連載 編集長対談6:住友文彦(後編)

日本的アートとは:アジアの近代化と表現との関係性


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日本の作家が同時代でやっていることは個々人が「美しさ」の解釈を変えていくことです


『美麗新世界』展示風景
2007年、長征空間、 映芸術中心・映画廊、東京画廊+BTAP、広東美術館
撮影:Yan Da Wei 提供:国際交流基金

小崎:『美麗新世界』展は国際交流基金の主催で、日本の現代美術を中国に紹介するというミッションのもと、日本人しか選べなかったと思うのですが、住友さんはどのような基準で作家を選んだのですか。

住友:このときは日本の作家を紹介するということのほかに、ファッションやアニメといった幅広い文化の文脈を見せるということが前提としてありました。ただ基本的には美術の展覧会だったので、まず「美しさ」に対して文化的なコードが違うと何が違うのだろうかということが議論され、そして日本で2000年代に「美しさ」に対して具体的なかたちを与えるとすれば、どんな作家たちが並んだら面白いだろうと考えました。

例えばパラモデルは、おもちゃの電車のプラレールをグラフィティのように壁に付けていくのですが、もとは美しいものではないけどそれが壁に置かれることで美しいものに見え、「美しさ」の多様性を切り出すことができます。なぜ「美しさ」の多様性を考えたかというと、いまはだいぶ変わりましたが、4年前の中国は大きな社会的な問題や、自分たちのアイデンティティの問題を扱う作家が圧倒的に多かったんです。

日本も高度成長期の60年代にはそういう時期があったと思いますが、日本の作家が同時代でやっていることは個々人が「美しさ」の解釈を変えていくことです。それはほとんどの中国の作家がまだやっていなかったことなので、そういう違いが浮き上がってくる展覧会にしようと思いました。


パラモデル
『美麗新世界』2007年、長征空間、 映芸術中心・映画廊、東京画廊+BTAP、広東美術館
提供:国際交流基金

小崎:図録に「新しい個人主義」と書かれた以上、過去にも個人主義があったということですね。

住友:あったでしょうね。個人主義という言い方が正しいのかどうかわからないですけど、それがこれまで西洋の哲学の中で考えられてきたようなものとは違うのかもしれない、ということを考えてみたいというのがありました。

小崎:住友さんが個人主義や多様性を求める方向性を持っているのは、ご自身が幼少時代をオーストラリアで過ごしたことが影響しているのでしょうか。

住友:自分のことだからわかりませんが(笑)、10代の多感な時期だったから影響はあると思います。移民の国で、同学年に世界中の人がいるような感じでした。小学生でしたが、日本にいたときに身につけた社会的属性を剥ぎ取られる経験でした。つまり言葉が喋れない、表現ができない状態で放り込まれたので、「トイレに行きたい」って言えないわけですよ(笑)。

小崎:それは、生存に関わりますよね(笑)。

住友:人間が本当に裸にされたとき、そこでもかろうじて絵を描くとかジャンプするとか走るといった表現をすることはできるので、そうすることで存在を確認し合うことができるわけです。

小崎:身体表現へのこだわりはそこから来ているのかな。

住友:そうそう。原初的な人間の身体のコミュニケーション体験は、そういうところで何かあったかもしれないです。

小崎:なるほど。ところで、ドナルド・リチーの『イメージ・ファクトリー 日本×流行×文化』(青土社、05年)という映像を通して見た日本文化論の中に、次のような文章があります。

「日本では常に新奇なものの魅力が公然と語られ(ほとんどの西洋諸国ではそれがあからさまに語られることがあまりないのと対照的である)、ものの儚さが賞賛できる美質となる」

身体表現でいうと、映像はそもそもの目的が記録で、結果としてアーカイブにもなる。でも身体表現は当然1回性のものであり、その意味では最も儚いものですよね。これを日本的なアートの特徴として、ポジティブに捉えられないでしょうか。

住友:なくなってしまうものへの美学という意味で、日本人の身体が地域性を帯びているかどうかはわかりませんが、身体表現がそうであるように、消えてなくなってしまうものでもいいと思う部分はあるのかもしれないですね。

小崎:わかりました。最後にひとつ質問です。「日本的アート」「非欧米的アート」というものはあると思いますか。

住友:やはりあるでしょうね。社会や文化の違いがある以上、そこに生きて表現する人たちの中に、現在進行形で生まれているのだろうと思います。それぞれの地域の伝統的な芸能や芸術があったにもかかわらず、アジアでこれほど近代的制度としての美術が普及しているのは、美術が社会的に機能しているからだと思います。政府が作った制度だということもあるけれども、ここまで維持されている理由を考えるときに、近代という装置=美術と地域性は、アジアと結びつけて考えるのが面白いと思います。

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2009年11月9日にDAY STUDIO★100(Vantan横浜校)にて行われた対談を収録しました。

すみとも・ふみひこ
1971年、東京大学大学院総合文化研究科修了。スパイラル(ワコールアートセンター)、金沢21世紀美術館建設事務局、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、東京都現代美術館で勤務後、『ヨコハマ国際映像祭2009』のディレクターに就任。NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ(AIT)は設立当初から関わり、副ディレクターを務めている。国内での主な企画に『アート&テクノロジーの過去と未来』(ICC、05年)、『川俣正〔通路〕』(東京都現代美術館、08年)などがある。『Beautiful New World 美麗新世界』(北京、広東、07年)『Platform Seoul 2008』『第3回南京トリエンナーレ2008』など、国際展の共同キュレーターも数多く務める。

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