no image

ニッポン国デザイン村:3

レーザーカラオケ、それは3分間の人生劇場だった そもそもカラオケがあるような場所には行かないし、たとえ連れて行かれても、どんなにすすめられても、断固として歌うのを拒否する?そういうクールでカタクナな人生を送ってきた若者が、中年になっていきなりカラオケにハマり、マイク離さず状態になView More >

no image

シネマ・インデックス 文/大竹伸朗

左: 『五月雨中花 下集大結局』(1960)のビンテージパンフレット。光藝製片公司、秦劍(チュン・キム)監督。右: 『佳偶天成』(1947)のビンテージパンフレット。大觀聲片有限公司(アメリカ支部)、蔣偉光(チャン・ワイグォン)監督。 最初の映像体験といえば、昭和30年代(195View More >

no image

連載 田中功起 質問する 4-1:冨井大裕さんへ 1

件名:「見ること」がそもそも彫刻であるとして 往復書簡 田中功起 目次 どうもお久しぶりです。 冨井さんとはいろいろな場面でいっしょに時間を過ごしてきましたが、面と向かって制作や作品について話すことって、そんなになかったと思います(まあ、ちょっと照れくさいというのもあるのかも)。View More >

no image

中国現代美術の裏地   文/日埜直彦

IUHunJGsBMU 賈樟柯『世界』(2004) 賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の映画「世界」(2004)は、北京近郊の「世界公園」を舞台としている。世界各国のツーリスティックな名所をミニチュアで再現したテーマパーク、登場人物はその従業員だ。高さ1/3ほどのエッフェル塔、ハリボテのView More >

no image

感覚的資本論

彼らは落胆とともに映画館を出る。思い描いていた映画ではない。理想と違う。頭の中に流れている、決して完結する事のない包括的な映画ではない。自分で撮りたい映画ではないし、もし彼らの心の内を覗き見る事ができたら、実際に彼らが生きてみたいと思う映画でもないだろう。        ジョルジView More >

no image

ニッポン国デザイン村:2

暴走のデフォルメ 週末の深夜、静まりかえった住宅街に、突如として爆裂するエキゾースト・ノイズ。空吹かしのエンジン音がブンブブンブンとリズムを刻み、絶え間ないクラクションがパラランパラランとメロディを奏でる。コンクリートとガラスの森に響く、ジャングル・ドラムのごときコール&レスポンView More >

no image

「私」を構成する映像  (後半) 文/仲正昌樹 

 展覧会全体が、「森村」の中に取り込まれ、彼のアイデンティティの中に組み込まれている、「父」と「息子」たち、相互の葛藤、もつれ合いを再現していると解釈することができる。「父」たちの分身を意識化した形で演じる「森村」のイメージを通して、展覧会を訪れる“我々”は、自らの内にも、それらView More >

no image

「私」を構成する映像 (前半) 文/仲正昌樹

 ドイツの芸術批評家ヴァルター・ベンヤミンは、『複製技術時代の芸術作品』(1936)で、写真や映画などの「複製技術」の発達によって、人間の知覚の仕方が変化し、それに伴って、芸術の在り方も大きく変化しつつあることを指摘している。 人間は、生の現実をそのままストレートに知覚しているわView More >

Copyrighted Image