艾未未のことば18:ドキュメンタリー「花臉巴兒」に関する対話

ドキュメンタリー「花臉巴兒」(四川汶川大地震公民調査)に関する対話
翻訳 / 牧陽一
香港陽光華語衛視china SUN TVのインタヴュー(2010年6月11日)より

 


艾未未工作室:花脸巴儿 via aiweiweidocumentary

 

香港陽光華語衛視(以下、Sun TV) なぜこのフィルムをつくったのですか?

艾未未(以下、AWW) 2008年の5・12四川汶川大地震で、5千人以上が校舎の倒壊によって亡くなり、私たちは四川の建築に対して疑問を抱いた。そこで、私たちはたくさんの質問を投げかけはじめた。一体全体、誰が死んだのか?名前は?何歳だったのか?どの学校だったのか?私はブログで「公民調査」を提案した。多くのボランティアが亡くなった生徒たちの名簿調査に参加した。そのプロセスは非常に入り組んでいて困難を極めたが、私たちの努力によって遂に完成した。その始まりから私たちは明確な記録をとり続けた。亡くなった子どもの父母に取材し、地震のときに、そしてその後に何が起こったのか、どのような経緯があるのかを話してもらい、これらの映像資料を使ってドキュメンタリー『花臉巴兒』を編集した。この作品は「公民調査」の一部で、ほかには調査に参加した各ボランティアの日記、中央、地方の省や県など様々な機関に提出した要求書や公開書簡も含まれている。

 

Sun TV このタイトルはすこし奇妙ですね。どうしてこんなタイトルにしたのですか?

AWW 作品の完成後も、私たちは多くの父母を取材したが、彼らはみんな子どもを亡くしている親たちだ。彼らの子供たちは3歳から19歳と年齢はいろいろで、幼稚園に入学したての子供から卒業間近だった高校生までいる。こうした作品に名前を付けるのはやはり難しいものだ。『花臉巴兒』は成都で流行している民謡の一節で、子供の汚れた小さな顔、ちょっと汚れた様子という意味だ。私はこれがいいと思った。

 

Sun TV 作品はいつどこで撮影したのですか?

AWW 撮影には1年以上の時間を費やし、撮影地域は四川汶川地震被災区域のすべてに及ぶ。調査の過程で、延べ30人もの人間が公安に捕まり、フィルムは没収され、録音、録画は削除された。しかし私たちはそれでも作品を完成させた。

 

Sun TV あなたはどのような観点からこのフィルムを撮ったのですか?客観的な観点ですか、それとも主観的な観点ですか?

AWW 私のすべてのドキュメンタリー作品には主観と客観の両方の要素がある。いわゆる主観的要素は個人によるある種の信仰だ。私たちは語ることのできない人々のために、また語っても永遠に聞く者もいない人々のためにつくらなければいけない。そして、それ以外の、状況の分からない、あるいは真相の分からない人々が見ることができるようにする。だから、撮影の過程で私たちは客観的であるように望んだ。事件がどのように起こったかは、それ自体で存在し、感情や情緒を帯びない。そういう見せ方により、初めて観客を尊重することができる。

 

Sun TV このフィルムを撮った目的は何ですか?

AWW まず、私は芸術家であって、芸術においては、表現と表現の自由があるということが最も重要だ。通常、芸術家とは彫刻などをつくるものだと人はいうが、私は他の芸術家とは全然違う。私は表現の可能性と方法を重視している。この可能性と方法は一枚の絵とは限らない。ビデオ作品でもいいし、調査報告でもいいし、データでもいい。それが私の興味のあるところだ。インターネットで交流できて、遠く離れた地域の人に、この事を全然知らない人に伝えられる。ワンクリックですぐに見られる。これは随分不思議なことだ。もう一方で、個人として、社会で特に今日の社会変革のなかで、どのような役回りを演じるのか、それぞれの個人と今日起こっている変化とにある直接的な関係をどのように認識すべきなのか、これも私が関心を寄せる問題だ。

 

Sun TV この作品を撮るのに多くの困難があったと思いますが、最大の困難は何でしたか?

AWW まずひとつは被災者の家族を見つけ出し、子供の名前を探し出すことだ。もうひとつはボランティアが、しばしば何の理由も告げられないままに警察に連れ去られることだった。特にこれは困難を極めた。多くのボランティアにとって、真相が明らかになることは望むところだが、それでも、法に触れて国家に制裁を受けることは誰も望んではいない。法律では公民が調査を進めることを規制してはいないが、警察と司法は法律の執行者であり、特に中国では、拘留され、尋問され、脅迫され、取り調べられ、酷くなれば凌辱され、殴打されるので、それを望むものは誰もいない。それは多くの人にとっては恐怖だ。こうしたなかで一度、ふたりのボランティアが盗難車を使って被災地に入った後に捕まった。警察はビデオカメラを持ったまま、車のトランクを開け、底のカーペットの下から銃を見つけ出した。当然、ふたりは呆然とした。中国で銃を持っているということが、何を意味するのか分かるだろう。警察は彼らを地面に跪かせ、腕で頭を押さえるよう指示した。彼らにはこれから何が起こるのかわからない。こうしたことによる彼らへの影響は実に大きい。もともとは、ただ何人かの生徒の名前を調べていただけなのに、公安機関からこんな仕打ちを受けることになった。

 

Sun TV 公安機関はかなり警戒しているのですね。

AWW 今日の中国には、本当に堅持し続けるべき倫理も社会的道義もまったくなくなった。一部の単純な人間が裕福になる狂気じみた時代だ。いわゆる中央と地方は、実は相互に支えあってやっとやっていけるような構造になっている。中国のここ数十年で、どの事件が本当に調査されただろうか?汚職役人も含めて、何かが本当に調査されただろうか?一度でも本当の公判が開かれたことはあるだろうか?彼らの記録保存文書がすべて公開されることはあるだろうか?それは不可能だ。なぜならすべてのことが繋がっているからだ。表面的にはいくらかの問題を処理したというが、実際は隠蔽している。実質的な問題は根本的な解決をみてはいない。地震のとき、5千人以上の生徒たちが、校舎に押し潰されて亡くなった。手抜き工事のオカラ建築のせいだ。幾万もの亡くなった子供の家族たちは、本当の流浪者となって問うてくる。「校舎はなぜ倒れたのか?校舎の構造は本当に基準に達していたのか調査してくれないか?」こんな簡単な質問なのに回答が得られない。政府は2500人もの専門家に調査させたというが、この2500人の専門家とはいったい誰なのか?彼らは調査する資格を持っているのか? 調査報告書はどこにあるのか?政府は答えることはない。これが全社会の腐敗だ。政府や中央上層部から保証されようが、地方基層部からの指示だろうが、何も信じることができない。

 

Sun TV あなたは四川へ行った時点で、こうした結末を考慮していましたか?

AWW もちろんだ。こんな結末はあなたの想像を遥かに超えたものだ。調査を行ったのは一時の衝動からではない。こんなにも多くの子供たちが亡くなったのに、こんなにも多くの人が、まったくこの問題を問うことができない。彼らは誰の怒りを買ったというのだ。彼らは授業を受けて、勉強して、そして死んだ。彼らは名前さえも与えてもらえない。一体どれだけ死んだのかもわからない。なぜ名簿を出すのを恐れるのか?いったい誰が最も基本的な事実を恐れるのか?いま、私たちが討論している問題は、人類の最も基本的な道徳規範を遥か遠く超えている。アメリカでは20数人の鉱山被災者が出た。オバマはひとりひとりの名前を読み上げた。*1 中国では、なんと役人が被災者の名前は家族のプライバシーだと言う。中国では、いったいいつ被災者の家族に訊いたのだ。酷い冗談だ。この社会はもう完全に是非の混同だ。完全に語るべき正義もない社会になってしまっている。

 

Sun TV 今後の結末について考えたことはありますか?

AWW 誰にでも心配なことはある。心配なのは、もしも監獄に入れられて、風呂に入れなかったらどうしよう、とか。私にも覚悟はある。捕まって刑を下されることになるだろう。私たちと同じように調査していた人は、私たちほど深く調査していないし、私たちほど社会に与える影響も大きくはなかったが、それでも懲役5年を科せられた。*2 怖くないなどと言えば、言い過ぎだな。私はかなり楽な生活もしているし、あえて自分をそんな風にしてしまう必要はあるだろうか?そこまでして、それが人を助ける事になるのだろうか?これは本当に問題だ。監獄に入れられたら、またどうにかされても、実際に他人は心を動かされるわけではないだろう。酷くなれば被災者の家族だって私のことを見捨てることになるのではないか。

 

 

Sun TV 何があなたの考え方を支えているのですか?

AWW 人生は一度限りだ。まっとうに生きるべきだ。このチャンスを私は放棄したくはない。しかも私は考え抜いて、それを見つけたのだ。私にはやり通す力がある。こうやっていけば多くの人に一縷の望みを与える事ができるかもしれない。そうならば、引き受けるべきものは引き受けるべきだ。

 

Sun TV あなたの心の中で、人における完成した一生という生活とはどんなものですか?

AWW 人の一生は実は短い。不幸な廻りあわせを投げ捨てても、例えば教育、生存するために払う代価、子供の出産、老後の生活、病気の治療に死後の埋葬、生老病死の四苦がある。楽しみは本当に少ない。だが、人はいつでも覚悟をもった動物だ。覚悟をもった動物にとって、「私は誰なのか」あるいは「それをどのように証明すべきなのかは、ある程度その人の判断にあると言える。いわゆる完全な一生とは不断にこの思考を十全なものにすると同時に、行為によって具体的に示すことだ。行為で示された時にこそ、比較的誠実な一生だと言える。

 

Sun TV いま、このフィルムを見て、一番、心を動かされることは何ですか?

AWW 私にとって心を動かされるのは、こんなにも多くの生徒が亡くなったということではないし、こんなにも多くの父母たちが無実を訴えても回答がないことでもない。さらには政府が無感情で信頼に背き、道義に反するということでもない。私が最も心動かされるのは、この事件について、全社会が放棄し、見捨てたことだ。私たちはいくたび放棄してきただろうか?歴史的にも私たちはずっと放棄してきた。どれだけ不公平で信じがたい事件が起きても、皆は沈黙してきた。ずっとこのように沈黙し、災難を次世代に転嫁してきたのだ。これは大きな問題だ。権力者がこんなことをするのは目的があるからだ。統治を維持するために、こうした動きをすれば、こんな代償を支払うことになるのだ。大多数の人々の権益が害されるときに、頑張り通す者が出てこない。自分のことはしっかりやり遂げる、私の子どもの名前を人に伝える、あるいは自分が思ったことをはっきりと書き出す、あるいはほかの方法で表現する、そういう人が出てこないのだ。この社会は、一体このまま生存する価値があるのか?こんな人たちと一緒にいる価値があるのか?

 

Sun TV 父母の気持ちはどんなものなのでしょうか?

AWW 中国人はみんな驚くほどに忍耐強く、理解を示す人間だ。彼ら父母たちの要求は実に簡単なもので、ただ調査報告が欲しいだけだ。校舎が基準に合った建築だったのか、あるいは違法建築だったのか、建築中に手抜きをして材料をごまかしてはいなかったのか知らせてほしいと言っているだけだ。こうした要求に政府は明確に答えられるはずだ。責任が誰にあるにしても、人が死んでいるのだから原因を追及する必要がある。それなのに、適当に彼らを弾圧し、口封じをする。こんなやり方はあまりにも無知蒙昧で罪深い。私たちが父母らを取材したとき、彼らにはもちろん様々な苦痛があることはわかった。だが私から見て、彼らは非常に事理をわきまえていて、みんな、ただ最も簡単な事実が欲しいだけなのだ。

 

Sun TV あなたはいまこれらの活動をどうみていますか?

AWW これらの活動は、第一に私たち自身を教育した。若いボランティアの人たちを教育した。彼らは最初、心に疑問を抱いてから、最後にはかなり明晰ないくらかの結論をもった。第二に私たちは名簿と調査報告をネット上に公開した。幾千万の人々がみんな目にした。同時に私は海外で多くの美術展を開催して、これらの名前を展示し、子どもたちは少なくとも多方面からの同情を得ることになった。第三に公民調査というこの方法は、徐々に多くの公衆の共感と認可を得ることになった。そして多くの若者が公民調査に参加したがった。最近私たちはネット上でもし公民調査に参加したいなら私たちに連絡してほしいと言ったら、その結果、1000人以上のネットユーザーがボランティアをやりたいと言ってきた。彼らは中国各地からの、多くは1980年代、1990年代生まれの若者だ。

 

Sun TV 芸術家の最大の責任は何であるべきだと思いますか?

AWW すべてのいわゆる文化人と芸術家には大きな責任がある。それは公衆に対して真相を公開することだ。この真相は潜在的なものかもしれないが、この事実の裏側にはさらに別の事実があり、私たちは公衆を刺激できるし、また公衆に警告できる。これらの真相は私たちの生存にとって大きな作用をもち、多大な含意をもつ。もしこれらの真相がなければ、私たちの生活自体の意味さえも疑問視される。だから芸術をする人、あるいは文化と関係のある人が、真相に対する判断を放棄するなら、認識の基礎を失うことになる。

 

Sun TV あなたがドキュメンタリーを撮ろうと決めたとき、一層多くの社会的責任に直面したと思いましたか?

AWW ドキュメンタリー制作者は実に厄介な位置にある。制作者は現実と思考の狭間の一点を選択する。純粋な現実を記録するドキュメンタリーというものはひとつとしてない。純粋な現実は記録する必要がないのだ。一片一片の現実は編集と時間的制限を経た後には、もう真の現実ではない。フィルム自体はたとえそれが断片であっても、相対的に完成されたものとなる。優れたドキュメンタリー制作者とは、技巧を用いるだけではなく、ある種の味わいやスタイルを弄するのでもない。現実の深みから問いを発することだ。この問いには永遠に答えはなく、逆にさらに酷い苦境に人々を向かわせることさえある。だが、これを記録したならば、その力は不断に表わされる。時間の推移、薄れていく時間や、そして関心の変化に従って、人々が再び見るそのときに多くのものが喚起される。その喚起されるものとは正に私たちが失ってしまったものなのだ。

 

Sun TV あなたの理想はどんなものですか?

AWW こんなにも多くの人々がともに生活している。が、年寄りのことを私は気にもしない。私と同じ年ぐらいの人にはまったく関心がない。だが若い人が機会を失い、均衡のとれた情報を得られないのなら、彼らの成長や未来の快楽に対するある種の殺害だ。特に今日、彼らの快楽を損なわせてはいけない。私たちがいくらかのことをすることによって、後からの人をもっと楽にすることができる。最も基本的なことで、私たちの様にこんなに多大な努力をさせてはいけない。

 


赵赵と艾未未

 

Sun TV 次世代の事を思っているのですね?

AWW 私たちは常々不公平だとか社会に正義が欠けているというが、実際には最も基本的な権利が制限されているということであって、それは生命に対する一種の殺害なのだ。なぜなら誰もがこの世界に生まれ、自分の判断が理にかなっているかどうかは、得た情報が完全なものかどうかに係っている。もしそうした情報がもともと排除されているならば、それは最大の罪悪ではないか。この世界がどの様なものなのか知らないのだから、判断は当然間違いかでたらめなものになってしまう。

 

Sun TV あなたは社会がどうあることを望みますか?

AWW 私はとても自由な社会を望んでいる。自由な社会では富裕である必要はなく、自由な社会では選択の権利がある。人は富裕にならないことを選ぶ権利がある。それでも尊厳を持ち、尊重を得ることができる。

 

Sun TV 『花臉巴兒』を見てとても感動しました。あなたは手抜きのオカラ建築問題をどうみますか?

AWW 政府は私たちがオカラ建築について語ることを許さない。人がどの様に死んだのか?これは誰もが問うことだ。地震だからといって建物がみんな倒れるわけではない。これよりずっと大きな建物でも地震で倒れることはない。だが、みんな、地震になれば十万人も亡くなるものだという常識上の間違いを受け入れてしまっている。さらに大多数の人は農民の家は倒れて当然だということを受け入れてしまっている。彼らが自分で建てたのだから、農民が死んでも関係ないとして、誰も問うことも無い。農民は人間ではないのか?彼ら農民がこの国家を支えているのではないか?国家建設部は農民に倒れない家を建てるように指導すべきなのではないか?実に奇怪だ。こうした問題を誰も問おうとしない。公共建築である幼稚園や病院、学校が倒れたら私たちは追及しようとする。だが実際には誰も追及しないで、政府に蓋をされ完全に隠滅される。

 

Sun TV あなたはどんな態度と立場で記録するのですか?

AWW 最大のレベルで記録したい。取材する人物は多くなければいけない。一個人がこのことを語るのではなく、数百人、数千人に上る人でなければいけない。私たちは基本的事実が知りたい。あの日、何を見たのか、何が起こったのか、これらはドキュメンタリーに記録される人によって陳述される。そこには私たちのモノローグは無い。私たちは観衆の思考を導くことはない。ただ無数の断片を一つの事実へとつなぎ合わせる。

 

Sun TV 撮影の現場で最も思い出深いのは何でしたか?

AWW このドキュメンタリーの撮影は実に困難だった。妨害がひどかったから。最初に思い出すのは、いつだって逃げていたことだ。撮影し終わっていないのに、みんながダメだ、奴らが来たと言えば、すぐに逃げる。走って逃げる時に、フィルムは持たない。先に草むらに放り投げる。見つかってしまえばおしまいだから、別の場所に変える。時には草むらの中に何時間もへばりついていることも、よくあった。

 

Sun TV 公民権の奪取においてドキュメンタリーは如何なる役柄を演じるのでしょうか?

AWW もし、ドキュメンタリーを大多数の人々が撮影したならば、ひとつの時代の覚悟を明確に表明することになる。覚悟というのはあなたが見たものを言葉にし、作り上げ、世の中に公表するということだ。

 

Sun TV 中国の現実という文脈の中で、あなたは真実というものをどのように理解していますか?

AWW 現実と真実は別の概念だ。現実とは私たちの目の前で起こるすべてであり、如何なる処理も経てはいない。一方、真実とはフィルターを通して抽出できた部分であり、私たちの言う心の真実だ。いわゆる客観的な真実は存在しないから、この客観的真実も私たち人類自身が体験する可能性のある一部分でしかない。私たちの見る光線や色、聞こえる音を含んでいる。私たちの関心を寄せる点も人類の情感と道徳的判断によるものだ。だから真実自体はいわゆる真実ではないのだ。

 

Sun TV あなたはこの真実をどのように理解しますか?あなたのドキュメンタリーフィルムの中では、真実をどのように具体的に表しますか?編集するとき真実はどのように現れますか?

AWW それは、創作の最も根本的な問題に及ぶ。私たちの見るドキュメンタリーでは、通常作者はどうなのか、彼はこの事件をどう考えているのか、映像、編集方法、テンポ、音楽、さらに論理や情緒の抑制といった手近な材料資源をいかに使いこなしているかを見る。良い作品は含んでいる意味がずっと豊富で、内の矛盾がいっそう人間的だ。『花臉巴兒』はおおよそ数百時間撮影し、最終的には1時間余りにまで編集した。このときに取捨選択は必須で、何が必要で何が要らないかという、そのたびごとの判断もまた哲理的なものだった。この真実は作者の価値観から離すことはできない。

 

Sun TV ドキュメンタリーに出てくる人はそれぞれ言うことが違います。あなたはどう見ますか?

AWW これは哲理的問題だ。私たちの目の前の世界は必ずそれぞれに違う。私たちは違う角度からひとつの問題について語るのだ。だからこそ、ドキュメンタリーを撮る必要があるのだ。私たちは他人がどう考えるかを見たい。だからこそ世界は色とりどりできらびやかなものとなる。なぜなら世界はひとつの世界でも同一の存在でもないからだ。

 

Sun TV 中国は多くの災難を経てきましたが、あなたから見て中国人は再認識する力があるのでしょうか?

AWW 中国人は再認識する力がないばかりか、目の前のものを見ていながら見えていないし、聞いていながら聞こえてはいない。毎日起こる新しい災難や事件は、それぞれの人々と大きな関係がある。十数人の人が富士康の窓から身を投げたのを見たとき、そのことが80年代生まれ90年代生まれの運命と関係ないというのか?中国の脆弱な製造業の若者への大規模な迫害や搾取が関係ないのか?中国が廉価な方法で、一方ではにわか成金を生み、一方では永遠に希望がない、そして絶望して窓から身を投げる、これは関係ないことなのか?これはすべての人に関わってくる。それなのにこの社会ではどれだけの声がこれらの問題を問うてきたというのだ?

 

Sun TV このフィルムを見て、中国の若者は何を学び取るべきだと思いますか?

AWW 中国の国民のひとりとして、あるいは若者として、もしまだ感情があるのなら、そして自分には自分の運命を変える能力があると思っているなら、誰もがまずは自分からやりはじめなければいけない。やるべきことをやり、言うべきことを言い、自分の快楽を楽しみ、自ら憤怒するのだ。国家の変化は必ずや個人の変化から始まる。そのほかのものはいかなる人にも期待はできない。

 

Sun TV 北京でこのような行動をするとき、直接、社会と関係があると感じますか?

AWW ここで事を起こしても、正直言って、ほとんど結果を問うことはできない。ただ、こうすることが正しいと思うと言えるだけだ。こうすべきならこうする。できる限り完全に、このこと自体を限界まで、最もいい状態にまでやり遂げる。もし結果を問うことが中心なら、私たちは今日ここまで展開できなかっただろう。また、中国が過去の数十年に、もし多くの人々が真剣であったなら、私たちが今日これらの問題を問うほどまでに落伍するには至らなかっただろう。

 


 

*1 2010年4月5日ウェストバージニア州で炭鉱事故が起き、死者29人を出した。

*2 譚作人1954年生まれ。中国四川省成都市の人。2009年2月、民間に呼び掛けて四川汶川大地震で倒壊した校舎の調査を行った。2009年3月28日,かつて64天安門事件に関する文章を公開したという罪状で成都公安に逮捕される。2010年2月9 日成都市中級人民法院は国家専権転覆扇動罪で禁固刑5年、政治権利剥奪3年の判決を下す。2014年3月27日釈放。釈放後も変わらず中国政府に対して調査を求めている。2017年12月劉賓雁良知賞受賞。

*3 富士康は電子機器の受託製造サービス世界最大手の台湾企業。2010年5月21日未明、21歳の南鋼は深圳市郊外の富士康龍華工場F4号棟屋上から身を投げて死亡した。2010年5月27日時点で富士康では10人の従業員が飛び降り自殺で亡くなっている。賈樟柯ジャ・ジャンクー監督作品天注定(罪の手ざわり)」(2013)でも描かれている。

 

 


 


艾未未「Shouting Out 喊」、艾未未のツイッターアカウントより

艾未未「Shouting Out 喊
2013年、艾未未は四川汶川大地震で亡くなった5196人の子どもたちの名前を叫んでいく。2639人叫んだところで声が出なくなり、ほかのスタッフが続けていく。

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