第2号 中国

第2号 中国

今回のART iTのテーマは「中国」である。経済成長目覚ましい中国を、単純に中国美術を紹介するだけではなく、中国の現況を捉えた「イメージ」がどう伝わるか、「イメージ」と「現実」の交差がお伝えできればと思う。

アーティスト特集は先日、中国を題材として新作映像インスタレーション『Ten Thousands Waves』を発表したイギリス人アーティスト、アイザック・ジュリアンのロングインタビュー。彼がこれまで作品を通じて論じてきたポストコロニアル理論が、中国での撮影および制作によってどう位置づけられるのか。当然ながら議論の対象となるべき非当事者の視点が、既に彼がアメリカで撮影した『Baltimore』制作時から意識されていたことなど、どうしても単純化されがちな支配—被支配の関係について丁寧に語ってくれた。一方で、こうしたポストコロニアルの文脈に隠れて語られることが少ない、映像における美学を実践するプロセスについても言及している。マルチチャンネルインスタレーションの先駆者でもある、彼の技術と理論における試みを探る。

中国人アーティスト、徐震は爆発的とも言えるほどブームとなった中国美術市場の中で、システムの問題を鋭くつく。絵画作品が中国の美術市場において物量的かつ経済的に圧倒的優勢を保つ状況において、その問題点をコンセプチュアルにあぶり出した作品を自らが率いる会社組織「MadeIn」として制作しつづけている。非商業的とも皮肉ともとれる彼の制作姿勢は注目に値する。

今回の「Curators on the Move」は欧米でのキャリアが長いホウ・ハンルウからハンス・ウルリッヒ・オブリストへの手紙。中国人でありながら欧米的な視点も併せ持つ彼は、中国語圏を中心としたアジアにおける作品の経済性をと公的機関の果たす役割と可能性について考察する。キュレーターという媒介の役割を担う者が果たせる仕事について冷静な判断をしつつ、アジアの美術業界が直面している問題の解決策を呈示している。同じ中国人キュレーターでありながらハンルウとは異なり、中国国内に在住するフー・ファンは、共産主義国中国において資本主義に対しての疑問を消化できないことを映画というメディアを例にフィクション化する打開策を感覚的に論じている。

主にその経済成長故、近年国内外で語られることの多い中国だが、中国に限らず、結局我々が観ることができるのはその表象でしかなく、それによってしか捉えることができない。日埜直彦が語る中国の都市計画なき都市の様相は文中で語られる模造都市ばかりの「世界公園」と綿密に繋がっているが、それこそは中国がイメージする美しき都市の縮図である。

資本主義経済でありながら未だ共産主義を標榜する中国、これはまさにリアルな映画のようではないか。それはリアルだけれども結果としてフィクションであり捉えどころがない。実体を持って存在しているにも関わらず未だ外側からは掴むことは不可能だ。こうした国では市場というこれもフィクションのようなフィールドで貨幣価値をもつ美術が盛り上がるのも当然であろう。そして、そうしたフィクションのなかで浮遊するイメージが、イメージの操作や制作を生業とする作家を惹き付けるのもこれまた至当である。

『ART iT』日本語版編集部

アイザック・ジュリアン インタビュー
グローバルではなく、ローカルを繋げて

アイザック・ジュリアン エッセイ
ほどけない、もつれ 『Ten Thousand Waves』についての考察
文/ 高士明[ガオ・シーミン]

徐震 インタビュー
表象への道はいつも…

感覚的資本論
文/ フー・ファン

私的、かつパブリック
ホウ・ハンルウからハンス・ウルリッヒ・オブリストへの手紙

中国現代美術の裏地
文/ 日埜直彦

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