草間彌生 インタビュー

無限の彼方へ
インタビュー/ART iT編集部


Once the Abominable War is Over, Happiness Fills our Hearts (2010) 194x194cm, Acrylic on canvas, Courtesy Ota Fine Arts, Tokyo, Yayoi Kusama Studio, Inc. Tokyo

ART iT ここのところの草間さんのご活躍ぶりに非常に驚かされます。国立ソフィア王妃芸術センター、パリ国立近代美術館、テート・モダンでの連続した個展があり、国内でも国立国際美術館から始まった展覧会は巡回中です。先日からはホイットニー美術館での個展がオープンしました。それと同時にルイ・ヴィトンのコレクションを手がけて、ブティックのショーウィンドーすべてが草間作品一色となっています。世界中で草間作品が増殖を続けているような状態で、非常にお忙しいのではないかと思います。

草間彌生(以下YK) 大変忙しいです。それでも、絵を描くことは毎日行なっていて、大体朝10時、11時くらいから6時か7時くらいまで、ここに座って絵を描き続けています。

ART iT 常に頭の中にイメージがある、と以前におっしゃっていましたが、朝起きた時点で、色や素材も含めて決めていらっしゃるのでしょうか。

YK 朝、まずここに座って、こういう絵を描きたいとなんとなく思うイメージがあるのですが、実際描き出してみると手の方が先に動いていきます。 ここに座って、絵の周りをぐるっと回って描き続けています。
絵を描くときは無我夢中です。仕上がってみて、なかなか自分でもよく描けている、と思うのです。そこで初めてすこし客観的に見ることができます。最初から出来上がりが見えていることはありません。どうやって描くのかは、手に聞いてほしいくらいです。

ART iT 絵と同じように、例えば国立国際美術館のオープニングで朗読されていたような、詩なども同じようにイメージがわいてきて作られるのでしょうか。

YK 最近はちょっと忙しくて詩などはゆっくり作ることができていません。ただ、新作のタイトルは、例えば「青春は死と生を共にたずさえて、あなたの背後から音もなくしのびよってくる」といったようには比較的長いものになっています。

ART iT タイトルは作品が出来てからつけるのですが、それとも絵を描く前にこういう絵にしようと思って決めているのでしょうか。

YK どちらの場合もあります。絵を描いているときはとても集中して、夢中で描いています。手が先に動いていて、どういう風な絵をしようというようなことは一切考えず、頭は後からついてくる感じです。描き終わったあとで、「あ、自分はこんなものを描いていたんだ」と思うのです。


Kusama working image, 2009, Copyright Yayoi Kusama, Courtesy Ota Fine Arts, Tokyo, Yayoi Kusama Studio, Inc. Tokyo

ART iT 何年か前の作品を見返してみることはあるのでしょうか。

YK そのような時間があったら、私は常に新しい作品を作りたいと思っています。 ここにあるのも新作で、このシリーズですでに200点近く制作しています。100点を超えてからは地をメタリックにしています。一部は国立国際美術館の展覧会『永遠の永遠の永遠』でも展示しました。

ART iT これらの新作を見る機会は、今後もありますか。

YK 国立国際美術館から始まった個展は、埼玉県立近代美術館の後、現在、松本市美術館に巡回中です。その後今年の終わりにかけて、新潟市美術館に巡回します。松本市美術館では、これら新作の一部を加えて展示しています。また来年から南米とアジアでもそれぞれ展覧会の巡回が行なわれますので、そこでも見せる予定です。

ART iT いつ頃から、絵のことや、絵から伝えられるメッセージのことを考えるようになりましたか。

YK 小さいころから、そういうことばかり常に考えながら大きくなりました。10歳ころから絵描きになることを考えていましたが、家族も含め、周りになかなか許してもらえませんでした。それでも家族から許しをもらい、私は京都の学校で1年ほど絵の勉強をしました。その後、長野に帰ってからアメリカに行きたいと強く思うようになったのです。
そして、1957年に渡米しました。当時、アメリカに行く人は非常に少なく、飛行機の中には私の他には、米軍GIが2人と戦争花嫁の三人ほどしかいませんでした。
まず最初の到着地はシアトルでした。そこで、ズゥ・ドゥザンヌ・ギャラリーで個展をし、その後ニューヨークに行きました。


Kusama at Stephen Radich Gallery in New York 1961, Copyright Yayoi Kusama, Courtesy Ota Fine Arts, Tokyo, Yayoi Kusama Studio, Inc. Tokyo

ART iT そうやって渡航してから今まで、まったく目指していることがぶれていないことに驚きを覚えます。渡航した当時はまだポップアートも出現しておらず、アクションペインティングが主流の頃でした。そういった時代にニューヨーク、ブラタ・ギャラリーで最初の展覧会を行なっています。このニューヨークでの最初の個展『オブセッショナル・モノクローム』展(1959年)の時に、ドナルド・ジャッドが来廊して、作品を購入したと伺っています。

YK はい、そうです。ブラタ・ギャラリーは当時ニューヨークのダウンタウンにありました。ジャッドさんは、私の個展に来て私の作品を大変気に入ってくれました。そして『アートニューズ』誌で私のことについて論評を執筆しました。そうした縁から、交流がはじまったのです。将来の美術の歩む方向性について私とジャッドさんでは大変共感する部分がありました。私が知り合った当時、彼はまだコロンビア大学の学生で、マイヤ・シュピロの下で勉強していました。いろんな雑誌に美術評論を書いていましたし、そして絵も描いていました。その絵を私に見せてくれ、意見を求められるなど、お互いに美術について非常に活発な論議を交わしたのです。彼は非常に立派な人で、私が経済的に苦しかったころ、大きな作品も買ってくれました。お互い貧しいころでしたから、確か5回払いくらいで買ってくれたと記憶しています。彼は絵描きになるために、大きなスタジオを求め、移ってきたのが私のスタジオの上だったのです。私の隣の隣はエヴァ・ヘスさんのスタジオでした。彼女は、丁度離婚された頃で、私のスタジオにしょっちゅう来ていました。
ジャッドさんも私も本当に貧しかったので、当時は朝ご飯を抜いて、昼だけ食べて、夜になるとジャッドさんは彫刻の材料がないから道端にある工事現場で材料になるものを拾っていました。そして私とダン・フレヴィンさんがその見張りをしていて、警察が来ると「警察が来たよー」と教えてあげることもありました。そうやって知らん顔して、警官が行ってしまうと、また手伝う。フレヴィンさんはジャッドさんと非常に仲がよかったですね。
そして、ジャッドさんが亡くなってからテキサス州マーファに息子さんがふたり、財団を立ち上げて、ジャッドさんが購入した私の作品をオークションに出しましたが、その作品が5億5400万円にもなったと記憶しています。びっくりしましたけれども、いろんな意味でジャッド氏には先見の明があったと思います。
同じように、フランク・ステラ氏が購入した私の作品「Yellow Infinity Net」(1960年)はワシントンのナショナルギャラリーが後に買い取っています。彼もスタジオに遊びに来てくれました。


Yellow Infinity Net (1960) oil on canvas, 240×294.6cm, collection of National Art Gallery, Washington purchased from Frank Stella, copyright Yayoi Kusama, photo by John Bak, Courtesy of Ota Fine Arts, Tokyo, Yayoi Kusama Studio, Inc.

ART iT ニューヨークから日本に帰国した後、イタリアに渡り、ルーチョ・フォンタナ氏とも交流があったと聞きました。

YK その前に、1966年の第33回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品することが決まって、そのため長期間ミラノに滞在した際にお世話になりました。
ビエンナーレにはインスタレーション作品の「ナルシスの庭」を展示しましたが、その際、フォンタナ氏が私の制作を手伝ってくれたのです。そしてスタジオも貸してくれたのです。更に、私が「ミラーボール」を買いたいと場所を探していたら、その場所を教えてくれた上でお金も出してくれました。

Narcissus Garden (1966) installation view at 33th Venice Biennale, Copyright Yayoi Kusama, Courtesy Ota Fine Arts, Tokyo, Yayoi Kusama Studio, Inc. Tokyo

ART iT アクションペインティングからミニマル・コンセプチュアルアート、ポップアート、シュルレアリスムも含め、現代美術における絵画の変遷を自ら体験してきて、どのような思いでいらっしゃいますか。

YK ポップアートの口火を切ったのは私であったと言っている人もいます。シュルレアリスムがその後にあって、いろんなスクールがありましたけれど、みな2、3年でやめてしまうのですね。本当は、ひとつのことをはじめたら、生涯命がけでやらないと嘘だと思います。その意味で、芸術は人間性を高めるための、ひとつの武器だと思っています。一直線に脇目もふらず、自分の姿をキャンバスの中にこめて、毎日仕事をしていた人はやはり光彩を放っていると思います。いい作品を作っていることがわかるのです。

ART iT これまで、女性の芸術家として先駆的に社会への関心を持ち続け、制作を続けてこられたわけですが、当時は理解されなかった部分もあると思います。やっと時代が追いついてきたと思うことはありますか。

YK そうですね、もう名前はあげませんけれども作品ひとつとっても、私のアイデアからとって作っているのだなと思うことが少なからずあります。私の若い頃の作品を見ているようです。もちろん私の方がずっと早くからやっていることです。それをとってみても、皆に理解をされるのにはずいぶん時間がかかりました。周りのついてくるスピードが遅いのです。あのスピードに合わせたら私はあと400年も生きなくてはなりません。

ARTiT 巡回展の他になにか進行中のプロジェクトはありますか。

YK 現在、このアトリエの近くに新しい建物を建てています。丁度地鎮祭が先日終わったところで来年の10月ころ建物が建つ予定です。この今いるアトリエを制作のためだけの場所にして、新しいところは収蔵庫や、資料を置く場所として活用させるつもりです。ただ、まだそれを一般に公開するのかどうかは未定ではあるのですが。

ARTiT もし、その場所を一般に公開するのだとすれば、ご自身の作品を、最も見せたい形で見せることが可能になる場所、ということですね。

YK そうですね。美術館を作っておけば、後世まで作品がきちんと残り、見てくれる人が居続けると思うのです。どんどん作品を作ってそちらにおく予定です。

Joy Feel when Love has Blossomed (2009) Acrylic on canvas,194x194cm Copyright Yayoi Kusama, Courtesy Ota Fine Arts, Tokyo, Yayoi Kusama Studio, Inc. Tokyo

ARTiT アーティストだけではなく、より多くの人に伝えたいとのお話でしたが、長年制作を続けてきた日本で一番キャリアのあるアーティストから、特に現在の若いアーティストに伝えたいことはありますか。

YK みんな画家になりたいとか彫刻家になりたい、とか若い方おっしゃっていますけれども、一番大事なのはその気持ちをそのまま絶え間なく持ち続けることです。たいてい、晴れやかにデビューした方達は2、3年で続かなくて終わりになってしまいます。もしくは違う職業につくなどして、制作そのものをやめてしまう。そういう方々を見ると、もしあのまま一生懸命、絵なり彫刻なりを作りつづけたならば、それも死ぬまで作り続けたならば、もっといい仕事ができただろうに、と思うのです。
私は、アンリ・ルソー、エドヴァルド・ムンクの作品が好きですが、それは彼らが歴史という時間の流れの中でも耐え得るアーティストだと思うからです。若いときから死ぬ思いで絵を描いてきた人たちです。だからこそ死後も彼らをフォローする人たちがいるのです。
彼らの画集や作品集を見ていると、彼らは一生懸命最後まで描きつづけたことがわかります。反対に作品集を見て、この人は途中でやめちゃったのだ、ということがわかるアーティストもいます。ひとつのことを最後まで、生涯死ぬまでやっていたら、戦わなくてはいけないと思います。いくら才能がなくても、本当に命がけで制作していく姿勢を保ちつづけたら、その作品がだめだったとしても、求道の姿勢というのは多くの人の気持ちを動かすものなのです。
私自身はこれまで一度たりとも制作をやめたいと思ったことはありません。美術から離れた生活というものは全く想像ができません。
これから世の中はもっともっと激しく変わっていくと思いますが、私自身も、そういう中で作家としていい作品を作って、みんなの心の琴線に触れるような、命があらわれるような人間像を見せつつ年を取って行きたいと思っています。だからこうして絵をかいて、朝から晩まで絵をかいて、自分自身が一番いい作家になったかどうか、ということを客観的に考えながら、制作を続けているのです。

ART iT 著書『無限の網』(2002年、作品社刊)の中で、「死が近づいてきて、着陸態勢に入ってきている。だから、みんないま、熱狂的に作品を作っている。追い込みにはいっているから…」とおっしゃっていましたが、今でもどんどん描きたいものが次から次に湧き出て、描き続ける状態が続いているのでしょうか。

YK そうですね。生きているうちに沢山の作品を制作して、皆さんに置いていこうと思っています。
私も若くはないですから、今のうちに出来る限り描き続け、私の死後に多くの方達に私のメッセージや、自分の生き方、その他様々な事象に対して考えていることを、作品を通して伝えていけたらと思っています。そのためには、残された少ない時間の中から、ごはんを食べる時間も寝る時間も削って、 一生懸命絵を描き続けています。私は、美術に興味がある人たちだけではなく、すべての人に作品を通して語りかけたい、メッセージを伝えたい、と強く思っているのです。歴史の流れを考えると、これから先もいろんなアーティストが出てくるとは思いますが、私自身ができることとしては、よりよい仕事をして、戦争だとか、テロだとかそういうものを超えてみなさんが平和な生活をすることを、芸術家として望んでいます。だからこそ、一生懸命絵を描いているのです。そして私の死後に、「この人はこういう仕事をしたのだ」と思っていただけたら、私が今生きている甲斐があると思っています。
私にとっても、これからが本当の出発だと思っています。もっともっと立派な芸術家になりたいと思って毎日制作をして過ごしています。私が死んでからも私の作品を見て喜んでくれる人たちがいる。そして作品を見て憧れてくれる人がいる、作品を残せるというのは芸術家にとってこれは非常に幸せなことなのです。
こういう戦争やテロがある世の中で、いろんな危機があるときこそ、芸術家というのは頑張っていい仕事をしていかなければならない。みんなの愛情深い人生に対して、応援することができれば、社会に対する芸術の役割というのは明らかになり、美術界はもっと盛んになるのではないかと考えています。

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