テア・ジョルジャッツェ インタビュー(2)

親密さに残された最後の距離
インタビュー/アンドリュー・マークル

II


Capital Letter installation view, 2010. Mixed media, dimensions variable. Courtesy of the artist
and Spruth Magers, Berlin.

ART iT あなたの作品の経験を文章にするのは難しいですね。あなたの作り出す状況における純然たる自然の力学や、素材や形態と作品内部で起きている物理現象の遭遇、もしくは支持体と展示されているオブジェとその環境の境界線が曖昧な状況を言語化する際、確かにそのための専門的な語彙もあるのですが、あまりにも専門的すぎるものになってしまうのではないかと考えるのですが。あなたの数多くの作品はある種のアルファベットに似て、象徴の持つ恣意性と有意性を等しく兼ね備えているように思えます。

TD 多くの作品は具体的なものから着想しています。例えば、ル・コルビュジエのドローイング、ふたつの半円が交差するノートルダム・デュ・オー礼拝堂(ロンシャンの礼拝堂)の黄金分割。二等分にされたノートルダムの黄金分割の姿に魅了されて、それを彫刻にしたことがあります。それは私自身が考え出した形でも、運動を通してたどり着いた形でもありません。
建築から発想した作品もたくさんあります。アルコーブのような建築的空洞に基づく作品もあります。ネガティブな空間を反転することで、空洞を確かなものに変える。それをまずは台座として使用しました。その後、異なる大きさのものを制作し、現在はそれ自体、彫刻として自立してもいます。この形は「Time Future Contained in Time Past」(2008)というインスタレーション作品のためのドローイングにも現れています。そういうわけで、多数のヴァリエーションを制作していく過程で、その形は私自身の言語の一部となるのです。そういう意味では、例え非常に具体的な起源を持っている形でも、ほとんどどこかわからないところから現れます。ひとつの建築物を見ていて、そのネガティブな空間が目に入ったときに、この形がちょうど現れてきたのです。
ときには、自分の感性に共振するなにか通じるものを見て、それを使いたいという切迫感に圧倒されることもあります。

ART iT 形態のヴァリエーションという考えに加えて、あなたの多くの作品には制作過程のある地点で軸がねじれたかのような、ある種の“ねじれ”の要素が見られますよね。

TD 私は常に不可能性というものについて実験しているのです。これはまだ可能か、まだ立っていられるか、重力に抗えるか、これはまだ彫刻なのか、と同時に身体なのか、と。ときどきなにかに居心地の悪さを覚え、変化させる必要を感じます。そしてそれはある不可能な方法をとらねばならないのです。おそらく私は、人が相手のときも、少しひねくれた人に魅力を感じるのだと思います。本当にそうなのかわかりませんが。
とはいえ、私は形態を扱っているのだとは考えていません。私は運動を扱っているのです。奇妙な言葉なので、いつも使うのをためらうのですが、私は物質性やエネルギーを扱っているのです。

テア・ジョルジャッツェ インタビュー(3)

テア・ジョルジャッツェ インタビュー
親密さに残された最後の距離

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第18号 ドクメンタ13

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