ホー・ルイアン「イメージの危機」

イメージの危機
インタビュー / アンドリュー・マークル

 


Ho Rui An, Asia the Unmiraculous (2018- ), lecture and video installation with digital prints on paper mounted on LED-illuminated acrylic, books, and magnetically levitated hand model. All images: Unless otherwise noted, photo Yasuhiro Tani, courtesy Yamaguchi Center for Arts and Media.

 

ホー・ルイアン(1990年シンガポール生まれ)は、批判的思考、人類学、映画、パフォーマンスが重なり合う領域に取り組んでいる。その表現の多くはレクチャー・パフォーマンスの形式を採り、その記録を中心とした映像インスタレーションへと展開、ヨーロッパの植民地計画の想像力における汗の役割から監視社会の時代における新しい映画装置としてのドライブレコーダーなどの主題を扱ってきた。

ホーは、2018年に山口情報芸術センター[YCAM]で開かれた展覧会『呼吸する地図たち』に参加。国際交流基金アジアセンターとの共同企画である同展では、アジアにおける近代化の象徴的産物としての地図、また、各国の歴史、経済、言語、文化を規定する国家的な地理的身体の源泉としての地図の分析を試みた。ホーは『呼吸する地図たち』と第12回光州ビエンナーレが共同委託した新作《アジア・ザ・アンミラキュラス》(2018-)をYCAMで発表。本作は、歴史やポップカルチャー、ジャーナリズムからさまざまな素材が目まぐるしく展開し、戦後アジアの高度経済成長や1997年のアジア金融危機、2007年から2008年にかけての世界的な金融危機にまつわる人種化された論理を明らかにする。ホーは、同展オープニングに出席し、二日連続でレクチャー・パフォーマンスを発表している。

ART iTは、ホー・ルイアンのYCAMでの展示作品とレクチャー・パフォーマンスを観た上で、これまでの幅広い実践について話を聞いた。
(協力:山口情報芸術センター[YCAM]、『呼吸する地図たち』は2018年12月15日から2019年3月3日まで開催)

 


 

I.

 


Ho Rui An, Asia the Unmiraculous, installation view.

 

ART iT 昨日、『呼吸する地図たち』を鑑賞したのですが、ちょうどあなたの作品にたどり着いたとき、展示作品の一部である「手」が回収されていました。子どもたちがそばで遊んでいたので壊してしまったのかもしれません。そういうわけで、実際に私が作品を観たときには、そこに「手」がありませんでした。

この偶然は消失による表明という点で私にとって意義深いものでした。それはまさに私が遭遇したその状況でしか意味をなさないことですが、市場の見えざる手を造形的に表すものが、実際に見えざる手と化していました。ただそれは金融の世界を視覚化することがいかに難しいことであるのかをも思い起こさせました。あなたは《アジア・ザ・アンミラキュラス》(2018-)が内包するこの問題に、どのようにアプローチしたのでしょうか。

ホー・ルイアン(以下、HRA) 《アジア・ザ・アンミラキュラス》では、私たちが危機をどのように捉えているのか、とりわけ1997年に東アジアおよび東南アジアを発端とした金融危機、今ではアジア金融危機として知られるものをどのように思い描いているのかを分析しています。金融危機は極めて特異な類の危機だという印象を常々抱いてきたのですが、そこには必ずしもそれを感覚的に認識のレベルで掴むことのできる、簡単にアクセス可能な場所があるわけではありません。自然災害にははっきりと被災地がありますが、財政破綻の最中、どこへ向かえばいいのでしょうか。定型的なものに、証券取引所で資産価値が暴落するというイメージがありますが、当然ながらそれが表すのは危機そのものではありません。それはむしろ危機の代用的なイメージであって、また危機自体が表象に抗っているかのようです。

1990年代に東アジアや東南アジアで育ち、ポスト89年世代でもある誰もが、二十歳になるまでにふたつの大きな金融危機を経験していると思われます。この奇妙な経験は、何かとんでもないことが起きているのは気づいているが、子どもの自分にはその影響を必ずしも感知することができない、あるいは、もっと後になってから労働者が解雇されたり、負債に苦しむ投資家が建物から飛び降りたりするのを耳にすることでその影響に気づくというものです。ただ、そうは言っても、その影響があまりにも分散していて、危機が発生したと思われる場所に「立ち戻る」のは難しい。だから、根本的な問いは、まず抽象の領域ではじまり、ある地点でとても具体的な形で現実に返ってくる危機というものをどのように理解すれば良いのかというものでした。

そこで重宝したのは1990年代にタイの憑依について研究した人類学者、ロザリンド・モリスの論考でした。この論考は彼女が株式市場の崩壊した1997年のタイの金融危機に着手するところからはじまります。彼女がまず最初にしたことの中には、証券取引所を訪れるということがありましたが、その道中、彼女は著名な霊媒師が自身の能力を否定し、霊媒の手口を暴露する公開イベントの告知を耳にしました。この出来事が最終的に論考の主題になったのですが、彼女は霊媒師を分析することで、結果的に自由市場の幻想に対する新たな理解に到達しました。どういうことかと言えば、もし精霊憑依が憑依という出来事のあらゆる記憶への関与を完全に否認した上で成り立つのであれば、市場もまた、いかなる介在意識も持たずに経済の精霊を完璧に導いていると想定する限り、憑依の形式のひとつだと考えられます。したがって、財政破綻のように、そうした霊媒能力の力が否定されたらどうなるのでしょうか。この論考が、市場に訪れるのを先延ばしにすることで、市場という主題に到達したことは注目に値します。これと似たような軌跡を私のレクチャーから感じることができるでしょうか。単純に言えば、私は証券取引所に向かうのを避け、代わりに社会に流通するあらゆる種類のイメージから、自由市場化や金融化の論理を解きほぐしうるものを探し、回り道を続けていました。

 

ART iT 個々にはあるかもしれませんが、包括的な視野でアジア金融危機の時代の視覚化を試みた作品がなかなか思い浮かびません。一方で、あなたの作品はポスト2008年金融危機の文化的文脈、つまり、金融派生商品やサブプライム住宅ローン、また、あなたがレクチャーで使った用語の中にあった「実体のない(disembodied)」金融商品をはっきりと意識した文脈に位置付けることができますね。

HRA 1997年と言えば、金融危機の最中にこの地域のほとんどの国々は政治的危機も経験していました。当時を振り返る証言では、金融資本主義に関する物語よりも政治に関する物語に比重が置かれてきました。これはレクチャーの中でもそれとなく触れました。一例としては、インドネシアで起きたことについて、経済崩壊後のレフォルマシ(改革)運動やスハルト政権の崩壊を通じて語られることが多いけれど、そのような物語は彼を支えた国際的な資本のネットワークよりも彼個人を中心に置いています。マレーシアもレフォルマシ(改革)運動の直後に、マハティール政権の副首相アンワル・イブラヒムの失脚を経験しました。運動はマハティールを引きずり下ろせず、実際には金融危機を経た、とりわけ強制的な資本規制が支持された後のマハティールは以前よりも強権的になりました。

どちらかと言えば、当時のこの地域の政治的危機の説明において、金融化の問題は影が薄く、大抵の場合、独裁体制が最も重要な批判的主題だと考えられています。それ自体はまったく正当なものですが、私は1997年から1998年という時期を調べつづける中で、経済の金融化というトランスナショナルな語りを通じて、どのようにこうした政治的危機を解釈することができるのかを理解したいと思うようになりました。

 

ART iT これにはアレゴリーが関係していますね。「アレゴリー」という言葉はいまや時代遅れですが、とはいえ、地政学的に構築されたヨーロッパやアジアといった概念について話すとき、そこに数世紀に及ぶ堆積した問題を伴う言説があることを示すには、この時代遅れの言葉を使うのは重要なことです。個々のアレゴリーは表象しえない物事を視覚化するのに役立つけれど、根底にある個々の物語を私たちの目から遮断することもできます。たとえば、リベラルデモクラシーのアレゴリーについて考えてみましょう。冷戦の終わりからジョージ・W・ブッシュの大統領時代までに構築された主な物語は、自由市場と民主主義に密接な関連性があるというものでしたが、このアレゴリーがブッシュ政権や2008年金融危機の余波で崩れ落ちると、その空虚の中からその他の大量の物語が噴出してきました。

HRA アレゴリーと物語には密接な関係がありますね。実際、私も物語の形式を採用しています。レクチャーのフォーマットを教条的に受け取る人がいるかもしれないし、現代美術ではそれが良くないものとして捉えられることもあります。しかし、今日のグローバルな政治を構成する複雑なシステムを視覚化したり、簡単に理解したりするための新しい方法を模索する必要性はますます高まっています。ここでポストミニマリズムから生じたり、物語性よりも断片化(フラグメンテーション)に価値を置いたりしてきた現代美術のある種のヴァナキュラーが限界に到達し、そして、そのヴァナキュラーが断片化や方向感覚の喪失、物語性の拒否という資本主義の手口(modus operandi)と同じ論理をたどっていることについて考えると尚更です。これはまた、権力を持つ資本家階級が、複雑かつ抽象化の一途をたどる権力のネットワークの舵取りをする能力のない単なる個人個人として、私たちを原子化しようと迫るとき、レクチャーのような拡張された物語形式が、物事を理解せよと強く主張することで、その価値を取り戻しているとも言えます。

 


Ho Rui An, Asia the Unmiraculous, installation detail, courtesy Ho Rui An


Performance view, Yamaguchi Center for Arts and Media, 2018.

 

ART iT しかし、言うまでもなく、今日の現代美術が直面している数ある問題のひとつは、制度を批評するために考案する言語が、その制度によってなんらかの形で絡めとられたり、生み出されたりしてしまうということです。金融資本を批評する際にも、すでに金融資本に関与していなければなりません。あなたの作品もそのような批評的実践になるのでしょうか。

HRA レクチャーという形式そのものが批評性の数多くの様式を切り開くのではないかと考えています。私は物語を構築していますが、制作過程の大部分を占めるのは、すでに定着した物語の脱構築や問い直しです。しかしながら、レクチャー自体が資本主義からの逃走を提示しているなどと言うのは野心的すぎるでしょう。それはどう見ても実態と違いますから。ただひとつの問いが、レクチャーの出発点になる場合もあります。たとえ、それぞれのレクチャーが幅広い文脈を射程に収めているという点で包括的なものに見えたとしても、そこで問われているのはとてもシンプルなものばかりです。《アジア・ザ・アンミラキュラス》であれば、その問いは人種と資本主義の関係です。あるいはレクチャーの冒頭にあるアジアとは何か?という問いに立ち戻ることさえできます。過去200年の資本主義の発展という文脈において、アジアとは何か。そして、そのような発展に対して、アジアの姿はどのように変わってきたのか。このような対話を広げていくための形式として、レクチャーに取り組んでいるのです。必ずしも規範的な結論や行動への呼びかけ、あるいは、資本主義から世界を救うためのマスタープランに至る必要はありません。世界に対する普遍化された思考様式や行動様式のために除外されている問題や物語について考えたいという強い願望が常にあり、それこそが起点となります。

 

ART iT EUの分裂の可能性に対する関心が高まるにつれてより顕著なものになりましたが、ヨーロッパの人々の多くはヨーロッパをひとつの理念、つまり、人権や啓蒙主義の原理のアレゴリーとして考えているようです。しかし、アジアには特定のアレゴリーがありません。アジアはそれ自体がヨーロッパが外部から課した概念なので、アジアは昔から常に帝国のアレゴリー、征服と採取の対象となる領土や市場のアレゴリーとされてきました。私たちは一体どのようにアジアについてアジアの内側から語ることができるのでしょうか。

HRA ここ10年におけるヨーロッパの最も興味深い発展のひとつに、その文化的単一性がそもそも虚構であることが明らかにされたということがあります。それぞれ違いがあるにもかかわらず、ASEANは都合よくEUと比較されることが多く、ASEANは常にEU以降にできた地域連合の中で最も成功していることを誇りに思っています。ただ、当然ですが、実際にASEANや東南アジアについて考えるとき、それが共通のアイデンティティの基盤など何もない極めて異種混交な地域であるという前提、また、地域的アイデンティティがあるかぎり、それは主に第二次世界大戦や冷戦のような外的要因によってできたものだという前提からはじめなければいけないことに気がつくでしょう。私たちはいつもヨーロッパを対照的なものとして想定してきましたが、そのような幻想は消えはじめています。かつて彼らが植民地を眼差していたのと同様の人種化されたレンズを通して、北欧や西欧の国々が南欧や東欧の国々を眼差しているように、それはヨーロッパ内での人種化された言説にはっきりと表れています。

金融危機の命名にさえ、根深く人種化されたシニフィエが動員されています。たとえば、欧州債務危機をいわゆるPIGS経済(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)と呼ぶように。かつて東南アジアに特有なものとされた怠惰な気質という通説を、いまやそれらの国々が体現しています。これこそまさに同種の想像力です。あいつらは太陽だのシエスタだのホリディだのばかり言っているから、経済がぼろぼろになるのだ、と。

このように、人種化の論理はヨーロッパ対アジアというものではありません。危機に呼応してはじまった思想的な動きが、後期資本主義に対する不平不満を外国由来のものに表出化しながら、一方で支配階級を免責し、既存の体制をどこまでも延命させています。

 

ART iT その反面、アジアやその他の地域には、「西洋的」と受け取られるあらゆるものを、それらは輸入されたものだから土着の文脈では意味を成さないと批判する反動的な言説も存在します。

HRA リー・クアンユーが提唱した「アジア的価値」もそのひとつですね。彼は必要とあらば西洋を偽善だと糾弾するのも厭いませんでした。彼はアジア的なやり方と西洋的なやり方の間に本質主義的な違いを再構築しようとしていたにもかかわらず、状況に応じていわゆる実用主義的な物の見方を支持し、そうした区別をいつでも捨て去る準備ができていました。レクチャーでは「それがビジネスに役立つ限り、どこから来たものであっても構いません」という彼の言葉を引用しています。実用主義は本質的な文化的対立を乗り越える方法として提示されますが、この経験豊富な元老が思うがままに偏見を抱き、アジア人、とりわけ東アジア人はもっと実用主義的だと主張するたびに矛盾が生じます。実用主義を人種化しています。

これは新自由主義の経済学者が、市場を文化的差異を解消するものとして語るのと同じことです。彼らは市場は西洋的であるとか、アジア的であるなどというものではないと言いますが、西洋社会の方がアジアの国々よりも市場のあれこれについてどういうわけか長けているとも主張します。普遍化や特殊化の言説にはこうした矛盾が含まれていて、私はそれを解きほぐそうとしているのです。

 

ホー・ルイアン インタビュー(2)

 


 

ホー・ルイアン|Ho Rui An
1990年シンガポール生まれ。現代美術、映画、パフォーマンス、理論が交差する領域で制作活動および執筆活動を展開。グローバリズムや統治機構の文脈の中で生産、流通、消滅するイメージに焦点を当て、権力とイメージの変容する関係性を調べあげ、レクチャー・パフォーマンスやそれを基にした映像作品やインスタレーションなどの形式で表現している。コーチ=ムジリス・ビエンナーレ(2014)、シャルジャ・ビエンナーレ13(2017)、ジャカルタ・ビエンナーレ(2017)、銀川ビエンナーレ(2018)、光州ビエンナーレ(2018)、アジアン・アート・ビエンナーレ2019、ノッティンガム・コンテンポラリー(2019)といった国際展を含む数々の展覧会に参加。最新作の《Student Bodies》(2019)は、第65回オーバーハウゼン国際短編映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。2014年には、シモン・カステとハンス・ウルリッヒ・オブリストが立ち上げた「89plus」がシンガポールで開催された際にキュレーションを手掛けるなど幅広い活動を展開。2018年にDAAD(ドイツ学術交流会)の助成を受け、現在はシンガポールとベルリンを拠点に活動している。

日本国内でも2012年に札幌国際短編映画祭やSintok シンガポール映画祭(東京)で映像作品を上映、2016年にはTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)で《Solar: A Meltdown》、2018年に山口情報芸術センター[YCAM]、2019年に国際交流基金アジアセンターで《Asia the Unmiraculous》をレクチャー・パフォーマンスとして発表している。展覧会としては、2017年に『サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から』(森美術館、国立新美術館)、2018年に『呼吸する地図たち』(山口情報芸術センター[YCAM])に出品している。

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