オマー・ファスト インタビュー(3)

ビュー・ファインダー
インタビュー / アンドリュー・マークル
Ⅰ. Ⅱ.


Video still from Looking Pretty for God (After GW) (2008), single-channel video, color, sound, 27 min. All images: Unless otherwise noted, © Omer Fast; courtesy the artist, gb agency, Paris; and Taro Nasu, Tokyo.

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ART iT 南カリフォルニア特有の産業、ポルノ映画の俳優を撮影した「Everything That Rises Must Converge」の話を聞いて、同地域特有のもうひとつの産業「子役ビジネス」のことが頭に浮かびました。ほとんどの子役は両親に勧められていつの間にかショービジネスへと足を踏み入れています。あなたは「Looking Pretty for God (After GW)」(2008)で、子役といっしょに制作していますが、写真撮影用のポーズをとってもらったり、インタビューに答える葬儀屋の口パクをしてもらったり、なかなか難しかったのではないでしょうか。彼ら、子役との制作はいかがでしたか。

OF 子役たちは自分が何をしゃべっているのか、ちんぷんかんぷんでした。彼らには私がインタビューした葬儀屋の口パクをしてもらったのですが、話の内容を理解するには幼過ぎました。ある意味、彼らはオウムや腹話術の人形でした。口にしている内容に対する話し手の関係はまさに表面的なものですが、それこそ私が望んでいたもので、葬儀屋が話す込み入った問題から、それを話すための知識が取り除かれることで、情報を伝達しているのは誰なのか、彼もしくは彼女とその情報の間にどんな関係があるのかが危うくなり始める。イデオロギーが剥ぎ取られるのです。英語がわからない日本の子どもに、アメリカ合衆国の国家「星条旗」の歌詞を渡して、カメラの前で歌ってもらうとしたら、たとえ、子どもたちがその歌詞を理解していたとしても、英語話者とは異質なものが出てくるのではないでしょうか。
先程、参照について聞いてきましたが、イスラエル出身のロエー・ローゼンというアーティストがいます。彼は現在イスラエルのあちこちにいる、その大半がアジアの国々からやってきた移民労働者とともに素晴らしい作品を制作しました。彼はヘブライ語でテキストを書き、それを移民労働者たちが発音できる状態にして、彼らにカメラの前に座って暗唱してもらいました。非常に個人的な文章だったり、ひねくれた文章だったりして、彼らは自分が話していることの意味がわからず、それ故に発音もうまくできていませんでした。ある意味で、この作品は他人の身体を乗っ取り、情報を伝達するためにその身体を使うだけでなく、言葉を発する身体が必ずしも話している内容を意識していないときに起きる力学を観察するものでした。そして、言うまでもなく、この作品もロールプレイングやパフォーマンスや権力といったものを強調したもので、私と似たようなものに取り組んでいる優れた作品だと思っています。

ART iT 既存のインタビューのテキストを俳優に解釈させる「The Casting」のような作品にも、そのようなダイナミクスは適用できると思いますか。

OF 俳優たちが使うテキストが彼ら自身のテキストではなく、少なくとも一段階は距離が離れているので、おそらく適用可能だと思いますが。しかし、母語を話したり、テキストと文化背景を共有する大人の場合、イデオロギーを十分に剥ぎ取ったり、パフォーマンスの精度を落としたりするのは不可能でしょう。それは外国人や子どもにまったく意味のわからないテキストを読んでもらったり、演じてもらったりするのとは異なります。この方法は万能ではないけれど、不協和を生み出す方法ではあります。そして、私はこの不協和にこそ関心があるのです。

ART iT 他方、「Her Face Was Covered」(2011)では、過剰に文字通りにテキストを解釈することについて掘り下げていましたよね。

OF この作品では、Googleを感染や憑依、霊媒のための代替物、バーチャルな身体として使っています。セリフはドローン作戦に関する話を元にしています。私はただ、インタビューをした後で、その一語一語をGoogleのイメージ検索にかけただけで、そうすると、この装置もしくはアルゴリズムがイメージを送り返してくれます。ある意味、この装置が失われた身体の代わりとなり、作品内の単語や文章に固有の外見を与える。このプロセスに組み込まれた解釈の違い、またはさっき話したような不協和が原因で、言葉とイメージの関係性はしっくりこないものや、とりとめのないものになったりします。それは完全に説明可能なものから、まったくの不協和なものまであらゆる可能性をとるでしょう。この作品では、インターネットだけでなく、私たちの頭の中でも、どのように言語とイメージが関連しているのかについて検討しています。

ART iT この作品にはそれを伝える偏執症的な側面もあるように感じました。無味乾燥な言葉やイメージに突然異なる意味が注ぎ込まれて、それが不吉なものにも脅迫的なものにもなりうるという。作品に登場する女性は、どうして突如として戦闘員になってしまったのか。あの場所で銃を手に取る動機はさまざまに考えられます。ですから、この作品は単に無意味なイメージが奇妙に並んでいるといったものではないでしょう。

OF 一言で言えば、この作品を通じて、外見が行為を誘発したり、正当化したりすることについて考えているのだと思います。ドローン操縦者の場合、この人物が戦闘員だという決断が下されれば、一連の出来事が彼女の死へと繋がっていきます。この作品ではさまざまな外見の繋がり全体の輪郭を描こうとしています。私たちは人が外見に欺かれることを知っていますし、そのプロセスが複雑だということもわかっているので、作品内でそのことを公表する必要は必ずしもないけれど、当然この問題を抜きにしては語れません。当然、ドローンの操縦者は決定的な瞬間にDNAテストの判別など参照しようがないので、殺された戦闘員が女性だったのか男性だったのかと作品内に聞こえる声に迷いが見られます。これは全知全能にもかかわらず複数の誤りを抱える、頭上を飛来する(ドローンという)テクノロジーの限界で、ある人物が戦闘に加わろうとしているように見えることを理由に殺人を正当化しようとしています。


Both: Installation view of Her Face Was Covered (2011) at Taro Nasu, Tokyo, 2015. Two-part multimedia installation with single-channel digital video, 6 min; and slide projector with 80 slides playing at four-second intervals. Photo Keizo Kioku. © Omer Fast, courtesy Taro Nasu, Tokyo.

ART iT 「Her Face Was Covered」と「5000 Feet」は、同じ時期に制作していましたか。

OF ええ。「Her Face Was Covered」の最初の部分の映像を見ると、撮影班が「5000 Feet」用のセットを準備しているのが映っています。いくつかの車がひっくり返っていて、ちょうど爆破のへこみを掘ったところで、作り物の身体や破片を撒き散らしたり、スプレーで色を塗ったり、火をつけはじめたりしているところです。離れたところからだと、撮影班が爆破後の死体処理班のように見えます。しかし、カメラが寄っていくと、実際には人々が撮影に必要なシーンの準備をしているのがわかります。
「5000 Feet」の制作では、ドローン産業に従事する軍関係者と話さなければいけませんでした。最終的には使わなかった次のような話があって、後に私はそれをスピンオフとしてある習作をつくりました。「Her Face Was Covered」で聞こえる声は、実際のインタビュー相手であるドローン操縦者の友人の声です。ドローン操縦者はスカイプでも電話越しでも私と直接には話してくれませんでした。彼は自分自身を一切見せようとせず、友人に自分の代わりをさせましたが、これまた、腹話術師や霊媒師みたいで、—とはいえ、たしかにこのような取り憑かれることやその悪魔払いのようなことはたびたび私の作品に表れますが。そういうわけで、私の質問は彼の友人が答えていたので、返事をもらうまでに時間がかかりました。なぜなら、その友人はドローン操縦者の彼から質問に対する返答を受け取り、私へと伝えるわけですから。
私はそれを音声ファイルにして、次のような方法で使用しました。表象のレイヤーを複数用いること。まず、声。もちろんこれは実際の取材対象のものではなく、別の人がしゃべったものです。また、イメージの表象として、一見清掃員に見えるけれど、実際にこの爆撃後の話になんらかの繋がりを持つかのように思われる、撮影のためのセットを組む人々がいます。さらに、作品では物語を一語一語、イメージ検索という別のテクノロジーに落とし込み、物語の別のパースペクティブを獲得しようとしています。それぞれの文章がイメージに落とし込まれることで、物語は投影されるビデオとともにスライドショーとしての形もとります。

ART iT 「5000 Feet」や「Her Face Was Covered」という作品のために、ドローン操縦者であることについて話をしてくれた人にはどのように連絡を取りましたか。

OF 「The Casting」や「5000 Feet」のプロデューサーがロサンゼルスにいて、その彼が非常にできる人でした。私たちは軍事用ドローンが管理されている、ラスベガスの外れにある基地の存在を知っていたので、不動産情報や求人情報などを載せるウェブサイト、クレイグスリストに広告を載せ、連絡を取ってくれるドローン操縦者を探しました。ほとんど反応はありませんでしたし、反応があった人たちはただ単に狂っているか、嘘をついているか、その両方だったことは少なくとも表面的には明らかでした。とはいえ、嘘つきには関心があったので、狂った人々にも直接会い、彼らが何を話すのかを聞いてみました。また、ドローン計画に携わっている人にも会うことができました。

ART iT クレイグスリストへの投稿で返事をもらえるなんて驚きました。

OF 私もそう思います。私たちはまず軍隊やCIAに連絡をとるところからはじめました。そのような公式のルートを使うことはこれまでにもあって、良い返事は期待していませんでした。実際に何の返事ももらえませんでした。私はこうした機関そのものに対する関心は何も示さなかったものの、彼らは情報や関係者がカメラの前でいつどのように晒されるかということ、とりわけドローン計画に関してはかなり気を遣っていました。ここでもまた半ば公的に認識された存在の影、もしくは閾といったものが見受けられます。私はネット上の募集広告という裏ルートを通じて、少なくとも数名の人に会うことができました。そのうちのひとりが作品に登場しています。

ART iT あなたはちょうど最初の映画作品「Remainder」(2015)を完成させたようですね。映画制作はいかがでしたか。また、原作ものを扱うことについてはどうでしたか。これまで制作してきたものとの違いは感じましたか。

OF これまでとは全然違いました。原作を脚色していくことと台本を1からつくることはまったく異なるプロセスです。既に話しましたが、一般的に作品制作を依頼してくる美術機関やキュレーターは、作品をどのように展示し、広めていくかについて関わることはあっても、準備や制作に関わることはありません。映画の場合はとてもそういうわけにはいきません。また、原作の小説を脚色することや、台本をある長さに整えること、撮影シーンの長さ、予算、すべて違います。なかでも普段と最も違ったのは、依頼してきた組織自体が制作に関わるということでした。


Above: 5000 Feet is the Best (2011), single-channel, HD video, color, sound, English spoken, 30 min. Below: Installation view of 5000 Feet is the Best (2011) at Taro Nasu, Tokyo, 2015. Photo Keizo Kioku. © Omer Fast, courtesy Taro Nasu, Tokyo.

ART iT あなたの作品に出てくる役者がなかなかいいと思っています。それが演技によるものなのか演出によるものなのかわかりませんが、例えば、「5000 Feet」でインタビューを受ける人物を演じる役者の場合、独特で神経質な様子で、なんともいえない無表情な空気を醸し出しています。ほかに記憶に残っている登場人物といえば、「Nostalgia」で移民局職員を演じた女優ですね。役者の接し方や選び方について教えてもらえますか。

OF 私にとって役者を選ぶプロセスは本当に退屈なものです。キャスティングの専門家に手伝ってもらい、役者を推薦してもらったり、試しに役のセリフを朗読してもらったりします。私が書いたテキストの一部を演じてもらった映像を見るのも、実際の演技に異なる演出を試したときに彼らがどう反応するか見るのも乗り気ではありません。もうちょっと有名な人に頼む場合は、役割をオファーして、向こうに興味があるかどうかで決定します。「5,000 Feet」で演じているデニス・オヘアには、オファーを出したところ、彼も都合もつくし、興味もあるということでした。彼はとても寛大で人当たりのいい人でした。1日でとても長い時間をかけて彼のシーンを撮影しました。台本はあったのですが、撮影プランがなくて、物事もまったく整理されていなかったので、最終的には予想よりもはるかに時間がかかってしまいました。反復に関する内容だったので、作品それ自体がそうしたプロセスに向いているとも言えるかもしれません。それでも彼は幾度も同じシーンを演じ、8時間とか12時間とか撮影していたので、憤慨する演技のいくつかは本気で怒っているのではないかと感じるものもありました。おそらく彼は、「くそっ、いったい何をしているんだ。200回も同じセリフを言わされるなんて」と自問自答していたのではないでしょうか。

ART iT そのような反復が作品内の演技を導きだすと思いますか。

OF 反復はこの映像制作のプロセスに内在していると思います。反復すること、それは非常に重要です。大抵の場合、最初のテイクは役者が緊張していて、スタッフもどんなことが起こるか予測不能で、カメラもきちんと対応する準備ができていないという技術的な理由もあるので、反復は必要です。
しかし、とても興味深いと思ったのは、何事かを繰り返すように頼むときに何が起きるかということです。私は自分のインタビューでもこうしたことを行なっていて、活用している道具のひとつです。相手が役者であれば、シーンやセリフや演技をもう一度やるように指示し、インタビューの場合は、同じ質問を何度も何度も繰り返します。そこで、役者やインタビューを受ける人物に何が起こるかと言えば、ある地点で彼らは出来る限りの情報を与えたり、求められるがままにそれを何度も繰り返すようになるのです。そして、4回目とか5回目くらいになると、自分の言っていることやその言い方から距離をとりはじめ、複雑な問題を考える自意識のようなものが出てきます。すると、物事は本当に面白くなってくるんですよ。

(協力:TARO NASU)

オマー・ファスト|Omer Fast
1972年エルサレム生まれ。ニューヨークで10代の大半を過ごし、タフツ大学とボストン美術館附属美術大学を経て、2000年にニューヨーク市立大学ハンター校で修士号を取得。現在はベルリンを拠点に活動している。記憶や歴史の不確かさを出来事の反復やメディアの介在を通じて露わにする映像作品は国際的に高い評価を受け、ドクメンタ13や第54回ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめとする国際展や企画展に数多く参加、近年はアムステルダム市立美術館やモントリオール現代美術館、ストックホルム近代美術館、ダラス美術館などで個展を開催している。また、日本国内でも2012年には東京都現代美術館で開催された『ゼロ年代のベルリン—わたしたちに許された特別な場所の現在』や2014年に東京オペラシティ アートギャラリーで開催された『幸福はぼくをみつけてくれるかな?』に出品。2015年にTARO NASUで日本初個展を開催。ドローン(小型無人機)をテーマとする「1,500mがベスト」(2011)、「彼女の顔は覆われて」(2011)の二作品を発表した。

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