Curators on the Move 17

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
雲の生産

 


Koo Jeong-A – Petit déj’ & quick notes (2007), felt pen on paper, 45 x 64 cm. Courtesy the artist and Yvon Lambert Paris, New York.

 

親愛なるハンルゥへ

君からの手紙、興味深く読ませてもらったよ。ありがとう。
「アジアの奇跡」の多層性について考える際に鍵となるのは、最近注目されている、より多くの記憶を生成するという大言をいかに現実味をもって示せるかという事だと思う。問題は、どの程度エリック・ホブズボームのいう21世紀における忘却に対する切迫した抗議行動に加担することができるかだ。

すぐれた洞察力を持つ美術史家エルヴィン・パノフスキーは、われわれが未来を作り出すとき、しばしば過去の断片からそれらを生み出す事を指摘している。メタボリズムはアジアにおける先進的な動きだといえるだろう。君と一緒に『Cities on the Move』展(1997-99)を企画したとき、レム・コールハースはメタボリストを現代の都市の変容を理解するためのツールボックス(道具箱)とすることを提案してくれた。数年後の2003年、コールハースと僕はメタボリズムに関するオーラル・ヒストリーと大規模な出版プロジェクトに体系的にとりかかる事を決め、それらの仕事は、『プロジェクト・ジャパン(Project Japan)』(2011年Taschenより出版予定)というタイトルで近々刊行される。

メタボリズムは、僕がアートの文脈において特に重要であると考えている順応性、変化、再生に関わるあらゆる側面に言及しようとする、戦後建築におけるもっとも興味深い展開のひとつだ。日本におけるメタボリズム建築は、この国の戦後の姿に変化と再生をもたらした強大な力と切り離して考える事はできない。急進的な新しい体制の誕生は、日本固有のモダニズムを必要とし、その偉業を成し遂げたのが他ならぬメタボリストたちだった。

 


Nakagin Capsule Tower (1972) in Shimbashi, Tokyo.

 

当時の日本の経済成長を背景に、メタボリズム建築には、『METABOLISM/1960 – 都市への提案』および1970年の大阪万博への参画に象徴される、1960年代特有のイデオロギーといっても過言ではない強度の楽観主義が内在している。この楽観主義は、例えば、近代的な暮らしにふさわしい新しいライフスタイルを構想した、菊竹清訓による海上都市計画(1958年)に顕著にみられる。黒川紀章による新橋の中銀カプセルタワー(1972年)も然りだ。中銀カプセルタワーは、日本の首都である東京と経済大国の持つダイナミズムへのオマージュとして作られ、連結する2つのコンクリートタワーで構成された集合住宅である。日本的なものを志向しつつ、どこかル・コルビュジエの「住宅は住むための機械である」を彷彿とさせる。かつてアーネスト・マンデルが「第三次産業革命」と呼んだ、先進経済諸国における生活水準の向上と大量消費に囲まれた近代的生活の利器を備えた、東京のサラリーマンたちのためのプラントとでもいった所か。一方で、住む人のニーズによって取り替え可能なカプセルといった、西洋から見た典型的な現代日本の生活に対するイメージも投影されている。黒川はカプセルタワーにおいて、当時拡大する一方であった社会的変革と大きなシステムにおける個人の機動性へのニーズを同時に表現している。メタボリストの作品は、「リアリティーの産出」において最も重要な要素である変化と再生について雄弁に語っている。そして、メタボリズムに見られる再生と変革のビジョンの根本は、戦後日本が直面した大きな変化にあると考えている。

メタボリスト作品のもうひとつの特徴は、建物や都市は周辺環境に忠実でなければならないという、日本伝統建築の流れを強く意識している事だ。日本の伝統建築において、建築はありのままが良しとされ、自然との調和の中に存在するべきとされている。つまるところ、建築も一時的な存在なのだから。

 




Above: Olafur Eliasson – “The morning small cloud series” (2006), set of nine C-prints, 42 x 64 cm each; 136 x 196 cm group, edition of 6. Photo Jens Ziehe © 2006 Olafur Eliasson, courtesy the artist; neugerriemschneider, Berlin; Tanya Bonakdar Gallery, New York. Below: Tomas Saraceno – Untitled (2008), set of nine mounted C-prints, 26.5 x 40 cm each, edition of 5; 1 AP. Courtesy the artist and Tanya Bonakdar Gallery, New York.

 

すなわち、建築におけるポストモダニズムの主要な概念–つまり転移可能で統一されたインターナショナルスタイルをそのまま輸入するのではなく、周辺環境との調和を重視する姿勢–を日本のモダニズムに取入れたものがメタボリズムといえる。メタボリズムはまた、建築におけるモダニズムが陥った古いものの単純な再利用や一義的な再生ではなく、新しいものへの探求および実験的な姿勢も提示した。その実験性はメタボリストの仕事やコラボレーションの手法にも伺える。メタボリズムは、けっして再帰的に語られる建築の言論マニフェストではない。こと環境と生態学との関係において、世界に開かれた理念であった。ゆえに、人類の未来をデザインが切り開く道を模索する今日の私たちにとって、多くの可能性を示唆している。

持続可能性(サステナビリティ)と都市の健全性への挑戦は、今日の文化的生産がかつての野望とスケールを取り戻し、トータルデザインの可能性をもう一度受け入れる事を必要としている。ブルーノ・ラトゥールは、「モダニズムを歴史的袋小路から打破」するかもしれない新手の政治的生態として、「日常的なもののディテールから都市、景観、国家、文化、身体、遺伝子、そして、自然そのもの」に広がるデザインの役割の拡大を訴えた。モダニズムの統制された美学スキームを取り戻そうといっているのではない。ダイナミックでオルタナティブな機構や未来の空間の形成のために、彼らの大志から学ぶべきことがあると思うんだ。

都市環境の再設計という壮大な構想が陥りやすい落とし穴を回避するひとつの方法は、将来的に起こり得るであろう変容の可能性を、建築計画の要素として最初から組み入れる事だろう。言い換えれば、非恒久性と順応性を受け入れるという事。建築は、不確実性、生成および可変性という概念を受け入れるものであると同時に、都市の文脈と都市社会を再考する際の二重の需要にまたがっていることを考えれば、メタボリズムをそのひとつのあるべき姿として考えることができるのではないか。

 


Philippe Parreno – Speech Bubbles (1997), mylar balloons, helium. Installation view at the Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris, 2002. Collection Fonds Régional d’Art Contemporain Nord – Pas de Calais, Dunkerque. Courtesy Air de Paris, Paris.

 

最後に不確実性について少し触れておこうと思う。今年の春先にヨーロッパの空を覆い、1週間に渡って航空機能をマヒ状態に陥らせた火山灰の雲は興味深いものだった。西欧絵画史において、雲は繰り返し登場するモチーフだが、かのフランス人哲学家ユベール・ダミッシュは、すべての名作において雲は最もとらえ様のないものであると論じている。ジョット・ディ・ボンドーネからジョン・コンスタブル、ひいてはモダニズム絵画にいたるまで、雲は数多くの作品に描かれてきた。ダミッシュは『雲の理論』(1972年)の中で、雲は(大気層において)自らが消滅する場所においてのみ存在していると記している。表象再現のシステムにおいては、自らの存在を再発見するために消失する。雲の考古学は天使のための科学だ。雲が絵画における零点だとすれば、雲が空と出会う点において図形は溶解する。線遠近法は、視覚体験の複雑性を十分に照らし出す事ができないので、雲を記号、象徴、弁証法の対話におけるアンチテーゼとして出現させる。雲は、絵画の中に描き得ないものを提示すると同時に、「絵画」そのもの(・・・・)なのである。ダミッシュは、このパラドクスの中に絵画は自らを定義していると結論づける。今回われわれは、空の旅も統制不可能なものの統制というパラドクスを内包している事を学んだのではないだろうか。あの雲は、空の旅とは無縁でありながら、同時に空の旅の何たるかを浮き彫りにした。

では、
ハンス=ウルリッヒ

 


 

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