ケリス・ウィン・エヴァンス インタビュー(1)

今この場において(ヒック・エト・ヌンク)——翻訳(トランスレーション)の向こう側の錯乱(デリリアム)
インタビュー / アンドリュー・マークル

 

I. われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを
ケリス・ウィン・エヴァンス、翻訳、不理解、親密性、そして「畏敬」の理論を語る

 


Installation view of “…in which something happens all over again for the very first time” at Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris/ARC, Paris, 2006. Photo Marc Domage, © the artist, courtesy Musée d’Art Moderne de la Ville de Paris/ARC, Paris.

 

ART iT あなたの作品では文学作品があらゆるかたちで引用されています。例えば今でも継続中の『Chandeliers』のシリーズではモールス信号に置き換えた引用文を使っていますし、テキストの断片をネオンサインにしている作品もあります。文学というコンテクストで考えると、これらの作品は翻訳の一種と言えるのでしょうか。

ケリス・ウィン・エヴァンス(以下、CWE) それは私にとっては実に誘導的な質問です。はい、覚えている限りずっと翻訳理論について考えてきたという意味では翻訳の一種と言えます。私の母国語は英語ではなくてウェールズ語です。その点において、私にとって意味というもののバランスは全て翻訳というプロセスに掛かっています。翻訳とはふたつの異なる言語の間を仲介するだけのものではありません。英語の接頭語、「トランスレーション」の「トランス」には異質性という意味もあり、それはこれまであらゆるコードや多形態の言語や特殊言語を使ってきた私にとっては中心的なものです。むしろ、翻訳家のトップ10リストをつけているくらい翻訳というテーマに取り憑かれています。その中には私には分からない言語から翻訳する人まで含まれているんですよ。翻訳とは原文に依存するものと考えるなら、それは非常に創造的な感受性を兼ね揃えたものでなければならない。Google翻訳のような自動翻訳プログラムはみんなクズです。

私の一番好きな翻訳理論家は、ノーム・チョムスキーの教え子で今はウィーン大学在籍の構造言語学者のマーティン・プリンツホルンです。彼の知性と感受性を尊敬しています。——いや、彼のさりげなさとファシズムへの嫌悪の表し方を尊敬しています。2007年にグラーツ美術館で個展をやったときに私の作品と翻訳理論との関連についての小論文を寄稿してくれました。ふたりで何日もその内容について話し合い、ときには口論にまで至りながらその関連を言葉に出して説明することを試みました。
言語とは常に進化し続ける、人と人との間のコミュニケーションの源なので、翻訳の未来という問題は非常に興味深いものです。この点に関して私は皮肉や悲観を持ってはいませんが、コミュニケーションの形態が過去20年の間に決定的に変わってしまいもう元には戻れないところに到達したとは思います。誰かとコミュニケーションをとったり話したりすることの基本的な構造を変えた情報科学が私たちの間に常に介在します。電話が鳴ったり誰かがSMSを送っていたりするとあまりにも全てが圧縮されていて全く気が狂いそうになることがあります。そんなときにはアウグスティヌスの『告白』、マルセル・プルーストやジェーン・オースティンらの、私にとって心の滋養となる不思議で素晴らしい作家たちの本に手を伸ばします。

言語技術について書いている理論家で現在の状況をうまく言い表せる人は殆どいないのではないかと思います。つい最近起こったばかりのこの革命の中の批判理論、そしてその周辺の批判理論はまだ黎明期にあります。子供の頃の家の電話番号は3-2-0-5、たった4桁でした。今や異次元の話のように思えます。

 


In Girum Imus Nocte Et Consumimur Igni (1997), neon, height 18 x diam. 140 cm. Photo Stephen White, © the artist, courtesy of Taka Ishii Gallery and White Cube.

 

ART iT 現在のコミュニケーション・テクノロジーの時代の前には、翻訳における主な問題は裏切り者としての翻訳者——イタリア語の諺に「Traduttore, traditore(翻訳者は裏切り者)」というのがありますね——そして真の翻訳の不可能性というのが主な問題でした。現代の裏切り者はコミュニケーションの媒体そのものということでしょうか。

CWE 言わんとすることは理解していると思います。大抵の人は愛されたいわけで、正確なコミュニケーションの極めてデリケートな一形態は、とても繊細でとても主観的な質問をすることです。「私のことを愛していますか?」というのは壮大な質問です。私に言わせると、これはコミュニケーションの原型に固く結び付けられたことです。実際に声を出して言語の空間に入って行かなければならない。これはどう翻訳すればいいのでしょうか? 話さない言語というのもあらゆるかたちで存在しており、皆言語の一形態に間違いありません。音楽、ダンス、建築だけではありません。書き言葉や話し言葉を使わずにコミュニケーションをとる方法はたくさんあります。親密性もまたひとつの形態ですね。それも言語なのです。

メディアの問題は言葉が書かれるようになった頃から存在していました。グーテンベルクはある意味、最初期の裏切り者ともいえる媒介者だと思います。聖書などの宗教的な書物の歴史的発展がコミュニケーションとそれに使える媒体との間に間隔を空けたのです。選択肢が減ったということに関して皮肉ったり落ち込んだりするつもりはありません。私はギー・ドゥボールのように皮肉に満ちた多くの人々の大ファンです。彼の映画『われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを』(1978)の脚本は何度も言及するほど大好きで、本当にとてつもない、素晴らしく極めて情熱的な文章だと思っています。でも、例えば思いやりを伝えることのできるコミュニケーションなど、ときにはコミュニケーションに対して希望を持ち続けるべきであるような瞬間がしばしばあると考えています。言語やその周辺について特に専門的なことは言いません。むしろ、非常に感情的です。話せなくなるということはあなたに想像できますか?

それで私がいかに恵まれているかについて改めて考えてみると、ウェールズ語は大きな恩恵です。私はコミュニケーションができる人が羨ましいです。先日、これがもう21回目の来日だということにふと気がついたのですが、日本に来るといつも興味を強く惹かれることのひとつに、意味の不在や不理解に直面したときに一定の自由度が与えられることです。前にも使ったことのある例をお話ししましょう。ロンドンの英国建築協会にマーク・カズンズという偉大な建築理論家がいます。1990年代半ばに彼は私の展覧会をまるで耳の聞こえない人がラジオをじっと見るかのようであるほど当惑させるものだったと言いましたが、私はそれを褒め言葉として受け取りました。意図的に不可解でありたいということではなくて、過激で新しい形態のコミュニケーションが可能な領域で仕事をしたいからです。私たちはコミュニケーションの未来に何があるか知りません。宇宙の生命体と初めて接触するのはいつなのか? 私はもうすぐ起こるだろうと思っています。それこそ蜂の巣をつついたような事態になりますね。でも人間のコミュニケーションの歴史というのは実は非常に短いものなのです。グーテンベルクもついこの前のことですよ。

 


‘IMAGE (Rabbit’s Moon)’ by Raymond Williams (2004), black chandelier (Barovier & Toso), flat screen monitor, Morse code unit and computer, dimensions variable (chandelier: height 135 x diam. 125 cm). Photo Andy Keate, © the artist, courtesy of Taka Ishii Gallery and White Cube.

 

ART iT 英語が母国語ではなく第二言語であるために子供の頃から翻訳の問題に直面していたという話でしたが、『シャンデリア』のシリーズを作るきっかけとなったのは日本への訪問だったと聞いています。これまでずっと翻訳を通してコミュニケーションをとってきたことと、日本で翻訳を超えた何かを経験したこととの間に特定の繋がりは見出しているのでしょうか。

CWE 私たちの人生において、時には非常に意味深いことが起こり、それが引き金となります。これは誰でも経験することで、私もその経験する覚悟ができていました。初めての来日の機会を与えてくれたのは現代美術センター・CCA北九州の中村信夫氏と三宅暁子氏でした。変な話ですが、なんだか日本は最初から縁のあった場所——私が日本を探し出したのではなくて、日本が私を探し出したような気がします。精神分析学で言うところの鏡の送り返し、マルセル・デュシャンが言うように、自分が物体を見ているのではなくて物体が自分をみているという状況でした。この地域、この不理解の領域には何か深い満足感を与える、奇妙でミステリアスなものがありました。これには何か意味があるとピンときたので、そこからは直感に任せたところ、実際、私にとって大きな引き金となったのです。その不理解の経験を充分に生かした作品群を作るために必要な措置でした。

現在、大型ハドロン衝突型加速器の建設で有名なスイスの欧州原子核研究機構(CERN)の科学者たちと仕事をしています。科学者とはいっても昼休み中にワインを飲んだりタバコを吸ったりするのが好きな連中で、一般的に想像される科学者像とは全く違います。私には暗黒物質とは何か理解するのは難しいことですが、それに対して単純明快な回答を返せないような人たちと話すことに大変興味があります。彼らは世界を説明する新しい方法を探し求めて直感に頼った極端な飛躍をしなければならないという点で類稀な人たちです。これは言語とも間違いなく関係あります。つまり、彼らは新たな形態の言語を見つけなければならない。それはある意味、アーティストとしての私の使命でもあるように思えます。共同で進めているプロジェクトは言語の新たな形態、理解の新たな形態、連結性の新たな形態にまつわるものです。

初めての来日は1990年代のことでした。当時、ギー・ドゥボールだけでなくミシェル・ド・セルトー、アーバニズムや連結性の理論についての文章など、たくさんの本を読んでいました。突然悟っただとか宗教的体験だったとは決して言わないけれど、東京のようなメガロポリスを訪れて、街が体現する様々なコードのマトリックスは私にとって非常に壊滅的なものであることに気付きました。サンパウロやニューヨークでも同じことが起きました。特殊でひどく哀しい理由で乱用されてきましたが、英語の「awesome」という言葉の本来の意味を改めて主張したいと思います。畏敬(awe)の念を抱かせる、という意味です。

 


ケリス・ウィン・エヴァンス インタビュー
今この場において(ヒック・エト・ヌンク)——翻訳(トランスレーション)の向こう側の錯乱(デリリアム)
I. われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを | II. 座せる王妃 | III. 不意打ちの疎外感

第5号 文学

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