アイザック・ジュリアン インタビュー (2)

(2) 世界と故郷

複数の場所、女神媽祖、「新しい天使」について


Installation view of TEN THOUSAND WAVES (2010) at ShanghArt Gallery, Shanghai, 2010. Nine-screen installation, 35mm film transferred to High Definition, 9.2 surround sound, 49 min 41 sec. Photo Adrian Zhou, courtesy of Isaac Julien and ShanghArt Gallery, Shanghai.

許王華

共産党という道に放り投げられ
我々は大きな危険を冒して資本主義を選んだ
他の人たちのような生活がしたいだけ
テレビ、車、お隣より大きい家
潮が首まで満ちてきた
のど元で凍ってきた
行き先には月明かりもない
ノースウェールズ海の怒りから逃れることはできない

『Ten Thousand Waves』のための王屏 “Small Boats”から抜粋

‘Xu Yu Hua’
Tossed on the Communist road
We chose Capitalism through great perils
All we want is a life like others
TVs, cars, a house bigger than our neighbors’
Now the tide is rising to our necks
Ice forming in our throats
No moon shining on our path
No exit from the wrath of the North Wales Sea

Excerpted from Wang Ping’s “Small Boats” cycle for Ten Thousand Waves

ART iT ポストコロニアル理論との関係、部外者としての反語的観点からの作品制作過程について話してきました。中国に関心を持つようになった転機はいつでしょうか?

IJ 中国に選ばれたと言ってもよいかもしれません。2004年のモーカム湾の悲劇 に多くのイギリス人が同情し、2006年にはドキュメンタリー映画監督ニック・ブルームフィールドがこの事件について『Ghosts』という作品を作りました。その年、私はピッツバーグ大学で教えていて、詩人の王屏による詩の朗読会に行ったのです。彼女にモーカム湾に来て、詩を作るように依頼したところ、彼女はやってきて、1年後に『Small Boats』という作品を送ってきました。これが対話を進めるきっかけとなったのです。
以前から知人や中国映画を通じて、私の人生に中国は存在していました。例えば『Looking for Langston』は1989年香港映画祭で上映されました。少なくとも長年、映画文化では東西間の美に関する対話をしていたわけです。

ART iT 王屏と話しましたが、あなたが『Western Union: Small Boats』 (2007)に中国に関する素材を盛り込むつもりだったと言っていました。これは危険な手作りのボートでアフリカからヨーロッパへの移民を試み、その過程でたくさん、溺死してしまう人たちに関する作品でした。そもそもこのふたつのアイディアはどういう関係にあったのですか。

IJ 『Ten Thousand Waves』と『Western Union: Small Boats』は姉妹プロジェクトと言えます。どちらもいわゆる「マシな生活」を求めている人々に関するものですから。私の両親がカリブ海からイギリスに来たのもそうです。もともと『Ten Thousand Waves』の仮タイトルは『Better Life』でした。でも2010上海万博のスローガンが「Better Life. Better Cities」とわかった途端に、私はすぐにタイトルを変えねばと思ったわけです。


Installation view of TEN THOUSAND WAVES (2010) at ShanghArt Gallery, Shanghai.

ART iT タイトル以外に、その後、中国で活動し始めて、プロジェクトに関するアイディアはどう変わりましたか。

IJ 新聞の切り抜きを集めたり、記者たちと話したりし、すでにイギリスのモーカム湾惨事に関してかなりリサーチしていましたが、実際に中国に行くと自分がずいぶん西側的な見方をしていたと思えてきました。中国で会った詩人、アーティスト、映画監督たちとの会話や過去との対話を通じて、より深く再明確化してきたのです。
私の当時のリサーチャー、ジャクリン・ホアン・グエンというアーティストが保護女神媽祖の伝説に関するイラストを見つけたのです。媽祖の伝説はモーカム湾の労働者の故郷と同じ福建省のものです。数多くの伝説を読みましたが、「湄洲島物語」は媽祖が海から漁師たちを救う話で、イギリス北部での惨事を寓話化し、中国に結び付けるのに最適でした。従って、『Ten Thousand Waves』では媽祖役のマギー・チャンが森林を空中飛行しているシーンのカットが、ヘリコプターから海辺のただ一人の生存者を撮影した警察のビデオ映像と組み合わせられ、空中からの異なった視点の不気味な関係を生んでいます。
視点に関心があるので、この興味と映画的視点に関する幾つかの理論から、プロジェクトに対するアプローチを伝える感性を持ちたいのです。この点において、ポストコロニアル学は私にとって自分自身の典型的な西欧のアウトサイダーという立場とは異なった視点で問題を検討する道具となっています。プロジェクトの中国人コラボレーターとの対話によって、私が「クレオール化」できればよいなと思っています。

ART iT 「湄洲島物語」というツールによるシフトする観点は『Fantôme Créole』や『Fantôme Afrique』でも試みようとしたのでしょうか。

IJ 私のどの作品にも、ヴァルター・ベンヤミン型の「新しい天使」的人物ともいえる主人公たちが登場します。媽祖のキャラクターがベンヤミン型の「新しい天使」だとは言いません。中国の神話はそのままでとらえたいですが、関係はあるかもしれないのです。
ブルキナファソで『Fantôme Afrique』を撮影した時、『Ten Thousand Waves』で上海が映画都市だということに興味を持ったように、ワガドゥグが映画都市であることに関心がありました。1969年以来、ワガドゥグはアフリカ最大の映画祭フェスパコ(ワガドゥグ全アフリカ映画祭)を開催しています。上海も20世紀初期、中国で映画都市でした。これらの場所に興味があるひとつの理由です。


Above: Fantôme Créole Series (Mise en Scène no.2) (2005), Lambda print on gloss paper, 119.5 x 119.5 cm. Below: Western Union Series no. 1 (Cast No Shadow) (2007), Duratrans image in lightbox, 120 x 120 cm. Both images courtesy of Isaac Julien and Victoria Miro Gallery, London.

ART iT ブルキナファソであれ、セントルシアや上海であれ、撮影中、アウトサイダーとしての自分自身とローカルの観点という葛藤をどう処理しているのですか。

IJ 徹底的にリサーチする時に、芸術的交流とコラボレーションのポイントを見つけようとします。『Ten Thousand Waves』では、私自身と詩人の王屏の交流があるわけです。『Paradise Omeros』では私とデレク・ウォルコットの協力がありました。彼は叙事詩『Omeros』でノーベル文学賞を受賞しましたが、私の作品のタイトルはこれを引用したものです。デレクは実際に出演し、ナレーションを書いてくれました。『Fantôme Afrique』について言うと、ワガドゥグはいちばん最初に私の作品を認めてくれた映画祭で、1980年代にディアスポラの映画監督として参加を求められました。映画を学んでいる地元の学生たちと映画の撮影もしました。
ローカルとグローバル、アウトサイダーとしての私と仕事している場所との間に葛藤があることは否定できません。「民族誌学」という言葉は使いたくないのです。芸術の世界はドキュメンタリーを発見したし、私の作品は様式化されているから民族誌学とは呼べないと思います。私はフィルムインスタレーションを通じて、これらの場所や観点に対して、ベトナムの映画監督・評論家トリン T・ミンハ曰く「近づく」関係を作っていると思います。

ART iT つまりフィルムは中国にアクセスする手段のひとつということですね。
『Ten Thousand Waves』ではワイヤ宙づりスタントを使ったカンフー映画や、またウォン・カーウァイの20世紀時代映画『In the Mood for Love』を意識的に引き合いに出しているように思います。

IJ 確かに『Ten Thousand Waves』はいろいろ引き合いに出しています。このプロジェクトは私にとって探索でした。中国文化とそこにおける美的習慣との対話を観ることで、その交流に私自身が貢献できることを見つけたかったのです。1972年、文化大革命の最中、毛沢東政権はミケランジェロ・アントニオーニを招待して、ドキュメンタリーを撮らせ、『中国』ができました。面白いことにこれは中国で長年、禁じられ、その後、当時の様々な生活の記録として重要になりました。

アントニオーニの映像は使いませんでしたが、映画は観ているので、彼のことやオランダの映画監督ヨリス・イヴェンスのことを考えました。イヴェンスも中国と深く関係し、1939年に『The 400 Million』というドキュメンタリーを制作、70年代に中国に戻り『How Yukong Moved the Mountains』(1976)という文革のドキュメンタリーを撮りました。
警察のビデオ、CGIで制作した波、ハンディカメラで撮ったモアカムのビデオ、マギー・チャンの映画素材といった、通常なら調和しない素材を寄せ集め、そうしたビジュアル情報、ビジュアル空間を組み合わせなければなりません。それをまとめあげてくれるのは、パラレルモンタージュと共にサウンドデザインです。でも私の作品はビジュアルアートとの対話でもあり、異なった解釈ができます。


Both: Installation view of TEN THOUSAND WAVES (2010) at ShanghArt Gallery, Shanghai, 2010.

ART iT でも『Baltimore』ではSF映画に関心を持っていましたね。このプロジェクトにも取り入れましたか。『Ten Thousand Waves』の出だしはナレーションときめが粗いヘリコプターのビデオがあって、SF映画や『28 Days Later』のようなゾンビ映画と似たスタイルになっています。ひとりの生存者を発見するなど特定の出来事からスタートして、全体像が見えるようにズームアウトするスタイルです。よくあるSF映画の設定は国家組織対異常自然現象というもので、不法移民や移民労働者と似た状況のように思えます。

IJ 私はイギリス映画がまったく好きでありませんでしたが、『28 Days Later』は最近、面白かった大衆映画のひとつでした。『Ten Thousand Waves』のSF的要素を指摘するのは正しいです。上海をある意味でSF映画のセットのように感じていますから。映画の中では特定の技術が関係している近代性について考えている箇所もあります。建築物の風景のフレームの仕方、そして女優の趙濤が演じている現代の女神像を追って異なる場所を移動している場面がそうです。彼女は中国の昔の映画『神女』(1934)の主役の現代版なのです。趙濤の演じている人物は30年代から今日にわたって、歴史的な上海電影制片広を通り、ハイテクの上海浦東新区を通り、もしかするとモーカム湾惨事の被害者の親戚かもしれないのです。

ART iT 使った色々な映像素材ですが、作品の真ん中あたりに30秒ほど挿入された映像では親戚の女性が死人の所有物をごそごそ調べているシーンが印象的です。これはどうしてあんなに短かったのでしょうか。美的センスによる選択でしょうか。

IJ 場面転換については、趙濤と楊福東が豪華な場所でお茶を飲み、次には文革時代のマーチの記録素材があり、最後のストーリーである「湄洲島物語」、緑一色のシークエンスとなり、媽祖としてのマギー・チャンが現れ、あなたが指摘した映像となります。これはモーカム湾惨事についての香港のドキュメンタリーからの素材です。媽祖が観客と一緒にこの素材を観ているようなシークエンスにしたかったのです。ドキュメンタリーの映像は、「湄洲島物語」の再現シーンのカットへの指標的要素になります。ドキュメンタリー素材を「湄洲島物語」でフラッシュフォワードとして挿入したかったのです。物語は16世紀あたりの過去が舞台ですが、後に出てくるシーンを先に挿入することで、現代のモーカム湾の中国人とり貝漁師の出来事につながります。
でもこれは私の解釈です。当然ながら、アーティストの意図が必ずしも最後の解釈ではありません。他の人には別の解釈があるでしょう。
他にも漁師たちの親戚が喪に服し、死者を悼むドキュメンタリー素材があったのですが、搾取になるので使おうとは思いませんでした。だからあの素材が短かったのは美的センスというより、政治的、感情的な選択だったのです。

画像は特記がされているもの以外のクレジットは次の通り Photo Adrian Zhou, courtesy of Isaac Julien and ShanghArt Gallery, Shanghai.

訳注:密入国した中国人漁師ら21人が高波で溺死

アイザック・ジュリアン インタビュー
グローバルではなく、ローカルを繋げて

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