画家 富山妙子と2本のドキュメンタリー映画『自由光州—1980年5月—』『はじけ鳳仙花—わが筑豊わが朝鮮—』 @ ポレポレ東中野


『自由光州―1980年5月―』1981年

 

画家 富山妙子と2本のドキュメンタリー映画
『自由光州—1980年5月—』『はじけ鳳仙花—わが筑豊わが朝鮮—』

2025年4月26日(土)-5月10日(土)※上映は継続予定
ポレポレ東中野
https://pole2.co.jp/
休館日:会期中無休
上映会URL:https://koshu-hosenka.com/

 

ポレポレ東中野では、画家の富山妙子が1980年に制作に携わった 『自由光州―1980年5月―』(1981)と『はじけ鳳仙花―わが筑豊 わが朝鮮―』(1984)の2本の映画を上映する。

富山妙子(1921-2021/兵庫県生まれ)は、少女時代を旧満州の大連とハルビンで過ごし、画家を目指して女子美術学校で洋画を学んだ。戦後は児童画を描く仕事の傍ら、鉱山や炭鉱をテーマとする作品を制作した。1970年代から1980年代初頭にかけては油彩画からリトグラフへ移行し、1974年に政治犯として投獄された詩人の金芝河をテーマとした版画シリーズ〈しばられた手の祈り〉を制作。ニューヨークやシカゴ、バークレーで巡回展を行なった。1976年には、音楽家の高橋悠治とともに詩、絵、音楽による新しい芸術運動を行なうため「火種工房」を設立。富山作品の全図や部分図をスライド化し、音楽とナレーション、詩の朗読を組み合わせたスライド作品を制作した。1980年の光州事件後すぐに〈倒れた者への祈祷 1980年5月光州〉シリーズとそれを基にした作品を手がけ、関西と札幌で発表。その後、再び油絵制作を行なうようになり、〈海の記憶〉、〈ハルビン:20世紀へのレクイエム〉、〈蛭子と傀儡子〉など、歴史や戦争、日本とアジアの関係をテーマとした作品を発表した。2021年には、韓国の民主化運動への支援と促進への貢献が認められ、韓国政府から国民勲章を授与された。

近年の主な展覧会に、第8回横浜トリエンナーレ(2024)、「記憶の海へ―富山妙子の世界」(韓国延世大学博物館、2021)、「特別展示 富山妙子 終わりの始まり、始まりの終わり II」(藤野倶楽部、神奈川、2019)、「特別展示 富山妙子 終わりの始まり、始まりの終わり」(原爆の図丸木美術館、埼玉、2016)など。現在、カリフォルニア大学サンタバーバラ校附属のアート・デザイン・建築博物館で、〈蛭子と傀儡子〉シリーズを紹介する展覧会「Tomiyama Taeko: A Tale of Sea Wanderers」が4月27日まで開催されている。

 


『自由光州―1980年5月―』1981年


『自由光州―1980年5月―』1981年

 

今回上映される『自由光州 —1980年 5月—』は、1980年の韓国で独裁政権の弾圧によって引き起こされた光州事件の直後に、その弾圧に抗議するかたちで富山が制作した版画作品〈倒れたものへの祈祷〉を中心に構成される。「ここを素通りしてはならない」という純朴な思いから、富山と映画監督の前田勝弘は、リアルなニュース映像と富山の版画を用いて、弾圧と犠牲の本質を訴えるストレートな抵抗映画を作り上げた。

『はじけ鳳仙花 —わが筑豊 わが朝鮮—』は、水俣病に関連する映画を数多く手がけた土本典昭が監督となり、富山の心から生涯消えることのなかった朝鮮人強制連行を描いたリトグラフ〈引き裂かれた者たち〉と、自伝的論集『はじけ!鳳仙花―美と生への問い』を巡る記録映画。強制連行された炭鉱で重労働を強いられた朝鮮人たちと、横暴な日本人たちを描いたリトグラフの創作過程を追う。

 


『はじけ鳳仙花 —わが筑豊 わが朝鮮—』1984年


『はじけ鳳仙花 —わが筑豊 わが朝鮮—』1984年


『はじけ鳳仙花 —わが筑豊 わが朝鮮—』1984年

 


画家 富山妙子と2本のドキュメンタリー映画 予告篇

 

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