2010年記憶に残るもの フー・ファン

クリスマス以外は毎日

1月: 見過ごされがちな奇跡

ある特定の空間に入ると、その空間を無意識で感じ取り、そこで何が起きるか予測できてしまうという話をサウンドアーティストとアマチュア音楽家として活動している人から聞いた。彼はテーブルマジック、つまり至近距離でも人を驚かせることができる(目の前で奇跡を起こす!)手品のようなことを仕掛けてくる。話しているうちに、奇跡的だという感覚はしばしば「隙間」から生まれることに気付いた。個々人が持つ様々な期待の間の「隙間」や個々の身体、個々の感覚の間の「隙間」。「奇跡」とはいつだってこのような隙間をすり抜けて行き、見過ごされてしまうのである。

2月: 巣ではなく洞窟のような


左: 山西省の穴居住宅 右:『現代建築家コンセプト・シリーズ 1 藤本壮介――原初的な未来の建築』(2008年INAX発行)より
友人が旧正月に山西省に帰ったときに撮影した穴居住宅の写真をくれた。その写真を見ていて、「穴居住宅」とは日本人建築家の藤本壮介が言うところの「洞窟」そのものではないかとふと閃いた。この穴居住宅は地球を取り戻すことのできる建築形式であり、この星の重力に応え人間の知覚プロセスと調和させることのできる新たな建築の可能性の象徴であるように私には思える。藤本は私のこの新たな発見をまさに「原始性の発見」と呼ぶ。
コルビュジエに代表される「巣的な住宅」と藤本が更に原型的とする「洞窟的な住宅」とを比較することにより、藤本は『巣ではなく洞窟のような』という論文の中で「原始的な未来の建築」の概略図を思い描く。
「巣的な住宅」が機能的にデザインされた空間、つまり予め決められた機能に順応し依存することを人に強いる空間とすると、「洞窟的な住宅」の空間の機能は居住者が自ら探り、その使い方を偶発的に発見することを促すものだと言える。洞窟的な住宅は巣的な住宅の先に立つ形式となる。
「穴居住宅」こそが中国での生活の「原始的な未来」ではなかろうか?

画像クレジット Left: Photo Michael Eddy. Right: Spread from Sou Fujimoto: Primitive Future (Inax, Tokyo, 2008)

3月: 非歴史的な時間 


イオン・グリゴレスク『River Traisteni』(1976)より
不意に、ルーマニア人美術家イオン・グリゴレスクの天使のような孫息子の寛大さを思い出した。ブカレストで初めて出会ったとき、彼はまだ10歳になっていなかった。私たちを年老いた美術家の暗くて殺風景な部屋に案内し、本棚に手を伸ばしながら「これは全部、僕のおじいさんの本だけど、歴史の時間の本じゃないんだ。春とか夏とか秋とか、季節の時間の本なんだ」と言った。
彼はいつか万里の長城を訪れて本で読んだことは全て本当なのか確かめてみたいと話してくれた。そして家の前の木々がもっと速く成長することを願っていた。「僕だけのものではないからね」

画像クレジット Ion Grigorescu, River Traisteni (1976), performance, photo Andrei Gheorghiu, courtesy àngels barcelona.

4月: もし春の日に室内で霧が出たのなら


オラファー・エリアソンと中国人建築家、馬岩松(マ・ヤンソン)のコラボレーション『Feelings Are Fact』展示風景、北京のユーレンス現代美術センター(UCCA)にて
今回はそれは作品の中に入ったから、もしくは——美術家オラファー・エリアソンによれば——あなたが入ったときに初めてこの作品は完成されたのだ。
空間を入った途端、霧に包まれ、都市のスモッグを通り抜ける感覚を思い出させられる。眉をひそめ、やや不安げに鼻をすする。霧の中を動きながら知覚の混乱を取り除こうと試み、また周りの人々の動作を観察することによって自分の位置を確認することも試みる。この自らの知覚を通して空間を探る時間そのものが最終的に新たな展望を開いてくれる。
もしかしたら現実の記憶を思い起こすだけでこの既に離れている場所を再訪できるかもしれない。「展覧会に入る道のりと出る道のりの距離は同じである」とはエリアソンの言葉である。

画像クレジット Installation view of Olafur Eliasson and Ma Yansong, “Feelings Are Fact,” at Ullens Center for Contemporary Art, Beijing, 2010.

5月: ヴェニスに生き死す


ミン・ウォン『Life and Death in Venice』(2010)展示風景
1912年、トーマス・マンが中編小説『ヴェニスに死す』を発表した。1971年、ルキノ・ヴィスコンティがその中編小説を基に同じ題名で映画化した。そしてその29年後、シンガポール人美術家ミン・ウォンがヴィスコンティの映画を基に3面投影ビデオインスタレーション作品「Life & Death in Venice」(2010)を作った。
この作品でミン・ウォンは映画の二人の主人公、年老いてゆく美術家アッシェンバッハと美青年タジオを同時に演じる。ミン・ウオンのビデオはヴィスコンティの映画の筋書きを保っている。隠れながら青年に視線を送るアッシェンバッハは自身の危険で望みのない美への探究にもがき、青年が指を天に指す動作がアッシェンバッハの命の終わりを告げる。ミン・ウォンのビデオインスタレーションでもまた時間と空間が不明瞭なものとなり、欲望と別離の終わりなきサイクルに疑問を投げかけると同時に、鑑賞者も自らそのサイクルに足を踏み入れるべく誘発する。

関連記事 フー・ファン「ミン・ウォン: 旅する異邦人」ミン・ウォン インタビュー「反復がもたらすシネマへの提案」
画像クレジット Installation view of Ming Wong, “Life and Death in Venice,” 2010.

6月: チェアレス


アレハンドロ・アラヴェナ『Chairless』(2010)使用風景
この「イス」はどちらかと言えばカマーバンドのようなものだ。利用者の脚と背中に巻きつけると、イスであると同時にイスではない何かになる。利用者自身の脚がイスの脚となり、背中がイスの背もたれとなる。イスの図面からは、人間の身体がいかにしてイスに変化させられるかはっきりと見て取れる。荘子の教えの応用だ。
ヴィトラ社のコミッションによって作られたチリ人建築家アレハンドロ・アラヴェナの『Chairless』は今年一番印象深いデザイン作品である。

画像クレジット Alejandro Aravena, Chairless (2010). Photo Hu Fang.

7月: 世界一美しい学校


左: 中国北東部の学校 右: 王大閎の自邸
7月に中国北東部を訪れた際、世にも美しい学校を見る夢のような機会を得た。この地域で育つことでいかに自然の恩恵を受けるか知っている人は少ないのではなかろうか。そもそも、この状況を一体どのようにレポートできるものだろうか?
その学校の周辺地域はもうすぐ開拓されると言うが、開拓以外に我々にできることなどあるだろうか?
台湾人建築家、王大閎(ワン・ダホン)が1953年に設計した、平穏な空間へと自然にさりげなく導いてくれる寝室の正円窓で知られる台北市建国南路の自邸を見ると、建物全体はミース・ファン・デル・ローエ風の様式であるにも関わらず、西洋の現代的な空間の文法を中国の伝統的な空間の雰囲気とスムーズに融合させている。
東西の対立で苦労してきた王の世代の建築家は、内側境界がごく細部まで現れるユニークな空間の文法をその苦闘を通して見つけることができた。今、いわゆる「グローバル時代」に生きる中、その対立はますます複雑になり、自然の声(人間自体も自然の一部であるため、それは必ずしも人間界の外の世界に限られない)を聞くということは比類のない困難さと比類のない重要さとを得た。最終的に、実空間の構造は私たちが選ぶ道に関係しているのだ。
王の正円窓は建物が取り壊されたときに姿を消し、今ではイメージというかたちでしか残されていない。この学校もまた私の写真アルバムや夢の中にだけ見られるものになってしまわないことを切に願う。

画像クレジット Left: Photo Hu Fang. Right: Spread from Ming-Song Shyu & Chun-Hsiung Wang’s Rustic & Poetic – An Emerging Generation of Architecture in Postwar Taiwan (Muma Wenhua, Taipei, 2008).

8月: この日


白雙全「Going Home Projects」(2010)展示風景
ごく普通の一日の始まりのように思えた。もしこの日が人類の最初の日だったら? もし最後の日だったら?
8月23日、不満を募らせた警察官と一緒に殆ど丸一日観光バスに座っていた人質(注1)——彼らの一日、他人の過ちの犠牲になった、体制の腐敗が生んだ人間関係の一日(毎日がそんな日ではないのもまた凄いことではなかろうか?)は想像すらできない。彼らが世に別れを告げるその瞬間が刻一刻と近づき……いや、この文を書いている今この瞬間も、世界のどこかでこのような別れが起こっているのだ。
この世の無慈悲さと莫大な大きさに個人には抗う術が殆どない。「この日」を意識するというのはどういうことか?
私たちはこの日にどのような希望を持つべきか、それとも諦めてしまうべきか?
2010年台北ビエンナーレで実施された白雙全(パク・シュウン・チュエン)の「Going Home Projects」の企画を思い出す。白は自分の時間を他人のそれに重ね合わせ、相互の巡り合いや他の人との出会いで満ちた一日を作り上げることにより、殆ど不可能性から可能性を導くようなことをした。自身、他人、そして予期せぬ喜びさえあれば、この日は永久に美しい思い出になることができる。

画像クレジット Pak Sheung Chuen, installation view of Going Home Projects (2010), Taipei Fine Arts Museum, 2010.

9月: 沈黙のシネマ

空っぽの映画館に関して——暗闇しか見えなくなるまで段々と薄れていくプロジェクションの映画——席から立ち上がる友人たちが他の人も立つように促す映画——「終」の語しか表われない映画。その後になってようやく階下の八百屋の映画、歩道の映画、家の映画やすぐ隣にいる愛する人の映画が突然見える。

画像クレジット Both: Photo Hu Fang.

10月: 映画スタジオ

平壌映画撮影所(朝鮮芸術映画撮影所の所在地)には、深圳市のテーマパーク「世界之窓」と似たようなエネルギーが感じられる。スタジオには人々が自らの可能性に感じる魅惑と現実を再構築することへの大いなる情熱とが兼ね揃えられている。
映画スタジオの起源と長編映画の制作とは相互に関係している。長編映画は必ず特定の主人公が特定の環境であらゆる経験をすることに基づいた特定の視点——そして特定の意識——を表している。そして映画スタジオは現実のカオスを除去し、映画のテーマをより効果的に演出できる環境を作り上げる。
もしかしたら私たちは基本的にいろんな長編映画を生きているのかもしれない。ときには主役を演じ、ときにはありがたく脇役に留まる。
一部の者は、北朝鮮での生活はまるで一種のパフォーマンスのようだ、まるで特定の統一された権力が全ての人の一挙一動を指揮しているかのようだと言う。別の視点から、他の者は感傷的に言う——ここには中国社会が既に失っている純粋な精神と信念とが見られる、と。
この矛盾は映画スタジオで解決できるのかもしれない。あなたは生きたいように生きることができるのだ。

画像クレジット Both: Photo Hu Fang.

11月: 幸せとは何か?


ハンス=ペーター・フェルドマン、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著『Interview』(2010年Walther König発行)より
ハンス=ペーター・フェルドマンはきっと幸せだろう。今年は第8回ヒューゴ・ボス賞を受賞したのだから。
フェルドマン以外にアピチャッポン・ウィーラセタクン、曹斐(ツァオ・フェイ)、ナターシャ・サドル・ハギーギアン、ローマン・オンダック、ワリッド・ラードらもノミネートされており、熾烈な争奪戦の末の受賞であった。フェルドマンはもうすぐ70歳だということを考えると、これまで何十年も続けてきた「審理」の強烈な濃密さと影響の力強さとは賞などに認証される必要はないと言ってしまうとそれまでだが、彼の作品や思想を改めて評価する機会を作り、広く共有される喜ばしい出来事となったことは間違いない。
フェルドマンの数多くのプロジェクトはしばしば印刷物を通して具体化する。日常生活の中で集めた公的なイメージ(public images)を使って人類と世界中で起こる多様な出来事との間の関係を検証するのだ。「モンタージュ」風のアレンジによってこれらのイメージは私たちが生活する空間についての言論に作り替えられる。ハンス・ウルリッヒ・オブリストとの共著『Interview』(2010年Walther König発行)では、フェルドマンはイメージを使ってオブリストの質問に答える。その中に「幸せとは何か?」という質問もあった。

関連記事 ハンス=ペーター・フェルドマン、ヒューゴ・ボス賞2010を受賞(2010/11/05)
画像クレジット Spread from Hans Ulrich Obrist & Hans-Peter Feldmann, Interview (Walter König, Cologne, 2009).

12月: クリスマス以外は毎日


右:リンジー・アンダーソン監督『クリスマス以外は毎日』(1957)より
最後の数人がショッピングセンターを去るとき、「静」の状態が訪れると思うものだが、外の通りには何台ものトラックが並んでいる。建物に乗り入れて積んだ荷物の搬入をしてくれる作業員たちが喫煙や雑談を済ませるのを待っているのだ。夜中を(ショッピングセンターの胃袋が再び午前零時を待つ)夜明けと見紛うほどの活気溢れる雰囲気が充満する。
大抵、実際には24時間ずっと街中で私たちの想像を超える出来事が起こっていることに気付かずに、都市は時間という秩序に沿って、一種の概日リズムを追っていると考えるものだ。
かつてジガ・ヴェルトフの『キノグラース(映画眼)』(1924)が私たちの視覚を都市という空間へと導き、私たちの日常生活の場面、そしてそれらの場面の裏で全てが絶え間なく変容していく様を見せてくれた。そうして『キノグラース』は私たちが現代の生活の神話を作り出す手段となった。『オー・ドリームランド』(1953)や『クリスマス以外は毎日』(1957)といったイギリスのフリーシネマ運動のドキュメンタリー映画を観ていると、数十年を経て長い年月の向こう側から見たときに、私たち自身が今生きている現代の生活はどのような光景として映るだろうかと考える。私たちの服、動作、食事、職業、娯楽や道楽は、いかに社会的機構が一日中個人に干渉し個人を形作るか、そしていかに個人が規則だらけの日常という規律に応じてだらだらと時間を過ごしているかを私たちに示してくれる。
世界の観測をする『キノグラース』は思いがけず「超人的な時間」の意識を手に入れたのであった。

画像クレジット Left: Photo Hu Fang. Right: Still from Every Day Except Christmas (1957), dir. Lindsay Anderson, black-and-white, 37 min.

注1: 2010年8月23日の朝、キリノ大競技場の近くにあるマニラ市内リザル公園で恨みを抱えたロランド・メンドーサ元警部が香港からの観光客が乗る観光バスをハイジャックした。立てこもり事件は8人の観光客の死亡と警察の狙撃チームによるメンドーサの射殺で終わった。この人質事件へのフィリピン政府の不手際な対応が世界中の懸念を集めた。

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