2012年 記憶に残るもの ART iT Part2

III. 展覧会(アーカイブ)

IV. パフォーマンス

III. 展覧会(アーカイブ)

2000年代以降、国内外で60年代、70年代の作品を回顧する、もしくは知られざるアーティストの作品を掘り起こす試みが増えている。閉塞する経済によって社会問題が美術においても重要な主題となってきており、芸術と社会問題が不可分であった1968年を中心とする時代について、またドイツ赤軍他、権力に対抗する政治活動をテーマにしたヨーロッパの美術展や、歴史資料を元に作品を制作する若手アーティストの作品が目立った。そしてもうひとつは特に日本において顕著であるが、同時代的に記録するのではなく、若手研究者によって、歴史として客観的に分析する傾向が見られていることである。理由のひとつとして、スペクタクル化する大型美術展の隆盛とは対照的に、予算の減少に苦しむ美術館でも低予算で行なうことができる、こうしたアーカイブの展示が現実的な解決策のひとつとして出て来たことも挙げられるであろう。所蔵作品の研究を伴うこうした展覧会が、出て来たことは喜ばしいことであるが、それと同時に、同時代のアーティストの展覧会も同じように継続し、美術館の活動の両輪となることを期待する。



Chambres d’Amis|コレクション展示
ゲント市立現代美術館
2012年3月16日–11月4日
http://www.smak.be/

現代美術史に残る展覧会『Chambres d’Amis [友人の家]』は1986年にヤン・フートによって企画され、アーティストは市内在住の個人のアパート内でインスタレーション作品を制作、発表した。
美術館の外、それも個人のアパートという私的空間で展開された作品の一部は展覧会後、ゲント市立美術館に収蔵され、今回、ゲント市で行なわれた展覧会『TRACK』に併せて、美術館内で同名の展覧会として公開された。ダニエル・ビュレンの作品が展示されたアパートを再現するなど、企画としては苦しいものであり、作品展示も当時のものとは大きくかけ離れる。美術館の外で起こったこと、そしてコンセプチュアルアートという形によらない作品をどのようにアーカイブするか。アーカイブの難しさを浮き彫りにした展覧会であった。
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フォトレポート Chambres d’Amis|Collection présentation @ S.M.A.K.(2012/08/22)

A Year from Monday. 365 Days Cage
ベルリン芸術アカデミー
2011年9月5日–2012年9月5日
http://www.adk.de/

ジョン・ケージ生誕100年を記念して行なわれたプロジェクト。彼の生誕99年にあたる2011年9月5日の月曜日から、生誕100年になる2012年の同日までの一年間に渡り、彼の作品を多角的に紹介した。彼の音楽、美術作品だけでなく、ケージに影響を与えたアーティストや、同時代に生きた友人、そして彼の生徒たちの作品も紹介する意欲的なプロジェクトで、コンサート、展覧会、パフォーマンス、ワークショップなど様々な形で構成された。その中には、直接的には関連していないが、ケージの大きな影響を受けた作品、例えばタシタ・ディーンによる「Merce Cunningham performs STILLNESS (in three movements) to John Cage’s composition 4’33” with Trevor Carlson, New York City, 28 April 2007 (six performances; six films)」(2007)なども含まれる。(余談ではあるが、ケージの代表作品である「4‘33”」も、今年の11月、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵された。)

『〈私〉の解体へ:柏原えつとむの場合』
国立国際美術館
2012年7月7日–9月30日
http://www.nmao.go.jp/

個展であり、個展でなく、アーカイブでありながら、アクチュアルな展覧会。アイディアとは、美術とは何か。作家性を否定しながら、そこに(作家の意図に反して)にじみ出てしまう作家性に、コンセプチュアルアートの面白さを見いだせる。同時開催で大きなスペースを使っていた若手のグループ展『リアルジャパネスク』が、素材もバラエティに富んでいるものの、弱い自己を顕示しているだけであり、記憶に残りがたいのとは対照的で、素材もほぼ紙に限定され、展示空間も大きくはなく、自己顕示欲からは程遠いアーティストによる作品は、展示、カタログなど細部に至るまでコントロールされ、強い印象を残す展覧会であった。コレクション展示の北辻良央、吉田克朗、高松次郎の作品と併せて、70年代のアーティストが何を考えていたのか、その一端が見られる興味深い機会であった。


Installation view of “Experimental Ground 1950s (from “Art Will Thrill You!: The Essence of Modern Japanese Art”)”at The National Museum of Modern Art, Tokyo
東京国立近代美術館 60周年記念特別展
美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年
第2部 実験場1950s
2012年10月16日–2013年1月14日
http://www.momat.go.jp/

第1部のMOMATコレクションスペシャルも楽しめるものだが、第2部の「実験場1950s」は、美術作品だけでなく、社会と文化を巡る、時代の姿勢を丁寧に描いた点で非常に興味深いものであった。それは同じく今年開催された、埼玉県立近代美術館で開催された展覧会『日本の70年代 1968-1982』が当時を知っている学芸員により、当時の気分や匂いを立ち上がらせることを目的にしているのに対し、こちらは当時を知らない研究員が資料を元に、歴史としての50年代を総括し、これまでにない新しい視点を構築することに成功した。土門拳の「ヒロシマ」から始まる展示は、50年代のキーワードとされてきた社会リアリズムを見せつつ、「実験場」のタイトルが示すように、そこにとどまらない芸術表現の新しい形が集められた。特に雑誌の展示、松本俊夫「白い長い線の記録」(1960)を含む映像作品などを並置することにより、50年代が持つ、領域横断の試みや、リアリズムだけではない、表現の新たな形がより具体的に体感できる展示となった。惜しむらくは、館内に英語表示がないことか。特に日本の50年代を海外の動きから切り離して成立させた、国立美術館における展覧会であるからこそ、より外から来た観客に開かれたものであってほしいと切に願った。
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フォトレポート Experimental Ground 1950s @ The National Museum of Modern Art, Tokyo(2012/12/22)

IV. パフォーマンス

2004年にニューヨークで始まったパフォーマンスアートのビエンナーレ、Perfomaや2007年のイル・ポスティーノ、2008年の横浜トリエンナーレなど、現代美術の分野においてパフォーマンス作品の重要性は近年増している。
ドクメンタ13および今年のタービンホールのプロジェクトを手がけたティノ・セーガル、同じくドクメンタ13他で精神障碍者の劇団HORAとの作品、「Disabled Theater」を発表したジェローム・ベル、フェスティバル/トーキョーでにしすがも創造舎全体を強制収容所に変えてしまったジャン・ミッシェル=ブリュイエールなど、視覚芸術と演劇を統合させる、領域横断的な試みがより広くなされるようになった。


Left: The Tanks at Tate Modern. Photo: Tate Photography. Right: Anne Teresa De Keersmaeker Fase: Four movements to the Music of Steve Reich, Tate Modern, 2012 © Anne Teresa De Keersmaeker. Photo: Hugo Glendinning
ザ・タンクス
2012年7月オープン
テート・モダン、ロンドン
http://www.tate.org.uk/

テート・モダンに2012年7月18日に、オープンしたライブパフォーマンス専用のスペース、ザ・タンクスもこうした視覚芸術におけるパフォーマンスの重要性から生まれた。インスタレーションやフィルムだけでなく、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルやイヴォンヌ・ライナーなど、コンテンポラリーダンスの公演も行なわれた。また、こうした動きは過去のパフォーマンスやフィルム作品の収蔵をどのように行い、展示していくのかという問いに対する、美術館からのひとつの答えとも言えよう。
杮落としとして展示されたのは、所蔵作品からリズ・ローズの「Light Music」(1975)とスザンヌ・レイシー「Crystal Quilt」(1985-1987)と、新たにコミッションされたキム・ホワンスンのサイトスペシフィックインスタレーション。音が重要な意味を持っていたり、複数にわたるメディアを扱っていたりといった既存のスペースでは収まりきらない作品を機能させる場所として、ザ・タンクスというスペースが新たに作られたのは適当であったように思える。
発電所時代の石油タンクにその名の由来をもつスペースは、グレーの壁と柱が剥き出しのままで固定席もない。いわゆる劇場とはまったく異なり、自由な位置にスクリーンを設置、客席の場所を設定できるフレキシブルなスペースである。第一弾のパフォーマンスプログラムは10月末で終わったが、今後もどのようなプログラムを行なっていくのか注目される。(インスタレーション作品は引き続き展示中)


Satoshi Hashimoto Left: Criticize on site. Stop with your feet. Right: Photographer: Body Builder. Let me step on your feet. both from “False Name” (14 EVENINGS, 7th NOV 2012, The National Museum of Modern Art, Tokyo). Photo: Hideto Maezawa
14の夕べ
2012年8月26日-9月8日
東京国立近代美術館
http://www.momat.go.jp/

今夏、東京国立近代美術館では所蔵ギャラリーリニューアル(設計/西澤徹夫)による休館期間に、普段は企画展に使用される空間で14のプログラムを14日間日替わりで行う企画『14の夕べ』が開催された。出演者は美術のみならず、演劇や音楽など異なる領域から選ばれ、「パフォーマンス」という形式の元、あるものは新作、またあるものは再演を発表した。
企画を担当した三輪健仁は、美術館(とりわけ国立近代美術館)でのパフォーマンス表現において、主にふたつの点に取り組んだと思われる。ひとつは上述したように、パフォーマンスという形式を用いることで芸術の隣接領域を結びつけ、同時代に複数の領域が共有するなにかを浮かび上がらせることである。同時にこれは各領域が持つ固有性を再考する契機ともなる。すべてのプログラムを見ることは出来なかったが、私の見る限りにおいて(美術、ダンス、朗読)、領域を横断した共通性は散見されず、全美術プログラムにおける「言語」の存在、もちろんその使用方法及びパフォーマンスに占める割合は異なるが、そこにある種の共通性が見られたのは興味深い。奥村雄樹が翻訳を構造に取り入れていたものの、この点において日本語を母語としない出演者のプログラムがあれば、より明らかになるものがあったのではないか。
もう一方で三輪が取り組んでいたのは、パフォーマンスにおける「スコア」の存在である。その一回性が特質とされるパフォーマンスではあるが、台本、楽譜、舞踏譜、テキスト、そして指示書といったスコアの存在も忘れることはできない。今回、三輪はすべての出演者にパフォーマンスのスコアを準備させている(全スコアは森大志郎デザインの配布用パンフレットに収められた)。スコアの存在は今回の企画においてそれと対にされるものとしての「記録」と結びつくことで、パフォーマンスの一回性を考察するもうひとつの視点を提示する。スコアを未だ行われていないパフォーマンスの記録として見ること、記録をこれから行われるパフォーマンスのスコアとして見ることは、美術館におけるパフォーマンスの収蔵のひとつの形を想起させる。橋本聡の「偽名」内で観客が指示書に従って行なった行為を、収蔵されたパフォーマンス(スコア/記録)の再演と見なすことも可能だろう(ここでは、再演の権利は世襲や指名だけではなく観客にも開かれている)。
開館60周年記念でありながら、休館期間という奇妙な時期に現れたこの企画は、出演者のみならず観客による異なる領域の横断を果たしていたかと問われれば心もとなく、最終日の一柳慧のプログラム前に行なわれたトークイベント「結果とは過去である──そして、穴の底では、夢みるように」もいささか肩透かしに終わったが(だからといって来年刊行予定の記録集への期待が薄れるわけではない)、この実験的なプログラムはなんらかの形で継続されるべきだろう。
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特別寄稿 Videmus(われわれが見る)――小林耕平「タ・イ・ム・マ・シ・ン」 文/平倉圭(2012/12/26)


Rechnitz (Der Würgeengel) Text: Elfriede Jelinek, Direction: Jossi Wieler. © Jun Ishikawa.
フェスティバル/トーキョー12
2012年10月27日-11月25日
にしすがも創造舎、東京芸術劇場、ほか
http://festival-tokyo.jp/

年を重ねるごとに、プログラムの充実が見られるフェスティバル/トーキョー。
昨年のテーマ「私たちは何を語ることができるのか?」に続く今年のテーマは「ことばの彼方へ」。震災後の社会に広がる、外部からの侵入に対する拒否や自主規制などについて、人は、なぜ、そして如何に順応もしくは反応してしまうのか。観客は、参加者であり傍観者であるが、しかし当事者にはなり得ないという現実、そしてある出来事に対して沈黙を貫くことの是非が、演劇というフィクションを通して痛烈に突き刺さる。
レビューに掲載したジャン・ミッシェル・ブリュイエール/LFKsの「たった一人の中庭」以外では、特にエルフリーデ・イェリネクの三作連続上演が圧巻であった。字幕を読むという行為につらさは残ったものの、挑発的な役者の演技力に圧倒されたヨッシ・ヴィーラー演出の「レヒニッツ(皆殺しの天使)」(2008)。字幕にはついていくのが精一杯であったが、同時期にF/Tテアトロテークのプログラムとして上映され、イェリネクの本作執筆のきっかけとなったレヒニッツ村についてのドキュメンタリー『黙殺』(エドゥアルド・エルネ、マルガレータ・ハインリヒ, 1994年)とは対照的に、ひたすら語りが展開される舞台では、役者が演じている役割すら曖昧になっていく。そして舞台から凝視される観客としての「私たち」。
レヒニッツ村の虐殺の現場となったオーストリア伯爵夫妻の妻は、美術収集家として有名なティッセン=ボルネミッサ家の長女であり、父、ハインリヒ・ティッセンがレヒニッツ城で収集したコレクションは家族によって、スペイン政府に売却され、マドリードのティッセン=ボルネミッサ美術館に収蔵されている。こうした美術史にも深く関わりを持った背景もあり、美術や芸術作品が永遠に何らかの形で社会に関わり続けることにも思い及んだ。
一方、地点(演出/三浦基)による『光のない。』(2011)、Port B(演出/高山明)による「光のないII 」(2012)はいずれもイェリネクが3.11を受けて、執筆したものであり、その中で語られる「私たち」は日本人である我々に直接的に訴えかけてくる。その「私たち」は当事者でもあり、当事者ではない、と言われているようでもある。前者では「私たち」が様々な形で連呼されることによって、その言葉が持つ多義性や曖昧さが浮き彫りになった。後者ではラジオを首からぶら下げ、指示のとおり新橋の街を巡りながら、音で発せられる言葉を自分の中に探す経験をすることになった。訪れる場所でのインスタレーションと呼ぶには少し弱い、どちらかというと書き割りのセッティングの前でラジオの周波数を合わせそこから出される声に耳を傾ける。そこで語られる私たちは一体誰なのか。そこから語られる声からも距離を感じつつ、新橋という馴染みがない街の中を、そこに暮らす人々の間を縫って歩くことにより、彼らとも近づけない距離を感じ、結果、ラジオの「私たち」に寄りすがる心境に陥る。
こうしたイェリネクの三部作に限らず、今回F/T12で上演された作品の多くが、いずれも「私」の存在をどう捉えるかということを半ば強制的に体験させるものであった。フィクションでありながら、現実社会や歴史が抱く問題をひきずりこみ、観客の覚悟を問うと同時に、一方で当事者ではないことを冷静に認識させる。こうした企画が見ることができること自体が幸運であるが、単なる傍観者でいられることが、現実社会ではあり得ないというその危険性にも改めて気がついてほっとしたような、責任を感じるような複雑な気持ちを引き起こした。
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レビュー ジャン・ミシェル・ブリュイエール/LFKs「たった一人の中庭」(F/T12)(2012/10/29)

2012年 記憶に残るもの ART iT Part1

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