美術館はありますか?

AWW 私はこれまでにどこかの美術館へ行きたいと思ったことがない。私はただ拒否しないだけだ。彼らが私を行かせなければ、私も永遠に行くことはない。行ってみたい場所は沢山ある。私の世界に対する理解は少なすぎる。

SY 覇権という問題についてあなたはどう考えますか?あなた自身が覇権だと思いますか?

AWW 覇権というのは他人の生活に影響する権力だと私は思う。私には主観的意識の上での覇権はない。主観的意識の上で私はかなり公平だ。でも私は私の存在がある種の覇権的特性を備えていると信じている。あなたが多くの資源を獲得したとき、そのこと自体が覇権的な特性を備える。しかしそれは私の主観的な願望ではない。私でも覇権的特性を無くし、同時に覇権的特性を持つものから影響されないようにできる。世界は大きい。あなたが本当にひとつのものを争う時、その勝者が初めて覇権を得るのだ。でもあなたがその運動に参加することもないのなら、私の様にどの王者が覇権を握っているかなどと考えもしない。なぜなら私はそれを知ることに全く興味がないからだ。

SY でもあなたはほかのアーティストに影響を与えていますね。

AWW 私は彼らに同情するよ。無能なアーティストにね。彼らは自分に希望が見出せない、絶望させるね。

SY 「90后」(1990年代生まれ)はあなたのことを訳もなくずっと憤怒と反逆心を抱く人間だと思っているようですが、そうですか?

AWW そうだろうね。生命は一個の細胞から始まるが、毎回の細胞分裂は正に反逆だ。すべては死と生を求める願望と関係している。個人とはそんな単細胞に他ならない。反逆はモダニズムが持続してきた病だ。反逆のないモダニズムなどありえない。

SY あなたの反逆心は「90后」に影響するだけではなく、あなたの「草泥馬之歌」*4 は「00后」にも流行しています。彼らはこの歌が何を歌っているのかよく分かっていないのかもしれませんが、その歌の中の反逆心が好きなのでしょう。特にこんな面白い方法で他人を攻撃することが好きなのです。

AWW 若い人の細胞分裂の速度は最高に速い。彼らには反逆精神が必要だ。植物に水と養分が必要なのと同じだ。どんな人間でも他人を攻撃するのはいいことではない。だが子どもにとって問題はない。いずれは成長するからだ。本物の反逆者ならば最終的には自己反逆に至る。だから彼らのことは心配無用だ。

SY アトリエで新疆ウィグル自治区の穴の住居を作ったらしいですね。入っていって寝ることもできるとか。それは展覧会のための作品ですか?

AWW それは通県での展覧会だ。そこには中庭があって、私の記憶に基づいて作り上げた。

SY 少年時代のことを話してくれませんか。少年時代というのは誰にとっても抜きん出た意味をもっていますからね。あなたにとってもっとも影響したことは何ですか?

AWW 抜きん出た意味というのは私の忘れてしまいたいことだ。私は新疆ウィグル自治区に16年もいたが、そこではほとんどウィグル人に会ったことがなかった。羊の肉も食べたことがなかった。私にもっとも大きな影響を及ぼしたのは、ずっと高圧的な政治環境にいたということだ。そして事実、本当の意味での決着さえつかなかった。家庭の問題だった。父は「黒五類」*5 だったからね。当然差別を受けた。でも子供というのはそんなことは構わない。だが、どうしてクラスの子は私と遊んでくれないのか、得票が一番多いのになぜクラス委員になれないのか不思議なこともあった。いずれにせよ目に見えない力がはたらいていたのだろうね。でもそれでもいい。誰も私たちをかまわない。私の父は自分のことで手がいっぱいでほかに心をやる暇もない。私は、生まれはしたが、育ててくれるものがいない、そんな部類の子どもだった。

SY 苦しくはありませんでしたか?当時は抑圧されているという思いでしたか?

AWW 苦しみを口に出すのは文人の心境だ。あの頃は失神するほど飢えていたし、指が曲がらないほどに凍えていた。無理に動かそうとすれば指が取れそうなくらいに。凍えに凍え、飢えに飢えた。だが苦しいとは思わなかったし、そんなに抑圧も感じなかった。空が曇っているようなものだ。もしも晴れているのが曇れば抑圧された気持ちになるだろう。だが私たちはこれまで晴天に出遭ったことがない。曇り空が私たちの空だ。だから抑圧などない。

SY あなたが自伝を書いていると人から聞きました。ちょっと早すぎるとは思いませんか?

AWW 最大に残念なことは私が書くのが下手だということだ。だから私はいま、ちょっと練習している。私は私の自伝が出版される前に死んでしまうかもしれない。2009年のときも、もし数時間手術が遅れたら、私はこの世からいなくなっていた。あの脳内出血はひどかったからね。

SY そのために早急に自伝を書いているのですか?

AWW 私は子どもに何か残したいと思ったんだ。自分のことにけりをつける責任がある。子どもに対して、疑問に答えて、はっきり言っておかないといけない。

SY 世界がもうあなたのために記録していますよ。

AWW 私は結局責任を引き受けはしなかった。ほかの人間がすることは、ほかの人間のすることでしかない。私たちはあんなに多くの時間を使ってつまらないことをするというのに、ちょっとの時間を使って自分の経歴さえ書かないでいていいのだろうか?多くの事柄の意義は自分には解らない。何らかの方法で完成させてから、やっと一定の意義が生じるのだ。


*1 原題は【独家】艾未未大型个展被“墙报”:那个站在风口浪尖上的人,他居然还活着!(風吹きすさび波頭の砕け散る場所に立つ男、どっこい彼は生きていた!)だが中国的な大げさな表題なので上記に変えた。なお翻訳掲載については6月7日アイ・ウェイウェイ氏に承諾を得た。
http://www.wallpost.cn/article-8248-1.html

*2 王朔WangShuo中国の著名な作家。1958年生まれ。1991年発表の『动物凶猛』は映画、姜文JiangWen監督作品『阳光灿烂的日子』(太陽の少年)(1995)の原作。映画は世界的に評価され、大ヒットした。

*3 http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/renquanfazhi/xl1-05222015102422.html
自由亚洲电台普通话:艾未未获人权奖出境遭拒幼子代领奖杯

*4 https://www.youtube.com/watch?v=01RPek5uAJ4
童声合唱『草泥马之歌』草泥馬(アルパカ)=庶民が河蟹=政府をやっつけるという内容の罵り言葉満載の歌

*5 文化大革命中批判された地主、富農、反革命分子、悪質分子、ブルジョア右派分子

艾未未(アイ・ウェイウェイ)北京における展覧会一覧

『艾未未』
2015年6月6日(土)-9月6日(日)
大山子798芸術区 当代唐人芸術中心および常青画廊
北京市朝陽区酒仙橋路2号798芸術区797路
http://tangcontemporary.com/
http://www.galleriacontinua.com/
キュレーター:崔灿灿

『AB型』
2015年6月8日(月)-8月9日(日)
魔金石空间、Magician Space.
(北京市朝阳区酒仙桥路2号798艺术区798东街)
http://www.magician-space.com/.

『彪 Tiger! Tiger! Tiger!』
2015年6月13日(水)—2015年8月31日(月)
北京前波画廊
(北京市朝阳区草场地红第一号D座)
http://www.chambersfineart.com/index.shtml

『挺事儿』
2015年6月19日(金)9:00−17:00
草场地305Museum
(北京市朝阳区草场地红一号院305Museum)

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