Curators on the Move 7

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
アートの未来

 

親愛なるハンルゥへ

僕の仕事仲間で友人でもある、僕らの世代を代表する精鋭アートライターのひとりダニエル・バーンバウムは、未来をこう捉えている。「『多少ましな脳味噌』に思い描ける具体的な未来があるなら、我々はここまで過去に囚われはしないはずだ」。さらにナボコフの言葉を借りて、「未来にそんなリアリティはない。未来は『思考の妖怪』でしかない」と。

 

アートとカネの結びつき

現在ストックホルムのIaspis(スウェーデン国際アーティストスタジオプログラム)のディレクターを務める実力派キュレーター、マリア・リンドが編纂した『European Cultural Policies 2015』(2005年)は、アートとカネにまつわるさまざまな未来像を紹介している。例えば「暴利」路線のアートビジョンはこんなシナリオから始まる。「時は2015年。アートは、カネの出所の公私いかんを問わず、ほぼ完全に道具化している。一国あるいはヨーロッパ全体に利する道具として、中でも国家のアイデンティティの確立・増強に貢献している。また、収集に適した人気商品となり、アート系の雇用促進にも一役買っている。美術館やアートセンターは手軽な人気レジャースポットだ。アートはまた、社会に有害なファッショ的・国粋主義的風潮に歯止めをかけるのにも利用される」

アートの未来はある面、昨今の経済活動同様、戦略的越境によるパートナーシップと拡大を目指している。市場原理が働く事例はほかにもある。ひとつは現代アートフェア、もうひとつは個人・財団が運営する美術館だ。アートフェア人気は19世紀半ばのグランドサロンから連綿と続いているし、公有の世界屈指のアートコレクションも元をたどれば個人蔵だったのだから、こうした傾向はいまに始まったことではない。とはいえ2000年以降の現代アートカレンダーにはアーモリー・ショー、アート・バーゼル、アート・バーゼル・マイアミビーチ、フリーズといったアートフェアが目白押しだし、その合間に開催される「シャドー」フェアも急増している。いずれのフェアも、その突出したプレゼンテーション手法でビエンナーレを凌駕しているくらいだ。こうした流れはアート界の実利主義を示している。昨今のフェアが斬新かつ融通が利くスピーディなプレゼンテーション手法で「グローバルな」消費者、つまり冒険心あるコレクターのニーズに応えて作品を見せ、情報を発信し、購入の手助けをしてくれるなら、制度化された手順で手続きを踏まないと何事も始まらない美術館に感じていた物足りなさを埋めることができる。この手軽さゆえにコレクターたちが不定見な付和雷同に陥りやすく、市場が冷え込んだ途端に興味をなくすというリスクもあるが、いましばらくはおおむねフェア隆盛の方向に向かいそうだ。現代アート関係者が世界中に散らばっているという前代未聞の時代にあっては、アートフェアが現代アートの第一人者たちを集合させる有効な手段なんだろうね。

 

実空間を取り戻す試み

でもアートの未来は多くの場合(すべてとはいわないまでも)、市場とはほとんど無縁な気がする。そういえばバーンバウムが、フィリップ・パレーノとダグ・エイケンを語りの未来像を想起させる作家と呼び、実に興味深い文を書いている。このふたりは時間軸に沿って進行する物語を拒み、時間枠をぼかしたり(パレーノ)、出来事を多視点で展開したり(エイケン)といった作品を創っている点がおもしろいという。エイケンの、例えば『Interior』(2002)のようなマルチスクリーンビデオによるインスタレーションは、ひとつのアクトをさまざまな角度から捉えた映像をいっぺんに映し出すという作品だ。この種のアートの目的は、我々の思考法や、教え込まれてきたこと、行動の仕方といったものの対極にある生を体感させることにあるのだろう。「こうした未来のアートは人間の脳では理解が及ばず、そうなると情緒をも備えた機械装置が何としてもほしくなる」とバーンバウムは言う。パレーノのアートも、現代のポストビデオ時代を構成するもののひとつだと思う。パレーノと僕は、2007年夏のマンチェスター国際フェスティバルでオペラを一緒に企画した。7月の数日間にわたる公演で、時間をプログラムする実験でもあり、観客と直接関わることで実空間を取り戻す試みでもあった(この対極にあるのがデジタルメディアのバーチャル空間だ)。

アーティストのリタ・マクブライドの発案で生まれた『Futureways』(04年)は、アーティストやキュレーター、作家など十数人に依頼して書いてもらった、アートの未来をめぐる短編小説集だ。これがどの作品も実に魅力的でね。多くはビエンナーレやトリエンナーレに触れているが、アートフェアを扱ったものは皆無。この手のイベントが急増するのはこの本の出版以降、ここ数年の現象だからね。また、多くの作品が西欧における文化の中心地を想起させる要素を避け、むしろ中国・日本文化、あるいはSF風のものであれば宇宙文化といったものを好んで取り上げている。このあたりは、多様な文化がロシア、アジア、中東、アフリカ、南米、さらには別の地域へと展開していく今日のアートシーンとも重なるね。データ化された未来アートという、とりわけ興味深い問題を提起している作品も2、3あった。例えばローラ・コッティンガムは、2199年に書かれたエッセイという想定でこう語っている。「今日、時の試練に耐え得る芸術作品とは実体を持たない作品(つまり文字や舞踏や音楽)だというのは常識だが、20世紀はアート作品の永遠性を信じて疑わぬ最後の世紀だった」。さらに続けて20世紀を「保持する世紀」と呼び、観念より物質を神格化する時代錯誤だとして、「永遠性という誤った希望」を切り捨ててみせる。

 

知の共有を目指して

コッティンガムの未来図はまさに、60年代のコンセプチュアルアートが残した功績や、情報や知的所有権やシステムに基づく分析を最優先する考え方とぴったり重なる。さらには、90年代にリチャード・ストールマンや Linux開発者のリーナス・トーヴァルズといったコンピュータプログラマーが立て続けに展開したオープンソース運動とも呼応する。これは、ウィルスのように増殖が可能なP2Pファイル共有システムとユーザーが作る進歩の未来像だろう。すでにいまも、ウィキペディアやYouTubeのような媒体は世界中の関心の的だからね。何しろアート界は敷居が高い閉鎖的な経済システムで動いているから、音楽・映画産業ほどすんなりとこうした流れに乗ることはなかったけれど、それもいまや時間の問題だろう。僕らにもデータ共有が可能な未来が訪れたのであれば、アートが文化の担い手であり続けるためにも、制度の軌道修正を、いや制度の再構築までもする必要があるのかもしれない。

つい最近、小説家のドリス・レッシングが「ミュージアムなき未来」について語っていた。その類の施設を端から否定しているわけではないが、過去の遺物を最優先するだけでは「意味」のからくりを次世代に十二分に伝えられないのではと危惧しているのだ。1999年に発表された彼女の小説『Mara and Dann』が描き出すのは、数千年後の未来に起きる氷河期を舞台に、北半球の全生命体が死に絶えた世界だ。ずっと南半球で暮らしていたふたりの主人公は荒廃した北の大地を目指して旅に出るのだが、ヨーロッパ文化の残骸を目にしてもただ当惑するばかり。朽ち果てた人工物についても、埋もれた都市についてもまるで知識を持ち合わせていないからだ。ただの絵空事とはいえ、「我々が築き上げた文化はきわめて脆い」という警告がここに読みとれる。つまり、いよいよ複雑化する装置に依存する度合いが高まれば、その分、突如訪れる終末的崩壊の危機に脅かされやすいということだ。何でもわかりあえる仲間同士ではない、それ以外の人たちとも話が通じ合うような能力を、我々の言語や文化システムが備えているのかどうか、一度立ち止まって考えてほしいと彼女は言っているように思う。知の共有こそがコミュニケーションの未来を左右する水先案内人なのかもしれない。それは70年代に、新聞の切り抜きや絵や物品などを詰めたアーカイブ(いわばタイムカプセル)を宇宙空間に送り出したNASAの試みを思わせる。いつの日か地球外生命体が人類と意志疎通できるようになる、そんな可能性を秘めた意思伝達装置というわけだ。

ところで、僕の新しいプロジェクト「未来への処方リスト」についても触れておきたい。仮題は『Out of the Equation: Roads to Reality』(理論物理学者ロジャー・ペンローズの刺激的な著書『Road to Reality: A complete guide to the law of the universe』(04年)に触発されたんだ)。僕らと同時代を生きる偉大な思索者たちの、緻密な思考と混沌が渦巻く頭の中を覗いている気分にさせてくれるものになるはずだ。未来の予言書と銘打つのはおこがましいが、何かを生みだすプロセスを鈍磨させる昨今の夾雑物——ニュース報道やプレスリリース——に比べたら、思想家たちの思考プロセスが彼らの曇りのない眼差しを通して見えてくるだろうし、少なくともささやかな未来像に思いを馳せるきっかけを与えてくれるはずだ。

僕はこの仕事に携わりながらますます未来に夢中になっている。この1年、アーティストや建築家、デザイナーや歴史家や哲学者といった人たちの思い描く未来像をアンケート調査し、その結果を本にまとめ、今年はじめにワンスター・プレスから上梓した。そのごく一部だが楽しんでもらえたら幸いだ。

キュレーションは再び動きはじめた……。

未来はハリケーン
ハンス・ウルリッヒ

(初出:『ART iT』No.17(Fall/Winter 2007)

 


 

目次:https://www.art-it.asia/u/admin_columns/9zbau4wxiwpivny65vuf

Copyrighted Image