ライアン・ガンダー インタビュー (3)

モビリス・イン・モビリ
インタビュー/アンドリュー・マークル

III. 一冊の書物の人に用心せよ


Matthew Young falls from the year 1985 into a white room (Maybe this is the way it is supposed to happen) (2009), stunt glass, window framing. Pieces of broken glass and sections from a window frame lie on the gallery floor, as if someone had fallen through a window with some force. The glass is made from stunt glass used in the film industry for special effects. The title refers to a fictional exhibition, “Sculpture of the Space Age,” mentioned in JG Ballard’s short story “The Object of the Attack” (1984). The exhibition was supposedly held at the Serpentine Gallery in the late 1970s, yet exists only as a title in Ballard’s short story. Installation view at Le Forum, Maison Hermès, Tokyo. Photo © Keizo Kioku.

ART iT ここまではあなたの作品におけるタイトルまたはコンセプトと作品の受容体験の解離について、そして、そうした解離が実際のところどのように鑑賞者自身に及んでいるのかについて話してきました。そのような点で、割れたガラスの破片と窓枠のかけらが床に散らばっている「Matthew Young falls from the year 1985 into a white room (Maybe this is the way it is supposed to happen)」(2009)という作品が印象に残っています。とりわけ、メゾンエルメスに展示されることで、展示空間自体のガラスのファサードとの間に不思議な関係性が生まれ、物理的に見応えがあるために、タイトルはほとんど意味がないのかもしれないと考えました。

RG タイトルと日付は必要です。さもなければ、ただ単純に劇的な効果があるだけになってしまいます。私の作品には3つのタイプ、いや、作品タイトルに3つのタイプがあります。「Matthew Young falls……」作品の理解や作品へと入り込ませるタイトル。作品自体が感情的なところや魔法を欠いているときに、それをより詩的なものにするタイトル。例えば、「I don’t blame you, or When we made love you used to cry and I love you like the stars above and I’ll love you ‘till I die」(2008)では、ブロンズのバレリーナ像のタイトルが、ダイヤー・ストレイツの歌詞を参照していることで、作品にロマンスやアイロニーを与えます。そして、作品をそのまま記述しているタイトル。例えば、アーティストのマーク・レッキーを撮影した「A portrait of Mark Leckey」(2009)ですね。この最後のタイプの作品で重要なのは、私が彼を好きかどうか、彼の友だちかどうか、または彼をひどく嫌ってはいないかといったことが、鑑賞者にわからないことです。解釈は開かれていなければいけません。これらが私の使う3つのタイプのタイトルになります。
「Matthew Young falls……」というタイトルでなければ、現在のようにはならなかったでしょう。仮に「Broken Window」と名付けたとしたら、鑑賞者が作品観賞後に、それについて考える時間はもっと短くなっていたでしょう。人それぞれ作品に対する評価基準が異なります。私の評価基準は、作品をどれだけ長く鑑賞していたかでなく、観賞後にどれだけ長くその作品について考えるかどうかにあります。もしくは、バーでどれだけ話題に上がり話されたのか、目覚めたときにその作品について考えはじめる朝がどれだけあったかというところにあります。我ながらいい評価基準だと思っています。ある作品が頭の中に留まり、成長していき、単純な解釈が不能なほど複雑なものとなっていくのですから。

ART iT そう考えると、『タンタンとアルファアート』から着想を得たH型のプレキシグラスの彫刻作品は、単刀直入な「H」というタイトルがついているように感じますね。

RG 実は「Predetor」というタイトルに変えたかったのですが、そのときには既に展覧会告知に印刷されてしまった後で、変更できませんでした。あの作品は両目で見るといたって普通に見えるのですが、写真で見ると、空間内で作品が歪んでいるように見えるのです。これはカメラがひとつのレンズを通して撮影するために起こる現象です。そして、これが映画のプレデターの持つ迷彩装置技術とまったく同じなのです。これもまた興味深いことです。

ART iT 子どもの頃にタンタンシリーズを読んだものですが、エルジェがアートに興味を持っていることだったり、もしくは現代美術に関する複雑なプロットを想像していたなどと考えたことがありませんでした。アラブの巨額の富により砂漠に美術館が計画されたり、テロリストやカルトが近代美術の傑作を偽造したり、それらは今日私たちに起きていることの多くと類似しています。

RG 彼は天才でしたね。彼が描いた視覚装置について書かれたかなりの数の書籍が出版されているかもしれません。信じられませんよね。
実際、彼はコンセプチュアルアーティストになりたかったのです。彼は抽象絵画を描いていますし、きっとそれらをブリュッセルにあるギャラリーに持ち込み、契約しようと考えていたけど、アートとしての彼の作品はそこまで優れていなかったために、誰も契約しようとしなかったのではないでしょうか。


H (2011), perspex. A large, Plexiglass transparent letter “H” sculpture as described by Hergé in the comic book Tintin and Alph-Art, as imagined by the artist. Installation view at Le Forum, Maison Hermès, Tokyo. Photo © Keizo Kioku.

ART iT しかし、現在展示されているあなたの作品は、今話したような『タンタンとアルファアート』やエルジェ自身とアートとの関係性を示しているのでしょうか。

RG 作品はひとつの解釈に過ぎません。『アルファアート』に出てくるこのイメージがプレキシグラス製かどうかわかりませんよね。もしかしたら石で出来ているかもしれない。実寸がどれくらいかもわからないところに、私があるひとつの大きさを与えてみたというわけです。例えば、A-Haの「Take On Me」(1985)の有名なミュージックビデオみたいなものです。コミックのキャラクターが紙面から飛び出して、現実に落ちてくるという、まるで冗談みたいなプロセスなのです。”A-Z”の絵画「先天的な人間の装置としての抽象をあざ笑う ラモ・ナッシュ」(2011)も同じことです。この展覧会が潜在的に「アルファアート」作品のすべての具現化するというアイディアを気に入っています。ふたつの実例しかないのですが、この空間全体がラモ・ナッシュの作品で埋められていたら、素晴らしいでしょう。(※「先天的な人間の…」は『タンタンとアルファアート』に登場するラモ・ナッシュというアーティストの絵画をガンダーが制作した作品。)

ART iT ラモ・ナッシュという名前ですら、あなたが考えついたキャラクターに聞こえてきますね。

RG アストン・アーネストに関して言えば、アストンという名はアストン・マーティンを想起させます。彼は顔立ちが良く、知的で優しい。アーネストの方はオネスト(正直)と似ていているけれども、気が利いて穏やかな感じ。名前以外の情報がまったくなくても、その人の雰囲気を与えてくれるという点で名前を考え出すのは興味深いことです。ラモ・ナッシュ、素晴らしいですよ。

ART iT あなたの作品にも名前と現実との間に奇妙な関係性がありますよね。名前から想像するものと、作品が離れていたり、ズレていたりすることがあります。

RG 私はタイトルが好きで、何千ものタイトルのリストを持っています。作品を考え出すよりも素早くタイトルを考え出しますし、思い付いたらいつも書き留めていて、作品が出来たときにそこからタイトルを選んでいます。私の作品タイトルのほとんどは作品に先立って存在しています。

ART iT タイトルから作品が作り出されることはありますか。

RG ありますよ。タイトルを書き留めることで、そこから作品がどのようなものになるのかわかることもあります。マーク・レッキーの肖像を撮影した「A portrait of Mark Leckey」や、H型の作品「H」は同時に思い付きました。ただ、「In Spades」「The Observatory」「Remember this, you will need to know it later」「I am Broken」といった詩的なタイトルは、まずタイトルが先にあって、その後作品と合わせます。

ART iT あなたの特定の作品には、ジェスチャーや意味と戯れる側面が見られますが、同時に、あなたはそれぞれの展覧会をそれ自体ひとつの作品として取り組んでいるように感じるのですがどうでしょうか。

RG 制作が好きなのはもちろんですが、ただ、たくさんの作品を作り、視覚言語に関して多くのことを理解してしまうと、作品制作はある意味では難しいものではなくなってしまいます。毎年何百もの作品を制作すると、ある時点で、自分自身の作品を使って展覧会をキュレーションできるのではないかと気がつくでしょう。私がこの5年間続けてきたのはそういうことです。つまり、なんらかのテーマやキュレーション上の構成概念を共有しているものの、かなり異なる作品によるグループ展に見える展覧会を作るということです。
実のところ、アーティストとしての生き方には3つあります。ひとつ目は作品制作。これはやればやるほど簡単になっていくものです。挑戦的な作品に挑めば挑むほど簡単になっていってしまうのです。ふたつ目はキュレーション。自分自身の作品で展覧会を作るという段階です。最後に実践。これこそ私が一番興味を持っているものなのですが、最も困難なのは、自分の実践を絶えず興味深く、新しく、意外なものにしていくということです。ずっと同じものを作り続けるのはとても簡単なことなのです。


Left: A portrait of Mark Leckey (2009). Image Jean Brasille, © Ryan Gander, courtesy the artist and GB Agency, Paris. Right: Installation view of “Icarus Falling – An exhibition lost by Ryan Gander” at Le Forum, Maison Hermès, Tokyo, with the bronze and mixed-media multi-component work The Observatory, or, it’s not that it’s bad, it’s just that you’re confused (2011) in foreground, and the painting “Scorning the abstract as an innate human device” Ramó Nash (2011) in the background. Photo © Keizo Kioku.

ART iT 自分自身がやっていることがわからなくなるのはどのようなときでしょうか。

RG 毎日、常にそうですね。自分が何をしているのかわからないという感情に慣れること、その自分がしていることの不確実性が以前上手くいったことがあり、それ故に、自分のしていることがわからないと感じることが悪いことではないのだと知っている。仮に自分の人生でずっとアルファベットのペインティングを描いていたら、自分が何をしているのかわかるのかもしれませんが、私には向いていないのです。それはどこか毎日同じものを生産する工場で働くことみたいで。自分が毎日何をすることを知りたくないというのが、アーティストになりたいという核心にあるのです。

ART iT つまり、新しい作品を作るたびにアートの言語を崩壊させることに興味があるということでしょうか。

RG はい。そこに取り組んでいますね。

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第17号 彫刻

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