パスポート奪回後の艾未未(アイ・ウェイウェイ)

パスポート奪回後の艾未未(アイ・ウェイウェイ)
文 / 牧陽一

2015年7月22日、「パスポートを取り返した」と、艾は自らのパスポートと写真をインスタグラムを通じて公表した。艾は2011年4月3日から6月22日までの81日間の拘束以来4年3カ月余りも中国政府の監視下に置かれ、国内に閉じ込められていた。
2015年9月19日から(12月13日まで)ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)で美術展が開催されることになっていた艾は、6カ月のビザを申請したが、イギリスは「犯罪歴」を申告しなかったとして、わずか20日のビザしか発給しなかった。それでは開幕までしか滞在できない。艾は中国政府に秘密裏に拘留されたことはあるが、起訴されたことも有罪判決を受けたこともないと主張した。艾はこうした対応をしたイギリスに見切りをつけ、7月30日、4年間有効のビザ発給を受けたドイツにミュンヘンから入り、息子、艾老(アイ・ラオ)の待つベルリンに向かった。
7月31日、イギリス政府は「不快な思いをさせたことに対する謝罪」の書簡を艾に送り、6カ月のビザを発給した。艾を罪人扱いするイギリス政府の態度は中国政府に迎合する政治的な取引に映った。

9月17日、展覧会に合わせて訪英した艾未未は、インド出身のアーティスト、アニッシュ・カプーアとともに、ロンドン市内を行進した。そして、難民への人道的な対応と積極受け入れを訴えた。中東や北アフリカの難民・移民の流入問題で、移民らの受け入れに対してイギリスは消極的な態度を示していた。この行動は後にさらに具体的な難民救済運動へと展開することになる。行進はその宣言とも言えるだろう。また、自身もヨーロッパへと移り住むとき、不当な扱いを受けた人間として、差別に対する態度を移民・難民と共有したいという意識もはたらいていたのだろう。

10月3日、母親である高瑛(1933生まれ)の肺炎が悪化し、艾は北京に戻る。翌日4日、スタジオの内装工事をしようとしたところ、コンセントから盗聴器が見つかる。寝室からも見つかった。缶のバケツに入れて爆竹を鳴らす映像をインスタグラムに掲載する。盗聴器は艾が拘留され、スタッフが事情聴取され、スタジオに誰も入れなかった2011年4月3日以降、警察公安当局によって設置されたと考えられる。

10月23日、艾はメルボルンの国立ビクトリア美術館で開催される『Andy Warhol – Ai Weiwei』展(12月11日-2016年4月24日)で展示する作品制作のために、LEGO社に大量のブロックを注文したが、同社から「政治的、宗教的、差別的、品位を乱したり、中傷的である」創作物に使用されることは容認出来ないという理由で提供を断られた。艾の作品は劉暁波や浦志強ら世界の「政治犯」と見なされた人々の肖像をレゴブロックでつくるものだ。艾はLEGO社が販売を拒否したことについて、「検閲と差別に当たる」と非難した。また、艾はレゴブロックをトイレに流す写真や、髪や髭にブロックをぶら下げた写真をインスタグラムに掲載。車を使ってレゴブロックの集積所をつくり、人々から不要のブロックを集め始めた。
中国社会科学院政治学研究所の馮鉞は『環球時報』(10月26日付け)で、LEGO社の対応を歓迎した。「悪い政府のもとで30年も高度経済成長できるはずがない、反体制派の歪曲された中国像は次第に市場を失ってきた、西側の企業が中国の真実や多元的な中国を理解し始めたものだ」と述べている。また艾未未は凄いアーティストかもしれないが、いま成し得た成果の、「大部分は政治がらみのものだ」として批判する。*1
だが、その結果どうなっただろうか。2016年1月15日、艾によりブロックの販売拒否を批判されていたLEGO社は、ブロックの大量購入に対するガイドラインを変更すると発表し、何の用途に使われても関知しないことになった。
表現の自由を獲得するために泣き寝入りはしない艾の態度が、結局は庶民をうごかし、大企業をも変えることとなった。

12月14日、9カ月の拘留後、人権弁護士である浦志強に「民族の差別や恨みを煽った罪(騒動挑発罪)」で懲役3年、執行猶予3年の判決がおりた。自宅禁固刑に等しいが、浦の健康を案じていた多くの人々は釈放によって一応の安心を得た。
浦志強は政法大学の学生だった1989年に、天安門における民主化を求めるハンガーストライキに参加していた。その後、天安門から離れる際に裏道を使ったおかげで女子学生とともに虐殺を免れた。その女性は後に彼の妻となった。しかしながら、2014年5月、六四天安門事件25周年の小さな集まりを開いただけで逮捕されたのである。
2008年の四川汶川大地震で倒壊した小中学校を調査していた譚作人が逮捕され、翌年その裁判が行なわれた。浦志強は艾未未に証人に立つように勧めた。そして成都警察による艾殴打事件が起こる。この時以来、浦志強は艾の弁護士を務めていた。拘留釈放後の艾の脱税容疑の際も同様である。12月24日、艾未未はニューヨークタイムズに「浦志強が私たちに与えてくれた希望と勇気」という文章を寄せている。*2 艾は浦の3年の禁固監視、弁護士資格の剥奪に抗議し、また、多くの人権弁護士が逮捕拘留され、その家族までもが海外へ行けない状況を批判している。そして同時に、多くの中国人が司法が政権に屈服している現実を受け入れてしまっていることを悲しむ。だが浦志強の裁判の際、これに抗議する多くの中国人が裁判所に集まったことに触れ、彼ら大衆による浦志強への支持こそが私に希望を与え、この政権を変えることを迫っていると述べている。この文章からも艾の中国政府への態度に変化が無いことを窺い知れる。

2016年1月16日から3月15日まで、パリのデパート、ボン・マルシェで行われた展覧会『AI WEIWEI ERXI』で、艾未未は「山海経」に登場する怪物たちをモチーフにしたインスタレーション作品を、巨大な3階までの吹き抜けに宙づりに展示した。竹で骨組みをつくり、紙を貼った中国伝統の凧作りの手法を踏襲している。2015年6月6日から北京で開催された艾未未展では400年前明代の汪家の祠の骨組みが展示されたが、その傍らにはホコリにまみれ古びた龍の凧が置かれていた。これが伏線となっている。おそらくは古建築調査の時点から中国伝統の凧を造形に用いる案は始まっていたことだろう。
魯迅も子供のころ、山海経の世界が大好きで、「阿長(アーチャン)と山海経」と題した小説がある。紀元前4世紀から3世紀に書かれたこの奇書は世界あるいは宇宙の怪物を描いたもので、古代人の想像力の豊かさを反映させている。今にもつながるウルトラマンや宇宙人の世界といえる。
この怪物たちをあえて彩色せず、白い無垢な紙を使ったことで、デパート内装の白い格子を邪魔することなく、「児の戯れ」という自身の言葉の幻想的表出に成功している。そして1838年創業、1887年に改築されたこの古いデパートには、1930年代艾の父、艾青(アイ・チン)が美術の勉強のためにパリに留学した時にも来たことであろう。艾未未は何度も父からパリの話を聞いていた。父の記憶と子供の記憶、重層化され時空を超えた想像の世界が展開された。

1月26日、デンマークで難民申請者から金品を徴収する難民財産没収法の議案が可決されたことに抗議し、艾はデンマークのコペンハーゲンのギャラリーと、オーフスのアロス・オーフス美術館で展示中の作品を引き揚げるとツイッターなどで表明した。 ギャラリーでは代表作である2010年にテート・モダンのタービンホールで発表した「ヒマワリの種」などの作品を含む展覧会が4月まで続く予定だったが、艾の意向を受けて打ち切りを決めた。

2月3日艾未未は、2015年9月、トルコの海岸に遺体で漂着し、そのショッキングな写真で世界的に注目を集めた当時3歳だったシリア難民アイラン・クルディちゃんをモチーフにした写真を発表した。

2月6日、ヨーロッパの難民流入制限に抗議して、艾はチェコのプラハ国立美術館、屋外に展示されている十二支の頭(2011年5月4日ニューヨークにて最初に発表)を、難民の使うシートで覆った。

2月13日、艾未未はベルリンのコンサートホール「コンツェルトハウス」の円柱にギリシャのレスボス島から集められた1万4千の救命胴衣を飾り付けた。また柱の間に置かれた難民の使ったゴムボートに「SAFE PASSAGE(安全なルートを)」と記した。この作品では、海を渡ってヨーロッパへの玄関口となっているレスボス島への航路で1月以来400人もの人が命を落としているといわれる。溺死した難民たちが直面した悲惨な現実に対して、人々の関心を集め、難民の安全な受け入れを訴えている。またこの作品から容易に想起されるのは2009年の10月、ミュンヘンのハウス・デア・クンストで開催された『So Sorry』追悼展で、9000もの通学鞄を使って作られた「她在这个世界上开心地生活了七年(あの子はこの世界で7年間幸せに暮らしたのだ)」の15の文字だろう。四川汶川大地震で亡くなった楊小丸のお母さんのことばだ。同じ追悼の思いをそしてこの事実を人々に知らしめることが重視されている。
またコンツェルトハウスでは2月15日、第66回ベルリン国際映画祭に合わせて、平和について考える『Cinema for Peace』が開催されたが、艾はここで入場者に難民が使うシートを羽織らせている。

3月12日、艾はマケドニアと国境を接するギリシャのイドメニ村付近の難民キャンプでピアノを使ったパフォーマンスを行なった。
艾未未らは雨が降りしきる中、難民キャンプに置かれた白いグランドピアノをシートで覆い、その下でシリア人女性のヌール・アルカムさんが約20分演奏した。「これはこの女性のために設けた機会だ。彼女は紛争の犠牲者。この3年間、ピアノに触れることもできず、1年半、夫と生き別れになっている」と述べた。
劣悪な環境にあるこのキャンプでは約1万2000人の移民、難民が国境封鎖のために足止めされている。*3

人権活動家としてのフィールドが監禁されていた中国からヨーロッパ、世界へと拡大した。だが行動は具体的なものであり、個人の一点から世界へと発信していく。
艾の中国政府との対立は2008年の四川汾川大地震の際、倒壊した小中学校校舎の不正建築、その責任追及を行なったことから始まる。鳥の巣スタジアムの設計を艾とヘルツォーク&ド・ムーロンが共同で行なうことで、体制側は艾を内部に引き込んだと思っていたが、しっぺ返しを食らった。だが艾をすぐさま逮捕することはなかった。艾の背後にはアメリカ政府や西側の勢力があると考えていたからだ。だがスノーデン事件で艾がアメリカ政府を痛烈に批判したことで、艾がアメリカの側に立っていないことが明らかとなり、2011年4月3日秘密裏に軟禁するに至る。釈放後も艾による中国政府への批判は止むことはなかった。中国政府による人権蹂躙は艾を通じて様々な具体的事象をあげられ世界に晒された。中国政府は艾を拘束しても監視しても意味がないことを知った。
自由になった後、艾が中国側に投降したという批判があった。*4 だが、それは間違った判断だったのではないか。艾はいま世界の最も大きな問題ともいえる難民問題のその先端で活動する。中国にいれば中国の、ヨーロッパにいればヨーロッパの問題を考える。具体的な苦悩を考える現場主義の人間だといえる。中国政府は艾を手放すことで批判を免れたが、何時でもその標的になりうる。また難民の問題は中国も抱えている。こちらはウィグル人が中国を出ていく方だ。トルコへと入る者が大多数らしいが、中には少数だがシリア内戦に参加する者もいる。つまり、シリア難民問題とつながっているのだ。中国でのウィグル人弾圧も遠い原因にもなっている。
艾が海岸に遺体で漂着したシリア難民の姿になれたのも、「あなたは私であって、私はあなただ」という認識までたどり着いたからだろう。時間と労力をかけて共有できる経験と思索ができた時に作品が出来上がる。四川汶川大地震の調査同様で、子供を亡くした親たちの心に到達したとき作品となったのだ。
艾未未は如何なる勢力の側にもいない。大衆の良心の側にいるのだろう。
艾は4月5日現在ヨルダンからレバノンへと向かっている。今後の活動が注目される。


*1艾未未的成就大多来自政治 异见人士炒作“歧视行为”
http://world.huanqiu.com/exclusive/2015-10/7836497.html

*2浦志强案带给我们的希望与勇气 艾未未 2015年12月24日
http://cn.nytimes.com/opinion/20151224/c24iht-edai/

*3艾未未氏、難民キャンプでピアノ演奏会を企画 ギリシャ
http://www.afpbb.com/articles/-/3080202

*4牧陽一「アイ・ウェイウェイ2015―体制は醜悪に模倣する」石井知章・緒形康編『アジア遊学193:中国リベラリズムの政治空間』勉誠出版2015年12月 参照。

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