ヤン・フート死去(1936-2014)

2014年2月27日、ゲント現代美術館(S.M.A.K.)創設者、ドクメンタ9のチーフキュレーターなどで知られるヤン・フートが、ゲント市内の病院で死去した。77歳。

フートは1936年ルーヴェン(ベルギー)生まれ。1986年にゲント市内の51の住宅を会場に開催した『友達の部屋[Chambres d’Amis]』展を企画。主催者やアーティスト、観客のみならず、会場となる部屋の提供者をはじめとするさまざまな人々が展覧会の作り手として参加する、当時自前の建物を持たなかったゲント現代美術館におけるもっとも重要な展覧会のひとつとして挙げられる。(なお、同展は2012年に同市内で行なわれた展覧会『TRACK』に併せ、ゲント現代美術館にてコレクション展示が行なわれている。)同時に美術館の外で展開するサイト・スペシフィックな展覧会の先駆的な例として言及される。

1975年にはベルギー初の現代美術を専門とする美術館であるゲント現代美術館の創設に関わり、以後、2003年までディレクターとして、充実したコレクションの構築や質の高い展覧会企画により、同館に対する国際的な高い評価を獲得した。1992年には冷戦後初のドクメンタ9のチーフキュレーターを務め、37カ国からアーティストを選出、日本からも片瀬和夫、川俣正、竹岡雄二、長沢英俊、舟越桂が参加している。

日本国内でも、1991年には「目で見えるものの裏側にあるもう一つの真実を見る」ことをアイロニーと捉えた『視覚の裏側』展をワタリウム美術館で開催。同展開催中には同美術館の館外・プロジェクトとして「現代美術一日大学」や「ヤン・フートIN鶴来 —現在美術と街空間—」、翌年には「ヤン・フートのキュレーター大学」を行ない、ドクメンタ9の体験をもとに、社会とアートの未来を語り、日本の美術の状況に波紋を投げ掛けた。また、同美術館では『Ripple across the water 水の波紋95』展を企画、青山を中心に路上、公園、寺、商業店舗内などさまざまな場所で作品展示を行っている。

2012年6月にハンブルクの空港で倒れ、今年1月にも二度目の心臓発作を起こしていた。

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