Curators on the Move 5

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
トランスナショナルな文脈における展覧会企画

 

親愛なるHHRへ

アデルとミンについての君の書簡から、アートをめぐるトランスナショナルな状況について考えてみた。シムリン・ギルが、僕たちの『Cities on the Move』プロジェクトが始まった頃に話してくれたように「アーティストはもはや地理には縛られていない。地理と地理との狭間をぬって暮らしている」

「トランスナショナルな展覧会」は、90年代から大きな問題になっている。パリ市近代美術館でまったくの「ナショナルな」展覧会(90年代英国のアートシーンを掘り下げる『Live/Life』、ノルウェーについての『白夜』、ミレニアム前後のフランスについての『横木』、どれもローレンス・ボッセとの共同企画)を企画するよう依頼された際、僕はたいてい視点を変えて、ポスト/トランスナショナルと呼ばれるものを追究した。もっと正確に言えば、ナショナルな展覧会のポスト/トランスナショナルな意味合いに焦点を当てる展覧会が、いかにして境界線に「ついて」のものではなく、実際に境界線に「なる」か考えることに興味があったんだ。

こうしたプロセスに関心を持ったきっかけは、かなり前のことになる。いろいろな展覧会が海を越えるときに、既にパッケージ化された、トップダウンモデルに従っているように見えて、それに対抗したいと思った。決まった作品を費用対効果の高い方式で配給し、最大効果を上げる「ブロックバスター」的なやり方にね。最近ではサーチの『センセーション』が典型だ。でも、これがグローバリゼーションのひとつのモデルだとしても、別のもっと有機的なモデルを提示したい。グローバリゼーションの「不可逆的な」側面と言われる同一性、均質性に対抗して、エティエンヌ・バリバールは僕にこう言ったことがある。

「知的なアーティストや展覧会に必要なのは遊牧民的性質(身体的にも、精神的にも、境界を越えて旅をすること)だ、国境線を越えることが言語や文化を四方に拡散させ、理解能力の幅を広げることにどれほど貢献するだろう」と。「展覧会は境界線の介入で姿を消すだろう」とも言っていた。「展覧会は必要だが、独占的なものではない。それ自体が境界線ともなり得るのだ」。そういうわけで、僕の初期の力点が『境界線となって』になったんだ。

 

動く実験室としての展覧会

『Live〜』は当時の素晴らしくダイナミックな英国アートシーンを見せるものだった。躍動するシーンの全貌を掴むのは容易なことではないし、外側の人間が何かに還元するような見方を押しつける危険性にも気づいていたけれど、セドリック・プライスらアーバニストが、この種の展覧会の全体計画に懐疑的で、これまでにない自己運営モデルを導入するのに何よりのガイドとなってくれた。

リサーチを進めるにつれ、英国各地のアーティストランスペースが非常に重要な役を担っていることがわかってきて、展覧会を解体し、新しい形で開催する方法について考えはじめた。それが、展覧会の中にたくさんの展覧会があり、展示の後ろに別の展示が見え隠れするようないまだに素晴らしいと思えるアイデアだ。これなら個別の状況が重なり合ったポリフォニーが生まれるし、僕たちも、全体の企画だけではなく、展覧会の中で一時的に自律的に活動する各展示の橋渡しをする役目が果たせる。

でも、『Live〜』は移動する企画ではなくて、そこが『白夜』と根本的に違うところだと思う。ここでも僕たちは特定の地理上の境界線に焦点をあてた。フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランドにおける当時のアート作品が出発点だった。

僕にとって『白夜』は一種の動く実験室。ベルゲン美術館の当時の館長でいまはアステロップ・フェーンリー美術館の館長、グンナー・クヴァランとはこの企画で初めて一緒に仕事をした。彼がこの展示を北欧諸国に巡回させ、それぞれにゲストキュレーターが担当する違うビデオプログラムを入れた。だから、建築やデザインや文学みたいな他分野へのリンクに加え、映画的なものも展示の原動力になった。映画的なものは、『Uncertain States of America』など僕が最近手がけた企画でも顕著だ。

長い時間をかけたリサーチが、全体をまとめ、ビジョンを示すいちばんの鍵だ。事実、僕はこうした企画は究極的にはリサーチ展示だと思っている。表象についてではなく、知識を産み出す展覧会。展示は1年以上をかけて何百ものアトリエを訪ね歩いた成果だから、恐ろしくスローだ。おそらく、いまの展覧会企画の基本と考えられているものの対極にあると思う。グローバリゼーションはスピードアップだけじゃない、スローダウンすることでもある。何度も足を運び、時間をかけて議論することが肝要だ。絶え間ない対話の波から、徐々にアイデアが生まれ、構造が浮かび上がってくる。

『横木』で僕らが提示したのは、さまざまなゲームの規則だ。各作家が自分の作品「に対して」あるいは「と一緒に」何かをするよう他に働きかけ、コラボレーションを進める。僕らは展覧会企画を大陸のようなひとつの塊というより、詩人で哲学者のエドゥアール・グリッサンの表現を借りれば、群島のようなイメージで捉えるようになった。互いに結びつきあう、活動体・知識体を生み出すということだ。

 

中心地のポリフォニー

『Uncertain〜』展は、オスロにあるアステロップ・フェーンリーで2005年に始まり、ニューヨークのバード・カレッジにあるセンター・オブ・キュレトリアル・スタディーズ、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー、レイキャビク美術館と巡回して、いまはデンマークのヘルニング美術館で開催されている。この後、ポーランド、フランス、中国、ロシアと回る予定で、たぶんほかにも続けていくと思う。強調しておきたいのは、この展覧会が中心地をいくつも持った道具箱としての機能を果たしていることだ。

中心地のポリフォニーは、ここ20年ほどのアートシーンの特徴だ。1980年代のシステムがパリとニューヨークという二大中心地の競合にまだ支配されていたとすれば、90年代に入ってその相克はどんどん存在感がなくなってきた。僕は、91年に講演を頼まれてグラスゴーに行ったときに初めてそれを感じた。一地方都市がアートシーンで、信じられないぐらいダイナミックなポジションにあることを悟ったんだ。ダグラス・ゴードンにこの話をし、こうしたダイナミズムについて対話を通じて目を開かされた。数々の文化中心のポリフォニーとしてのヨーロッパ。

ダニエル・バーンバウム、グンナー・クヴァランと僕が『Uncertain〜』のためにリサーチを始めたとき、ニューヨークはもはや優越的な地位にないという仮定から出発して米国内をつぶさに見て回り、他に台頭してきている場所を探し歩いた。例えばポートランド、オレゴンなどには独自の音楽や映画や美術があって懐が深い。サンフランシスコやロサンジェルス、そしてマイアミについても同様だ。ニューヨークがいまでも重要な位置を占めていることは十分承知している。この展覧会の参加作家の多くが活動しているしね。でも、他の地方でも密度の濃い活動が行われていることを認めるのが大切だと思う。

展示自体がひとつの学習システムみたいなものだから、途中からでも手直しや追加ができる。シャノン・エブナーとリーナ・スポーリングスはサーペンタインでの展示に新たに加わった顔ぶれだ。このときはさらに、ノア・ホロヴィッツとブライアン・ショーリスの企画で、展覧会のテーマをもとに、00年以降の米国のアートや文化政策に関するテキストを編集した書籍も加わった。05年の展示開始前からやりたいと思っていた企画だったものの、ビジョンを固めて必要な手はずを整えるのに1年以上かかった。試作品はアストラップ・フェーンリーと共同で、サーペンタインでの『Uncertain〜』展に並行して出版したんだが、12月にはスターンバーグ社からもっと充実した公式版が出る。先ほどのスローであることや、プロジェクトがリサーチを原動力としている点がよく表れている例だと思う。

ここでE・グリッサンに話を戻そう。こうした知識産出型の冒険的な企画をどうやってやってのけるかとか、グローバリゼーション全般に対するアプローチについて、僕は彼から何よりも影響を受けた。グローバルな対話のきっかけをつくり、さらに発展させていくと同時に、それぞれの違いをより大事にしていくということだ。アートで言えば、パッケージ化された展覧会は非常に危険だ。ある場所から次の場所へ、まったく同じ展示を運ぶなんて面白みはないし、極端に言うと単なる日和見的なものになりかねない。だから僕は、現地でのリサーチと開かれた対話に重点を置きつづけることが大切だと考えている。グローバルな対話の放棄ではなく、ローカルとグローバルの対話を始め、違いの生産を常に忘れないやり方だ。グリッサンはこれを「別々のエンジン」になると呼んでいる。

終わりに、僕の最新プロジェクトで、サーペンタインとアステロップ・フェーンリーとの協働がいまも進行中の、『チャイナ・パワー・ステーション』について。これは、再開発が決まっているバタシー発電所に一般の人が足を踏み入れる最初で最後の機会になった。中国の新しいビデオアート(楊福東、曹斐、顧徳新、賈樟柯など)の展示のほかに、建築、音響、デザインも取り上げた。発電所の東ウィングの3つの階と、アラン・ヤオが提供するカフェもある伊東豊雄のパビリオン、そして中国の新進服飾メーカーや出版社などのニッチなグッズが並ぶユニバーサル・スタジオによる同時開催企画がその内容だ。

繰り返しになるけれど、これは長期的なイニシアチブだ。ロンドンで始まったものが、今年のオスロではもっと歴史重視の展覧会になって、その後中国に巡回するときにはまた新たに生まれ変わるだろう。中国では建物もつくろうと思っている。プロジェクトの新しい章が始まっているんだ。表象ではなく、現実を産み出すこと。空間や歴史的なプロセスに思いを馳せるだけでなくて、そこに足を踏み入れ、それを「現実」のものにすること。

君の意見や、何か考えついたことを、聞かせてもらえるのを楽しみにしている。

敬具 HUO

(初出:『ART iT』No.15(Spring/Summer 2007)

 


 

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