ウォルター・デ・マリア死去(1935-2013)


Apollo’s Ecstasy (1990). Installation view at the 55th Venice Biennale. 2013 Photo: ART iT

2013年7月25日、ウォルター・デ・マリアがロサンゼルス市内にて死去した。77歳。

デ・マリアは1935年、カリフォルニア州アルバニーに生まれる。カリフォルニア大学バークレー校で歴史学と美術を学び、在学中には前衛運動に興味を示し、ハプニングやパフォーマンスに参加する。60年にニューヨークへ移住した後も、ハプニングに参加、ロバート・ホイットマンとともに画廊を開くと、ミニマルな彫刻を発表する。65年に後のポーラ・ジョンソンギャラリー(後のポーラ・クーパーギャラリー)で個展を開催、66年には『プライマリー・ストラクチャーズ』にステンレスの彫刻「ケージ」を出品、69年には『態度がかたちになるとき』に「アート・バイ・テレフォン」を出品している。

60年代半ば以降、音楽活動や映画制作に関与しながらも、68年にはモハーヴェ砂漠に1マイルの長さの平行線を描き続ける「マイル・ロング・ドローイング」を制作、ランド・アートのプロジェクトをはじめる。77年にはデ・マリアのみならず、ランド・アートの代表作として知られる「ライトニング・フィールド」を制作する。同作品は、ニューメキシコ州西部の落雷の多発する地域に、ステンレス製のポール400本が東西1マイル、南北1キロメートルの範囲に格子状に並べたもの。同年には、同じく代表作である「ニューヨーク・アース・ルーム」や「ヴァーティカル・キロメーター」、79年には「ブロークン・キロメーター」を発表しており、これらの作品はすべてディア芸術財団が維持、管理している。

日本では、直島の地中美術館に「見えて/見えず 知って/知れず」(2000年)「タイム/タイムレス/ノー・タイム」(2004年)が常設されている。

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