MU[無]展 講演録1_ ペドロ コスタ&ルイ シャフェス[原美術館]

2012年12月8日[土]、「MU[無]─ペドロ コスタ&ルイ シャフェス」オープニングにあわせて来日したペドロ コスタとルイ シャフェスのトークが行われました。映画と彫刻という全く異なる分野で表現をする二人がともに展示をするにあたり、主に話しあったのは、展示会場となる原美術館のスペースが元邸宅であり、場所自体が持つ記憶だったといいます。ここでは二人のトークの内容を要約し、簡単にリポートします。詳しい講演録は2月にアートイット連載コラム「Lecture @ Museum」にて紹介される予定です。


ペドロ コスタの言葉より:

ここ数年、私は他の映画監督とは異なり、登場人物と対話を重ねて撮影する*1というアーカイヴィングに近い仕事の仕方をしています。原美術館では「溶岩の家」(1995年)、「ヴァンダの部屋」(2000年)、「コロッサル・ユース」(2006年)、また次の長編のために友人ヴェントゥーラを撮った映像*2を(展覧会のために編集し)展示しています。

(ギャラリーIIIの映像作品「アルト クテロ」において)ヴェントゥーラは、故郷であるカーボ ヴェルデの歌を歌っています。彼は移民先のポルトガルで建設業に携わっていましたが、若くして足場から落下して怪我を負い、仕事からの引退を余儀なくされました。彼は落伍者と言えますが、同時に私にとってのヒーローであり、悲しみと強さを抱えた人物です。


ペドロ コスタ 「アルト クテロ」 2012, 1チャンネルプロジェクションおよびサウンド サイズ可変 (C)Pedro Costa

私は「撮影する」というより「仕事をする」という言葉を好んで使います。仕事をする中で人と出会い、その人をおおよそ理解すること―完全に人を理解するのは不可能だというミステリーや悲しみを感じつつ、(対象に)近づいたり離れたりしながら作品を作っています。

チャップリンが良い例ですが、映画を素晴らしいものにするのは編集の力です。しかしながら映画館以外の場所、美術館などで映像を見せる場合、その要素が欠けてしまいますので、観客自身が編集しなくてはなりません。元邸宅という原美術館のスペースを訪れ、各展示室に展示された映像(の関連性を考えながら)、ルイ シャフェスの彫刻、足音や他の観客の存在と共に見、ご自分の頭の中で編集作業をして鑑賞してみてください。

*1 ペドロ コスタは最近の映画では、フォンタイーニャス地区というリスボン郊外のスラムに住む住民と対話を重ね、共に物語を紡いでいくという、ドキュメンタリーとフィクションの境界にあるユニークな制作をしている。

*2 ギャラリーIIIの映像作品「アルト クテロ」は、ペドロ コスタが制作中の長編の為に撮影した映像の一部であり、2012年11月下旬の第13回フィルメックス特別招待作品のオムニバス映画「ギマランイス歴史地区(仮題)」中の短編「命の嘆き(Sweet Exocist)」制作時に撮られたものである。登場する初老の黒人男性は、旧ポルトガル領カーボ ヴェルデ島の村「アルト クテロ」出身のヴェントゥーラである。ペドロ コスタは「ヴァンダの部屋」をきっかけにリスボン郊外のスラム、フォンタイーニャス地区の住人の一人ヴェントゥーラと対話を重ねるようになり、その後彼を主人公とした「コロッサル・ユース」を制作する。この作品でヴェントゥーラは、破壊されたフォンタイーニャス地区と新興住宅地を行き来しながら、自分の“子ども達”と呼ぶ人々を訪ね歩く。そこで交わされる対話の中から、人間と土地についての壮大な叙事詩が立ち現われてくる。ギャラリーIIに展示されているのは、この「コロッサル・ユース」のために撮られた映像から編集されたものである。


ルイ シャフェスの言葉より:

「時」は全ての芸術にとって重要な要素です。また人の記憶に訴えかけ、何かを呼び覚ますものが私の作品だと思います。鑑賞者がいて反応することで作品は成立すると言えます。だから自分自身では自分の作品を完全に理解することは難しいと言えます。

作品の色が黒いのは実体のない影のようなものを表現しようとしているからです。彫刻家として矛盾するようですが、私は物体を信じていません。私の作品の特徴は、物体としての存在感を忘れさせ、素材感や重力を感じさせないことです。

私の作品にとってはタイトルも重要です。私の作品は、鉄と火と言葉でできているのです。聖書に「はじめに言葉ありき」とありますが、言葉には詩的な強さ、また人を活かしも殺しもする力があると考えています。

ギャラリーIの彫刻作品「私が震えるのを見よ」は、(教会の告解室や刑務所の面会室をイメージしたもので)、人が出会う場所であると同時に会うことを不可能にするバリアのようなイメージです。ペドロ コスタの顔の映像も、向かいあいつつも会う事が出来ない人々のようです。(この彫刻と映像が共に展示されることで)コミュニケーションの難しさが表現されています。


ペドロ コスタ 「火の娘たち」 2012, 3チャンネルプロジェクションおよびサウンド サイズ可変 (C)Pedro Costa /ルイ シャフェス 「私が震えるのを見よ」 2005, 鉄にペイント, 241 x 372 x 117 cm 所蔵:セラルヴェス美術館 (C)Rui Chafes
撮影:木奥惠三

私は常に物事を観察し、思考し、書き、自分の中に蓄積していく作業を行なっています。ギャラリーIVの作品「虚無より軽く」は、昨年原美術館の空間を下見したあと、帰りの飛行機が中国上空を飛ぶ頃、すぐにスケッチをしていました。はかない世の中に対抗する強度や密度のある作品を作りたいと考えています。


ルイ シャフェス 「虚無より軽く」(部分) 2012, 鉄にペイント, 176 x 78 x 28 cm
(C)Rui Chafes 撮影:木奥惠三

*ルイ シャフェスは主に鉄を用いた制作をしている。鉄という非常に質感のある素材を用いているが、煙、影など実体のないものをイメージして制作している。ポルトガルを代表するアーティストの一人であり、ヴェネツィア ビエンナーレやサンパウロ ビエンナーレにポルトガルを代表する作家として出品、日本ではハラ ミュージアム アークで93年に開催したグループ展で紹介されている。シャフェスの彫刻は一見すると手仕事の痕跡が全く見えない佇まいであるが、実際には膨大な労力と時間をかけて鉄を溶接、加工するという手作業を経ている。ごく原始的な要素を用い、見る者にさまざまなイメージを喚起するのが特徴である。作品には詩的で暗示的なタイトルがつけられており、想像力を刺激する。「アートとは加速化する世の中のスピードをスローダウンさせるべきものである」と考えており、「時」に関しても哲学的な思想を持っている。

*

第1回 アーティストトーク ペドロ コスタ&ルイ シャフェス(英日逐次通訳付)
日時 2012年12月8日[土] 13:00-15:00

(了)

「MU[無]─ペドロ コスタ&ルイ シャフェス」展連続講演会
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■第4回 講演 港千尋 「空虚(ヴォイド)と映画-インスタレーションをめぐって」(写真家、映像人類学者、多摩美術大学教授)
日時 2013年1月30日[水] 19:00-20:30

■第5回 講演 瀬下直樹 「アルヴァロ シザとポルトガル現代建築」(建築家)
日時 2013年2月2日[土] 14:30-16:00

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「MU[無]―ペドロ コスタ&ルイ シャフェス」
12月7日[金]-2013年3月10日[日]

「ソフィ カル―最後のとき/最初のとき」
2013年3月20日[水・祝]-6月30日[日]

坂田栄一郎「江ノ島」(仮題)
7月13日[土]-9月29日[日]

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