テア・ジョルジャッツェ インタビュー(3)

親密さに残された最後の距離
インタビュー/アンドリュー・マークル

III


Failing to Fetch Me at First (2010) Courtesy Sprüth Magers Berlin London.

ART iT あなたの作品や展覧会のタイトルは、しばしば文学や詩から付けられることがありますね。例えば、パリのカスティーリョ/コラレスでの展示のために作ったカードにはT.S. エリオットの詩「イースト・コウカー」からの抜粋が印刷してあります。こうしたものを引用する際、その詩が持つイメージが作品と関係していると考えているのでしょうか。

TD いいえ、そういうことはありません。テキストはそれ自身で存在しています。私はその詩を道具として使っているのです。それは石膏と同じく物質であり、彫刻におけるひとつの物理的な道具であり、解釈とか翻訳といったものではありません。パリの展覧会のときは、あのエリオットの詩が、私の実情、身体および内面の状態にとても合っていたのです。ふと思い付きましたね。招待状を頼まれ、そのためのイメージに取り組みはじめた一方で、読書を続けていたときです。全体の長い一節を使う必要があると思い、あのテキストを加えたのです。

ART iT 本当に美しい一節ですよね。

“わが初めこそわが終わり。次々と
家々は建てられては取り壊され、崩れ、増築され、
移築され、破壊され、再建され、あるいは跡地が
野原になったり、工場や、迂回道路ができたり。
古い石は新しい建物に、古い木材は新しい火に、
古い火は灰に、灰は土になって、
土はすでに肉、毛皮、そして糞、
人や獣の骨、麦の茎や葉に変わっている。
家々は生きては死ぬ。建築の時があり
生存と生殖の時があり、風が
がたつく窓ガラスを砕き、野鼠走る
羽目板をばたつかせ、襤褸と化したアラス織りの壁掛けに
織り込まれた金言をはためかせる、そんな時がある。”
(「四つの四重奏」2011年 訳/岩崎宗治)
あなたにとって、これは引用ではないのですか。

TD いいえ、引用ではなく、これはまさに彫刻なんです。私にとって、これは彫刻そのものなのです。彫刻は詩ととても近い。単語を選び、それらを組み合わせる。内容だけでなく、どのようにすべてを組み合わせるのかがとても重要なのです。詩人のヨシフ・ブロツキーも、詩を作ることは彫刻を作ることに非常に近いのだと述べています。彼は思考中に次にどんなものが出てくるのかを推測しているとも言っていて、おそらくこれも彫刻に似たプロセスでしょう。最終的な結果はひとつの意味や意義を持つけれども、それは積み上げられなければならず、身体的な力も用いて、すべて一体となって取り組むべきなのです。

テア・ジョルジャッツェ インタビュー(4)

テア・ジョルジャッツェ インタビュー
親密さに残された最後の距離

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第18号 ドクメンタ13

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